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魔王様、教祖になる!  作者: 森田季節


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第12話 魔王、神を作る

 法務長官、ナタリアにとって虚言によって国家を惑わすような手合いはたとえ魔王であっても許せるものではなかったのだろう。

 いや、むしろ魔族の長だからこそ、これ以上野放図にさせるわけにはいかない。彼女にとって、これは国を惑わす者の化けの皮を剥ぐ作業なのだ。


 一方、アルカインにとってみれば、これは宗教を確立できるかどうかの重大局面だった。

 ――まさか、こんなところで宗論に巻きこまれるとはな。

 売られたケンカは買わねばならない。新しい宗教の皮をかぶった、新しい仏教をここに作るのが自分の使命だ。それがきっと、心の平和につながる。


「ドラゴンの娘によれば、神の名前はブッダというそうだ」

 新しい宗教の神にその名前を使うのは、少しばかり畏れおおかった。

「ブッダ……」

 どうやら自分の表情がそれなりに重苦しいものだったのだろう。ナタリアも呪文でも唱えるようにその名を繰り返した。


「ただ、ブッダとは形のある神格と言うよりは、この世界を貫く秩序に名前を与えたものに過ぎぬという。つまり、ブッダは死者の行き先を決める六つの門の前にもいれば、今の朕たちのそばにもいる」

「どこにでもいる……ですか。ちょっと信じがたい話ではありますが……信じましょう」


 この世界の神はすべて人格神だ。

 たとえば魔族を生み出してそのあと消えてしまったことになっている神、人間たちが信仰している火や水、太陽や月をつかさどる神、それは人間のように笑い怒り、人間のように形を持ったものとされている。ギリシャ神話のような神と言えばいいだろうか。


 それに対して、アルカインが言っているのはもっと遍在的な神だ。

 当然その発想のもとになっているのは仏教思想だが、そんなことはナタリアにはわかるわけもない。

「で、では、世界を貫く秩序というのは何なのですか……?」

 ナタリアは意外なものがアルカインの口から出てきたことに心中穏やかではない様子だったが、それでもうわべ上の冷静さだけは保っていた。


 ――こういうものはもっと先にとっておくべきだったんだけどな……。

 仏教の根幹にあるのは、諸行無常――変わらないものなど何もない――であり、諸法無我――自我というものすら移り変わっていき死んでしまう――だ。

 けれど、そんなことを言いだせば、正気ではないとみなされるだろう。そもそも、輪廻転生と完全に矛盾してしまう。諸行無常の価値観はすでに輪廻転生という価値観が広がっていたから、それを断ち切るために生まれたものなのだ。


 もっとも、多くの日本の民衆も長らく輪廻転生をごく普通の価値観として受け入れ、一方で死んだら仏になるという観念も持っていた。

 これはすでにあるものとして違和感なく受け入れていたから受容できていたものであって、ナタリアのように言葉の定義にこだわるようなものを雰囲気で流すことはできない。


 ――これは適当なことを言っていては負けてしまうな……。輪廻転生と食い違いのないようにせねば……。


 アルカインの頬に汗が浮かんでいた。

 すぐに、次の言葉を紡ぎはしない。

 おそらくアルカインとナタリア以外は気づいていないだろうが、二人は剣を取り合っての争いにも似た極限の思想の戦いを行っていた。この世界にずっと存在していなかったものがこの部屋で生まれようとしているのだ。


「どうしましたか? その秩序……真理とでも言い換えていいものは何なんですか?」

「それを知るにはお前にはまだ早いと言われた……。言葉で伝えることは不可能なのだと……」

 この説明で納得してもらえるか微妙なところだったが、幸いにしてナタリアは何も文句を言いはしなかった。ナタリアも何か異様な場に自分がいることを肌で感じていたのだろう。

 けれど、今更アルカインも引き返せない。


「ただ、誤解を覚悟のうえで言葉にするとしたら……ブッダなるものは、この世界のすべてのものの中に入っている、我々一人一人もブッダである――そうドラゴンの娘からは聞いた」


 まさか、もう禅の真髄を語ることになるとは。アルカインは胸の内に奇妙な高揚感を覚えていた。

 あらゆるものは最初から仏である――これは禅宗の根本思想の一つであり、また重大な間違いを犯させる概念でもあった。多くの者が最初から仏ならば自分は何をしてもよいのだと放縦に走り、道を踏み外した。本当は、自分も仏であるということはひたむきな修行の中で初めて実感しなければいけないものであるのに。


 これは正覚が在家信者にもなかなか伝えなかったことだ。しかし、自分が伝えられるだけのことをすべて伝えないと、ナタリアのような知識人を満足させることはできまい。


「すべてにブッダという真理が宿っている……それによって、すべてが成り立っている……」

  ナタリアは呆然としたように左手を自分の胸に置いた。

 力のないため息が漏れる。

 これまでに聞いたことのない価値観が彼女の中をめぐっているのだろう。


「この世界のあらゆるものが実は生まれながらにして、存在からしてブッダという真理なのである。だが、それは漫然と生きていても認識できないものだ。とても自分が真理の一つであるなどとは考えることはできない。それに気づくためには修行を続けるしかないのだが……これはさしあたっての布教には関係のないことだから省く」


 サリエナたちは何が起きているかよくわからず、その様子を不思議そうに見守っていた。

 この大陸には魔族はもちろん人間も含めて、超越者としての神を説いた宗教は存在していなかった。神といえば、「人間よりも強い、不老長生の人間」という程度の意味合いしかない。

 ナタリアはこの大陸になかった価値観と衝突して、呆けたようになっていた。


「ナタリア、この教義を深めることはまだできる。みずからがブッダであると自覚する方法も朕はたしかに教えてもらったからな。だが、これは布教段階ではまだ必要ない知識だ。余計な混乱をきたしてしまう。もし、お前がさらに深めたいと思うのなら、お前一人で日をあらためて来てくれないか」


「わかりました……。もはや、これは思いつきの作り話でできることではありません。魔王様の体験はすべて信じます。お疑いして申し訳ありませんでした……」

 ナタリアは正式に謝罪した。そのうえで――

「ぜひ、今度、ブッダの教えを聞かせてください。百五十年生きてまいりましたが、こんなお話は初めてです……」

 どこか、畏怖するようにそう付け加えた。


 それはまだ信仰のレベルではなく、知的関心のレベルだったが、事実上、魔王の最初の信者が誕生したのだった。


「あの、それで、この宗教の名前はいかがいたしましょう……?」

 たしかに名前がないと布教はしづらいだろう。

 ――だが、どう名づけよう? 仏教とするのは不遜な気がする。なにより、朕が説いているのは厳密には仏教ではない……。仏教の価値観を使った別の物だ。かといって、仏教とまったく関係ない名前、たとえばアルカイン教などとするともっと不遜なことになるし……。


 迷った結果、アルカインは折衷案をとることにした。

「それでは、神の名前がブッダであるから、ブッダ教とする」

 ブッダ教、もしこれを英語になおしたら、ブッディズム……仏教と同じになってしまいそうだが、この世界に英語はないからどうにかなるだろう。


 後世、その瞬間がブッダ教が大陸に成立した時とされる。

 教祖はもちろん、魔王アルカインである。

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