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夏の章最終話です。
「そのポケットに入ってるモン、明日から持って来るんじゃねぇぞ。」
今までの流れと全く同じ調子で言ったフッシンのこの言葉で俺は凍り付いた。
そう、この左ポケット。身に覚えがないわけではなかった。
制服の堅苦しさに守られて細長い膨らみはほとんど分からなくなってはいるが、この左ポケットには一本、抜き身のタバコが入っていた。
もちろん吸うためではない。そのうち一回くらい試してみようと思ってはいるが。
俺は逃げ道が欲しかった。
当たり前のように学校という場所に押し込められて、出来上がった知識を詰め込まされる。感情を押しつけられ、みんなと同じ分身になりすます日々。
そんな中で、逃げ道を作っておかなければ耐えられなかった。
タバコは近所の自販機にたまに取り忘れがあるから、人目を盗んで手を突っ込めば簡単に手に入った。
教師にバレたこともなかった。
基本、教師というものは生徒を型にはめて考える。この生徒は優等生、この生徒は不良要素を多く含む、というようにある程度の種類がある型に生徒を当てはめて、まずそこから物事を見て、考えるのだ。
俺は今のところノーマークだ。優等生要素も不良要素も持ち合わせない「月並み型」。つまり誰も、俺のことを見張る教師はいないということ。ポケットが細長くふくらんでいても目を懲らしてよく確かめようとはしない。
型にはめている安心感がその目に曇りガラスを被せているのだ。
そう思っていた。しかし、曇っていたのは俺の目も同じかもしれない。危うく、この人を「教師」という型にはめるところだった。人のことなんて言えたもんじゃない。
俺は、自分で創り出した「教師」という型にいろいろな人を当てはめてきたのだ。それがやっとわかった。
フッシンは、タバコに気が付いた。ちゃんと見えていたのだ。
俺という人間を大まかな、そして間違った型なんかにはめるんじゃなく、切磋琢磨というただ一人の生徒として見ることができる人。 そのサングラスの奥の目は、どこまで透き通った視野を持っているんだ。
この時から、俺にとってフッシンは得体の知れないものになった。
それはまるで、未知の生物宇宙人。
もうタバコは必要ないな。
俺はさっきまで入っていた個室に戻り、タバコをトイレの水に流した。
渦を巻きながら沈んでいく白い棒を見届ける。
いつの間にかフッシンはいなくなっていて、高宮と二人だけの女子トイレに水の流れる音がしばらく続いた。
高宮は、俺がいきなりタバコなんて出して、トイレに流したりしたもんだから
かなりぎょっとしていたけれど、何も言わずに俺の儀式が終わるのを待っていた。
そう、俺は新しい逃げ道を見つけたんだ。フッシンという、わけの分からない教師の中に。
あの人という存在そのものが、逃げ道なのだ。タバコなんかよりずっと上等の。
「行こうぜ高宮。サッカー、教えてくれるんだろ?」
「ああ、僕、かなりスパルタだから。ちゃんと付いて来いよ?」
勢いよく流れる水の音が清々しかった。
タバコはトイレに流しちゃいけません。(笑)