6-8 聖剣「正義なる裁きの女神」
八 聖剣「正義なる裁きの女神」
宿酒場の廊下には、人の気配がまったくなかった。
客室のドアを閉めると、途端に話し声がさえぎられ、静寂の空間へと戻る。
痛むこめかみに指を当てたイズキールはドアを閉めるなり、向かい側の窓枠に手をかけ、ふらつく姿勢をどうにか安定させることに成功した。
一時は割れんばかりの激痛が襲い、思考もできない状態だったのだが、腰に吊った剣が小刻みに震えだしたのを境に痛みが少し薄らいだ。それを幸いに、かろうじて廊下へ脱出できたのである。
目の前の窓から、灯りのない夜景が見える。イズキールはそれを眺めてため息をついた。
「——ふう。また、この痛み……ですか」
イズキールはそう呟いてから、あらためて廊下の様子を見回してみた。考えてみれば、廊下をつぶさに観察するのは初めてであった。
光量をしぼったランプが、等間隔にぶら下がっている。真夜中とは思えないほど明るいのは、開放された窓から射し込む月の光が、ランプの光をしのぐほどだからである。
階下からは、避難民たちのひそひそ話やざわめき、子どもたちが無邪気に走り回る歓声や足音などが、かすかに聞こえてくる。
夜半に近い時刻なのだが、広間にいる誰もが不安で、眠れぬ夜を過ごしているのかもしれない。
夜空には、冷たく輝く青い月「ナーンリント」と、不気味に光る赤黒い月「ヴァルトール」が寄り添い合いながら浮かんでいる。
イズキールは、夜空に輝くふたつの月に目を移すと、誰に言うともなく呟いた。
「それにしても……。どういうわけか最近、煉獄の王のことを考えるだけで、痛みが来るように……。彼とわたしの過去との間に、何か関わりが……?」
分かってはいるのだが、イズキールがそんなことを頭のすみで思考した途端、再び、脳髄を締めつけるかのような痛みが襲ってくる。
それはまさに、「そのことに触れてはならない」という掟を課せられた桎梏が、脳の奥を締めつけてくるかのようであった。
だが、痛みが襲ってきた次の瞬間——。
イズキールが左腰に吊っていた剣が決まって、意志を持つかのように細かく、小刻みに震えだすのである。
「また……。わたしの剣が」
痛みに耐えきれず、こめかみを押さえたイズキールが、すがるように剣を強く握る。
そうすると不思議なことに、頭の痛みがゆっくりと、そして確実にやわらいでいくのがわかる。
「剣よ……。やはり痛みは、あなたがやわらげていたのですね」
柄頭に一神教の聖印があしらわれたその白い剣は、数多くの使い手をめぐり、使い古されるうちに随所がすり減り、彫刻も定かではない。鞘も鼈甲色をした、別物に置き換わっている。
だが、片刃で若干の反りをもった剣身はすらりと長く、その曲線には女性的な気品が感じられる。優雅さにあふれた、高貴な佇まいすら有するのである。
「剣よ、そうまでしてお前は、わたしに何をさせようというのですか……」
震えが収まりかけた剣を腰の剣帯から外し、小声でそう語りかけるイズキール。
彼が目の高さに差し上げた剣が、青い月の光を受け、なおさら白く輝く。
——が、そのとき。
イズキールは窓に向かって青い月を剣に透かし、空に掲げた姿勢のまま振り向きもせず、背後にいる何者かに向けて呼びかけた。
「……そこにいることは、わかっています。怒りませんから、出ておいでなさい」
教会に集った会衆を諭すような、凜とした声。イズキールは気配の動きを感じただけで、背後に誰かが隠れているのを察知したのである。
案の定、廊下の随所に等間隔に置かれた花瓶の陰でしゃがみ込んだまま、ビクッと肩を震わせる人影があった。
「…………」
発見されたことを悟ったその人影は、それでもじっと動かずにいたものの、やがて観念したのかゆっくりと立ち上がると、その場でぺこりと頭を下げた。
「す、すみません……。司祭様」
「あなたは……。アンナさん」
アンナは、イズキールが居候している「書肆ボヴァリー」の主人クルトの娘。日ごろから顔を合わせている。
隠れていたのが顔なじみのアンナだとわかると、イズキールは自然な笑みを見せた。だが、アンナの方は恥ずかしそうにもじもじとし、目を合わせようともせずに、手をこまねいているばかり。
相変わらず心を開いてくれないアンナを見て、イズキールは苦笑しながらため息をついたが、その次に待っていた展開は、さすがの彼も予想できないものだった。
「あ、あのっ……。し、司祭様!」
アンナはいきなり顔を上げると、思いつめた表情でイズキールのもとに駆け寄ってくるなり、切迫した様子で彼の顔を見上げ、こう切り出したのである。
「剣を……。その剣を、私に見せてくださいませんかっ? お、お願いします……!」
叫ぶように懇願し、上体を直角に曲げてまで、深々とお辞儀をするアンナ。よく見ると緊張のせいか、かすかに全身を震わせている。
「この……。わたしの剣を」
イズキールは当初、呆気にとられながらそんなアンナを見ていたのだが、引っ込み思案な彼女がここまで必死になるのだから、何か大きな理由があるに違いない。
そう思ったイズキールは、ふっと口元に笑みを浮かべると、優しい声で語りかけた。
「——わかりました、アンナさん。だからお願いです。顔を上げてください」
その声を聞いたアンナは、すかさず上体を元に戻した。イズキールは自分が手にしていた剣を水平にすると、そんな彼女の両手にそっと乗せてやった。
剣が抜けないよう、鍔と鞘の結合部でぐるぐる巻きにされた細い鎖と、鞘の二箇所に取りつけられた佩環(剣帯と鞘とをつなぐ輪状の金具)が、その拍子にチャリッ、と金属音を立てる。
「…………!」
その途端——。アンナは澄んだ青緑色の瞳を、いっぱいに見開いた。
ずっしりと重い剣を両手で捧げ持ったアンナの意識の中にいきなり、見たこともないような光景の断片が、まるで走馬灯のように、超高速で流れ込んできたのである。
そのいずれもが、この剣が記憶に刻みこんできた、戦場の風景の数々であった。
数多くの人馬の死体が横たわり、風で硝煙がたなびく——戦いが終わった後の原野。
破壊された教会と、その前の広場に横たわる死体の数々、そしておびただしい血の海。
甲板が激しく燃え上がり、いまにも海に沈んでいこうとする、血に染まった木造の船。
(これが……。これが、あの子が見てきた、現実なの……?)
むごたらしい映像の数々を一瞬のうちに見せられたアンナは、衝撃のあまり気が遠くなり、剣を捧げ持ったその姿勢のまま、後ろに倒れそうになった。
「アンナさん! 危ない!」
イズキールは驚き、とっさに手を伸ばそうとするが、その手は届きそうもない。
そのまま後ろに倒れ込んでしまえば、後頭部を木の床でしたたかに打ちつけるはず——。アンナは薄れゆく意識の奥で、ぼんやりとそう考えた。
だが、暗転してゆくアンナの感覚の前に、チリン、という鈴の音とともに、一条の光のようなものが突如として現れ——。
——その次の瞬間。
倒れ込んだアンナの後頭部は、ぼよん、と妙に弾力のある枕のようなもので、しっかりと受け止められていた。
「……まったく。気をつけろよな、アンナ」
「キリエ、お姉ちゃん……」
卒倒しそうになったアンナを受け止めたのは、客室から出てきたばかりのキリエだった。弾力のある枕のようなものは、彼女の巨大な胸であった。
そこにすぐさま駆け寄ったイズキールは、片膝をついてアンナの顔をのぞき込むやいなや、異状がないことを確認して胸をなでおろすのだった。
「よかった、無事のようですね。キリエさんが出てきてくれて、本当に助かりました」
「あ、いや……ははは。アタシもほら、あいつの堅い話は苦手だから、さ」
「ふふ、メルの話が堅いことに関しては、まったく同感です」
後頭部を掻きながらほんのりと頬を染めたキリエは、中座してきた理由をそう説明した。イズキールはそれに対しても、大人の余裕で軽やかに応じる。
だがその一方、心ここにあらずといった顔つきのアンナは無言のまま、イズキールの剣を胸に抱いて座り、剣身の先ばかりじっと見つめている。
その表情にはまるで、何かに魅入られたかのような恍惚感が漂っていた。
剣を手にしたときを境に、アンナの様子がおかしい。そのことが気になったイズキールは膝を折って身をかがめ、彼女の目線になって、心配そうに声をかけた。
「……どうしました? アンナさん」
また避けられてしまうかもしれない……との思いがイズキールの脳裏を一瞬よぎったが、それでも声をかけざるをえなかったのである。
その声に反応し、剣をかき抱いたままイズキールの方を見たアンナだったが、やはり、別の人格になってしまったように見える。
その証拠に、アンナはイズキールの視線を避けるどころか、彼の目をまっすぐに見返してくる。そして涼しげな微笑みまで浮かべて、こう言うのである。
「大丈夫です。私は、何ともありません。あの子が、ついていますから」
「あの子……?」
まるで大人のようにすらすらと、透き通った顔つきでそう言うアンナ。この不自然な変化を目の当たりにしたキリエもまた、思わず眉をひそめた。アンナが男性に対してこのような態度をとることなど、ついぞ考えられないからである。
キリエにとってここにいるアンナは、同じ顔だがまったくの別人であった。
「おいおい。どうしちまったんだよ、アンナ。お前いったい……」
さすがに心配になってきたキリエは、イズキールと並んで腰をかがめると、彼と同じようにアンナの顔をのぞき込んでみた。
するとアンナは、キリエの顔の方に視線を移し、そのままじっと見つめてきた。澄んだ青緑色の瞳が、キリエの目に飛び込んでくる。
「キリエお姉ちゃん……。私、聞こえるようになったの」
「聞こえるようになったって……。いったい何が……」
射るような眼差しで直視されたキリエは、見た者を魅了するかのような、アンナの青緑色の瞳をどうにか見つめ返し、そう答えたものの、思わず固唾を呑んでいた。
「精霊さんたちの、声が……」
キリエの反応を無表情な瞬きで返し、そう呟いたアンナは、何を思ったか大事そうに持っていた剣を水平にかざし、目の高さに差し上げると、ささやくように口を開いた。
その動きは、多神教の神殿でお告げを得ようとする、神の巫女のようであった。
「さあ、私たちの前に、姿を見せて——。精霊さん」
それを耳にしたイズキールが背筋に何かを感じ、眉根を寄せた瞬間——。
アンナが座っていた床に突如として、彼女を中心とした白い魔法陣が出現した。
「——うわあッ? な、なんだコレっ?」
さっきまで薄暗かった廊下がいきなり、輝く魔法陣に照らされて昼間のように明るくなる。
魔法陣を初めて目にしたキリエはびっくり仰天し、反射的にその場から飛びのいた。
「これは……詠唱なしで魔術を発動させるとは! アンナさんが『認められた者』だというメルの話は、真実でしたか……!」
すべてに合点がいき、思わずうめいたイズキールの目の前で、純白の同心円に刻まれた意味不明な線刻が明滅しながら、同心円の中をゆっくりと回転していく。
回転速度は一定。同心円の内側は時計回りであるのに対し、外側は反時計回りである。
正座のアンナは魔法陣の中央部で剣を捧げ持ち、目を閉じて集中力を高めていく。
いつしかその周囲には、燃えるような赤色をした光の粒が、ぽつぽつと現れはじめていた。
「な、なんだよ、この光……。まさか、幽霊とかじゃねぇだろうな?」
「いえ……キリエさん。これは精霊です。精霊が、われわれ人間の前に姿を現そうとしているのです」
「精霊が……姿を現す?」
イズキールが状況を説明したものの、キリエの動揺は治まらない。だがイズキールはその一方で、眼光鋭くアンナを見つめ、事態の推移を慎重に見極めようとしている。
(これは……。火の精霊? いや、それにしては密度が濃い……)
その視線の先、何もない空間からつぎつぎと現れる光の粒は、しだいに赤い光を強め、数を増やしていく。そして、その光は導かれるかのように向きを変え、目を閉じたアンナの前へと集まっていく。
「……うふ。来てくれたのね。さあ、司祭様に……。くっ、姿を、見せて、あげて」
まるで自分の妹に話しかけるかのように口元に微笑みを浮かべたアンナは、目を閉じたまま、赤い光の粒となった精霊に語りかける。
だがその額には、玉のような汗がにじみ出ている。対話する相手がよほど高位の精霊であるからなのか、魔力の消費量が激しいらしい。声も苦しげで、途切れがちになっている。
「おい、この赤いホタルみたいな光……。人の形みたいじゃねぇか?」
そう呟いて眉をひそめるキリエの前で、一点への集中を続ける光の粒はますます多くなり、その密度を濃くしていく。
そうするうち、光の粒の群れはキリエが言うように、小柄な人間のような像を形成しはじめていた。
(まさか……。精霊の顕現密度がここまで高くなるとは。この剣に秘められた精霊の位の高さも相当ですが、これを召喚したアンナさんの魔力量が、想像以上……)
この華奢な少女が発揮した魔力の大きさに、思わず舌を巻くイズキールだったが、このままではアンナの魔力がすぐに枯渇してしまう。悪くすれば意識不明に陥って頭を打つかもしれず、そのことが心配になってきた。
「……キリエさん、ひとつ、お願いがあるのですが」
「うん?」
イズキールは何を思ったか、赤い光の粒が乱舞する中、その様子を神妙に眺めていたキリエに手招きをすると、ひそひそ声で呼び寄せた。
「このまま続けると、アンナさんは消耗して倒れるでしょう。彼女がケガをしないように、あらかじめ身体を支えてやってはいただけませんか」
「……よ、よし! 任せとけ!」
イズキールに憧れているキリエは、そう声をかけられた途端に嬉しそうな顔になり、鼻息を荒くして腕まくりをすると、魔法陣の強烈な光をものともせず踏み込み、正座した姿勢のアンナを後ろから支えはじめた。
それを見とどけ、ひと安心してうなずいたイズキールがアンナの顔に視線を戻したとき、固く閉じられていたアンナの目が、ゆっくりと開いていった。
そのとき露わになったアンナの瞳の色は、清らかな青緑色ではなく、赤い月ヴァルトールを思わせる——。毒々しいまでに濃い黒褐色であった。
「その、瞳の色は……?」
その色を目の当たりにしたイズキールは、思わず眉をひそめた。青緑色から急に変化したこともあるが、あまりにも浮世離れしたその黒褐色に、異様さを覚えたからだ。
強大な魔力を持ち、世界を変えるともいわれる「認められた者」の暴走を止めるため、無限の魔力を与えられたという近親者「敵対者」が示したとされる、魔力回復の身体反応である。
アンナがその両方を身に宿していることをイズキールが知るのは、もう少し後のことである。
一方、そんなイズキールの反応を見て、いったい何を目にしたのかといぶかしむキリエ。彼女はそれと同時に、支えていたアンナの華奢な両肩が細かく震えていることにも気がついた。
「ダメなの? あなたが姿を見せるには、まだ、力が足りないの……?」
足元で輝く魔法陣の光をいっぱいに受け、白い肌をいっそう蒼白く染めたアンナが、もどかしげに呼びかけた。彼女の優美な顔に、一瞬、落胆の影が差す。
だが次の瞬間。うつむき加減になっていたアンナは、決然として前を向いた。
「ううん、大丈夫! 私の力で司祭様に、あなたの声を届けてみせるわ!」
周囲に満ちあふれる精霊の「雰囲気」。それに対し大声で呼びかけるかのように叫んだアンナは、捧げ持っていた剣を回転させ、縦に持ち替えるやいなや、鞘に入ったままの切っ先を魔法陣の中央に突き立てた。
その刹那——。魔法陣の同心円に沿って、空気の流れが生じた。
魔法陣はさらに輝きを増す。廊下の床面に広がったアンナの金髪が、ふわりと舞う。
「私は、精霊王さまに選ばれた『認められた者』……。さあ、あなたの姿を見せて……」
白い輝きが廊下いっぱいに広がると同時に、アンナの魔力が爆発的に増大した。キリエはその後ろにいたが、光に包まれて眩しさのあまり、目を開けることすらかなわない。
イズキールはどうにか右腕で顔を覆い、風と閃光から視界を守ることに成功した。
(これが……。わたしの剣に宿っていた精霊の姿……)
右腕で視界をかばうイズキールの目の前で、赤い光の粒はいっそう密度が濃くなった。
人の形でしかなかった赤い粒子の輪郭が、ますます人間の姿へと近づいていく。
そして粒の群れは集中していくにつれて濃度を増し、いつしか、長いツインテールの髪をもち、長く開いたスカートを身につけ、農民の服を着て革のエプロンを腰に巻いた、小柄な少女の姿へと結実していった。
『…………やっと、会え……た』
「…………!」
そのとき、途切れ途切れだが明瞭な少女の声が、イズキールの耳に入ってきた。
『あたしは、きみの、剣……』
それは控えめなアンナの声とも、負けん気が強そうなメルの声とも、もちろんキリエの大人らしい低い声とも違う。どこか舌足らずな、幼い少女の声である。
『剣になってから……ずっと、見てきたの。マスターたち……みんなの、戦い』
「みんなの戦い……。あなたが宿る剣を所有してきた、代々の騎士たちのこと……ですね?」
『うん……。みんな、かっこ……よかったよ』
ツインテールの髪型と服装以外、肉体部分は像がおぼろげで、顔はのっぺらぼうのままである。その表情をうかがい知ることはできない。
この声も、周囲に満ちた魔力を用いて発していると思われる。だが不思議と、目の前に形づくられたこの像が、直接こちらに話しかけているようにも感じる。
イズキールは反射的に膝を屈すると、高位の精霊に敬意を表し、その顕現である少女の目線に合わせ、騎士の礼をした。
初対面の女性に対してまず行わなければならない、騎士の基本動作である。
『きみの戦いも……見てきたよ。いろいろ、あったね』
少女の姿をした精霊はそう言うと手を後ろで組み、まるで人間の女の子がするように小首をかしげてみせた。表情は見えないのだが、微笑んでいる雰囲気が感じられる。
それに対し、イズキールは苦笑をもらしつつも、ふっと表情を曇らせた。
「お恥ずかしい限りです……。かつて、無辜の民をこの手にかけたわたしは、残念ですが、戦う資格を有していないのです」
そう言って首を振ったイズキールは、アンナが手に持ったままの剣に目を移した。その剣の鍔には、抜かれることがないように細い鎖がぐるぐる巻きにされている。
固く巻かれたその鎖は、解くための呪文がかかった魔導具である。彼なりにみずからに課した、不戦の誓いの象徴であった。
『あれは、事故みたいな、もの……。きみは、ぜんぜん、悪くないよ……』
「あなたは、そう思うかもしれませんが……。わたしが犯した過ちが、この手から消えることはありません」
『過ち、なんかじゃない……。あの狂信者を斬ったから、村のみんなは、守られたんでしょ?』
イズキールが不戦を誓ったのは一年前。そのきっかけとなった事件もこの精霊は知っていた。剣に宿った精霊だというのが真実であることは、もはや疑いようがない。
最初は途切れがちだった少女の声も、魔力が高まるにつれて連続性と明瞭さを増していく。
「あなたは、そうおっしゃいますが……」
それを聞いたイズキールは、あきらめ顔になると、そう言ってかぶりを振った。
「人は、戦うことでしか誰かを守れないわけではありません。民を教え、平和に導くのが、唯一にして至高なるわが主が聖職者にお与えになった、民の牧者であれという訓えにかなう道……。罪のない人を殺めたわたしは、もはや剣を……あなたを抜く資格はないのです」
自分が犯した罪の犠牲になった男を悼みながら、イズキールは懐かしげに月を見上げた。
神聖騎士団が守備する村に狂信的な多神教徒が大挙して押し寄せたあの夜も、青い月ナーンリントが西の空で冷たく輝いていた。その光景を思い出しながら。
「……いや、それは違うな。司祭様」
そのときイズキールの背中に向けて言葉を投げ返したのは、剣の精霊ではなく、白い輝きに包まれながらアンナを後ろから支えていたキリエだった。
「……キリエさん」
「アタシには、詳しいことはわからねえよ? でもさ、司祭様は無防備な村人を守るために、その剣を抜いた。そうだろ?」
思いがけない人物から問いかけられたので、窓の外を見ていたイズキールは振り返り、キリエの方に向き直った。
柔らかい月明かりに背後を照らされたイズキールの視線と、キリエの視線とが交錯する。
「……その通りです。あの夜は双方に、多くの犠牲者が出ました。そうしなければ、村人を守れなかったのも事実です。しかし、世間の風聞はこの事態をよしとしませんでした。今では『コップフェリアの虐殺』と呼ばれているそうです」
「そう……か。それ、聞いたことがある。でも、騎士団が命をかけて村の人間を守ったっていうのは、誰が何と言おうが、真実なんだろう?」
その返答を受けたイズキールは、キリエが何を言わんとしているかを瞬時に理解した。みずからの義務を果たしたに過ぎない者が、何を思い悩むことがあるのか、というのだ。
「それは……」
反論したい気持ちもやまやまである。だがキリエの憶測もまた、まぎれもない事実である。イズキールは彼女に対し、そして自分に対しこれ以上、嘘をつくことはできなかった。
「——それは、そうです。コップフェリア村の有志たちは公都の中央教会におもむいてまで、われわれの無実を陳情してくれました。感謝の手紙まで、送ってくれたと聞きました」
その甘いマスクで反論されたらどうしようかと身構えていたキリエだったが、意外と素直に認めたイズキールを見て少々拍子抜けすると、満面の笑みで両手を後頭部に回した。
「そんじゃあ、何も悩むことはないじゃん? 司祭様の剣は、誰かを傷つけるための道具じゃなかったってことさ。誰かを守るための道具……。守るために必要な武器だったんだ」
「守るために、必要な武器……」
「ああ。根気よく教え導くのもそりゃ結構だけどさ、今は戦争だ。相手が聞く耳を持たないんじゃあどうしようもねえ。司祭様は、刃物を振りかぶってきた相手に『神は、平和は』なんて説くのかい?」
「…………」
思いがけない正論をぶつけられたイズキールは、反論する気がなくなってしまった。争おうとしていた姿勢を改め、全身の力を抜き、表情のない剣の精霊とにっこり顔のキリエとを、ゆっくりと見比べる。
「守る……といえば、さ」
しかし、そこで何かを思い出したキリエは顔をしかめると、泣きそうな顔で歯を食いしばった。
「アタシは、守備隊のみんなを守ってやることができなかった。それが心残りなんだ……」
寂しそうな目で、キリエはぽつりと口を開いた。だが、そうした次の瞬間にはもう気を取り直していて、再びにっこりの笑顔に戻ると、キリエは豪快に言い放った。
「だけどな、アタシはこの弓と矢を使って、今度はこの街を守ってやるって誓った。焼き討ちなんて、絶対にさせねえ!」
剣の精霊はそれを見て何を感じたのか、うなずいて腕を組み、楽な姿勢になった。それでも相変わらず、顔はのっぺらぼうのまま。表情はうかがい知れない。
「……あ、あのぉ、司祭様。私も……少し、いいですか」
そこへ割り込むように、申し訳なさそうに萎縮したアンナが、左手を挙げながらおずおずと口を開いた。
剣の精霊が実体で顕現した今、彼女を内側から支えていた精霊の影響がなくなったからなのか、過度なまでに男性を恐れる、普段のアンナに戻っていた。
だが、そのアンナの口から飛び出したのは、意外にも決意の表明であった。
「あの、私も……。私も、街を守るために戦おうと思いますっ。この『認められた者』の力を使えば、わ、私でも、できると思うんです……」
「アンナさん……。あなたまでも」
「はい。私……キリエお姉ちゃんも、メルお姉さまも、そして大好きな街のみんなも! 精霊王さまにもらったこの力を使って、ま、守りたいんですうっ!」
そこまで言いきったアンナは、魔法陣の中央に突き立てていた剣を取り上げ、もとのように水平の状態に捧げ持つと、それをイズキールの前に差し出し、ぺこりと頭を下げた。
「だ、だから、そのぉ……。司祭様も……。私たちを、守って、くださいませんか?」
勇気を振りしぼって放ったその言葉と時を同じくして、魔法陣の周囲に巻き起こっていた空気の流れが止まった。魔法陣そのものの輝きも急速に弱まった。アンナによる魔力供給が半減したのである。
それでも、剣の精霊は少女の姿を保ったままでいる。潤沢なアンナの魔力を、存分に吸収したからだろう。
『マスター、あたしからもお願いだよ。今度こそきみは、守れるはず……』
剣の精霊は両腕を腰の後ろに回し、ツインテールの髪をフリフリさせながら、身体を何度もねじりつつ、子どものように話しかけてくる。身体のどこかにつけられた小さな鈴が、チリン、と音を立てた。
その仕草を見ていると、十二歳くらいの少女が、そこに存在しているかのように感じられる。
「今度、こそ……?」
少女の声を聞いたイズキールは、思わず、その言葉を口に出して反芻していた。
過去の自分は何かを守ろうとして、結局、守れなかったのかもしれない。それが何だったのか、今は思い出すことができない。だが、心の奥底に悔しさが、澱のように溜まっていることだけは感じる。
イズキールは精霊の少女の仕草を眺めながら、捧げられた剣をじっと見つめ、あらためて自分に問い直してみた。
(わが主よ、わたしがお誓いした、不戦の誓い……。あれは、ただ現実から逃げようとした、わたしの心の弱さだったのでしょうか……?)
その疑いはずっと前から、イズキールの心の中でくすぶっていた。戦いを避けることが果たして、弔いに結びつくのだろうかと。
イズキールは不戦の誓いをして以来、街道で盗賊に襲われてもいっさい剣を抜かず、笑っているだけだった。仕方なく一緒に旅をするメルが魔導具を使い、どうにか盗賊を追い払う場面が何度もあった。
メルはそれに対し不満を言うことはなかったが、本心はどうだったことだろうか。
剣の鍔と鞘をつなぐこの鎖は、メルが用意してくれた魔導具である。特定の呪文を唱えない限り解けないという代物であったが、彼はその呪文を、あえて知ろうとしなかった。その拒絶もまた、イズキールの決意を示すものであった。
しかしそれが正しい選択だったのかどうか、彼自身も答えが出せない状態であった。
『その封印になっている呪文はね……。この剣の、名前なの』
「……そう、なんですね」
『うん……。そして、マスターにその名前を呼ばれたとき、剣は、力を発揮できるの……。きみはもう、それを知っている……はずなんだよ』
そう聞かされても、記憶がない以上思い出すことができない。無理に思い出そうとすると強烈な痛みがくるのである。痛みに対する恐れから、イズキールは黙りこくってしまった。
その前で両手を後ろに回し、彼の顔を見上げるような仕草をしながら立っていた剣の精霊だったが、ふと、その右手を伸ばしてきた。
子どものように小さく、淡い光を帯びた弱々しい右手。それがイズキールの右手首に触れたとき、驚くべきことに、実体としての触覚を感じた。
「何と……! あなたは、肉体を……!」
『にゃはは。まあ……ね。死んでからもう、ずいぶん経つけど……』
人なつっこく笑う精霊。いつの間にか、剣の精霊は肉体までをも獲得していたのである。驚くイズキールの顔をのぞき込んでいた精霊の、今までのっぺらぼうだった顔に、微かな笑みを刻んだ口元が見えた。
そうして剣の精霊は、イズキールの右手首をわしづかみにすると、アンナによって捧げられた鞘入りの剣へと、彼の身体を導いていく。
『さあ……この子が持っているうちに、あたしに触れて。そして、答えを……』
剣の精霊の華奢な身体つきからは、想像もつかないほどの強い力。
その力に引かれたイズキールは、何の対応もできないまま体勢を崩したかと思うと、とっさに、アンナが持つ剣の鞘を掴んでしまった。
「…………くッ!」
次の瞬間、まるで稲妻に打たれたかのように全身を痙攣させたイズキール。
鞘に触れた途端、おびただしいほどの思念や映像が奔流となって、イズキールの脳めがけて勢いよく流れ込んできたのである。
「こ、これはッ……!」
イズキールの脳裏に映し出される、音のない映像。それが次から次へと切り替わっていく。
目の前で顔を覆い、ひざまずいて泣き崩れている、美しい銀髪を持った少女の姿。
激しい闘いの末、額から流血した中年の男。その男が、従容として刺されようとする姿。
そして荘厳な聖堂の、奥まった聖なる空間に安置され、黄金製の箱に封じられていく場面。
(これはおそらく……。剣がこれまでに見てきた、想い出の数々……)
どのくらい前から、この剣は、流転する歴史の渦中で翻弄されてきたのだろうか。
次々と目の前に展開される映像の数々を、イズキールは万感の思いをもって見つめた。
——そして、いったいどのくらいの数、音のない映像を見せられただろうか。
ようやく、感覚の回復を悟ったイズキールが目を開けると、視界いっぱいに鬱蒼とした暗い森が広がっていた。彼はそこに、ひとりで立っていた。
「ここは……」
日没後と思われる森では、ふた抱え以上もある巨木が無数に、天を突き刺すように屹立し、灌木や下草が、膝をも没するほどに繁茂している。
宿屋の廊下とは、まったく異質の空間。冷たく澄みわたった空気が支配する森なのだが、イズキールは心のどこかで、そこに妙な懐かしさを感じていた。
先も見通せないほど深い森。鳥や獣の声などはいっさい聞こえない。しんと静まりかえった森の中で、イズキールはその場から一歩も動かず、周囲を見回して耳を澄ます。
——サク、サク、サク。
そしてしばらく経過した頃、目を閉じて待つイズキールの耳に入ってきたのは、何者かがこちらに近づいてくる、ゆっくりとした足音だった。
『——ほう? 久々に客人をお迎えしたと思ったら、こりゃあ、珍しいお方のようだ』
のんびりとした口調でそう言う声は、明らかに中年の男性のもの。
その声とともに暗がりから姿を現した人物は、粗末な僧服に毛織物の外套を羽織った、教典研究者のような身なりだった。
「……あなたは、もしや」
その姿を目にしたイズキールが、下草をかき分けて一歩を踏み出そうとした頃——。
「お、おい! 司祭様! いったい、急にどうしちまったんだよッ?」
現実の世界では、泡を食ったようなキリエの叫び声が、薄暗い廊下に響きわたっていた。
剣の鞘に触れた途端、全身を痙攣させたきり動かなくなってしまったイズキールの両肩を、キリエがわしづかみにし、泣き顔で何度も揺さぶっていたのである。
『…………』
赤いツインテールを風になびかせながらも、剣の精霊は何も言わず、手を貸そうともしない。こうなることが、あらかじめ分かっていたかのように。
一方、剣の精霊の姿とキリエの顔を交互に見比べながら、おろおろしつつも手を離さず、イズキールが掴んだままの剣をずっと捧げ持っていたアンナだったが、胸のブローチをちらりと眺めながら、別のことを考えていた。
(これ、エレナのお婆さんと同じ反応……? じゃ、じゃあ、司祭様も……?)
自分が捧げ持つ剣に触れたイズキールが、エレナ婆と同じように苦しみだした。その瞬間を目の当たりにしたアンナの心に、まさかそんな、といった複雑な心境が芽生える。
そうだ、古い知識を有する剣の精霊であれば、答えを知っているかもしれない——。アンナがそう考えて質問を発しようとしたそのとき、剣の精霊は、誰に言うともなく呟いた。
『よかった……。おじさんに、会えたみたい……だね』
目が顕現していないため表情はわからないものの、何かを感じたのか、どこかホッとしたような感情がこもった声が伝わってくる。それとほぼ時を同じくして、イズキールの痙攣がぴたりと止まった。
そしてしばらくしてから、ふうっと深呼吸をし、静かに目を開けるイズキール。
「おっ、司祭様! なんだか、落ち着いたみてぇだな!」
それを見たキリエは、直前まで泣き顔だったことを隠そうとするかのように、豪快な笑みで、イズキールの肩を何度もバンバンと叩いた。
キリエの気持ちが痛いほど分かったイズキールは、肩への衝撃に耐えながらも笑顔を作って答えた。
「いたた……。はは、すみません。ご心配をおかけしました」
「まったくだ。でも、司祭様が会っていたおじさんって、いったい誰のことなんだ?」
「そうですね……。まあ、話せば長くなりそうなので、いずれお茶の時間に、ゆっくりと」
苦笑してはぐらかすイズキール。目の前では、瞳の色がもとの青緑色に戻ったアンナが剣を手放しながら、ホッとした顔で目尻の涙をぬぐっている。
アンナにも心配をかけたようだ。イズキールは彼女に対して、優しい笑顔を見せることで詫びた。
そして剣を受け取ったイズキールは、再び剣の精霊に目を移したが、粗末な男物のブーツを履いた両脚は、すでに赤く輝いている。
肉体を得る寸前だったその身体は、粒子化が始まって、早くも消えかかっているのである。あと少しで、全身を獲得できたというのに。
『よかったねえ、マスター。いろいろ、思い出せた?』
「ええ。しかしあなたはもう……行ってしまわれるのですか」
『うん。あたしの役目は終わったから……。きみが戦う意味は、見つかったの?』
下半身が消えかかった剣の精霊は、立った姿勢を変えることなくイズキールにそう尋ねる。
まるで集まったホタルが逃げていくかのように、剣の精霊の輪郭は赤い粒子となって、どんどん形が崩れていく。その様子を真剣な顔で見つめたイズキールは、ゆっくりとうなずいて言った。
「彼に会うことで、わたしはみずからに課せられた責務を知りました。自分の正体は結局、わからずじまいでしたが……。守るべきものが手に届くところにある限り、わたしは戦うと、彼に誓いました」
イズキールからの回答を聞いた剣の精霊は、満足げにうなずいた。経緯を知らないキリエやアンナはさっぱり意味が分からず、首をかしげるばかり。
でも、イズキールが戦う決意を固めてくれたことに対しては、素直に嬉しく思うのだった。
『じゃあ、もう、その封印は……。解ける、はずだよね?』
剣の精霊は右手をすっと伸ばすと、剣の鍔と鞘をぐるぐる巻きにした細い鎖を指さした。
解除するための呪文は、この剣の名称である。そしてイズキールがその名称を口にした瞬間、剣は真の力を発揮する。
メルはそれを見越した上で呪文を剣の名称にし、イズキールの記憶が戻ったときに彼自身に剣を抜かせ、その力を発揮させようとしたのかもしれない。
「……わかりました。彼のおかげで、記憶の一部を取り戻せましたから」
イズキールはそう言うと、剣の柄を右手で握り、鞘を左手で握ると、細い鎖には手をかけることなく、少しずつ剣を引き抜きながら、決意のこもった声で詠唱した。
「聖なる剣よ。我が前に、汝の真の力を示せ……。『正義なる裁きの女神』!」
その声が終わるや否や、一瞬、ぐるぐる巻きの鎖が紫色の光を発した。次の瞬間、鎖は音もなく千切れ、するすると解けて床に落ちていく。
同時に、長らく接していた鍔と鞘の口が切られたとき、強烈な光が剣身から放たれた。
「……くっ」
廊下を再び照らす、「正義なる裁きの女神」の白い輝き。だがイズキールは強烈な光に耐えながらも、引き抜く動作をやめない。鞘から剣身を、少しずつ露わにしていく。
イズキールがゆっくりと剣を抜いていくにつれて、鍔と鞘との間に、まばゆいばかりに白く光る片刃の剣身が姿を現した。
「すげぇ……。なんて、綺麗な剣なんだ……」
感嘆するキリエの声を背に、魔術的ともいえる輝きを放つ剣をイズキールが最後まで抜ききったとき、白い光は急速に勢いを失い、途切れるように消えてしまった。
そして、光が消えた後で剣身をよく見たイズキールは驚いた。念入りに削り取っておいたはずの刃が、波打つ刃紋を残す鋭利さに戻っていたのである。
『えへへ、きれいでしょ? 大事に、使うんだよ……』
少し自慢げな様子でそう言った剣の精霊は、ツインテールを揺らしてくるりと身を翻すと、三人に対して背を向けた。窓の外には、二つの月が浮かんでいる。
すでにその下半身は赤い粒子となって雲散霧消し、上半身を残すのみになっている。
『それじゃあ、あたしは、行くね……。会えて、嬉しかったよ』
みずからが宿る剣の能力発揮を見とどけた精霊は、安堵したような口調で別れを告げると、天に浮かぶ二つの月に向き直った。
消えていく自分を従容として受け入れた天の使いが、月に帰ろうとするかのようである。
「……ま、待って! 精霊さん!」
それを見て急に寂しくなったのか、そう叫んでいきなり身を乗り出したアンナは、最後の問いかけを試みた。
「私は、アンナっていうの。また、会えるよね……?」
『——うん。剣が、マスターとともにある限り……。必ず、また、会えるよ』
「じゃあ……。あなたの名前……。生きていたときの本当の名前を、教えてくれる?」
友だちが少ないアンナにとって、それは勇気を振りしぼった問いかけだった。
剣の精霊は背を向けたまま、しばらく黙っていたが、首までが消滅し、最後にツインテールの頭を残すのみとなったとき、意を決したのかボソッと呟いた。
『あたしは、テミス——。テミス・クーリア。……じゃあね、アンナちゃん』
その声が最後まで終わらないうちに、ツインテールの頭は赤い粒子となってバラバラになり、ホタルが散るように夜空へと消えていく。
消えた先には、変わることなく煌々と、二つの月が浮かんでいた。
そのとき三人の耳に響いたのは、どこか遠くで鳴っているような、小さな鈴の音であった。