〇 第弐話 『北域守護』-7
槍が木刀とぶつかったその位置から、まったく動かなくなった。遮白がそう感じた次の瞬間には、体が傾き、倒れようとしていた。確かに強く握っていたはずの槍が、まるで陸に揚げられた魚のように、手から跳ね飛んで頭上を舞う。
遮白には、何が起きたのかわからない。ただ、目の前の少年が勝利を確信した顔で、倒れていく自分の首に向けて、木刀を軽く振り下ろそうとしていた。
周りで見ている武官たちも、驚きの中で仔繰の勝利を確信していた。本当にあの小僧はとびぬけた実力を持っていて、それと戦っている遮白という女も、それに準じる力を持っている。そう認めた男たちは、感心しつつも試合が終わったと思っていた。
そんな中で、遮白だけが、まだあきらめていなかった。
「ぐううう!」
遮白は倒れる体をあえて支えようとはせず、体を捻って、歯を食いしばって、頭上に舞う木槍に全力で右手を伸ばした。
そして、遮白の驚異的な身体の柔軟性によって、彼女の右手は木槍の端をつかみ取ることに成功する。
「でりゃあああ!」
遮白は犬の遠吠えのような声をあげて、手に掴んだ木槍を仔繰に向かって振るった。
「そこまで!」
埜群のその場に響き渡る声に、仔繰は遮白の首ぎりぎりで木刀を止める。だが、遮白はもはや、倒れながら振るった槍を止めることはできなかった。
「痛てっ!」
バシンという木槍が仔繰の胴を叩く音と共に、遮白が地面に倒れ込む。一瞬の静寂の後、北域守護の兵から拍手が起き、それが伝染するように、都の武官たちも手を叩いてふたりの将前試合の結果に敬意を表した。
仔繰は木刀を地面に捨てるように置くと、木槍に打たれた脇腹を片手で抑えながら、倒れ込んだまま動かない遮白に反対側の手を伸ばした。
「本当に驚いたぜ。あの状況から、相打ちに持っていくなんて」
純粋に感心したというように語る仔繰であった。だが、手を差し伸べられた遮白は不満げで、少年の出した手を取ることなく、自力で立ち上がった。ふらつく体を、木槍を床に突き、杖がわりにして支えながら、遮白は仔繰に対して悪態を吐く。
「相打ち? 本気で言っているのですか?」
「なんでだよ。俺もあんたもお互いに一撃入れたじゃないか」
仔繰は特に気分を害した様子もなく、遮白に差し伸べていた手を引っ込めた。
「あんなものは、誰がどう見ても私の負けですよ。実戦で、刃のついた得物であれば、あなたの刀は私の首を落としていた。対して、地に足が付かず、なんとか端をつまんで振っただけの、まったく力の入っていない私の槍では、せいぜいあなたの脇腹に、小さな切り傷をつけた程度でしょう。まったく相打ちなどではありません」
刀神の生み出した絶技たる柔剣を受けて、槍に体重を預けてもなお体を立たせるのがやっとだというのに、遮白は口早に、悔しさを隠そうともせずに言い切った。彼女の生真面目な言葉に、仔繰は少しだけ笑ってしまう。
「いや。実戦を想定するなら、俺の負けだったよ。あんたの木槍が厚い刃のついた本物なら、俺の額は最初の一撃で割れている」
ほら、と、仔繰は額から流れるわずかな血を拭って見せる。だが、遮白はひとつも納得しなかった。
「それは、あなたが私を女だと侮って、油断していたからです」
「実戦で頭を割られて死んだら、油断していただけなんて言うこともできないぞ」
実際に油断していたことは間違いないくせに、仔繰は如何にもそれらしいことを言ってごまかした。
「……私の最初の突きを躱したあとも、あなたは十分な余力を残して戦っていました。私を倒したあの技は、私の攻撃に対して、いつでも決めることができたはずです。それは油断とは言えません。ただ我々の間に、絶対的な実力差があった。それだけです」
「いや、それは……」
「はいはい。そこまでとしましょう」
仔繰と遮白の口論が、やや熱を帯び始めたときを見計らったように、埜群が手を叩きながら二人の間に割って入った。




