〇 第弐話 『北域守護』-8
「よくやった、遮白よ」
埜群は、未だ体に力が入らない遮白の肩を取りながら、労いの言葉をかけた。仔繰が差し伸べた手は取らなかった遮白だが、ためらいつつも埜群の肩を借り、彼の半身に体重を預ける。
埜群は力の入らない遮白の身体を、訓練場の端までもっていってそこに座らせた。気の利く北域守護の部下のひとりが、水の入った甕と椀を持ってきて、遮白の横に置く。
遮白が水甕から水を掬って飲むのを確認すると、埜群は訓練場の端からすぐに引き返して、再び都の武官たちの前へと立った。
「遮白は負けこそしてしまいましたが、これで北域守護の実力は、皆様に十分に理解いただけたと思います」
仔繰と遮白の途轍もない絶技の応酬を目の当たりにした武官たちは、埜群の言葉に頷くしかない。その場で、仔繰のように遮白と互角以上に戦える自信のあるものはただのひとりもいなかった。
「皆様は一年間、こちらに滞在されると聞き及んでおります。では、皆様には一年の間、修行として、毎日ここにいる北域守護の兵たちとの訓練にいそしんでいただきたい。お互いに武を教え合い、高め合い、それを自らの力としていただきたい」
埜群は遮白と仔繰の試合の前と同じように、その場の武官に向けて演説を続ける。だが、先ほどのような反発の声は起きない。皆、北の将軍の言葉に聞き入っていた。
「前帝は、四十年前の蛮族大侵攻に対する勝利によって、燦国に平和がもたらされたと宣言されました。そして、今帝陛下はその宣言を根拠として、それまでの軍費を限界まで削り、そこから浮いた国費は、娯楽や商業の発展に費やされております」
またも、皇帝の政に対して言及する旨の発言であったが、その場の空気は、もう埜群の言葉に対する非難を受け付けない状態になっていた。
だが、そもそも、政治にも皇帝と北域の力関係にも全く興味を持っていない仔繰にとっては、どんな状況であろうとも、埜群の言葉は聞く価値のないものであった。
仔繰は埜群の前に並んで彼の言葉を聞く武官の一団からスルリと抜けると、訓練場の隅に向かって歩き始めた。
埜群はそんな仔繰を視界の隅に捉えたが、しかし、そんな少年に言及することなく演説を続けた。
「もし再び北の蛮族がこの地に攻めてきたとき、我々北域守護は燦国を、皇帝陛下とその臣民たちのおわすこの地を守るため、盾となって戦います。しかし、その加勢として後からやってきたあなた方に邪魔になられては困る」
埜群の言葉は、さきほど以上に都の武官たちを煽るような言葉であった。しかし、今度ばかりは、その言葉に言い返す者はいなかった。
「そうならないためにも、この国を守るためにも、私は皆様にご協力いただきたいのです」
埜群の言葉を背に、仔繰は訓練場の隅にひとり座っている遮白へと近づいた。遮白は椀に汲んだ水をちびちびと少しずつ飲んでいたが、仔繰がこちらへと歩いてくるのを見ると、椀を甕の中に放り込んだ。
「……埜群様がお話されている最中ですよ」
自分を打ちのめした少年に向けて、遮白は冷たい言葉と共に睨みつけた。
「いや。将軍様は俺が話を聞く気がないことなんてお見通しだよ。俺がこっちに来たのも気が付いていたけれど、それでも俺を止めなかったんだから、いいじゃないか」
「……なんのようですか? 先ほどの試合の勝ち負けを再び論じにきたのでしょうか」
「いや、それももういいよ。俺は、将軍様のありがたいお言葉より、さっきの試合の優劣の話より、あんたの槍術のほうに興味がある」
仔繰はそう言って、遮白の真横に座り込んだ。だが、遮白は仔繰のその行動に眉を寄せて腰を浮かすと、仔繰とは少し間を開けて座りなおす。露骨に仔繰を避けるような行動をとった遮白に対して、しかし、少年はまったく気にもしなかった。
「俺は、一撃の速度を極めたような剣術を知っているんだけど、あんたの槍の突きは、それにかなり近かった。あれをどうやって生み出しているのか、俺は知りたい。是非あんたに、ご教授願いたいね」
仔繰は、彼にしては珍しく真剣かつ真摯にそう言ってみたが、遮白はまったく取り合わない。
「はあ? 自分の手の内を、どうしてあなたに教えないといけないんですか?」
「はは。そりゃそうか」
遮白の邪険な態度に、仔繰は笑った。
そんな二人をよそに、埜群の演説は続いている。
「では、実際に訓練を行うために、都の武官の皆さまと、北域守護を幾人かに分けて組を作りましょう。実力の近い者を組ませたいので、そちら側は筆頭武官様が実力の順で選抜してください。だいたい、四人ずつ、合計八人の組としましょう」
そこまで言って、埜群は仔繰と遮白のほうを振り向いた。
「そこで親交を深めているお二人は、匹敵する実力者がいないので、二人で組になって訓練してくださいね」
ニッコリと笑ってこちらを見る埜群に対して、仔繰は喜び勇んで手をあげて、遮白は反対に頭を抱えてうずくまった。
「やった。よろしくな、遮白さん」
「……最悪だ」




