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RIVER-SIDE-CAFE   作者: 麗 未生(うるう みお)
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第23話 この世の狭間

遺された時間――(美由紀の場合3)

 私の目の前に夫がいる。でも、夫には私の姿は見えない。


ここは私が生前、週に一度、午後のひとときを過ごすために来ていたカフェ。夫は、私が残した家計簿に挟まっていたこの店のレシートを見て、ここを訪れたようだ。どうやら何か、都合の良い誤解をしているらしい。


 最初は「何勝手なことを思っているの?」と思っていたけれど、こうして何度もここで会うようになって、結局この人と私は、やっぱり夫婦だったんだなあと、最近は感じるようになった。


 もう長い間、会話らしい会話もほとんどなかった。この人が何を考えているのか、何を思っていたのか、私にはまるで分からなかった。あのまま生きていたら、熟年離婚まっしぐら、というような夫婦だった。この人の頭の中には、きっと仕事のことしかないのだと、ずっとそう思っていた。


 でもこの人は、私を偲ぶようにここにやってくる。もしかしたら、こうして私を思い出してくれるのは、この人しかいないのかもしれない。娘もいるから、たまには思い出してくれるだろうが、すでに家庭のある身。死んだ親のことばかり考えてもいられないだろうし、それが良いとも思っている。


 私がここに来たのは、小さなきっかけだった。そしてここで、昔の恋人に似た懐かしい人を見かけた。恋をしていた、なんて言うほど大げさな思いがあったわけではないけれど、その人の姿を見ると、ほんの少しときめいた。昔の甘い記憶が、蘇るような気がしたのだ。


 でも、私が死んだところで、その人には何の感慨もない。ろくに口をきいたことすらないのだから。きっと私の存在など、彼の頭の中には微塵もない。だからといって、それが悲しいわけでもない。それだけの存在なのだ。


 もし私が生きていたら――そんなことを考える。


生きていても、きっと何も変わりはしない。私は毎朝、夫を見送り、家の用事を済ませ、何をするでもなく日々を過ごしていただろう。


 夫は、あと何年かで定年退職になるはずだった。私は、そうなったらどうなるのだろうと考えていた。会話のないまま、ただ時が流れるのを待つ日々なのだろうかと。


 でも、今の夫を見ていると、案外、そうでもなかったのかもしれないと思うようになった。夫は私が見えないのに、時々私に話しかけてくる。そして、微笑むことがある。

 私はそのとき、この人はこんな笑い方をする人だったんだ、と改めて思った。思えば、もう何年も夫の顔をまともに見ていなかったような気がする。


 特に喧嘩をしたとか、そういうわけではない。ただ、話すことがなかっただけだ。娘が嫁に行くまでは、もう少し会話もあったような気がする。でも、二人きりになると、何を話していいのか分からなかった。話したいとも思わなかった。夫も、そうだったのだろうか。

 

 もし生きていたら、こうして昼下がりを一緒に過ごす時間はあったのだろうか。それはきっと、とても穏やかな時間だったのだろうと、今なら想像できる。でも、私には、そういう未来はもう無くなった。


 あの事故は、なぜ起こったのだっただろう。確か、右折しようとして人影が見えて止まったら、私の車に他の車が突っ込んできて……。その後は、霊安室で泣いている娘を見るまでの記憶がない。たぶん、車をぶつけたときに、私は死んでしまったのだろう。胸がとても苦しくなった記憶はある。でも、「息ができない」と思った瞬間から、記憶は消えている。あのとき、私の人生は終わったのだ。


 あれから何年経ったのだろう。そういえば、夫がこんな時間にカフェに来られるということは、すでに定年退職したのだろうか。もしかしたら、穏やかな暮らしが待っていたのかもしれない。2人でこうしてカフェに来たり、時には旅行に出かけたり。そんな普通の、優しい時間があったのかもしれない――などと思ってしまう。生きているときには、ついぞ思わなかったのに。


「ねえ、あなたも、もしかしてそんなこと考えていた?」


そう問いかけても、夫には聞こえない。


それにしても、このカフェは何なのだろう。とても不思議な場所だ。ここには、私以外にも“生きていない人”がいる。最初は分からなかったけれど、何度かここで過ごすうちに、それが分かるようになった。


 それに、マスターにはみんな“視えている”ように思う。だって、マスターとは時々、目が合うのだから。死んでから、誰も私を見なくなったのに、マスターの視線は、はっきりと感じることがあるのだ。

ここは、そういう場所なのかもしれない。


生と死の狭間――。生きている者だけでなく、死せる者も、まるで導かれるようにここに来てしまう。


 それは、あのマスターがここにいるからなのかもしれない。マスターが死者を呼び寄せているのだろうか。生きていたときは感じなかったけれど、あのマスターはどこか、常人と違う気がしている。

ああ、でも――私がここにいられる時間は、もうあまりなさそうだ。なんとなく、そう感じる。


「あなた……あなたとの老後の人生は、どんなだったかしらね……」


そこで、私は――笑うことができたのでしょうか。




お読みいただきありがとうございます。

こちらのお話しは第1話「君の面影」、第4話「淡い想い」、第11話「私の席」と繋がっています。

また第8話「睨む女」、第15話「悪寒」と関連があります。


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