第14話 魔王、戒律を破りそうになる
「お兄様!」
そこに入ってきたのはアルカインの妹であるロザールだった。
また思い切り前傾姿勢で角を突きつけるようにぶつかってくる。
どうにかアルカインは両手でロザールの腕をつかんで、突進を止めた。
「やっぱり受け止めてくださったのですわね! お兄様の愛を確かめましたわ!」
「何が愛だ! 受け止めなかったら、角が刺さってたぞ! お前の気持ちは命懸けすぎる!」
都合よく解釈しているロザールにアルカインはツッコミを入れる。
この妹の姫は、少々、いや重度のブラコンの気があるのだ。
といっても、それも仕方のないことかもしれない。アルカインはまごうかたなき美貌の持ち主だった。この点は前世とはかけ離れている。もっとも、前世からアルカインの姿で生まれてくれば、懸想する娘が増えて、かえって仏道の妨げになっただろうが。しかも、ロザールとはかなり年も離れていたから、ロザールが物心ついた頃にはすでにアルカインは完璧な貴公子となっていた。
つまり、たんなる兄というよりは、理想の男に見えてしまってもおかしくはない。
「だいたい、今は大切な仕事中だぞ。何の用で入ってきた?」
そう聞くと、ロザールはすねたように頬をふくらませた。見事なおてんば娘だが、昔と比べると、そこに大人の色香が混ざりはじめてきている。
「だって、いつもお仕事、お仕事で、わたくしと遊んでいただける時間なんてちっとも作ってくださらないんですもの。わたくし、つまりませんわ」
たしかに、この世界に仏の教えを広めるということに集中しすぎて、妹のことなど二の次、三の次にしていたかもしれない。
「昔もお忙しかったのに、最近はさらに時間を削ってらっしゃるんですもの。まるで、お兄様が遠い人間の国まで戦争に出ていっているようにお会いできませんわ……」
「そうだな……。ちょっとお前のことにかまってやれなかったかもしれん」
こう言われてしまうと、罪悪感も覚えてしまう。いくら忙しいからといって、自分の肉親をかまわないのはいいことではない。
さらにロザールの目には涙の珠ができはじめていた。
「お兄様が以前の戦役で危うくお命を落としそうになったと聞いた時は、わたくし、どんなに心配したことか……。いずれお父様の二の舞になるんじゃないかって怖くて怖くて……眠れなかったんですわよ……」
アルカインは胸を締め付けられた。いくら姫として贅沢ができると言っても、ロザールには父親すらいないのだ。
自分が父親代わりにならないといけないのに仕事にかまけてかまってやることができずにいた。
――今の朕に必要なのは子をいつくしむ地蔵菩薩のような心なのではないか……?
弱い者を突き放すのだけが救いではない。
アルカインはそう思いなおすと、ロザールの頭をやさしく撫でてやった。
「ごめんな。もっとお前に時間を使うべきだった」
「お兄様……」
ロザールは涙をぬぐって、アルカインに抱きついた。
おてんばな態度と比べると、驚くほどに華奢な体。そこにふっとバラのような香水が鼻に届く。
――ロザールも知らないうちにこんなに女の子らしくなったのだな。
政治と宗教と、いろんなものにかまけているせいで、妹の成長にすら気づいてなかった。
しかし、少々不都合なことがあった。
ロザールはもう、女の子っぽすぎる。
どくん。
アルカインの胸が妙に高鳴った。
これは宗教的法悦か? 否。もっと生理的なものだ。
――もしかして、ロザールのことを女として認識しそうになっているのか……?
「ずっと離れていた分、お兄様のことをもっと感じていたいんですわ……」
ロザールはぎゅっと体を押しつけてくる。やわらかな感触がアルカインの心をおかしくさせる。
「そろそろ離れろ、ロザール……」
「どうしてですの? 兄と妹が近くにいてもおかしなことなんてありませんわ」
いや、それも一理あるのだが……。
――この気持ちは前世から考えても久しぶり……いや、初めてのことかもしれんな。
アルカインは自分が布教とはまったく違うところで混乱していること自体に混乱していた。頭がぼうっとして何も考えられなくなる……。
だが、口に出すわけでもないし、何でもないふりをすればわからないのではないか……?
「魔王様、僭越ながら申し上げるのですが、これは不邪淫戒に該当するのではありませんか……? 実の妹との結婚や淫らな行為は国法でも禁じられていますし」
ナタリアが冷たい目で言った。
――こいつ、どうして朕の考えていることを見抜いた……?
実のところ、アルカインの顔を見れば、誰でもわかるぐらいに動揺しているのだが、アルカインは他人の顔色を窺おうとしたこともないので、そのあたりのことがわかっていないのだ。
ご明察。今の自分は破戒をしかけている――などと言うわけにもいかない。
「こ、これは兄と妹としての、ふ、ふれあいだ……は、破戒には当たらぬ……」
「破壊? 何をデストロイするんですの? もしかして、兄と妹との超えてはいけない壁ですの?」
「そんなの、壊したらダメに決まってるだろ! 末代まで不義の王とその妹って語り伝えられるぞ!」
「ずっと、お兄様との愛が記録されるなら望むところですわ!」
どうも、かえってロザールに変なスイッチが入ってしまったらしい。
さらに腕の力が強くなる。その力も魔王の一族だけあって、人間であれば背骨をへし折られてしまうほどなのだが、魔王アルカインはさすがに無事にすんだ。
「おい、離れろ! すぐに離れろ!」
どんどんアルカインは混乱してきた。僧侶の正覚のほうにもこんな経験はない。ただでさえ閾値が低いからよくないことになる!
「離れろと言って、離れる女がいると思っていますの? こうやって近づいてしまえば、こっちのものですわ」
もう、すっかりロザールの涙はかわいている。
――もしや、謀られたのか……?
男女の機微に疎いアルカインは、こういうことではあっさり騙される。
会議の参加者のほうを見ると、ナタリアは白い目をしていた。それに対して、サリエナのほうは、おどおどと様子を見ていた。魔王の身を守る者として止めてよいか悩んでいるらしい。
「た、頼む、サリエナ……。妹をひ、引き離してくれ……」
「わ、わかりました! 姫様、ご命令ですので神妙にしてくださいっ!」
「やめなさい! 騎士ごときがわたくしを離すだなんてっ!」
こうして、ひと騒動あったものの、どうにか宣教師の講習は終了したのだった。




