第三章 35:内緒話
ノックの後、ドアを開けた侍女が丁寧に頭を下げる。
「――お食事のご用意が整いました」
招かれた公邸の貴賓室で、パティアは座っていた椅子からゆっくりと立ち上がる。それを見て、侍女は誘うようにドアを大きく開けた。
窓際に立っていたルナが、パティアの背中に向かって声を掛ける。
「信用できるの?」
パティアは振り向くと、大袈裟にため息を吐いて見せた。
「他国の王女なんて、所詮は政争の道具でしかないもの。マイヤー卿とも知った仲みたいだし。ここまで来て、引き返すなんてできるわけがないでしょ」
そして、おもむろに向き直ると、ドアの横で待つ侍女に向かって誤魔化すように微笑んだ。
食堂に着くと、既にファルク・ナディールは四角いテーブルで三人を待っていた。
現れたパティアを見て、彼女は笑顔で対面の席に誘う。
「パティア殿、どうぞこちらへ」
パティアは一旦、部屋の入り口で立ち止まると、服の裾を掴んで優雅にお辞儀をした。
「お招き、ありがとうございます」
「堅苦しい挨拶は抜きだ。さあさあ、お連れの方々もどうぞ」
ファルクは腰を浮かして、三人を招き入れる。ロミは落ち着かない様子で、そわそわと部屋を見回しながら、案内された席に座った。
侍女がやって来て、それぞれの手元のグラスに葡萄酒を満たした。
ファルクがグラスを掲げて、乾杯を宣言する。ルナはそれにひとくちだけ口を付けると、眉を顰めてすぐにテーブルに置いた。
「おや、お口に合いませんでしたか」
ファルクが手を叩いて、侍女を呼び寄せる。
「お嬢さんに代わりの物を用意してあげなさい」
目を伏せて頷くと、侍女がルナの側に歩み寄る。
「別のお飲み物をご用意いたします」
「…水か、お酒でないものをいただけますか」
「承知しました」と、侍女は奥の厨房へ下がる。
それを横目で見送ってから、ファルクは改めて正面のパティアを見据えた。
「まずは、お礼を言わせていただきます。アインフェルト辺境伯から聞きました。我々の目下の悩みの種だった街道の魔物を、討伐していただいたと。これでまた、安全な行路を旅人たちに提供できます」
怯えた顔付きで、ロミがパティアの様子を窺う。
ロミの動揺に、パティアも気付いていた。しかし、彼女は目線を動かさずに、ファルクを見据えたままで微笑んだ。
「それだけではないですよね、ファルク様」
笑顔のパティアを、ファルクは怪訝そうに見た。
「…何のことかな」
「あら、ここで私にそんなことを言わせるおつもりですか」
暫しの沈黙の後、ファルクは口の端を歪める。
「さすがは、パティア殿。既にご存じでしたか。これは心強い」
そして、侍女たちの視線を気にするように周囲を一瞬、見回すと、わずかに身を乗り出して声を潜めた。
「…その話は、後ほど。二人きりで」
ファルクはこほんと咳をすると、侍女に料理を催促した。
「今日は、わざわざ御出でくださったマリオールの王女殿のために、マリオール式の晩餐を用意しました。お口に合えば宜しいが。何分、無作法者ゆえ」
それぞれの目の前に、生ハムと一片のチーズが運ばれてきた。チーズは濃いオレンジ色をしている。
運んできた侍女に小さく頷くと、ファルクは一同に視線を巡らせてから、視線をパティアに戻す。
「私は、北の山岳民族の生まれでしてな。普段は田舎料理ばかりなので、それを王女殿にお出しするのは恥ずかしい。実は――」
ファルクが、手元のグラスをぴんと指で弾く。
「この葡萄酒の味の良し悪しも、よく分かっていないんだ」
その後も、次々と料理の乗った皿が運ばれてくる。
他愛もない話で、食事の時間が過ぎていく。どうでもいい会話を聞き流しながら、ルナは胡椒が良く効いた鶏肉のソテーを口へと運んだ。口内に広がる甘い肉汁と胡椒の刺激で、なかなかに癖になる味だ。
「――それはそうと」
ファルクが話題を変える。
「パティア殿は、これからどうなさるおつもりなんですか。まさか、この街が目的地というわけではないでしょう」
「ええ」と、パティアは、ほんのりと赤い自身の頬を指で揉みながら答える。
「密命なので詳細をお話することはできませんが」
「そうですか」
ファルクはグラスを傾けて空にすると、テーブルの脇へそっと押し出した。侍女が葡萄酒の入ったデキャンタを持って来て、彼女のグラスを再び満たす。
それを一瞥した後に、ファルクは席上の面子を見回した。
「失礼ですが、このような子供を二人も連れて、ですか」
「別で行動している仲間と、この辺りで合流するようになっています」
そう言うと、パティアも手元のグラスを引き寄せて一気に呷る。
そして、飲み干したグラスを、かたんと強めにテーブルに置いた。
「それに、この二人も。特に、こっちのルナは、その気になれば、この屋敷の警備なんてなんの役にも立たないんだから」
「おお、それは怖い」
ファルクがお道化るように、両手を顔の横で上げる。
「ちょ、ちょっと」と、ルナが慌てて制止する。
「パティア、酔い過ぎよ」
パティアはふんと鼻を鳴らすと、侍女が注いだお代わりの葡萄酒をまた一気に飲み干した。
メインディッシュも終わって、デザートが運ばれてきた。小さな皿に幾つかの果実が乗った、とてもシンプルなものだ。
温かいお茶を飲んで、パティアがほっと息を漏らす。
――その時。
「パティア殿――」と、ファルクが声を掛ける。
「この後、私の部屋で飲み直しませんか。勿論、二人きりでね」
席を立とうとしていたルナの動きが止まる。
パティアはそんな彼女にちらりと視線を送ると、向き直ってにこりとファルクに微笑んだ。
「ええ、お付き合いします」
「では、こちらへ」と、ファルクがパティアを食堂の外へと誘う。
パティアはルナの方を見て小さく頷いてから、彼女に付いて食堂を後にした。




