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 会場内は音楽が奏でられ、人々の話し声もにぎやかであったため、ミアの言葉や険悪な雰囲気を気にしている人はいないようであった。アイリスはそのことに胸を撫でおろしながら、ちらりと隣にいるイーサンを見ると、イーサンは気まずそうに立っていた。


「すまない。ミアが落ち着けば、エドモンド兄も戻ってくるからここで待っていよう」

 イーサンは辺りを見回し、人のいない端の方へとアイリスを誘導した。

「ええ、ミアは大丈夫でしょうか?」

「大丈夫だよ。さすがにあれはミアが悪い。俺だって言っていい相手と悪い相手ぐらいわかっているからな」

 確かにイーサンは口を出さなかったが、あの態度ではミアと同じぐらいよくなかったと思うのだが、おそらく本人もそのことはわかっているようであった。顔を歪めて舌打ちし、腕を組む姿はとても粗野なふるまいでこの場から浮いていたがやめなかった。


「ミアをかばうわけじゃないけど、近ごろ、あいつは焦っているんだよ。まあ、その気持ちはわかるけど」

「なぜ、焦っているのですか?お尋ねしてもよろしいことでしょうか」

「うん、ミアが焦っている理由か?俺もそうだけど上流階級になじめないからだ。別に金持ちなんて興味ないし、普通の方がすごく気楽だよ。でも、クラーク家の事業は大きくなってしまったから、俺たちも注目されるようになったんだよ。このような場所に行きたくなくても行かなければならない。教養だとか言われてもなあ」


 アイリスはその屈託のない意見に小さな笑みを浮かべた。イーサンと話すようになってから、彼の反抗的な態度の裏には多くの葛藤があることに気がついていた。彼はいつでも粗野な態度をとっているがアイリスには丁寧であったし、親切でもあった。それが彼の誠実な性格を物語っていた。


「キャンベル夫人の言葉に、ミアはなぜあれほど怒ったのでしょうか?」

 アイリスの疑問にイーサンは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに真面目な表情に変わった。

「そうか、あんたも知っておいた方がいいかも。もしかしたら噂を聞くかもしれないし」


 あのときキャンベル夫人はマチルダとエミリーを見て、「彼女も大変だ」と言った。アイリスはマチルダとエミリーが話していた相手を見て、キャンベル夫人が大変だと言った言葉の意味を理解したが、ミアは明らかに違う意味でとらえていた。

 彼女はそのあと母と姉を辱めていると言ったことから、イーサンの言う噂というのはマチルダとエミリーに関係するよくない噂だと推測できた。そして、その噂はマチルダではなくエミリーのものではないだろうか。自分たちの周辺に誰もいなく、この会話が聞かれないことを確認してから、より声を潜めた。


「それはエミリーに関係する噂ということですか?」

「え?なんでわかるんだ?もう知っているのか?」

「どのような噂かは知りませんが‥‥」

 アイリスはキャンベル夫人とミアとの会話から推測したことを小声で話した。キャンベル夫人はマチルダを完璧な淑女と言っていたことから、社交界でのマチルダの評判は高いもののはずだ。それならよくない噂をされるとしたらエミリーの方だろう。


「ああ、本当に敏いな。あれだけでエミリー姉の方だとわかってしまうのか。あんたも上流階級の人なんだな。本当に怖いよ」

「ここはそのような場所ですからね」

「そうか、そうなんだな」

 イーサンは少し辺りを見回すと小声になった。


「エミリー姉は四年前に婚約者がいて、大学を卒業したら結婚する約束をしていた。ああ、驚いているな。今はいないのだから婚約がだめになったわけだけど、だめになったのは仕方がないけど後がよくなかったんだよ。エミリー姉はインテリアデザイナーとして仕事をしたかったから、結婚後も仕事を持つつもりだった。でも、相手は仕事をしてほしくなくて、お互いに意見が合わなかったそうだ。それから相手はエミリー姉との婚約解消をして、半年後に別な女性と結婚した」

「婚約を解消‥‥」

 その言葉にぞっと寒気がした。その言葉は悪夢でしかないからだ。

「噂になったのは、エミリー姉の婚約者が若手の実業家で有名人であったから、半年後に結婚した相手がエミリー姉の親友であったことで、あることないことスキャンダラスに言われたわけだ」

「それは‥‥」

「婚約解消から半年後の短い間での結婚だから、エミリー姉は捨てられたとも言われた。真実は捨てられたわけではなかったのだけど、その方が噂話としては面白かったのだろう。エミリー姉の親友は貴族出身の名家の令嬢だったから、そちらに乗り換えるのも当然だとか言われ、エミリー姉は元婚約者と結婚した相手が親友であったこともあってショックを受けていたよ。その元婚約者と元親友は仲が良く評判のよい夫婦で目立つ存在だったから、二、三年ぐらいエミリー姉はいいように言われなかったわけ。エミリー姉に恋人もいなかったのは仕事ばっかりだったこともあるけど、この話が知れ渡っていたこともあるな。ようやく最近、お母さんの薦めでパーティーに出席して、独身の男性と話をするようになったし、今日だってそれが目的だろう」

 

 アイリスは思わずため息が出そうになった。

「ミアはキャンベル夫人がその噂話を持ち出して、結婚相手を探しているエミリーが大変だと辱められたと思ったわけですね」

「そう。実際、あのばあさんはそう思って言ったんだろう?」

 イーサンは顔をしかめた。

「それは違います。何ということでしょう。大きな勘違いだと思います」

「へ?勘違い?」

 イーサンは組んでいた腕を離し、きょとんとした表情でこちらを見た。

「あのとき大叔母様とエミリーが話をしていたお相手はラインバルド家の夫人でした。会話するのにもっとも注意が必要な方です」

 アイリスはこの会場に来たときにマチルダから密かに要注意人物を数人教わっていた。要注意人物とはこのオーガスト国内だけではなく、ニューキャッセス内でも力を持つ家門の者たちで、特にささいなミスも許されない相手であった。そして、マチルダからラインバルド家の夫人はとても気難しく厳しい方で、彼女の機嫌を損ねただけで上流社会から追放された者もいると聞いた。

 ラインバルド家の夫人の横には三十代後半の男性がいたが、あれはエミリーの結婚相手としてというよりもクラーク家の社交として会話をしていたのだろう。


「クラーク家としてミスがゆるされない方と会話をしていたのですから、夫人はお相手のことをよく知っており、大変な方と話をされていると言う意味で、大変ねとおっしゃったのだと思います」

 アイリスはキャンベル夫人がマチルダたちの方を見たとき、同情的な表情を浮かべていたことからエミリーのことを話したわけではないと伝えた。

 イーサンはぽかんとした表情をし、その後、がっくりとうなだれた。

「うわあ、俺たちが本当にだめな理由がよくわかった」

「それに、もし、夫人がエミリーのことを指してあのように言ったとしても、あのような態度ではミアだけではなくエミリーの評判も傷つけることになりますよ」

「え、なぜだ?」

 イーサンは顔を上げて、心底わからないといった表情をした。

「辱められたと真剣に怒ることは、その噂話が真実であると思わせるからです。人は捨てられたことが本当であるから辱められたと怒るのだと思います。つまり図星を指され怒るのだから、この噂が本当の話だと思い、エミリーの評判が悪くなるだけです。どんなに話を持ちだされても、反応しないのが良いでしょう」

 イーサンは小さくうめくと、落ち込んだ表情になった。


「よく理解できた。それじゃあ、ミアの行動すべてがだめだったということか。何ひとつとしていいところないじゃないか。無知だと言われるはずだよ」

「キャンベル夫人はお優しい方ですね。あのように忠告してくれました。本気で彼女の態度をゆるせないと思われたのであれば、あのように忠告せずにクラーク家との関係を切っていたことでしょう。そうなればクラーク家の事業においても大きな痛手になっていたかもしれません」

 イーサンはぎょっとした顔をし、大きなため息をついた。彼はとても柔軟に物事を受け入れる気質であった。頑なに反抗するのではなく、しっかりと人の話を聞いて受け入れる器量も持っていた。


「あんた、いや、アイリスはすごいな。すごくわかりやすい説明だった。お母さんがミアや俺をだめ出しする理由がわかったよ。俺たちは周りをよく見ていないし、感情だけで動いて頭を使っていないということだろう。あのさあ、これからも今のように説明してくれるとありがたいんだけど」

 イーサンは素直な笑みを浮かべて言葉を続けようとしたとき、視線はアイリスの先を見てあからさまに嫌な顔をした。


「うわあ、あの女が来る」

 アイリスはイーサンの視線の先を見て、気持ちを引き締めた。アイリスたちの方へ、シャンパンゴールドのゴージャスな胸の空いたドレスを着た美女がまっすぐと向かって来ていたからだ。アイリスはこのパーティーに彼女がいることはわかっていたので、この間のこともあり心構えはしていた。しかし、お世辞でも会いたいと思う相手ではなかった。

 アイリスは彼女の容姿にため息をついた。レイナは羨ましいほど美しかった。


「ようこそ、わが家のパーティーに、楽しんでいただけているかしら?」

「レイナさん、とてもすばらしいパーティーですね。楽しく過ごさせていただいております。この会場もさすが五つ星とされるホテルです。調度品を含め重厚で格式のある様は、とても美しいものです」

 レイナの美しい顔が嬉しそうにほほ笑んだ。

「まあ、そのように言っていただいてとても嬉しいわ。ゆっくりと楽しんでいってください。おばさまとエミリーはどこにいらっしゃるの?」

「ええ、二人はあちらにおります」

 アイリスが首を向けた方を見て、レイナは頷いた。

「あら、でもお話しているわ。今日はミアとエドモンドも来ていると聞いたのだけど、二人はどこにいるの?」

 アイリスは内心苦笑した。レイナの目的は初めからエドモンドなのだろう。イーサンがしらけた顔でレイナを見ており、そういう表情もよくないと注意したほうが良いのだろうかと思わず悩んでしまった。


「エドモンド兄はそのうちアイリスのもとに戻ってくるよ。今日はアイリスのエスコート役で来ているから、最後までアイリスの側にいるはずだから。今は、ちょっとミアを探しにいっただけさ」

 レイナの青い瞳が不愉快そうにイーサンを見て、そして、真顔になった。

「なぜ、エドモンドがエスコートをしているの?」

「なぜ?おかしなことを言うよな。そんなの本人がしたいからに決まっているだろう。したくなければやらないね」

 イーサンはなぜこの女性に喧嘩腰の態度をするのだろうか。アイリスは仲裁に入るべきか悩みながら二人の様子に注意を払った。

「いったい、この方はエドモンドとどのような関係なの?」

「どうって、俺たちの親戚ではとこだよ」

 イーサンは悪い笑みを浮かべ、レイナはそんなイーサンの態度に眉が上がった。

「これまで親戚だろうとはとこだろうと、エドモンドは関わらなかったわ。ずうずうしい親戚に嫌がってもいたのよ。彼女だけは違うというの?」

「そうだよな。エドモンド兄は嫌なら親戚だろうと誰であろうと、誰に何を言われてもやらないよ。そんなエドモンド兄がうれしそうにエスコートしているのだから、わかるってものだろう」

 アイリスは、イーサンの言葉は大げさに言っているだけだと真実を言おうとした。エドモンドは母親に頼まれてエスコートしてくれているだけであって、それ以上の関係などない。しかし、その前にレイナの顔色が悪くなり、赤い唇が震えた。

「何を言っているの?エドモンドが、そんなはずはないわ」


「この方はエドモンドとどのようなご関係なのですか?」

 アイリスはあまりにも彼女の様子が大げさであったため、イーサンに小声で尋ねた。エミリーの友人でエドモンドに好意があるのは知っているが、それ以外にも何かあるのだろうか。レイナとクラーク家との関係と、彼女の立ち位置がよくわからなかった。イーサンはちらりとアイリスを見たが何も言わずに、レイナを睨みつけた。


「なんかさあ、前々から思っていたけど、あんたさあ、いろいろおかしいよな。やたらとエドモンド、エドモンド言っているけど、はっきりいってあんたは関係ないだろう。エド兄が関係していたのは、あんたの従妹の方だった」

 イーサンの言葉に、レイナは目を見開き、言葉に詰まらせた。

「あんたさあ、ただその従妹にくっついてうちに来ていただけだろう。アイリス、エド兄とこの人は、直接は関係ねえよ。エド兄は、この人の従妹を大事にしていたから、この人も邪険に扱わなかっただけだよ。この人と関係あるのはエミリー姉とミアだ」


 レイナの美しい顔がこわばり、唇を噛みしめた。

「そうね。確かに、彼が今でも愛して気にかけているのはルーシーだけよ。彼の心の中にいるのはルーシーだけで、彼女を忘れるはずがない。だから私は待っているのよ。彼が他の人を気にかけるなんて、嘘を言わないでちょうだい」

 アイリスは、レイナの言葉に息を飲んだ。二人はアイリスの知らないエドモンドのことを話している。そして、エドモンドのことを好きであるレイナの口からルーシーという女性の名前が出てきたとき、レイナとイーサンの間に奇妙な緊迫感が生まれた。


「いいかげんにしろよ。いつまで亡霊にしがみついているんだよ」


 吐き捨てるようにいったイーサンの言葉に、レイナの顔が能面のように表情を失くした。感情を失った青い瞳がアイリスを見つめていたが、手はかたく握られていた。

 アイリスは、エドモンドのことでただごとではない何かがあるのだと思った。それが、この女性がクラーク家にあたりまえのように立ち入っている理由につながっているように思えた。


「私は認めないわ」

 彼女の口から掠れた声が漏れ、その言葉はまるで呪縛のように聞こえた。


「レイナ、そこにいたのか」

 闊達な明るい声に呼ばれ、レイナは現実に戻ってきたかのように瞬きを繰り返し、そして仮面をつけたかのようにほほ笑みを浮かべた。声をかけてきた男性たちの方へと振り返り、軽く頷くと再びアイリスへと向き合った。


「それではパーティーを楽しんでください」


 ホスト役として笑顔を見せてそう言うと、背を向けて、声をかけてきた男性たちの方に向かう。

 イーサンは深いため息をつくと憂うつそうにレイナの後ろ姿を眺め、アイリスは緊迫した空気が消えたことにほっと安心した。レイナが男性たちと合流して楽しそうに話をしている姿を見ながら、ふっとその男性たちの集団の中でこちらを見ている男性がいることに気がついた。

 背が高く、アッシュグレーの髪に上品なタキシードを着こなし、その端正な顔にアイリスの心臓が止まりそうになった。


「まさか」

 まるでその呟きが聞こえたかのように、男性はゆっくりと笑みを浮かべた。ぞっと鳥肌が立ち、数歩後ろへと後ずさり、パニックになりそうになる。

 なぜ、ここにいるのか。本当にあの男性は彼なのだろうか。昔に戻ったかのように、恐怖がアイリスを支配した。その男性はアイリスをじっと見つめ、そしてうれしそうに笑みを浮かべながら、唇が動いた。その唇は確かにアイリスと動いていた。


「ランドルフ様‥‥」

 かつて自分を害そうとした者。

 あの男性がこちらに向かってくるそぶりをしようとしたとき、周りにいた者たちが男性に声をかけた。男性の視線がアイリスからそれたとき、アイリスは逃げるようにあの男性がいるのと反対方向に歩き出した。


「おい!何だよ」

 イーサンの声が聞こえたが、アイリスは振り返ることができずに、とにかく遠くに逃げるために足を止めなかった。

「どうしたんだよ」

 イーサンに腕を掴まれ立ち止まると、冷汗が額から流れた。

「なんだよ。え?おい、大丈夫か?おい!」

 

 アイリスは激しいめまいに、今にも倒れそうなほど体が横にかたむいた。






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