第13話 魔王、恋愛のルールを定める
こうして、どうにかアルカインはナタリアの攻勢を防いで、ブッダ教の形を作った。
だが、まだまだ宣教師する側にとっての問題は山積していた。
「あの、魔王様、質問があるのですが……」
ナタリアと比べると、女騎士サリエナの質問の声は自信なさげだ。
「サリエナか。なんでも聞いてくれ。ナタリアの質問は、少し高度すぎたからな。もうちょっと簡単なほうがいいんだけど……」
「いいところに転生するためには、善良に生きないといけないんですよね……?」
「うむ。民衆に質問を受けた場合は、その理解で問題ない」
これも突き詰めていくと、仏教的にはすべてのものが空であり実体というものがない⇒つまり、罪という概念すら存在しないということになるのだが、内容把握が浅い時にこれを聞いてしまうと、罪がないなら悪いことをいくらしてもよいと考えられかねない。それに反道徳的な宗教と思われたら信者も増えないだろう。
「あの、それじゃ……善良な生き方って、どういうものなんですか……?」
――たしかにこれはうかつだったな。
宗教である以上、生き方の指針が必要だ。そして、正しい生活というものとは何かと言われると、誰しも言葉に詰まる。
「実は、サリエナの質問はとても重要なものだ」
なにせ、正しい生活ということは、それを突き詰めても、突き詰めても、何の問題も苦しみも生まれないことでなければならないからだ。
やりすぎた結果、悪に転換してしまうような要素ではダメなのだ。
ケースバイケースのような相対的な善では、絶対者であるはずの神まで相対化されてしまうことになりかねない。
「ドラゴンの娘の言葉を借りると、善行とは、五つの決まり――五戒を守ることであるらしい」
アルカインの頭には仏教の基本的な戒律である五戒が浮かんでいた。
すなわち――
不殺生戒、殺すな。
不偸盗戒、盗むな。
不邪淫戒、度を過ぎる淫らな心を持つな。
不妄語戒、ウソをつくな。
不飲酒戒、飲酒など嗜好品や趣味で度を過ぎたことをするな。
――の五つだ。
つまるところ、悪いことをせず、ほどほどに生きろということになる。
しかし、これを聞いたサリエナはかえって混乱した。
「あれれ……? それだと、善行って『悪いことをしないこと』という意味になりませんか?」
もっと、良い生き方は○○をすることである、といったものを期待していたのに、すべて禁止の形でしか述べられていない。おそらく、サリエナはそう言いたいのだろう。
――教えのないところに教えを説くというのは大変だが、本当に楽しいものだな。こうも熱心に聞いてくれるとは。
正覚の前世がある身としては感無量だった。戒律などということに興味を持ってくれる人間など若者も老人もまったくいなかったと言っていい。
せいぜい、道徳的な生き方を提唱してるんだろと思われて終わりだった。だが、この世界の魔族たちは新しい思想に純粋な興味を持ってくれている。
――絶対にお前たちを救ってやるぞ! これが朕の使命だ! たとえ、この身が勇者に切り裂かれることになろうと、朕は仏教でこの世界に光明を与える!
あらためて、アルカインはサリエナに目を向ける。
「まさにサリエナの言うとおりだ。絶対的に正しいことを記述しようとすると、してはいけないことだけを抜き出すほうが早くなるんだ」
「なんか、中途半端なような……」
「だがな、考えてみると、正しいことというのは時と場合によって違う。困ってる者がいれば助けるべきだが、それだっていつも甘えている者にはわざと手を出さず本人にやらせるのが愛だったりもする」
「そ、そう言われてみれば……」
ほかの宣教師候補も迷いが晴れたようにうなずいていた。
「正しいことが状況に応じて違うのなら、それを言葉で記述した場合、無限に規定は増えていく。そうすると、がんじがらめになって正しい生活だなんてとても送れなくなる」
「ですね……。私は記憶力もよくないですから、三百も四百も決まりがあったら覚えきれません……」
実際、戒律を増やしすぎた仏教の一派はそれを守っていられなくなって、つぶれていったのだが。そんなルールだらけの教えでは魅力もなくなってしまう。この大陸の民衆に救いをもたらすのが目的であるのに、民衆から嫌な顔をされたら本末転倒だ。
だから、五戒ぐらいでちょうどいい。あとはほどよい生き方というものを宣教師ごとに説いてもらおう。
「それじゃ、これで正しい信仰生活も送れそうだな」
「あの……魔王様、まだ質問が……」
どうやらサリエナの中で解決ははかれていないらしい。しかも、なぜか今回はその顔が赤い。言葉もさっき以上に弱かった。
「何だ? わからないことを聞くのは恥ずかしいことではないから、どんどん言ってくれ」
自分としては正しいことを言ったつもりだったのだが、何かを察したナタリアが顔をしかめた。
「こほん……。魔王様はデリカシーというものにお欠けのようですね」
何を責められているのかアルカインにはよくわからない。
「あの、魔王様……不邪淫戒というのはどれぐらいからだと度を過ぎたことになるのでしょうか……? た、たとえば……す、好きな人と、む、結ばれたいと思うこともダメなのでしょうか……?」
――そういうことか……。
たしかに、ちょっとぼかしすぎたかもしれない。基準があいまいすぎては判断しようがない。
アルカインはこのことについてあまり詳しくはなかった。前世で立派な僧侶として生きすぎたせいである。
欲というのは、そこから距離を置きすぎるとまったく何も感じなくなる。江戸時代の人間が携帯電話がないと不便だなと考えることがないようなもので、その欲について考える機会がなければ、意識から消えてしまう。
正覚は生き方が清らかすぎたので、人に対して恋愛感情を抱くようなことも、とんとなかった。だから、欲に耐えるという経験が薄い。
「好きな人のことを考えるのは自然なことだ……。でも、それがたとえば浮気だったりすると、これはよくないことになるな……。あと、淫らなことばかり考えるのもあまりいいことではない。これで説明になってるかな……?」
アルカインとしては無事に説明を終えたつもりなのだが――
「で、では……その……身分違いの恋というのは……どうなるのでしょうか……?」
もう、サリエナの顔は見るのがかわいそうなほどに真っ赤だ。
「先ほどの説明でも言ったが、あらゆるものの中に神であるブッダの因子は含まれている。だから、現世における身分の高さや低さと恋愛は関係しない。身分違いだからダメということにはならない」
「わっ、わかりましたっ!」
急にサリエナの表情が明るいものになる。ひとまず、悩みには答えられたらしい。
「たしかに、普通に生活をしていれば誰かを殺したり、何かを盗んだりということはしないだろうが、浮気をするようなことはあるかもしれない。どうか、道にはずれた恋はしないように――」
その時、部屋の扉が勢いよく開いた。
何者かが飛びこんでくる!!




