Lastシーン『その人が本当に欲しいものと、その人に本当に必要なものはいつも別にある』
「おはようございます。今日も来ましたよ。カタログもらえます?
さあて、今日はどんなのもらおうかな」
「すっかり業界人ですねえ。
もう、お昼時ですよ」
「あれ、出ちゃってました?
現場入りは基本、おはようございます、ですからね。ハハハ」
「それはそれは、勉強になります」
ドクターはそう言ったきり、いつものように懐からカタログを出すわけでもなく、俺の顔を見て微笑んでいた。
「……、あの? ドクター?
どうしたんです。カタログ、もしかして今日は持ってないとか?
それとも、もしかして時間がまずかったですか? お昼時だからご飯とか食べる時間でしたか。
配慮が足りなくてすみません。
周囲の目があるんで一緒に飯を食いに行くってわけにはいかないんですけど、もし良かったらここで待ってるんでどうぞ昼飯を食ってきてください。
あ、奢りますよいつもお世話になってますから」
俺がポケットから二万円を取り出して差し出しても受け取らず、ドクターは静かに言った。
「幸せですか? 今」
「え、そりゃあもちろん。
先生と会う前では考えられないほどです」
「そうですか。
それでは、治療はもう終わりですね」
何を言っているのか、一瞬わからなかった。
次の瞬間、理解して俺は立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした。
そして、ドクターの黒衣をひねりあげ、詰め寄った。
「オイ、何言ってんだアンタ」
「ですから、もうこれ以上疾患を処方する必要はないでしょう。
これ以上は効用が低下します。
用法用量を守って、というやつですよ」
なんでもないとでもいうような、全く動じない、いつも通りの顔でドクターが言う。
それがまた、俺の逆上を誘う。
「ふざけるなよ…、オイ!
おかしいだろテメエ! ここまできて!
ここまできてよぅ…」
次は、涙が止まらない。
俺は土下座して、ドクターに懇願した。
「頼むよ、頼むよう…。
俺、もしここで疾患が貰えなくなったら…、そしたら死んだほうがマシだ。
今ここで、自殺するよ。
そしたら先生困るだろう?
なあ、頼むよう。お願いだよ…」
俺の姿を見てドクターは少し考え込みながら、いつも通りの優しい声で言った。
「それは確かに困ります。
私はあなたに幸せになってほしい。
そのために、疾患を処方したのです。
その結果が、失意の末の自殺では、私のしたことの意味がない。
しかし、これ以上重い疾患の処方は、もしかしたら命に関わるかもしれない。
一つだけ約束してください。
もし、具合が悪くなったり、辛くなったり、いつもと違うような感じがしたら、必ずAIドクターのいる病院に行ってください。
そして、治療を受けてください。
できますか?」
ドクターの優しさは、十分理解できた。
そして、話している内容がおそらく正しいことも。
俺は自信がなかったが、しかし、疾患欲しさに、また、ドクターの優しさに甘えたいという思いから、できる、と言い切った。
「それでは、お金はいただきません。
これはもう、正当な処方じゃあなく、私とあなた、一人の人間が一人の人間にする、単なる親切です。
あなたが望むから、与えるというだけのもの。
医療行為ではありません」
「はい、ありがとうございます…。
すみません…、こんな俺に、良くしていただいて」
「いえいえ、是非、
幸せになってください」
処方を受けた翌日、俺は、生放送特番の撮影に参加していた。
この特番はテレビ局が毎年恒例にしている、二十四時間ぶっ続けで病人たちが様々なことに挑戦するという、夢のような番組だ。
これに出たくて、ここで俺の企画を放送してもらうために、ドクターに無理を言って処方をしてもらったのだ。
ドクターには悪いが、もし仮にここで倒れても、病院に行くわけにはいかない。
いや、むしろ、それなら生放送中にぶっ倒れて、伝説になったほうが良い。
それが俺の、幸せだ。
……そうだ、そうなんだ。
だから、こんなところで倒れたからって、やめるわけには、肺に病気を抱えていても、二十四時間マラソンを走りきる、この企画はやり通さなきゃあ…。
ピーポーピーポー。
朦朧とする意識の中で、サイレンの音がこだまする。
おい・・・・・・、まさか、やめてくれ。
俺を連れていく気じゃあないだろうな。
そんな、勘弁してくれ、ここまでの全てを、奪わないでくれ!
俺を凡人に、戻さないでくれ!
「おやおや、約束破りはダメですねえ」
抵抗空しく乗せられた救急車の中で、俺はドクターの声を聞いた気がした。
搬送された先の病院で、AIドクターの声が耳に響く。
「オヤ、コレハズイブン珍シイ患者デスネエ。
病気依存症トイッテモ良イホド、病気ニナルコトニ精神ガ憑リツカレテイル。
ソレニ体モボロボロダ。
シカシ、ナントカスベテ治セルデショウ。
スグニオペヲ」
そんな、イヤだ!
そう言おうにも、肺が破裂しそうで声にならない。
ストレッチャーに乗せられ運ばれていく途中、真っ白な病院に不釣り合いな、真っ黒な服が目に映り、
それを最後に俺は意識を失った。
「イヤハヤ、シカシ、ドクターB、彼ノ疾患ハ非常ニ珍シイモノバカリダ。
最近メッキリ患者モ少ナクテネ。
オ陰デマタ、医療ガ発展スルデショウ。
アリガトウゴザイマス」
「いえいえ、私もあなたも、もちろん彼も、これで幸福になるでしょう。
なにせ、医療に貢献することよりも、
幸せなことなどないのですから」