第42話 ヨシトとリンダとレミル 1
リンダの曾祖父であるクレイ=ハミルトンが部屋から出て言った後、
ヨシトとリンダは、ベットの縁に腰掛けたまま重苦しい雰囲気に包まれていた。
もちろん、さっきまでの話が主たる原因だが、帰り際にクレイさんが言った、
「後は、若い二人にまかせるかのぅ。ふぉっふぉっふぉ」
との言葉が、更に追い打ちをかけていたのも否めない。
(これだから、人間族の高齢者は性質が悪い)
ヨシトがそんな事を考えていると、横に座っているリンダ=ハミルトンが、遠慮がちに声をかけてくる。
「…ねえ、ヨシト君。ひいおじい様は、一体何の話をしていたの?」
ヨシトは、リンダをじっと見つめる。
「リンダ、今から言う話を、怒らずに聞いてくれるか」
リンダは真剣な表情で「はい」と返事を返す。
「実は…、腹が減った。もうペコペコだ」
文字どおり、リンダはずっこける。
そして、怒りの表情で「あのねぇ、ヨシト君…」と言った後、自らが彼に対して行った、理不尽な約束を思い出したのか、
「あなたは、そうだったわね。いろいろあって、すっかり忘れてたわ。…待ってて、今、何か用意してくるから」
と、立ち上がり部屋を出ていこうとした。
その後ろ姿に
「すまない。そしてありがとうリンダ」
「いいのよ、親友でしょ」
短く会話を交わす。
独り部屋に残ったヨシトは、定まらない視線で天井を見上げる。
彼は何より、心を少し落ちつけたかった。
実際に、お腹が減っていた事も確かだが。
そのままベットに仰向けに倒れ込むと、自分の秘密について考えてみる。
(話したくない。だが、話さない訳にはいかない)
きっと彼女の事だ、ヨシトが言わなければ、これ以上聞かないだろう。
だが、アレク=バースト、あの狂った医師の事は、調べれば簡単に解るだろう。
そしてそれは、妙な誤解を生み出すだろうとヨシトは推測する。
(新聞記事を呼んで、俺を可哀そうだと思うか。それとも、もっと詳しく調べ、裁判記録でも読んで俺の異常性に気付くか。…両方とも最悪だな)
ならば、話そう。
ヨシトは決心する。
どういう結果になるにせよ、自分の知らない所で、かけがえない親友を失う事だけは避けたかった。
例えそれが、自らの破滅につながっても。
そして親友達に自らの悩みを分け合う事は、彼らに一方的に重荷を押し付ける様な気がして、ヨシトは深い溜息を吐いた。
しばらくして、リンダが食事をお膳に乗せ持ってくると、机の上に静かに置いた。
「食べ終わったら、廊下に出しておいて」
そう言って出ていく彼女の背中に声をかける。
「リンダ、30分後くらいに、出来ればレミルと一緒に来てくれないか。…少し長い話になると思う」
彼女は「わかった」とだけ告げ、振り返らずに部屋を出ていく。
ヨシトは食事に手を付けたが、何の味もしなかった。
食事を食べ終わるとヨシトは、ただボーっと考える。
(どこまで話すか。…すべてか、必要最小限か)
それさえ決められない。
(自分が逆の立場だったらどうだろうか。全て聞きたいのか、救いが欲しいのか。あるいは優しい嘘でもいいから、ただ単に辻褄が合えばいいのか)
ヨシトは苦笑する。
自分の事さえ解らないのに、親友がどう思うかなんて解らない。
そして、肝が据わる。
全て話そう、と。
30分後、
椅子に座るヨシトの前には、ベットに並んで腰かけるリンダ=ハミルトンとレミル=ブラットの姿がある。
「リンダさんから聞いたよ。何か重要な話があるって。クレイさんに関係する事なの?」
「いや、関係ない。クレイさんは、あくまでも第三者だ。ただ、俺の秘密をたまたま知ってしまっただけに過ぎない」
ヨシトは、二人に向かい話し始める。
「今からの話をどう思うか、いや、馬鹿な話だと思っても、とりあえず最後まで聞いてほしいんだ」
二人は黙って頷く。
ヨシトは一度大きく深呼吸すると、これまで自分が経験した事、考えて来た事を話し出す。
自分が記憶を失った状態で、孤児院の前に立っていた事。
小さな体や、戦闘職の獣人族に匹敵する体の事。
そして、異常な食欲。
わずかに残る両親の記憶。
魔術で書き込まれたとしか思えない、豊富な知識。
人間族の平均の10倍以上の最大魔力値がある事。
自分が、強化人間の可能性が高い事。
それにより、アレク=バーストに誘拐され、殺されかけた事。
前世の記憶と思われる夢を2年以上見続けた事。
その記憶を元に作家デビューし、結構な財産がある事。
そして、トリプルギフト。
一つ一つがすべて物語のような話だったが、リンダとレミルは、じっと聞いていてくれている。
そして自分が考えている推測を二人に話す。
捨てられたのでなければ、殺したのだろうと。
自分の両親を騙る人達を。
そして人生をやり直したのだろうと。
レミルとリンダは涙を流し、最後の推測だけは強く否定した。
「例えそうであっても、それは君じゃない! 別人だよ」
レミルの叫びに、リンダは涙をふきつつ何度も頷く。
長い話を語り終え、ヨシトは最後に親友たちに告げる。
「これですべて話し終わった。推測の部分は、俺の保護者にも言っていない。いや、とても言えなかった。正直な話、君たちにも話すつもりは無かったし、話したくなかった。だけど、これは俺のわがままだと思う。下手に知られて誤解されるくらいなら、正直に話そうという勝手な自己満足なんだ。だから一切、口止めするつもりも無ければ、君たちが重荷を背負う事もない。あくまでも、俺の心の問題だから」
ヨシトの独白が終わった後、部屋には長い沈黙が続いている。
「お茶を入れてくる」
リンダは立ちあがり、部屋を出ていく。
レミルは、必死に何か考えている様子だ。
ヨシトはボーっと窓の外を眺める。
何も後悔は無い。
いや、そう思いたいだけかもしれない。
正直レミルが、『めんどくさいから聞かなかった事にする』
何て言ってくれたらいいが、彼の性格上、あり得ないだろう。
リンダが戻ってきて紅茶を入れると、良い香りが立ち込める。
一口飲むと、心が落ち着く。
こういう所は、さすがに女性にはかなわないと思う。
さっきまでの雰囲気が和らぐと、リンダはゆっくりと話し出す。
「とても信じられない話ね。でも事実かどうかは、私には関係ないのよ」
リンダは語り続ける。
「この町の住民ならみんな知ってる事、でも決して口外しない事があるの。それは強化人間の事よ」
ヨシトはその言葉に驚く。
この話は、何処に辿り着くのだろうか。
「ゴルゴダは戦争時代、強化人間達の実験施設があったの。今でも彼らの墓標が残っているわ。そして、その跡地に精霊族のコミュニティが建てられたの。強化人間の詳しい記録が、この町には残っているはずよ。あなたが望むなら、ひいおじい様にお願いして見せてもらえるかもしれないわ」
ヨシトは見たいと思った。
そして「出来れば見てみたい」と彼女に頼む。
リンダは頷くと、再び話し出す。
「私が許せないのはね、あなたが秘密にしてた事じゃないわ。当然そうするべきよ。でもね、あなたはヨシト=ウッドヤットでしょ。それが一番許せないわ」
リンダ=ハミルトンは、怒りを込めた瞳でヨシト=ウッドヤットを見つめる。
「ヨシト君は、ナタリーメイさんの何を見て来たの? まさか彼女が獣人達の孤児を預かっているのは、その子達がかわいそうだから、とでも思っているの? だとしたら、ウッドヤット姓を名乗るのはやめるべきよ」
ヨシトは愕然とする。
リンダ=ハミルトンの言いたい事が理解できたからだ。
『なぜ、推測の部分を保護者に話さなかったのか』と。
「いや、院長先生は、生まれに関係なく人は平等であるべきだと考えている。そして、孤児達を預かるのは、その子達の未来を否定しない為だ」
ヨシトは、自分の口から出ている言葉に驚く。
こんな簡単な事を忘れていた、いいや、考えないようにしていたなんて。
「その通りよ。だからといってナタリーメイさんは、その子の能力や性格を無視しないわ。人の幸せはそれぞれ違うから、それを追求する努力こそが大事だと私に話してくれた。そのためには過去にもとらわれないし、結果だけを見て判断しない。でも、自らを救う気のない者には、手を差し伸べないわ。私はそんなナタリーメイさんに憧れているの」
そうだ、ナタリーメイはそういう人だ。
あくまでも現実を見据えて、全ての人を救えるなんて考えていない。
人の個性を見極めて、未来に向かい努力する者を支援する。
過去を考慮するがとらわれず、何より偏見は持たない。
何が一番大事か、決して順番を間違えない。
そう、聖女マリアネアのように。
「ねえ、ヨシト君。あなたの悩みは、あなた自身を救う者なの? そして、悩んだ先に幸せや未来はあるの? もしそうなら、もう何も言わないわ。私にだって悩みはあるし、あなた自身が悩む事は当たり前だと思う。でもね、例えあなたが怪物になっても、ナタリーメイさんは決してヨシト君を責めないと思う。あなたが自分自身をあきらめない限り」
頭をハンマーで殴られた気がした。
過去におびえ、将来を否定するならば、自分の心はどうあれ、ナタリーメイの生き方を否定する事になる。
ナタリーメイにとってヨシト自身も知らない過去の真実なんて、彼の評価には全く関係しないのだ。
ヨシトは、自身の生い立ちの不安や心の弱さを最愛の人達に責任転化していたのではないかと気付いた。
いや、リンダによって気付かされたのだ。
最後にリンダは言う。
「わたしにとっては、あなたの悩みなんてどうでもいいの。ヨシト君はヨシト君だもの」
完全に虚をつかれ、愕然とした。
彼は、記憶に無い過去の事実を知る事ばかり考えていた。
だが、自分の心に向き合う事こそが重要なのではないか。
それこそが、問題解決の近道かもしれないのだ。
ヨシトは、彼女の言ってくれた事を考えてみる。
つまりリンダも、彼女と出会った以降の自分だけを見てくれると言う事なのだろうと。
悩むのは良いが、過去を追い求め過ぎるなと。
何より、自分を否定する事だけはやめるようにと。
そして、己の気持ちに負けず、ナタリーメイに出会った以降の自分と、未来を見つめろと。
自分の為だけじゃなく、最愛の人達の為にも。
ヨシトが一言も無く黙っていると、レミルが話し出した。
「ねえ、ヨシトくん。君が医師を目指さないのは、君の推測に関係しているの。自分は殺人鬼かもしれないから医師の資格はないとか」
ヨシトは少し考え、レミルの疑問に答える。
「いや、そうじゃない。多分俺は、不特定多数の人達を救う気があまり無いんだと思う。そもそも自分の事で精一杯だし、正直、大事な人さえ救えればいいと考えてる。だいたい、俺は自分の体に何が起こっているのかを知りたくて、医術を勉強し出したんだ。医師には本来、レミルみたいに多くの人を救いたいと思っている人がなるべきなんだと思ってる」
レミルはその言葉に、珍しく自虐的な笑みを浮かべる。
「…ヨシトくんは強いね。本当に心が強いよ。でも君は、僕の事を誤解してるよ。僕が医師になりたいのは、自分の心が弱いからだよ」
ヨシトは驚く。
彼が知るレミル=ブラットは、確かに一見気弱そうに見えるが非常に芯の強い人物である。
優しくて、努力家で、魔術の才能にも優れ、母親の病気を治したいという明確な意志を持ってマキシム医術専門院にストレートで入学してきている。
医師になり研究職に就きたいと言う、強い希望を持っている事も知っている。
自らの母親が完治した後も、自分の目標に対する姿勢は一切ぶれなかった。
それの何処に、心の弱さが関係していると言うのか。
レミルの独白は続く。
「母さんは、僕を産んだ後に体調を崩したんだ。そして僕が三歳の時、バルゾ病になったんだ。…ヨシト君、獣人の女性が人間の子供を産むと、ひどく消耗する事は知っているよね」
ヨシトは頷く。
獣人族の母体には、魔力量の多い人間族を妊娠、出産する事自体が非常に負担がかかる。
その結果、産後に体調を崩す人も多い。
レミルの母親のネイルさんも、その例に当てはまったのだろう。
「バルゾ病になる原因は、今でも解明されていないけど、小さかった僕は思った、母さんが僕を産んだ為に病気にかかって死んでしまうって。…誰も僕を責めなかったけど、僕は自分自身を責めた。僕は、自分が母さんの命を吸い取っている様な気がしていたんだ」
ヨシトとリンダは一言もなく、レミルの話を聞いている。
レミルが悔恨の表情を見せる。
「毎日毎日が怖かった。母さんが、いつ死んでもおかしく無かったから耐えられないと思った。明るい明日なんて、想像もできなかった。父さんに、何で獣人の女性なんかと結婚したんだと泣きながら怒鳴った事もある。家に独りぼっちでいる事が怖かった。母さんが死んだら、ずっとそれが続くのかと思うと、もっと怖くなった。…ヨシトくん、僕だって、小さい頃に母親に抱き抱えてもらった記憶なんて無い。それは一生続く、僕のトラウマだよ」
ヨシトは、強く共感する。
この世に独りぼっちであると言う恐怖、生まれて良かったのかという想い、それにとらわれて未来だけでなく、自分自身の存在さえ否定しそうになる。
「僕は必死で勉強した。その時だけが自分を許せる気がしたから。でも、今だって怖い。病気で母親を亡くした子供たちを見るのが! …本当は、ヨシト君の部屋に、孤児院に行く事だって怖かったんだ。怖くて怖くて仕方無くて、病気で苦しむ不幸な人を見たくなくて、でも逃げる自分も許せなかった。もう医師になるしかないと思った。…ヨシト君、僕は不特定多数を救いたい訳じゃないんだ。たった一人、自分自身を救いたいだけなんだよ」
ヨシトの瞳から涙が流れる。
レミル=ブラットは、もう一人のヨシト=ウッドヤットだ。
ヨシトは結局、自分自身が救われたいだけなんだと実感する。
「レミル、もういい。君は何も間違っていない。だから、俺自身も何も間違ってない事が解った。…リンダもありがとう。確かに俺の悩みもレミルの悩みも、心の中だけの問題だ。レミル=ブラットがどんな気持ちで医師を目指していても、俺にとって、レミルはレミルだよ。何も変わらない」
親友達の言葉は、外からも内からもヨシトの心を癒した。
そしてヨシトは、自らの心と戦う決意を固める。
それこそが、何より重要であると。
すばらしい親友達に対して誇れる自分で在りたい。
ヨシトは心の底から強く思った




