狩られる狩人
相模湾を彩った「特務観艦式」の熱狂は、世界中の軍事・諜報関係者の間に、冷たい、それでいて焦燥を伴う沈黙をもたらしていた。
特に、マッハで上空を過った漆黒の巨影『 B-1J改 』の排気音に、各国の空軍関係者は打ちのめされていた。レーダーには一欠片の反応もないまま、空気を震わせる「音」だけが、自分たちの無力さを証明していたからだ。
――正面から戦って勝てる相手ではない。
その共通認識は、各国の情報機関を「情報の窃取」という唯一の対抗手段へと駆り立てた。
数日後。平日の夜。
都内の喧騒から少し離れた、横須賀の寂れた路地裏にあるバー。
カウンターの隅で、S.O.D.U. へ精密部品を納入している下請け企業の若手社員、佐藤は、震える手でウイスキーを口に運んでいた。
彼の隣には、仕立ての良いスーツを着た中年の男が座っている。男は自らを「外資系コンサルタント」と名乗ったが、その眼光はビジネスマンのそれとは明らかに異なっていた。
「……佐藤さん。あなたの家のローン、そしてお母様の入院費。我々に少し協力していただけるだけで、すべて解決するのですよ」
男の声は、驚くほど穏やかだった。提示されたのは、S.O.D.U. が独占している「メタマテリアル装甲」の初期配合データの一部。
「……そんなこと、できるわけがない。私はただの納入業者だ。内部の機密なんて……」
「いいえ、あなたならできる。来週の定期メンテナンスで、このUSBを端末に一度差し込むだけでいい」
男の背後にあるのは、世界最大の諜報機関。佐藤はその巨大な影に呑み込まれようとしていた。しかし、彼らが知る由もなかったのは、この会話のすべてが、バーの酒瓶に仕込まれた指向性マイクと、上空のドローンによって完全に傍受されていることだった。
同時刻。S.O.D.U. 司令本部。
青白いモニター群に囲まれた深山は、ヘッドセットを外し、隣に座る天城少将へ短く告げた。
「……食いつきましたね。某国の工作員『カメレオン』です。泳がせましょうか?」
「ええ。彼らが欲しがっている『データ』に、我々からの特製ギフトを忍び込ませておいてください。……ただし、実力行使の準備も怠りなく。国内に『毒』を放置しておくのは、私の主義に反します」
深山は静かに頷くと、タブレットをスワイプし、待機していた特殊部隊へ命令を飛ばした。
深夜二時。
都内・台東区にある、カモフラージュされた雑居ビルの一室。
工作員は佐藤から受け取ったデータを、衛星回線を通じて本国へ送信し終えた。
『データ送信完了』
画面の文字を確認し、工作員は勝利を確信して椅子に深く沈み込んだ。日本の牙を抜くための第一歩だ。そう思った、その時だった。
バツンッ!
ビル全体の電源が、物理的な切断によって遮断された。
部屋を包む完全な暗闇。工作員が暗視ゴーグルに手を伸ばそうとした瞬間、防音壁を突き破る轟音が轟いた。
ドガァァァンッ!!
指向性爆薬によるブリーチング。蝶番ごと吹き飛んだドアの隙間から、スタングレネードの強烈な閃光と爆音が部屋を支配した。
「ゴー! ゴー! ゴー!」
暗視装置を装着した漆黒の戦闘服が、流れるような動作で室内に突入する。
「動くな! 手を見せろ!(Show me your hands!)」
「床に伏せろ!(Get down on the floor!)」
プロフェッショナルによる、一切の無駄を排した近接戦闘(CQB)。工作員は銃を引き抜く暇すら与えられず、瞬時に床へ押し伏せられ、首筋にH&K製のサブマシンガンの銃口を突きつけられた。
「右、クリア!」
「左、クリア!」
「ターゲット確保。抵抗はありません」
隊員の冷徹な報告が響く中、深山がゆっくりと部屋に入ってきた。
彼は足元で呻く工作員を一瞥し、手元のタブレットを操作する。
「……あなたが送信したそのデータですが。今、あなたの国のサーバーに到達した瞬間に、自己増殖型のウイルスとして牙を剥いていますよ。今頃、本国のインテリジェンス・センターは全システムがロックされ、代わりに我々が『本国の全スパイリスト』をダウンロードしている最中です」
「な……貴様ら、最初から……」
「ええ。我々に背中を見せたのが運の尽きです。……連れて行け」
深山の合図で、工作員は無言で引きずり出されていった。
相模湾で見せた武力は、氷山の一角に過ぎない。
情報、諜報、そして法執行。すべての分野において、特務機動艦隊『北斗打撃群』は、世界が想像もできないほど「冷徹で完璧な守護者」として完成されていたのである。




