↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
城壁都市リーヴェンス攻防記 ~新編・破壊の天使~  作者: 南風禽種
第7話 相剋する正義と大義
PR
37/43

7-1 僧服の神聖騎士

一 僧服の神聖騎士


「——おい、もっとよく探せ! 敵が、どこかに潜んでいるかもしれないんだぞ!」


 ひっそりと静まりかえる、夜の貧民街。人の気配はまったくない。

 暗闇に沈むそんな街に、若い男の神経質な声だけが、荒々しく響きわたった。


 港町の湿気を含んだ空気に満たされた、狭い裏路地。

 そこを、灯りを持った男たちが三人、慎重な足取りでゆっくりと進んでいく。


 入り組んだ裏路地は窮屈そのもので、二人以上が並んで歩くことはできそうもない。乱雑に積み上げられた壺やら、飲料水の桶やらの生活用具は、意図的に配置された障害物であるかのようである。

 そのうえ、路面は汚れていて滑りやすいことこの上ない。衛生的にもひどく不潔で、鼻が曲がりそうな悪臭があたりにたちこめている。


 そんな裏路地を、普段着とほとんど変わらない軽装備に、粗末な剣だけを持った二人の若者が先に歩く。

 少し年上の男がその後方をゆっくりと追っているのだが、彼は不満げにつぶやいた。


「まったく……。俺ともあろう者が、どうしてこんな薄汚れた貧民街なんかに……!」


 ただひとり完全武装で、軽装備の若い二人に露払いをさせつつ最後尾をゆっくり進んでいるだけのくせに、愚痴まじりのため息をつく男。彼が、この集団を率いるリーダーらしい。


 使い古されてはいるが立派な革製の鎧と深紅のマント、そして年代物の鉄かぶと。私物でありながら豪壮な装備が、由緒正しい彼の家格を表している。

 やせ型で神経質そうな顔つきの彼は、身に迫る危険に敏感なあまり、絶えず周囲に目を配っている様子であった。


 二人の若者は使用人もしくは下男らしい。彼らを見張り役として前を歩かせ、自分は安全な最後方をのし歩き、背後から怒鳴り散らすばかりである。


「で、でも若様、もうこの辺の連中は、どこかへ逃げちまったんじゃ……?」


「黙れ、この農民ふぜいが! 俺は領主の息子だぞ! 口答えするんじゃねえ!」


「す、すみませんっ……!」


 威圧的な態度を隠そうともしない完全装備の男は、農家出身の手下が意見でもしようものなら、身分の差にものを言わせて怒鳴りつけ、萎縮させる。封建制度という社会構造が生んだ、悪しき副産物である。

 貧しさのあまり傭兵になったという二人の若者は、生まれながらの騎士階級には絶対服従である。無礼討ちなど日常茶飯事であった。


「ちっ……。世が世なら俺の方が、隊長づらしているあいつらを、顎で使うはずだったのに」


 この作戦で先発隊に派遣されてからというもの、若様はずっと機嫌が悪い。家柄に対するプライドが高い彼は、上官にも任務にも、この編成にも納得がいっていないようであった。

 その中でもとりわけ不満なのは、手下が二人とも一神教徒であることだった。若様の家は先祖代々多神教徒であり、彼自身もちろん多神教徒である。


「やってられねえ……。なんで俺の手下になったのが、邪教信者のガキどもなんだッ……」


 ——と、そこまで愚痴を言ったとき。

 彼はいきなりマントを跳ね上げるやいなや、腰に吊った剣の柄に手をかけた。


 若いながらも、さすがに歴戦の傭兵である。一神教徒だという手下の二人も気配を感じ、すばやく剣を抜いて若様を守る位置に立ち、戦闘態勢を整えた。

 若様はそれを見とどけると、慎重に背後へ視線を移し、左手で二人に配置を指示する。そして少し広い通りに出るやいなや、暗がりに向かって叫んだ。


「そこにいるのは、何者だ! おとなしく出てきやがれ!」


 勇気を出して怒鳴りつけたのはいいものの、声が少し裏返ってしまったことに気づいた若様は頬を赤らめた。

 手下の二人は緊張のせいか、それに気づいている様子がなかったのが幸いだ。


 それからしばらく暗がりを睨みつけていると、暗闇のトンネルのような路地から、数人の男たちが現れた。同じ傭兵集団に属する、別の班の連中らしい。


「よお、誰かと思えばマルキオンじゃないか。久しぶりに会ったな」


 のんびりと手を挙げながら、薄ら笑いでひょっこりと顔を出したのは、古めかしい鎖かたびらと鉄かぶとで武装した、筋骨たくましい男だった。

 マルキオンというのは若様の名前で、ふたりはどうやら古い知り合いらしい。


 相手側も鎖かたびらのリーダーと、みすぼらしい軽装備の三名を合わせた四名の集団である。リーダーの装備が貧弱だが人数がひとり多いという以外、編成としてはマルキオン以下の三名とそれほど変わらない。

 大きく違っているのは、マルキオンと同じ街の出身らしい彼らが全体的に不真面目な感じで、悪い遊び仲間の集まりのような印象であることだった。


「……なんだ、シルヴァノス。お前、生きていたのか」


「へっ。そいつはご挨拶だな。隊こそ違うが、同じヒューリアック解放戦線に参加した同志だろう?」


 急な遭遇で戦闘態勢を整えていたマルキオンたちは、同志という言葉を耳にすると、顔を見合わせながらも緊張を解き、構えていた剣を下げた。


「……ところで、シルヴァノス。そっちの路地はどんな状況だったんだ? 住民どもがどこへ避難したかわかったのか?」


 剣を収めながらぶっきらぼうに尋ねてくるマルキオンを睥睨し、伸び放題の無精ヒゲを余裕ありげな顔でしごいていたシルヴァノスだったが、その問いには直接答えることなく、代わりに不敵な笑みを浮かべると、振り向いて部下のひとりに命じた。


「おい。例の坊さんを、ここへ引っ張ってこい」


「へい!」


 命じられたシルヴァノスの部下は、不真面目に崩した挙手の礼でいたずらっぽく返事をするなり、手に持っていた荒縄の端を勢いよく引っ張った。


 その瞬間——。暗がりから現れたのは、荒縄で両手首を縛られた人物だった。


 彼は引っ張られた勢いでつんのめるようになったが、転倒することはなかった。

その人物の素性は、服装を見ればすぐにわかる。ごく若いが、一神教の聖職者である。


 たいまつの光をかざして彼の姿を目にした多神教徒のマルキオンは、一神教の聖職者だとわかった瞬間、すかさず嫌悪感を顔に表した。


「なんなんだこいつは……。しかも、よりによって……」


「ああ、そうさ。てめえの大嫌いな、一神教の坊さんだ」


 同輩に先んじて手柄を挙げたことへの優越感が、シルヴァノスを自然とドヤ顔にする。


 ドヤ顔の理由はそれだけではない。一神教の聖職者は当時の知識階級の最たるものであり、布教で各地をめぐることから情報の宝庫でもあると考えられていた。それを捕らえたという結果は、同じ街の出身であるマルキオンたちに成果で上回ったことになる。

 見た目は遊び人のシルヴァノスだが、集団内の競争原理には従順らしい。


「向こうの目抜き通りでうろついていたのを見つけてよ。俺たちがとっ捕まえたってわけさ。すまねえな、先遣隊の手柄を、先に取っちまったみたいでよ」


 形式的に謝るシルヴァノスを見ながら、マルキオンは腕組みして鼻息をひとつ吐いた。


「フン、詫びることはない。しかし戦線の最初の捕虜が、よりにもよって邪教の坊主だとはな」


「生まれつき多神教徒のてめえからすれば、一神教は邪教なんだろうな。だが、大事な情報源だってことを忘れるな」


 シルヴァノスにそう言われてもなお、マルキオンは不機嫌そうな表情を隠そうともしない。

彼は一方的に邪教だと決めつけている一神教の聖職者に向き直ると、足元から順番に、舐めるかのようにジロジロと眺めまわした。


「フン……。カネの亡者にしては、貧乏くさい身なりだな。本当に坊主なのか、こいつは?」


 一神教徒である手下の二人が、マルキオンの顔色をうかがいながらも拝むような眼差しで聖職者を見ている。それなりに高い地位らしいことはマルキオンにもわかった。


 その白の僧服は、中級の聖職者以上にしか着用を許されないという。足首まですっぽり覆うほどの長さがあり、権威を示すための標章が随所に刺繍されている。

 だが、長い旅の果てに擦り切れた刺繍は見る影もなく、暗がりにいると単なる流浪の旅人と何ら変わらない。


 そこに洗いざらしの白いマントを羽織り、旅人用の細長い杖を持っているだけ。護身用の短剣といった最低限の武装すら持ち合わせていない姿が、みすぼらしさを倍加させている。


 それなのに、白い僧服に覆われた身体は非常に大柄であり、金持ちの商人にありがちな肥満体よろしく、丸い腹が出ている。そのせいで僧服もはち切れんばかりになっている。

 装飾品はほとんどないが、右の耳たぶにだけ、人さし指ほどの長さがある紫色の石がついた、耳飾りを下げている。


(太っているのに貧乏くさい坊主……。坊主というより没落した商人だな。しかし……)


 怪訝そうな目つきでマルキオンが見上げたのは、前髪と襟首を一直線に切りそろえた、聖職者の独特の髪型だった。青色の頭髪ということも相まって、薄暗い月夜でも目立つ。


「……少し、よろしいですか?」


 肥満体にしては異様なほどすっきりした顔立ちの聖職者は、じろじろ見つめてくるマルキオンを見て寂しそうな顔をすると、おもむろに声をかけてきた。


「あなたは、一神教がお嫌いのようですが……。それは、なぜですか?」


 その落ち着いた口調と慈愛に満ちた温顔は、今も両手首を縛られ、背後から締め上げられている人間のものとはとても思えない。

 ところが問われた方のマルキオンは、そんなことに思いをめぐらすこともなく、そのひと言ですぐに激昂した。


「なぜだとッ? お前らが残虐だからだッ!」


 マルキオンは恥も外聞もなく大声を上げると、いまいましげに若い聖職者の顔を睨みつけ、指をさして怒鳴りつける。


「お前らは神の正義だとか天の意志だとかのきれい事を抜かしながら、平気な顔で人殺しをしやがる! しかも奴らは自分を『宣教者』だと名乗っておきながら、改宗しない連中には平気で武器で威圧してきやがる。なにがわが主のご意志だ! ふざけるなッ!」


 マルキオンが長年溜め込んだ積年の鬱憤が、ここで一気に噴出した。それ自体、無理もない。

 一神教の勢いが世界を席巻していた時代、宣教と称する改宗の強制は至るところで行われていたという。喜捨を名目とした徴収や、礼拝堂建設のための強制的な土地収用なども、あの手この手で広く行われた。


「俺の故郷は、邪教の奴らに乗っ取られたんだ……。その中で信仰を守った俺の実家は孤立し、農民が逃げちまって没落したんだ! ちくしょう! 奴らの剣と洗脳のせいで、幸せだった俺の家族はッ……!」


「…………」


 青年聖職者は黙ったままひと言も反論することなく、マルキオンの激昂を神妙な面持ちで聴いている。インテリそうな丸いメガネの奥に見えるのは、褐藻の色をした優しげな瞳だった。


「ちくしょう……。奴らは許さねえッ! 何が『神の慈悲』だ! 笑わせるなッ……!」


 落涙とともに思いの丈を吐き出したマルキオンは、襲ってくるめまいの中で酸欠を意識し、全身で息をついた。勢いは自然と削がれる形になる。

 それでも青年聖職者は後ろ手に縛られたまま、黙ってマルキオンの様子を見つめ、激昂が治まるのをひたすら待っている。


(……な、なんだこいつは? こいつ本当に、奴らと同じ邪教徒なのか?)


 彼がこれまで接してきた一神教の聖職者は、教義に疑問を呈しようものならすぐさま反論するし、相手を屈服させない限り罵詈雑言をやめないのが常だった。ところがこの青年はこれまで接してきたどの聖職者とも違う、温かさにも似た包容力を持っている。


 そしてなぜか、彼のふくよかな身体つきを見ているうちに、心を覆いつくしていたどす黒い闇までもが、どんどん消えていくような感じがする。

 胸につかえていたことをすっかり出しつくしたマルキオンは、膝に手をついて息を整えながら青年聖職者を見上げると、喘ぎが治まるのも待たずに話しかけた。


「お前は何者だ? 本当に奴らと同じ坊主なのか? どうして奴らのように論破したり、剣や槍で威嚇したりしてこないのか?」


 見上げてそう問いかけてくるマルキオンを目にした青年聖職者は、メガネの奥で揺らめく目をそっと細めた。

 この若者と彼の実家は、一神教の教会組織からどれだけ理不尽な扱いを受けたのであろうか。青年聖職者の瞳は、すでに深い同情と慈愛の色をたたえていた。


「——失礼。まだ、名乗っておりませんでしたね」


 青年聖職者はそう言うと、後ろ手に両腕を縛られたままの姿勢で身体を折り曲げ、ゆっくりと頭を下げた。


「わたしは、リーナスの中央教会エクレシア・カテドラーリスに所属し、教区司祭を勤めております——。イズキール・フェランと申します」


 司祭は、司教に次ぐ高い位階である。すぐれた人格と卓越した見識とが求められるため、司祭の地位に就く頃にはほとんどの人物が三十代に達するといわれている。だがこの青年は、どう見ても二十歳前後であった。


「司祭……とはいえ、見てのとおり若造ですし、武器など持っておりません。徒手空拳で神の教えを説いて回るだけの、旅の坊主にすぎません」


 イズキールはわざと「坊主」という蔑称でみずからを表現し、丁寧に会釈した。


「司祭……? お前、司祭なのか? 村にきた奴らの中には、ひとりもいなかったぞ」


「司祭の役割は、本来、民を(おし)え、導くことです。一神教の聖職にある者は誰もが、布教のためと称し、無辜の民を虐げる人間ばかりだとは限りません。わたしはむしろ、そういった(やから)を、心から軽蔑しております」


 そのやり取りを後ろで聞いていたマルキオンの若い部下二人は、イズキールの自己紹介にかなり驚いている。「本当に、司祭様……?」「あの歳で……?」やらと、ひそひそ語り合う。

 だが、司祭の希少性を知らないマルキオンは、疑いの視線でイズキールを眺めた。


「……話はわかったが、お前は位が高いのだろう? どうしてこんな、ゴミ溜めみたいな街に隠れていたんだ? まさか、帝国の軍勢から逃げ遅れたのか?」


「面目もありません。逃げようとしたときにはもう、すっかり取り囲まれていまして……」


 肥満体のイズキールが発散する柔和な雰囲気に包まれたのか、マルキオンの顔から険しさが消えている。おどおどしていた若い部下ふたりにも笑顔が見えていた。


(この坊さん……。ただ者じゃねえな。本当に、ただの逃げ遅れたデブなのか……?)


 マルキオンとイズキールとのこれまでの会話を、離れた場所から腕組み姿でじっと見ていたシルヴァノスだったが、マルキオンとは反対に、疑いを深めた様子であった。


「だが……。これで命が助かったと思ったのなら、ちょっと見通しが甘いようだな」


 空に輝くふたつの月を見上げ、その位置から時刻を見定めたシルヴァノスは、腕組みを解いて周囲を見回すと、部下とともにつかつかと進み出た。

 野望に満ちた笑みが、ギラギラした顔に張りついている。その得意げな表情からは、今から大きなことが始まるのだといった高揚感が読みとれる。


「さて、と……。あいつらも、そろそろ始めるころだな……。ニケフォルス隊長の命令よりもちょっと早いが、ソテリオス様の計画は……完璧だ」


 シルヴァノスが顎に手を当て、わざとらしく難しげな顔を作って天を見上げてそこまで言ったとき——。

 粗末な建物が並ぶ北の方角で、鮮やかに輝く赤い光が、一瞬、パッと夜空を焦がした。


 その光からほんの一瞬遅れて、地震のように大地を揺るがす鳴動が、鈍い音とともにズズッ……と全身を駆けめぐっていく。

 そしてやや遅れて乾いた熱風が、迷路のように錯綜した街を縫うように、かつ狭い路地を浸透していくかのように、凄まじい勢いでゴウゴウと吹き抜けていった。


 だがその赤い閃光は、一度輝いただけにとどまらなかった。


 周囲の空気を瞬間的に吸い込んだかと思うと、気流のふわっとした乱れとともに、次から次へと連続して、同じ輝きを明滅させたのである。

 赤い閃光とともに発生した火は、街のあちこちで可燃物に燃え広がり、あっという間に大きな炎となって、静かだった夜空を真っ赤に染めはじめた。


「西の路地は魔具班が三人いたな……? そのまた向こうの通りにも魔具班が二人……。で、雇われ魔術師どもは中央、今やりやがった奴らだな。ふうむ、あいつは今、どこにいる……? ソテリオス様の側にいた、奴隷みたいな男……」


 シルヴァノスは顎ヒゲをいじりながら、誰かと語り合うかのように独り言を繰り返して事態を分析している。明らかにこの事態を予測している。そして楽しんでいる。

 そこへ、不良の遊び仲間にしか見えない若い部下のひとりが、ニヤニヤしながら問いかけを受け取った。


「あの『サンド』とかいうオッサンでしょう? ソテリオス様のお気に入りだそうで、今は近くで護衛をやっていますよ」


「そうかい……。聞くところによるとスゲえ魔術師なんだっていうが……。奴隷みたいにやせ細っているんだろ? どう見ても、五十がらみのオッサンだよなあ」


 シルヴァノスたちは「サンド」という、お抱え魔術師のひとりを目にしたことがあるらしい。乾いた熱風が街を吹き抜けていく中、彼らは当時を楽しげに回想している。


(ソテリオス、魔術師……。名前は「サンド」ですか……)


 イズキールは両手首を縛られたまま彼らの会話に耳を傾けながらも、白いマントを熱風になびかせ、厳しい表情で爆心地に向き直った。

 建物越しに燃えあがる禍々しい炎から勢いよく火の粉が舞い上がり、木材が燃えるパチパチ音が届く。


 一方、マルキオンと若い部下の三人は、突然のことに驚きうろたえ、両腕で顔をかばいつつ熱風から身を守るのに必死になっている。


「な、な、な……」


 作戦発動の開始は、天煌星(ポリュクス)が中天に達する時点だったはずだ。早すぎる。

 この場に居合わせた人々がそれぞれ異なった反応を示す中で、真っ先に疑問を口にしたのは、何も知らされていなかったマルキオンであった。


「……何だ、コレはッ? 攻撃の発動は、天煌星(ポリュクス)が夜空の真ん中に差しかかったときじゃなかったのかッ? 今はまだ、その時間じゃないぞ!」


 驚かされたこともそうだが、勝手に行動開始を早める計画があり、その存在を知らされていなかったことに対してマルキオンは激昂した。

 そしてまっすぐ、シルヴァノスの襟首を掴みにかかったのである。


 それでもシルヴァノスはドヤ顔を崩すことなく、何も知らないマルキオンを嘲笑するような仕草でかわすと、迫ってきたマルキオンの両腕をがっちり捕らえ、そのまま顔をぐっと近づけてきた。


「——まあ、落ち着けよ、マルキオン。いくらてめえがニケフォルス隊長に気に入られていたからって、ソテリオス様の周到な計画にまでケチをつけるのは、さすがに見逃せないぜ?」


「なッ……?」


 鼻が接するのではないかと思うほどシルヴァノスに顔を近づけられたマルキオンは、その言葉を聞くと驚愕し、頭の中が真っ白になった。

 そして同時に、マルキオンはシルヴァノスの胸を力いっぱい突き飛ばした。


「……おっと。乱暴はよせよ。お坊ちゃん」


 突き飛ばされるであろうことも想定ずみだと言わんばかりに、シルヴァノスは数歩後退しただけで、なおも薄笑いをやめようとしない。怒り心頭に発したマルキオンの顔とは、明らかに対照的に見える。


「シルヴァノス、お前……! あの気持ち悪い『ぬいぐるみ男』を、いつの間に様付けで呼ぶようになったんだ! お前も少し前までは、あれほど軽蔑していたのに……!」


 信じていた仲間に裏切られたことに気づいたマルキオンは、怒りに顔をゆがめ、眉根を尖らせて再びシルヴァノスに飛びかかった。

 ところが、そんなマルキオンを冷たい目で眺めたシルヴァノスは、軽い身のこなしを発揮して肩すかしで受け流すと、ただひと言で答えた。


「——口を慎めよ、マルキオン。ニケフォルスの野郎はもう、時代遅れなんだよ」


 もはや「隊長」の敬称すら口にせず、蔑称に置きかえたシルヴァノスの瞳は、炎の色を宿し、すっかり狂気に染まっている。


「時代遅れ……だと? それは、どういう……」


「これからの『ヒューリアック解放戦線』は生まれ変わる。新しい時代を率いていくのはな、理想主義のニケフォルスでも、臆病な武器オタクのキュリロスでもねえ。先進的で冷徹な頭脳をもった、ソテリオス様なんだよ!」


 呆気にとられて問い返すマルキオンに対し、シルヴァノスは最後を強調する口調で、突き放すように宣告した。


「ニケフォルスは豪快で、優しい男だったが……。このクソみたいな乱世を乗り切るためには、規律と優しさじゃあ……やっていけないんだよ」


 いつしか、シルヴァノスの背後には三人の部下が並んでおり、一緒になってマルキオンを見下している。

 それに対してマルキオンの後ろには、若い二人の部下が立つ。同じ部隊でありながら、もはや対立する二つの派閥という構図ができあがっていた。


 二つに割れた集団から一歩進み出たシルヴァノスは、勢いよく右の拳を握りしめると、ソテリオスの展望をおのれの野望にすり替える形で、強い口調で言い放った。


「今や『ヒューリアック解放戦線』の勢力図は、大きく変わった! そして俺たちは、強い方についたんだ! ただそれだけのことさ、マルキオン……」


「なん、だと……?」


「てめえらがニケフォルスのもとで、部隊に対する各国の高評価にヘラヘラしていた、まさにその間にな」


 シルヴァノスだけでなく、ソテリオスの一派からも突如として一方的に絶交されたような形のマルキオンは、激しくうろたえた。それでも今はすがるような目で、シルヴァノスを見上げるしかない。


「ど、どうしちまったんだよ、シルヴァノス……? 俺たちは同郷だし、境遇も似ていた。解放戦線の中ではずっと仲間だった。今までのことを、忘れちまったのか?」


 哀願するのも無理はない。マルキオンとシルヴァノスは同世代であり、ともに没落貴族の跡取り息子であった。

 互いの先祖も同じ戦場で肩を並べて戦い、手柄を立て、貴族階級となった家柄である。


「境遇が似ていた、仲間だと……?」


 その言葉を耳にしたシルヴァノスは、怒りのあまり目を剥いた。どの口が、と言わんばかりの表情である。


 先祖は確かに戦友どうしであり、過酷な戦場で肩を並べて戦った。しかしその戦功には、わずかな差があった。

 そのわずかな差のせいで、爵位と領地の面でシルヴァノスの家は大きな遅れをとり、マルキオンの一族の属領のような身分に甘んじたのである。


 政争に敗れ、実家もろとも没落した過去を持つふたりは、気心の知れた同輩として傭兵に身をやつしたが、その一方でシルヴァノスは内心で対抗心を燃やし、いつかマルキオンを出し抜くことを目標としてきたのである。


「俺とてめえが、仲間だったことなんかない! ふざけるな!」


 だからシルヴァノスは、その哀願への返答として、憎しみのこもった視線をマルキオンにぶつけた。そして指をさし、大声で罵りはじめた。


「先祖の手柄がちょっと違ったくらいで、てめえは子爵、こっちは騎士だ! 領地も辺境に押しこめられたせいで、収入にも大きな違いがあって……! それが、二百年たっても変わらないなんてバカげてる! 俺はなあ、てめえの格下に甘んじるのはもう、たくさんなんだ!」


 その罵声でシルヴァノスの本心を知ったマルキオンは、思わず口をつぐんだ。怒りがおさまらないシルヴァノスの罵声は、天にまで向けられた。


「ちくしょう! 先祖の野郎! 村のひとつやふたつ、焼き払うのを躊躇しやがって! そのせいで俺はッ……!」


 シルヴァノスは悔しさに顔をゆがめ、部下が居並ぶ前でもお構いなしに地団駄を踏み、いまいましげに先祖を呪い続けている。

 それを見ていたマルキオンは、初めてシルヴァノスの秘められた内心を知ったが、ようやく紡ぎ出せたのは、空虚な慰めの言葉だった。


「父上の失脚さえなければ、ニケフォルス隊長の側近はキュリロスなんかじゃなく、俺たちだったはずだ。今では俺の実家も、貴族から外れている。俺も、お前と同じ立場だ」


「……そうか。そういえば、そうだったな」


 マルキオンの慰めを聞いたシルヴァノスは、鉄かぶとの庇を一度伏せ、取り乱した自分の行いを恥じるような仕草を見せた。

 しかし、そうしてから再び見せたシルヴァノスの顔は、マルキオンを嘲笑する表情に変わっていた。


「てめえの親父が失脚したのは、兄貴がいきなり家出して一神教の学校に入っちまったあげく、そこで神学教授殺しに連座しやがったせいで、責任を取って辞任したからなんだよなぁ?」


「くっ……。お前、どうしてそれを……!」


「まったく、殺人犯のクソ兄貴に、断りもなく傭兵になっちまった弟か。これじゃあせっかく爵位をもらったてめえの先祖も、浮かばれねえよなあ、ええ? おい!」


 思い出したくもない古傷をえぐられたマルキオンは、下唇を噛んで拳を握りしめ、シルヴァノスを睨みつけながら絶句する。その反応をちらりと横目で見たシルヴァノスは、わが意を得たりとばかりにほくそ笑んだ。


「最後に、いいことを教えてやる。てめえの実家の領地はもう俺の手下どもが略奪ずみだ。村も農地も、きれいさっぱり廃墟になっているだろうぜ」


 そのささやきを耳にした瞬間——。

 マルキオンの頭の中で、何かがちぎれ飛ぶ音がした。


「貴様ッ! 俺や兄上を侮辱するだけならともかく……ッ! 無辜(むこ)の領民にまで手を出すとはッ……! ぶった斬られたくなければ、今すぐ中止させろッ!」


 激昂したマルキオンはマントを翻すやいなや、すかさず剣の柄に手をかけ、悪魔そのものの形相でシルヴァノスを睨みつけた。

 その背後で見ていた一神教徒の部下も、マルキオンと一心同体であるかのように戦闘態勢を取り、マルキオンと並んで二人同時に身がまえた。


 シルヴァノスも素早くその場から飛びのいた。彼の鍛え上げられた脚力は、その身体を軽々と数歩分も後退させていた。


「中止しろだと? そんなことをすれば俺が殺されちまう……。だがいい機会だ、ここでてめえをぶっ殺せば、あの領地は後継者不在になる。俺のものにするのも悪くねえ!」


 そう叫んだシルヴァノスが勢いよくマントを翻し、剣に手をかけると、彼の配下もまた余裕の表情のまま、おもむろに剣の柄に手を伸ばした。

 四人対三人。人数的な優位はシルヴァノスの側にある。狭い路地というこの場所では、絶対的な優位である。


 同じ組織に所属する仲間でありながら、一触即発の危機を迎える傭兵たち。

 今にも火の手が燃え広がろうとする街の裏通りに、時ならぬ緊張が走る。


 そこへ突如として割って入ったのは、若い男の訴えるような叫び声だった。


「なんです、こんな時に! 仲間割れとは見苦しいですよ! 落ち着きなさい!」


 対峙するふたつの集団の間に身を投じ、そう叫んで動きを止めさせたのは、両腕を後ろ手に縛られたままのイズキールだった。

 仲間割れを止めようとするイズキールの必死な表情が、赤黒い炎の色に照らし出された。剣を構えた両方の男たちが、一瞬たじろいだ。


「……黙ってな、坊さんよ。ぶっ殺されたくなければな」


 ところがシルヴァノスは半笑いをやめず、部下どもも剣を下ろす気配はない。怒りがおさまらないマルキオンもついに剣を抜いた。なおも睨み合いを続ける。

 相手を取り囲むような陣形をとるシルヴァノスの側は、劣勢であるマルキオンの側を明らかに侮っていた。全員が気持ちの悪い冷笑を顔に張りつけている。


「そうですか。……仕方が、ありませんね」


 深刻な表情でそう呟き、この状況は容易に収めがたいと判断したイズキールは、後ろ手に縛られたままの手に「ふん」とひと声、気合をかけた。

 すると、関節のひとひねりだけで、彼の手首を縛っていた荒縄が石畳の上に解け落ちた。


 そして三人しかいないマルキオンの側にゆっくりと歩みを進めると、彼らを背にする位置を占め、マントの下に隠し持っていた短めの杖を取り出した。

 イズキールの大柄な体格にはおよそ似合わない、旅人用の短い杖である。一見して女性用だと思われる、細身で携帯性にすぐれた形式であった。


「お前、どうして……?」


 思いがけず守られる形になったマルキオンは、イズキールの広い背中を見て驚いた。

 その動機が知りたくなったマルキオンは、剣を構えてシルヴァノスたちを牽制しながらも、向こうに聞こえないよう小さな声で尋ねてみた。


「おい、大丈夫か……? なぜこちらに加勢する?」


 肥満体であり、そのうえ短い杖しか持たない聖職者など、いざ戦闘になれば真っ先になぶり殺しになるに違いない。そんなことは誰の目にも明らかである。マルキオンが彼の正気を疑ったのも無理はない。


「哲学者でもあったわが主は、その時点でもっとも正しいと判断したのなら、心の赴くままに行動せよと(おし)えられました。理由はそれだけです。お気遣いは無用です」


「…………?」


 呆気にとられるマルキオンに対し、イズキールは振り返ろうともせず淡々とした口調で、聖職者としての自分の信条のみを語った。神の教えだけが、行動の動機だと言わんばかりである。

 それを耳にしたマルキオンは、口元を緩めてフッと笑みを浮かべると、イズキールを押しのけて自分が最前列に立ち、再び剣を構えた。


「マルキオン様……?」


「そんな杖だけで戦おうなど、バカだとしか思えん。だが、このまま奴らにやられたのでは、さすがの俺も寝覚めが悪い。助けたわけじゃない。勘違いするなよ」


 背を向けたままぶっきらぼうにそう言うマルキオンを見て、イズキールも思わず口元を緩めた。そしてなおも相手から視線を外さず、どういうわけか感謝を述べた。


「マルキオン様は、わたしに戦う理由をくださいました。ありがとうございます。あなたとお仲間に、わが主の祝福がありますように」


「…………?」


 横で首をかしげるマルキオンに笑みを向け、あらためて前を見すえたイズキールは、右手で杖を斜め前に構えなおした。

 最初の爆発に続き、あちらこちらで火の玉が遅れて炸裂し、そのたびに地響きが第十七区の裏路地を揺るがす。赤く染まった閃光が、向かい合ったふたつの集団をあらゆる方向から照らし出す。


「……ふうん」


 シルヴァノスは剣を構えつつ、黙ってイズキールの行動を見守っていたが、ふと、何かを諦めたかのように天を仰いだかと思うと、唐突に、嗜虐的な笑みを口元に刻みつけた。


「坊さんには、どさくさに紛れてこいつらを仕留めた後、俺の正当性でも証言してもらおうかと思っていたんだが……まあいいや。こりゃあ、計画変更だな」


 口角をゆがめたシルヴァノスは天を仰ぎつつ、額に手を当ててクククと忍び笑いをした。

 そして一転、敵意がこもった視線をイズキールに向けたシルヴァノスは、舌なめずりをしながらマントを翻すと、背後に居並んだ部下に対し、冷酷な命令をくだした。


「まずは、邪魔なあの坊さんからだ……。ここを見た奴は生かしておけん。()れ」


「よ、ようし! みんな、散開だ!」


 この状況を楽しんでいるのか、シルヴァノスの声色がいつもと違う。部下たちはそのことに少し気おされつつも、リーダー格の号令のもと、手にしていた剣を曲芸のようにくるくると回し、身軽そうなステップを踏みながら路地いっぱいに広がった。

 彼らは敵と戦うとき、変幻自在の陣形と軽妙な身のこなしで相手を翻弄し、なぶり殺しにするのが得意技なのだ。


「坊ちゃんの命令なんだ……。俺たちを恨むなよ。あの世で、神様に弁解しろ!」


 部下のひとりは大声で叫ぶなり、鍛え上げられた脚力を駆使して一気に前方へと跳躍した。

 たったひとりのイズキールに対し、三人が瞬間的に間合いを詰めてくる。戦闘開始だ。


 動き出したシルヴァノスの側を見すえ、マルキオンの側にも緊張が走る。


「……ここだッ!」


 部下のひとりがイズキールに向けて振り上げた白刃に、赤い炎と青い月の光が混じり合って鋭く反射し、ギラリと閃光を発する。

 ところが、イズキールは表情を変えず、少しも動かない。その動きはすでに見切っていた。


 でっぷりとした肥満体に似合わぬ、俊敏な動き。その場に残像だけを残し、イズキールは一歩だけ後退した。


 次の瞬間、襲ってきた斬撃は紙一重の差で、イズキールの前を通過した。

 だが、斬撃の衝撃波が白い僧衣のボタンを吹き飛ばしたのか、斬撃を受けて白いものが二個ほど砕け飛んだ。


「——なにいイッ?」


 普段であれば、相手はこの一撃だけで全身から鮮血を噴き出し、血の海に沈んでいたはずである。その結果しか想像していなかった彼は、手応えを感じなかったことで頓狂な声を上げた。


「……くっ。ちょこまかと動くなッ!」


 しかし、これで終わりではない。斬撃をかわされた彼は着地するやいなや、脚力を最大限に発揮してその場に踏みとどまり、剣を持ちかえて刃の向きを変えると、すぐさま第二撃を横ざまに振り薙いだ。


 その、次の瞬間——。

 激しい金属音とともに、渾身の第二撃は受け止められていた。

 斬撃を受け止めていたのは、その場から一歩も動いていないイズキール自身だった。


「ふふ……。残念でしたね」


「なッ! そ、それは……杖ッ?」


 金属音とともに斬撃を受け止めたのは、鉄製の刀身だった。そしてその刀身は、杖の中に隠されたものだった。

 杖の木製部分をずらして出現した刀身は黒光りする鋼鉄製で、細身ながらもしっかりと剣の一撃を受け止めている。


「仕込み杖だと……? いいブツを持っているじゃねえか」


 それを見ていたシルヴァノスは、口笛を吹いて目をみはった。

 イズキールが持っていたのは、住民たちに恐怖を吹聴したあの青年がアンナの腕をねじ上げたとき、首筋に突きつけて動きを止めさせた、あの仕込み杖であった。


 しかし、一撃を受け止められた部下の方はおさまらない。ツバを飛ばして難癖をつける。


「やい、騙しやがったな! 丸腰のはずじゃなかったのか!」


「すみません。まあ何かと、物騒な世の中でして」


 イズキールは涼しい顔で答えをはぐらかすと、剣をはじき返した勢いのまま瞬間的に飛びのいて間合いを外すと、くるりと身体を回転させつつ、半分まで抜いていた刀身を再び鞘の中に収めた。

 瞬間的にイズキールの姿が消えたことで、部下の男に迷いが生じた。そこに隙が生まれた。


「——今度は、こちらから行きますよ?」


 穏やかな顔で、イズキールが呼びかける。

 その柔和な声は、反撃の開始を告げる、静かな宣言だった。


 少し離れた場所で、イズキールは上体を沈めると同時に右足に体重をかけていた。

 イズキールはその体重をおのれの右肩にこめると、爆発的な勢いで跳躍した。


 驚異的な脚力で飛び出したイズキールの身体が、弾丸となって、男の身体に衝突する。


「うがッ……!」


 意表をついた体当たりは、完全武装の男をいとも簡単によろめかせた。

 好機到来——。イズキールは相手の体勢が崩れた瞬間を見逃さず、仕込み杖に手をかける。


「イチかバチか、ですが……!」


 イズキールがためらいがちに言うと、一度は収めていた仕込み杖の刀身が、閃光をともなって杖から滑り出した。狙いは、部下の男が手にした剣である。


 次の刹那——。薄暗い裏路地に、鈍くも激しい金属音が鳴り響いた。


 途中から叩き折られた剣身が、回転しながら宙を舞う。それがカラン、カランと石畳の上に虚しい音とともに落下したとき、部下の男はようやく、手にしていた剣が使い物にならなくなったことを知ったのだった。


 対するイズキールの仕込み杖は五体満足のまま、特に損傷はみられない。

 それを確かめてから、イズキールは落ち着いた様子で、ゆっくり刀身を杖に収めた。


「ただのデブの坊さんだと思っていたが……。やっぱり、ただ者じゃねえな」


 途中から折れた剣を投げ出し、石畳にへたり込む部下。それを尻目に、いよいよ真顔に戻ったシルヴァノスは、低い声でうめきながら、イズキールの姿を薄暗い路地に透かして見た。

 その動きに気づいたイズキールは、杖を構えなおしてシルヴァノスたちの方に向き直った。


「おい……。てめえの、その服……?」


 そこでシルヴァノスは、イズキールの服装に起こった変化に気がついた。

 激しい動きのせいで僧衣のボタンが飛び、イズキールの上半身が露わになっていたのである。


「てめえ……。デブの身体つきは、見せかけだったんだな」


「……わたしは一度も、自分が肥満だと認めたことはないのですが」


 騙されたとばかりに恐い顔で睨みつけるシルヴァノスの視線を、苦笑しながら受け流したイズキールは、ボタンが失われてはだけた僧衣を脱ぐと、丁寧にたたんで横に置いた。


 その場の全員の目に、肩当てがついた白色の胴鎧が露わになった。

 胴鎧だけではない。腿まで覆う脚甲、上腕部を守る腕甲まで装備されている。


 イズキールは今までずっと、足首まで覆う長い僧衣の下で、完全武装を維持していたのである。肥満体に見えていたのは、鎧を着込んでいたからだったのである。


「お前、まさか……。坊主というのは、嘘だったのか?」


 黙って後ろから見ていたマルキオンだったが、聖職者から突如として騎士へと変身したイズキールの姿を前にしては、さすがにこう問わざるを得ない。


「……司祭の職にあるというのは、真実です。ただ、司祭にもいろいろとありまして」


 歯切れの悪い口調でこの場を濁そうとするイズキールを見て、対峙するシルヴァノスは集団を代表し、ビシッと指をさして糾弾した。


「司祭、イズキール……と言ったな! てめえはいったい、どこの何者なんだ?」


 もっともな問いかけである。それを耳にしたイズキールは、洗いざらした純白のマントを翻すと、マルキオンとシルヴァノスの両者に向き直った。


「申し遅れました。改めて、官姓名を申告いたします」


 まるで軍人のような声音で居ずまいを正したイズキールは、右手を胸に当てて身をかがめ、上位者に対する正式な騎士の礼をもって頭を下げた。右耳につけた耳飾りが、怪しく光る。


「わたしは、リーナス教区司祭にして、中央教会エクレシア・カテドラーリス隷下、神聖騎士団(サクラ・エクィテス)麾下(きか)において宣教第九大隊の小隊長の任にありました……。イズキール・フェランと申します」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。