祝福されない結婚
ある日、イレーヌのもとに一通の手紙が届いた。
──差出人:ミランダ=フローディア
あの式の日以来、初めてミランダ本人からの連絡だった。
手紙は、短く、冷淡だった。
「話がしたい。貴女の“拒絶”の意味を、正式に聞き取らせていただきます」
明日正午、フローディア公爵邸にて。
(“聞き取らせていただきます”?)
その表現は、私的な話し合いではなく、“事情聴取”のようだった。
だが、逃げる理由はなかった。
イレーヌは、その日、決して白装束ではなく、
自分の普段着――淡い灰緑のローブを選んで邸へ向かった。
*
フローディア邸の応接室。
ミランダは、相変わらず完璧に整えられた髪と装飾を纏い、冷たく微笑んだ。
「……その格好は“巫女”ではないという意思表明かしら?」
「今日は、“私”として伺っています。
式の祝福を拒んだのも、“私”の意志です」
「まさか、自分の気分で祈るか祈らないかを決めていたと?」
その言葉には、揺るぎない非難の色があった。
「“巫女の祈り”は私たちの家の信用と連動している。
あなたの拒絶は、我が家にとって“国家的な損失”なのよ」
イレーヌは静かに首を振った。
「……ではお訊きします。あの結婚式は、“祝福”されるべき未来を、本当に目指していたのですか?」
「……!」
一瞬、ミランダの目が揺れた。
けれどすぐに、瞳は氷のように戻る。
「私たちは“互いに必要な家柄”だった。
愛などなくても成立するのが結婚でしょう」
「なら、祈りはいらなかったはずです。
形式としての“婚姻”と、信仰としての“祝福”は、本質が違います」
「……貴女の言う“本質”など、私には不要」
ミランダの声は平坦だった。
「私は、“祝福されない結婚”でも構わない。
ただ、貴女がそれを“公衆の面前で明らかにした”ことが問題なのです。……貴女の意志が、他人の未来を損ねることもあると、肝に銘じておきなさい」
その言葉には、警告と諦め、そしてどこかで自嘲のような色も混じっていた。
「あなたは、祝福しなかったのではない。
“見抜いてしまった”のよ。あの式が、からっぽだったことを」
イレーヌは、静かに頷いた。
「それでも、私は祈れなかったことを後悔していません。
──私の祈りが、“誰のものでもなくなる”ことの方が、ずっと怖かったから」
「……誇り高いことね。そういう女を、私は一番嫌い」
「でも、そういう女を、あなたは一番求めていた」
しばし沈黙。
ミランダの唇が、わずかに震えた。
「……出ていって。もう話すことはない」
イレーヌは頭を下げた。
深く、丁寧に。まるで式のあとにする祈りの終わりの礼のように。
*
邸を出ると、ナジルが待っていた。
「どうだった?」
「……正直、疲れたわ。でも、彼女の“本心”を見た気がする。誰よりも祝福を求めていたのは、彼女自身だったのかもしれない」
ナジルはイレーヌの肩をそっと抱いた。
「それでも祈れなかった君の選択は、間違ってないよ。
祝福って、無理やり押しつけるものじゃないから」
「……ありがとう。
でもね、ナジル。私、もう一度“あのふたり”に会いたいと思ってるの」
「ミランダとアーシェルに?」
「ええ。祈りを拒まれた式の、その先を見届けたいの。……祝福されなかった結婚が、どうなっていくのか」
それは、ただの興味ではなかった。
祈りとは何か、信仰とは何か、自分の選択の意味を確かめるための旅。
──その答えは、誰の中にもまだない。
けれど、彼女はもう、見えない未来を恐れなくなっていた。