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城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第7話 相剋する正義と大義
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7-2 戦場に舞い降りた「女神」

二 戦場に舞い降りた「女神」


 神聖騎士団(サクラ・エクィテス)、宣教第九大隊——。


 その名称を耳にした途端、シルヴァノスは表情を失った。

イズキールの顔をじっと見つめるだけでなく、幽霊を前にしたかのように冷や汗を流し、わなわなと震えている。握りしめる剣の柄にも思わず汗がにじんだ。


「宣教第九大隊、だと……? あいつまさか、『コップフェリアの悪夢』からの生き残り……だとでもいうのか……?」


 シルヴァノスはごくりと生唾を飲み込みながら、眉をひそめて口走った。

 そのとき、親分の著しい変化に気がついた部下のひとりが、親分の逆鱗に触れないよう慎重を期しつつ、おそるおそる尋ねてきた。


「兄貴……。なんスか? その『コップフェリアの悪夢』って……」


 部下の問いかけで現実に引き戻されたシルヴァノスは、部下たちの視線が自分に集中していることに、そのとき初めて気がついた。

 彼らの反応から、無意識にその名を口走っていたと悟ったシルヴァノスは、自分の口の軽さにやや閉口しながら、面倒くさそうにボリボリと頭を掻いた。


「なんだ、てめえら。知らねえのか? なら仕方がねえ、教えてやる」


 部下たちの顔を見回し、そう言ったシルヴァノスは、マルキオンとの会話を続けるイズキールの方に視線を移しながら、ボソボソと話しはじめた。


「この島の西海岸に、コップフェリアっていう村があったらしい」


 実体験ではなく伝え聞いた話ではあるのだろうが、多神教徒であるシルヴァノスは当然、多神教徒の側で回想をはじめた。


「この島じゃ数少ない多神教の村だったんだが、ある日、一神教の教祖の誕生日を記念してということで、いっせいに一神教に改宗する、と村の長老どもが宣言しやがった。今からわずか二年前のことだ」


 聞き耳を立てる部下たちも、全員が多神教徒である。彼らは当時の村の決断に驚きながらも、神妙な顔でうなずく。


「これにはさすがに、多神教を国教にしている帝国が黙っちゃいねえ。一応外国だから知らん顔していたが、陰ではなりふり構わず工作員を突っこんだり、自分の国から狂信的な連中を集めて武器を持たせて、集団移住させたりしたのさ」


「……なるほど。それに対し、住民を守るという名目で公都から派遣されたのが、神聖騎士団(サクラ・エクィテス)の宣教第九大隊だった……というわけですね。兄貴」


 シルヴァノスの述懐に対し、長い斧槍を杖代わりに立てていた最年少の部下が、絶妙な合いの手を入れた。これには、出し抜かれた先輩たちもつい顔を見合わせる。

 思わぬ合いの手を受け、つい失笑を洩らしながらも、シルヴァノスはさらに話を続ける。


「そうだ。そしてこれが、お互い大失敗だった。刃物を持った連中が敵味方に分かれて、同じ土地で睨み合う。これがどういう結果になるか……。てめえらにも、わかるな?」


 そう問いかけられた部下は、誰もが緊張の面持ちで生唾を飲み込んだ。答えるまでもない。結果は誰が答えても明らかである。

 だが、問いかけられた以上は回答しなければならない。部下のひとりが口を開いた。


「こ、殺し合い……ッスか?」


「まあ……そうなるな」


 部下の反応に少しだけ首肯してから、シルヴァノスはなおも述懐を続ける。


「何かにキレて突っかかってきた多神教徒を、騎士の誰かが斬ったのがきっかけでな。村はもう血の海だ。あっという間に両方の死体がごろごろ転がったそうだ。そりゃあ身の毛もよだつような、悪夢のような光景がこの世に現れたという話だ」


「…………(ゴクリ)」


 額に汗を浮かべて聴いていた部下たちは、いっせいに固唾を呑んだ。おぞましい光景が頭に浮かび、喉が渇いてくる。

 そして、そんな地獄のような戦場から生還した人間が、すぐそこで会話している。途端にイズキールが、得体の知れない怪物のように思えてきた。


 血まみれの怪物を見るのは恐い。恐いが、どんな顔なのか見たいような気もする。

 同時にそう思った三人がおそるおそる振り向き、怪物の方に視線を移そうとしたとき……。


「……コホン」


 怪物はすでに背後に来ていた。イズキールが苦笑しながら咳払いをする。


「うわッ! で、出たぁ!」


 部下たちは、腰を抜かさんばかりにびっくり仰天。白銀の鎧をまとった血まみれの怪物が、いつの間にかすぐ後ろに立っていたのだから無理もない。

 それを見たイズキールは複雑そうな表情を浮かべながら、ニヤニヤするシルヴァノスを見つめ、落ち着いた口調で言った。


「……なるほど。コップフェリア村の一件は、多神教徒の側では『悪夢』と呼ばれているのですね。初耳です」


「まァ、そりゃあな……」


 イズキールの動きを先刻から見ていたシルヴァノスただひとりだけが、その問いかけを耳にしても、ニヤリと右の口角を上げるだけの心の余裕を持っていた。


「帝国にしてみりゃ、あれほど犠牲を出したのに、最終的には村が乗っ取られるのを防げなかった。多神教の側からすれば敗北だし、『悪夢』以外の何物でもねえよな」


 みずからも多神教徒でありながら、まるで他人事のような口調で言い捨てたシルヴァノスは、粗末な鉄かぶとを左手で直すと、面倒くさそうな顔で首をひねった。コキッと乾いた音が響く。

 それを合図として、イズキールも、持っていた仕込み杖を構えなおした。


「おい、てめえら。いつまでも恐がってるんじゃねえ。相手がお待ちかねだぞ」


 シルヴァノスの号令で目を覚ましたのか、真剣な顔つきを取り戻した部下たちが再び身構え、イズキールと対峙した。


 ここは路地が少し広くなったに過ぎない場所。十歩で横断できるほどの狭い空間である。

 火災が延焼し、燃えはじめた家屋から発せられる強烈な熱気が伝わってくる。異臭をともなった煙も、海からの湿った潮風に乗り、この空間めがけて容赦なく吹きつけてきた。


「…………」


 イズキールは純白のマントを熱風にはためかせながら腰を落とし、重心を低く保ったまま、相手の出方をじっくり待っている。

 それに対し、シルヴァノスは身がまえた二人の部下の後ろで、腰に手を当てたまま悠然と立っている。そのうえ薄笑いまで浮かべている。何を考えているのやら剣を収めてしまっており、柄には手を伸ばそうともしない。


 二人はその状態でしばらく睨み合っていたが、やがてシルヴァノスが顔をイズキールの方に向けたままで右手を伸ばし、彼の右側で構えている部下のひとりに対して大声で呼びかけた。


「おい! てめえが持っている斧槍、俺によこせ!」


「……は、はい!」


 声をかけられたのは、先ほど絶妙な合いの手を入れていた、最年少の部下である。

 斧槍を要求された彼は突然の命令に驚いたものの、すぐにその意味を理解してうなずき、少し離れた位置から迷うことなく斧槍を投げ渡してきた。


「よし! 見てろよ? こいつを持った俺は、ひと味違うぜ!」


 銀色の弧を描いて投げ渡された斧槍を、シルヴァノスは右手だけでしっかりと受け取った。

 そして斧槍の中央を持ったシルヴァノスは、やや広くなった場所であることをいいことに、頭上でヒュンヒュンと斧槍を回転させはじめた。


 得意げな表情で斧槍を回転させるシルヴァノスを見た部下たちが、狭い空間の中で距離を取って配置につく。


(長柄の武器を、持ち出してきましたか……。厄介ですね)


 右手に持った仕込み杖を構えなおしたイズキールは、シルヴァノスを無言で見すえながら、ずれたメガネを器用に、左手で修正した。

 そして頭上での斧槍の回転を終え、鋭利な穂先を自分に向けてきたシルヴァノスのドヤ顔を、じっと注視する。


(懐に飛び込もうにも、この杖では危険……。さて、どうしたものか)


 思案に暮れるイズキールの褐藻色の瞳が、メガネの向こうで鮮やかに輝く。

 瞳の奥に、燃える炎のような揺らぎが見える。それでも、その色は透徹している。不利な形勢でも、冷静さは失っていない。


 シルヴァノスが持つ斧槍——。その名のとおり、両刃の槍の穂先と、その根元に小型の斧がつけられた、特殊な矛である。

 槍として突くだけでなく、斧での斬撃も可能。斧の部分で馬上の敵を引っかけるという使い方もできる。当時、多様な戦い方ができる武器として普及しはじめており、野戦で騎士どうしの戦闘に効果を挙げはじめていた。


「どうだ、この迫力に恐れをなしたか? ニケフォルスの野郎に、散々しごかれたからな」


 最新式の武器を手にドヤ顔をやめないシルヴァノスは、イズキールに向けた斧槍の穂先を、すばやく上下に動かしはじめた。相手の視覚を攪乱しようとする、短めの槍独特の戦い方である。


「かかってこないのか? それじゃ、俺の方から行くぜ!」


 構えた姿勢を維持したまま巧みなすり足で踏み込んだシルヴァノスは、イズキールめがけて激しい突きを繰り出してきた。


 その直後、身体を斜め前方に滑らせたイズキールは、槍の穂先を皮膚一枚の差でかわす。

 ほぼ同時に仕込み杖の柄を握っていたイズキールは、仕込んであった鋼製の白刃を引き抜いた。激しい金属音と火花を残し、斧槍による突きを果敢にはじき返す。


「——隙あり、です」


 突きを受け流してシルヴァノスの懐に踏み込んだイズキールは、即座に仕込み杖を握りなおし、滑らせた身体を攻撃態勢へと移行させた。

 いかに渾身の突きであっても、受け流すことができさえすれば、相手の脇腹は隙だらけである。ここに斬撃を加えれば、容易に勝負がつくはずだ。


「へっ。それは……どうかなァ?」


 次の瞬間、イズキールの耳に入ったのは、シルヴァノスの不敵な声だった。


 その声にハッと気づいたイズキールの目に、目前に迫ってくる斧槍の柄が映る。

 シルヴァノスは懐に入ろうとしたイズキールの動きを読んでいた。突きを繰り出した直後に斧槍を回転させ、斧槍尾部の石突きによる一撃を見舞ってきたのである。


「……くっ!」


 すぐに鋼製の刃部を縦向きにしたイズキールは、左手で支えつつ柄による打撃を正面から受け止めた。再び激しい金属音が鳴り響き、鮮烈な火花が周囲に飛び散る。

 すべてが金属で作られている斧槍は頑丈で、繰り出される打撃には、容易に肉体を引き裂くほどの威力がある。


「フン、受け止めやがったか」


 斧槍による打撃をどうにか受け止めたイズキールだったが、すぐに後方へ飛びのいた。金属製の斧槍は威力がすさまじく、はね返すことができなかったのだ。

 この姿勢のままで正面から打撃を受け続ければ、いかに鋼製といえども非力な仕込み杖では耐えきれない。瞬時にそう判断したイズキールは飛びのき、間合いをとったのである。


「……なかなか、やりますね」


「なんだ、今ごろ気づいたのか? 『悪夢』のくせに、意外と鈍感だな」


 斧槍を右肩に担ぎ、大仰に胸を反らせたシルヴァノスは、傲慢な態度を隠そうともせずにうそぶいた。斧槍の扱いなら隊長のニケフォルスにも負けない、そんな矜持があるらしい。


「……まあ、ちょっと予定は狂ったけどよ」


 そして少し間合いが広がった頃合いを見たのか、シルヴァノスは斧槍を担いだ姿勢のまま、イズキールの背後にいるマルキオンと、その部下たちをゆっくりと睥睨した。


「幸か不幸か、ここは戦場になっちまった。坊さんを始末した後で、そっちのお坊ちゃんもゆっくりと『戦場のどさくさにまぎれて』片付けてやるからよぉ?」


 戦場という特殊な環境に乗じる形の、明確な殺害予告である。緊張の度合いを増したマルキオン主従を覆いかくすように左腕を広げたイズキールは、シルヴァノスを睨みつけた。


「そのようなこと……。わが主とわたしが、誓って阻止してみせます」


「へっ。そういうカッコいいセリフは、その心細い武器で俺に勝ってみせてから吐くんだな」


 嗜虐的な笑みを浮かべたシルヴァノスは、再び斧槍を構え、鋭利な穂先をイズキールに突きつけてきた。槍の穂先と斧の研ぎすまされた刃に、炎の色が鮮烈に反射する。

 その背後にいるマルキオンたちはもちろんのこと、取り囲むシルヴァノスの部下たちも固唾を呑んで、この勝負の行くすえを見守っている。


「……仕方が、ありませんね」


 ところがイズキールはそう呟くと、何を思ったか、いきなり仕込み杖の刃部を鞘へ差し込んで、もとの杖の姿に戻してしまった。

 次にポケットの中をごそごそ探り出したが、ほどなくして、薄紫色の丸く透明な石がついた金の鎖のネックレスを探し出すと、それを仕込み杖にぐるぐると巻きつけた。


「……少し、早かったですね。これもわたしの、未熟さですね」


 突如として始まったイズキールの不可解な行動を、いぶかしげに眉根を寄せるシルヴァノスを筆頭として、ここにいる誰もが奇異の目で見つめた。

 イズキールは一神教の聖職者である。何か儀式めいたものを始めるのではないか——? そんな好奇心が手伝っているのかもしれない。


 刺すような視線が集中する。だがイズキールは、そんなことを気にする気配もない。

 やがて準備を終えたイズキールは、おもむろに、右の耳に下げた紫色の耳飾りに手を触れた。


「——聞こえますか? メル。予定どおり杖をお返ししますが……。状況はどうですか?」


 落ち着いた口調のイズキールが、誰に対してでもなくそう言った、次の瞬間——。

 イズキールの右手に触れた紫色の耳飾りが、ぽっと淡い光を放った。その光はランプの炎よりも小さいものだが、暗い場所では際立って見える。


 しかし耳飾りが起こす不思議な現象は、これで終わりではなかった。むしろ、これからが本番だった。


『…………こえ、す、わ……。イズキー……ル、ま』


「…………ッ?」


 耳飾りに光が灯ってからしばらく経ったとき、今度はどこからともなく、人間の声が途切れ途切れに聞こえてきたのである。聞こえてきたのは、どうやら少女の声らしい。

 その場に居合わせた者は、イズキールを除いて誰もがキョロキョロと、声の主を探して周囲を眺めまわしている。


 紫色の光は徐々に明度を増し、街角を照らすほどになった。それに比例し、最初は途切れがちだった声が、はっきり、大きく聞こえるようになっていく。


『こち……は、さき、ど……、終わっ……ところです。まったく、イズキール様自慢の女神様は、素晴らしいですわ』


「無事で何よりです。こちらは、今から始まるところですが……少々厄介でして」


 いきなり始まったこの会話を、男たちは誰ひとり予想していなかった。いよいようろたえつつ周囲を探すが、あまりの不可解さに互いの顔を見合わせることしかできない。


「女の声……? いったい、何だってんだ……? ちくしょう!」


 今まで見たことも聞いたこともない不思議な現象が、目の前で起こっている。想定外の現実を前にしたシルヴァノスは、思い通り進まないことに対して地団駄を踏むしかない。

 だがそんな思いとは関係なく、事態は着々と進んでいく。


『では……。かけ声と同時に、空に投げ上げてくださいませ。せーの!』


 虚空から聞こえてくる少女の声は、かけ声でイズキールに動作を要求した。声の主の側でも、何かの動作をしているらしい。

 そのかけ声にうなずいたイズキールは、金のネックレスを巻きつけたままの仕込み杖を、天高く垂直に投げ上げた。


 それを包むように、少女の清冽かつ流れるような詠唱が、赤黒く染まった空に響きわたる。


『——智と霊気を司る精霊よ、汝らの力をもって、我らを隔てる境界に繋索(けいさく)を成したまえ』


 上空に投げ上げられた仕込み杖と、そこに巻きつけられたネックレスが一緒になって、流れる詠唱に翻弄されるかのように回転する。

 そして、少し上空まで達したとき、炎の光を受けて空中で赤く染まった、次の瞬間——。


「うわッ! ま、眩しっ……!」


 何の前ぶれもなく、ネックレスの先につけられた薄紫色の丸い石から、強烈な閃光がほとばしり出た。その場にいたイズキール以外の誰もが、驚いて光から顔をそむけた。


 発生した光は天に浮かぶ月よりもはるかに明るく、その輝きは数秒間持続して、赤黒く染まっていた路地をありありと照らし出した。

 閃光が続き、誰も光源を直視できない間に、少女の声が天啓のように響いた。


「空の境界(ザ・ニードル・オブ・)を突き通すアイス・ウィッチ・ピアー氷の針」シズ・ア・バウンダリー——。どうやら、物体の交換は可能……のようですわね』


 魔法名の解放とともに聞こえてきたのは、少女の嬉しそうな安堵の声だった。どうやらこの術式じたい、イチかバチかの試みだったようだ。

 その声に対し、イズキールは普段どおりに会話するかのように応答した。


「いつもながら見事な手際です、メル……。ところで何度も言うようですが、誰にも見られていませんね?」


『ふふ、ご心配なく。これは魔術ではありません。あくまでも、魔導具の行使ですので』


 そうしている間にあれほど激しかった閃光は急速に収束し、もとの赤黒い闇に戻っていく。

 それなのに、これほどの超自然的現象を前にしても、イズキールと少女が動じる気配はまったくない。むしろ平常どおりの会話をしている。


「くッ、くそう……。いったい、何が起こった……?」


 闇に戻ったことで、不意に目くらましの閃光を受けたシルヴァノスたちはようやく視力を回復させ、めいめいに悪態をつきながらイズキールの姿を再びとらえた。


「な、なに……? 仕込み杖じゃ、ないだと……?」


 見ると、いつの間に入れ替わったのか、仕込み杖とは違うものが彼の右手に握られている。

 木の棒のようだった仕込み杖はどこかに消え、若干の反りをともなった、すらりとした細身の片手剣に変わっていたのである。


「小娘、てめえ、魔術師なのか……? あの仕込み杖に、何をしやがった……?」


 いまだ状況を飲み込めない者が多い中にあって、シルヴァノスは一連の出来事が魔術的なものであることを理解しているらしく、姿が見えない少女に対しても恐れずに問いかけた。


 この状況で思いがけず問われた少女は、イズキールとの会話を打ち切った。

そこで会話の相手をシルヴァノスに換えた少女は、落ち着きのある声色に変えて返答してきた。


『……この状況ですから、小娘という失礼な呼び方は許してさしあげます。わたくしの名は、メルといいます。以後、お見知りおきを』


「何だよ、どこかのお嬢様か。面倒くせえな。で、坊さんはあんたの彼氏かなにかか?」


 思ったことをそのまま口にするシルヴァノスに対し、メルは驚いたり動揺したりした後、しばらくしてから、もごもごと返事をしてきた。


『そ、そんなふしだらな……! イズキール様とは、その……特別な関係でございます』


 どこか恥ずかしげにそう否定したメルは、コホンと咳払いをしてから、もとの威厳めいたお嬢様口調に戻り、脱線した話を無理やり修正した。


『そしてわたくしは、魔術師ではありません。魔術研究家です。いまイズキール様に、本来の佩剣をお渡ししたところです』


「何だと……? 仕込み杖は、坊さんの本当の武器じゃなかったのか……?」


『当たり前です。いやしくも神聖騎士たる者の佩剣が、旅人用の仕込み杖であるわけがありません。神の名によって聖別された、由緒正しき名剣です』


 イズキールとその武器の偉大さを、まるで自分のことのように誇らしげに語るメル。自慢げに胸を反らす姿が、目に見えるようである。

 だがその一方で、シルヴァノスはある決意を固めたようだった。


(由緒正しき名剣か……! なんとか奪い取って、俺のコレクションに加えたい!)


 シルヴァノスは、イズキールが手にする剣のたおやかな曲線と、精緻な装飾が織りなす優美さとにすっかり心を奪われていた。額の汗を左手の甲でぬぐうと、あらためて斧槍を握り直す。

 そして部下たちに素早く目配せをし、うなずき合って次の行動を示し合わせた。


 その動きを知ってか知らずか、鞘に巻きついていたネックレスを慎重に取り外し、それを大事そうにポケットに入れたイズキールは、ふとあることに気がついた。


「しかし……、メル。このわたしの剣……」


 鎧に備えられた剣帯と、もとから剣についている佩環とをつなぎ、あらためて剣を腰に帯びたイズキールだったが、剣の変化を目ざとく察知すると、落ち着いた口調でメルに尋ねた。


「鞘が赤く光っていませんか? どういうわけでしょう……」


 さすがに気づかれたかと、メルは一瞬、言葉をつまらせて無言になった。

 鮮やかに輝くというほどではないものの、鞘に覆われた剣身は、今まさに中天にかかろうとしている赤褐色の月がこの地上にも現れたかのように、鈍い光を放っていたのである。


 言うまでもなく、メルは、剣がこうなっている理由を知っている。しかしメルはひと呼吸を置くと、わざと重々しい口調で答えた。


『……剣が攻撃的な魔力に反応して、警告しているのです。強大な魔術師が、すぐ近くにまで迫っている、その証拠ですわ』


 その回答に対し、イズキールは目を閉じて少し考えをめぐらせたが、特に反論などはすることなく、同じような口調で重苦しく返した。


「なるほど……。それは、十分に用心しなければなりませんね」


『そ、その通りです。剣そのものが答えてくれれば、いいのですけれど……』


 明らかにメルは何かを隠している。しかし言葉を発したら最後、誰の耳にも声が届いてしまう現在の環境では、この程度の回答しかできないのかもしれない。

 理由など、いずれわかることである。イズキールは剣を握りなおす音を発することで、メルに了解を伝えた。


 一方、このやり取りを背後で聞いていたマルキオンは、別の驚きとともにイズキールの後ろ姿を見つめていたが、しばらくして、少し落胆したような口調で言葉を投げかけた。


「司祭よ、お前はやはり、この街の……リーヴェンスから差し向けられた者だったのか」


「…………」


「そのために、丸腰で帝国軍から隠れていたと、身の上を偽ったというわけか」


「…………」


 イズキールはその問いに、すぐ答えることができなかった。無言を通す以外になかった。

 だがマルキオンは語気を強め、みずからの剣に手をかけながら詰問を続ける。


「見損なったぞ。お前は知識階級でありながら、世界の富を独占し、破壊と戦乱を振りまく、死の商人どもの手助けをしていることになるのだぞ。それが、わかっているのか……?」


 マルキオンが責めているのは、イズキールが境遇を偽ったことではないらしい。リーヴェンスの街と、その住民に荷担していることに対してのようだ。


 自由都市リーヴェンスは、公国から自治権と商業の自由を与えられ、大きく栄えた。だが近隣の諸都市にとっては、そうした特権が面白くない。

 そこで周辺諸都市は、公然と不満を表明するのではなく、富の独占、武器売買、奴隷交易など、リーヴェンスに関する負のイメージを事あるごとに流布してきた。


 やがてリーヴェンスの富を奪うべく侵攻軍を派遣した帝国は、「この都市の商人は腐敗の極みにあり、世界の富を独占し不和を助長している」という宣伝を国内外で行い、侵略行為を正当化している。

 イズキール自身、その宣伝効果は道中で何度か実感してきた。今では同じ国内の公都リーナスにおいてさえ、リーヴェンスの富をよく思わない者がいるほどである。


(正義とは何か、悪とは何か……)


 イズキールは無言のまま、自分の行いが周囲にどう見られるのかを考えていた。


 帝国の侵略に抵抗するのは、リーヴェンスの住民にとって正義であり、生き残る道でもある。しかし、帝国の側から見れば崇高な軍事行動である「聖業」だけが正義であり、これに反抗するなど悪行である。世界秩序にも反する行為にほかならない。


 ひたすらシルヴァノスの構えを見つめ、戦闘態勢のまま直立するイズキールを部下とともにそれを正面から見ていたシルヴァノスは、底意地の悪い笑みを浮かべた。

 あらためて斧槍を構えたシルヴァノスが、小刻みに動かしながらイズキールを揶揄してくる。


「へっ。商人どもにもらったカネを懐に、生活のための用心棒をやっているに決まっているだろうが。俺ら傭兵と何も変わりやしねえよ」


 シルヴァノスの横やりを聞き流しながら、イズキールは目を閉じた。


 領地の奪い合いも侵略行為も、誰かが生きるために誰かを犠牲にするという摂理にもとづいている。どこにも正義や悪が介在する余地はない。

 そうであるならば、記憶がないが由縁はあるかもしれないこの街のために、自分にできることは何か……。


「ヒューリアック連合王国を再興せんとする大義は、俺たちの支えだ。『ヒューリアック解放戦線』は、神々の正義によってこの生臭坊主を討つ!」


 そう叫ぶなり、シルヴァノスは左手を大きく振って、部下たちに散開を命じた。


 シルヴァノスの意を受けた部下たちが、片手剣や木の棒、ナイフなどを手にすばやく横に広がって、半円形となってイズキールの前に立ちはだかった。

 背後ではマルキオンとその部下も剣を抜いており、イズキールの包囲が完了した。


『ちょっと、あなたたち! 何を自分勝手な論理を……! イズキール様は……!』


「——いいのです。メル」


 この場の険悪な雰囲気を察したらしく、空間の向こうでメルが抗議の声を上げた。

 しかし、そのメルの抗議を止めたのは、静かな口調を維持したままのイズキールだった。


「誰にでも正義があります。人は自分が正しいと信じたことのために、行動するものです」


『で、でも……。イズキール様……』


 二人の間でだけ聞こえるような小声を維持しつつも、イズキールは耳飾りに引き寄せるように顔を近づけ、そう囁いた。

 だがそのイズキールの声には、どこか吹っ切れたような、静かな決意がこもっていた。


 その決意を示すかのように、イズキールは着ている純白のマントを、右腕でバッと払いのけた。マントに覆われていた白い鎧が、その拍子に露わになる。


「おっ? やる気になったのかよ?」


 揶揄するような嘲笑を浮かべるシルヴァノスを尻目に、イズキールは左腰に装着した剣の鞘に、左手でそっと押さえた。手を添えると、控えめな赤い光が指の間から漏れ出る。

 そしてマントが元に戻る前に、柄に右手を伸ばす。だが、つかむ寸前で手を止めた。


「この街に対するわたしの思いについては、諸兄のご想像にお任せいたします。しかし——」


 身体を少し左にひねった姿勢を維持したまま、イズキールが控えめに口を開いた。


「マルキオン様。ひとつだけ……よろしいでしょうか」


 イズキールは振り向くこともなく、背後にいるマルキオンに対して問いかけた。

 剣の柄に手を添え、構えの姿勢をとりながらの問いかけだが、そこには少しの隙もない。


「あなたは先ほど、ご実家が治める領地と、そこに住む無辜(むこ)の民に危害が加えられたことに対し、ひどくお怒りでした……。それは、なぜですか?」


 何を問われるのかと身構えていたマルキオンだったが、意外なほど簡単な質問にやや拍子抜けしながらも、自信を持って返答した。


「何を問うのかと思えば……。憤るのは当然だろう? 俺はともかく、領民には何の罪もない。彼らの平穏な暮らしを奪うことなど、神々がお許しにならぬからだ」


 この回答を耳にしたイズキールは目を閉じ、一瞬無言になったが、ひとつ息をつくと、今度は諭すような口調になって再びマルキオンに問いかけた。


「……なるほど。では、このリーヴェンスの『第十七区』に暮らす人々には危害を加えても構わないと、神々はそうおっしゃるのでしょうか」


「…………!」


「彼らもまた各地の戦禍から焼け出され、必死の思いで流れ着いた、何の罪もない無辜(むこ)の難民の子孫たちです。あなたの領民と、難民の子孫たちとの間に、何か違いがあるのでしょうか……?」


 傲慢で尊大なお坊ちゃまのマルキオンだが、根は正直な田舎者である。イズキールの問いかけを受けても、返答できず言葉に窮してしまった。


「そ、それは……」


「わが主はかつて、どのような民でも平穏で、安全な暮らしを送る権利があるはずだと説かれました。それなのに自分の側には認め、相手の側には認めないなどという不公平は、わが主の思し召しにかないません」


 イズキールはそう言うと、鈍く光る剣の鞘を握りなおし、シルヴァノスの方に右肩を向けて警戒を示した。それでも最後にかけた言葉は、マルキオンに対するものだった。


「——だからわたしは、街の人々を守るため、ここにやってきたのです」


「…………」


 マルキオンは反論しようとしたが、すぐに口をつぐんだ。


 帝国はしきりに住民のあくどさや腐敗を宣伝するが、街に入ってこの方、そのような住民はどこにもおらず、怯えて逃げまどう弱々しい民衆ばかりだった。帝国の論理の弱さを、薄々感じていたのである。


「はァ? てめえ、何言ってやがる!」


 しかし、シルヴァノスの方では、もはやそんな善悪の思考すら停止しているようだった。挑発的な口調で、イズキールを正面から煽ってくる。


「俺たちの依頼主は帝国だ! 依頼主が潰せと命令するなら、潰すのが俺たち傭兵の仕事なんだ! きれい事でやっていけるほど、傭兵稼業は甘くねえんだよ!」


「……そうですか。高い理想と厳格な規律で世に聞こえた『ヒューリアック解放戦線』も、このような危険分子を抱えるようになったのですね。残念です」


「何だとコラぁ! 俺たちを危険分子呼ばわりするのか! ぶっ殺すぞ!」


 すぐに頭に血が上って激昂するシルヴァノスを前に、遺憾だと言わんばかりに首を振ったイズキールは、ここで初めて剣の柄を右手でつかんだ。

 そして静かに息を吸うと、小さな声で、剣に向かってぼそりと語りかけた。


「——聖なる剣よ。我が前に、汝の真の力を示せ」


 イズキールが短く、そう唱えた瞬間——。

 これまで赤みを帯びていた片手剣の光が、いきなり青白い色へと変化した。


 青白い光は今までの暗赤色とは違い、薄暗い路地でもくっきりと見えるほど強い。優美に反り返った剣の形が、闇に浮かび上がるほどである。

 もちろん、抜かれることがないよう鍔と剣身を絡めていた金属の鎖は、もはや存在しない。


「『正義なる裁きの女神デア・ユースティティア』——。始動せよ」


 イズキールが剣の名前を呼ぶと、呼応したように青白い光がますます強くなる。

 それと同時にイズキールは右手の親指を動かして、鍔と鞘の口をわずかに切り離した。


 途端に、少し露わになった剣身から、眩しいほどに強烈な光が一気にあふれ出た。


「また光の目くらましか……ちくしょう! そうはさせるか!」


 閃光から目を守ることに成功したシルヴァノスは、激しい光に包まれているイズキールを見て、視界が遮られているのは相手も同じだと判断した。


「行くぞ、てめえら! この光があるうちに畳みかけるッ!」


「おっ……おおッ!」


 得体の知れない閃光を逆に利用しようと決断したシルヴァノスは、斧槍を握りしめ、間合いを詰めるやいなや部下たちにも襲撃を命じた。

 部下たちもそれに応じ、いっせいに武器を振り上げてイズキールの影へと突進する。


 そのとき、光の中のイズキールから、静かで落ち着いた声が聞こえてきた。


「聖剣技・第三(テルティウス)——」


 次の瞬間、静かで抑制的だった声は、続く裂帛の気合にかき消された。

 魔術師が行う「魔法名解放」と同じ、「技名解放」と呼ばれるものである。


「剣よ、唸れ! 『疾風迅雷』ウェントゥス・エト・フルグール!」


 声とともに、剣身の光がさらに強くなる。その剣身をすべて鞘から抜き払い、切っ先を下げて身体の右側に遊ばせたイズキールが、一歩を踏み出した。


 少しばかりの砂塵が、渦を巻いて石畳に残った瞬間——。

 光に照らされたその場から、イズキールの姿が突如として見えなくなった。


「き、消えた……ッ!」


 信じがたい状況を目にして驚愕したシルヴァノスが、悲鳴のような声をあげて斧槍の構えを崩し、とっさに防御の姿勢に移った、ちょうどそのとき——。

 シルヴァノスの眼前で白い光の帯が、凄まじい速さで視界を横切った。


 そして息をつく暇もなく、空気の塊がぶつかってきた。速度が生み出した衝撃波である。

 巨大な河のような風の帯が、身を縮ませたシルヴァノスの肉体を包み込む。稲妻のように通り抜けていく衝撃波が、防御姿勢をとった彼の全身を奔流のようにもてあそんだ。


「う……。あ……?」


 想像を絶するような数秒間を体験した後、シルヴァノスが防御の姿勢をとったままでそっと目を開けたとき、彼は自分の足元に棒状の何かが、二本、転がっていることに気がついた。


(……これは、何だ?)


 目をこらしてよく見ると、それは鋭利な刃物のようなもので切断された、斧槍の上半分だった。

そればかりでなく、一回切断された後にもう一回切断されているのだ。


 さらに、手のうちにある矛槍の柄の部分も切断され、二本になっている。

 要するに、あの短時間で、矛槍に対してだけ三回の斬撃を加えたことになるのだ。


「ばっ、バカな! ぜんぶ鉄で作られた、帝国製の斧槍だぞッ……!」


 切断された斧槍の下半分を投げ捨てたシルヴァノスは、膝をつき、頭を抱えて絶叫した。


 その一方で、巻き起こる砂塵が晴れていく中、彼の部下たちも何が起こったのかわからないまま、尻もちをついてキョロキョロと周囲を見回している。

 おとぎの世界から抜け出したばかりのような顔つきの部下たちだが、彼らの武器も下半分が切断されたり、鉄かぶとを両断されたりしていた。


「こ、こ、このッ! 怪物があッ——!」


 恐怖と憤りで割れんばかりの声を上げたシルヴァノスは、突如として姿を消したイズキールを捉えるべく、自分の腰に帯びている剣の柄に手をかけた姿勢のまま動きだそうとした。


 だが、シルヴァノスの動きはぴたりと停止した。頬から流れた汗が、顎からしたたり落ちる。

 淡い白に輝く剣の切っ先が、いつの間にかシルヴァノスの眉間に突きつけられていたからである。


「……こ、こんな、バカな」


「——勝負、ありました。まだやりますか?」


「ぐっ……。ちくしょう」


 切っ先を突きつけたのはイズキールだった。悔しげにうなだれるシルヴァノスの眼前に立つイズキールは、あれほどの動きを見せながらも息はまったく乱れていない。そればかりか、優しげな微笑すら浮かべている。

 剣身には特別な力でも宿っているのだろうか。鉄製の装備品を何度も切断したにもかかわらず、刃こぼれひとつ残っていない。


「……さあ、本部に帰って、この状況を上官に復命してください」


 ゆっくりと光が薄れていく剣身を鞘におさめたイズキールは、膝をついてうなだれるシルヴァノスを起き上がらせようと、笑顔で手を差しのべようとした。


 しかしその時、イズキールは動きを止めた。


「——いいや、その必要はないッスよ。下手こきましたねえ。シルヴァノス先輩?」


 折り重なるように並んだ建物の向こうから、若い男性のほがらかな声が伝わってきた。


 その声とともに、ブルルと鼻息を噴き出す馬の声と、石畳の上で停止する馬のひづめの音が響いてきた。騎馬身分の指揮官がいるらしい。

 さらにそこへ、大勢の人間の気配が伝わってきた。十数名はいると思われる。


 シルヴァノスの顔が一瞬で引きつる瞬間を見たイズキールは、一度おさめた剣の鞘を左手で握り、すぐに抜けるように斜めに構えると、その姿勢を維持したまま、声の主の登場を待った。


 やがて、細い路地の奥から、馬に乗った若い騎士が姿を現した。

 従者をひとりも連れておらず、たったの一騎、先頭になって闊歩してくる。


 時代遅れなほど完全な鎧に身を包んだ馬上の若者は、朗らかに自己紹介をした。


「俺は『ヒューリアック解放戦線』で副隊長をやってる、キュリロスっていう者ッス。なんかずっと嫌な予感がしてたッスけど、どうやら、あんたが原因だったようッスね」

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