旅の目的
「まいったね。ここはどうだろう、お互いに剣を収めて引き分けということにしないか」
「そうですね。賛成です」
トーマの返事を受けてアディは左手を強く握った。行刺剣の刃が鞘に収められ、同時にトーマの小剣が外される。それを
くるり。
手の中でまわして抜き身をつかみ、黒い木柄をアディに差し出した。彼女にとっては見慣れたそれを。
「はい」
予想は当たっていた。左足首に感じた、わずかな違和感。革の剣帯で隠し持っていたそれを抜き去られたのは、いったいいつのことなのか。
考えられるのはただひとつ。
床に叩きつけられた時、アディの注意がそれた隙を狙って、小剣を奪い取るという離れ業をやってのけた。
いやそもそも、最初からそれを狙っていたとしたら……。
なるほど。たしかにこいつはただの東方人じゃない。
「すみません。とっさに思いついたのがこの方法しかなくて……、って? ア、アディさんっ!?」
アディに飛びつかれたトーマがそのまま床に倒れ込んだ。
「キミ、すごいねえ! さっすが、クラリスが太鼓判を押すだけのことはあるよ。うん、うん、ボク、ワクワクしちゃうなあ」
「ちょ、ちょっとアディさん、む、胸が……」
豊かな膨らみを押し当てられ、どう反応していいのか分からない。砂避けのマントの上からだと分からなかったが、意外とボリュームがある。
女体に飢えた同級生連中からは羨ましがられるだろうが、トーマにとってはそれどころではなかった。
「ちょ、ちょっとアディ、トーマから離れなさいよ!」
「だーめ、気に入ったから、ボクのペットにしちゃいたいな。あ、そうだ。初めてはボクがもらっちゃってもいいよね」
「初めてって……冗談じゃないわよ! い、言っておくけど、トーマは私が買ったのよ。言い値で買うならいくらでも売ってあげる。十億よ、あなたに払えるかしら」
「そーんな怖い顔しないでおくれよ、フリーデ。トーマだって、まんざらでもない顔してるしさ。
なんて言ったって、ボクの方がおっぱいは大きいし。ほらほらほら、こうしてぎゅううって」
「く、苦ひい……」
「キミがそうしたいって言うならいくらでもさせてあげるよ。あーんなこととか、こーんなことも、ね?」
「い、息……くる……ひ……」
「お嬢さま、買われた恩を忘れるような薄情な男でございます。見てください、このていたらく。情けない。今すぐこの場で私が」
「こらこらクラリス、落ち着かんか。はようその斧をしまえ」
* * *
――数分後。
二人きりで話がしたいというアディの要望で、エルフリーデたちは屋敷へと戻った。
トーマを睨むエルフリーデとクラリスの両者に
「大丈夫、だいじょうぶ。ボク、人の男に手を出す趣味はないからね」
あっけらかんと言って、ひらひらと手のひらを振ってみせる。
「ちゃんときれいな身体で返してあげるからさ。ここはボクを信用して欲しいな」
いっそう顔をしかめたクラリスを促し、エルフリーデが出ていく。鍛錬場の扉が閉められると、
「さて……と……」
表情を引きしめ、トーマに向き直った。
「実に見事な戦法だったと褒めたいところだけど、そういう訳にもいかないな。
あれは初めからそのつもりで仕掛けたことなんだろ?」
「ええ、まあ。アディさんにまったく隙がありませんでしたし。莫耶が言っていたんです。隙がないなら作れ、攻撃を仕掛けるときがいちばん隙が生まれやすいって」
「たしかにそうだね。君が使ったそれ、《湖水映月》っていうんだっけ、勁脈を切ってダメージを無効化する技だ。
話には聞いていたけどね、実際の遣い手に会えるとは思わなかったな。さっきのだってほとんど痛くなかっただろ」
「全くという訳ではないですが」
「ボクが技を仕掛け、わずかに生まれる隙を狙った。戦法としてはありだけど、無謀という他ないな。
たとえばさ、今のは引き分けを狙ったんだろうけど、もしボクが、自分の命と引き換えにしてもキミを殺そうとしたらどうなるのさ」
「それは、アディさんなら大丈夫かなとは」
「そんなこと言ったって、キミはボクをよく知っているわけじゃない。ボクがキミを殺すために、協会から送り込まれた刺客だったら?」
「そうなんですか?」
「あくまで例えだよ。でも簡単に人を信用しない方がいい。それにさっきみたいな引き分けに持ち込むやり方は、まちがいなく命を縮めるよ。
誰もが命が惜しいってやつばかりじゃない。大義やなにかのために、惜しげも無く捨てられるヤツらってのがいるからね」
そう言って腰に手を当て、トーマにグッと顔を寄せた。
「クラリスはともかく、キミはなんとしてでも生きて戻らなきゃいけないんだから。そうだろ? 花婿くん」
「は、花婿ぉ!?」
* * *
みるみるトーマの顔が赤面する。花婿ってことはつまり――、
「俺とその……エルフリーデが……?」
「なんだキミは知らなかったのか。公爵はキミとフリーデが無事に王都に戻れたら、フェリックスに爵位を与えてもらって、結婚させるつもりだよ。もちろん、フリーデだってそのつもりさ」
「い、いや……でも……」
「いいじゃないか、キミだって好きなんだろ、フリーデのこと。ははあ……もしかして……」
にんまりと笑ったアディが、トーマに顔を寄せる。
「もしかして、自由恋愛主義者ってやつ? それとも結婚する前にいろいろ遊びたいとか?
どっちでもボクは大歓迎だよ。後腐れのない関係ってボクはいいと思うな。どう? ボクでいろいろ経験してみる?」
汗に混じった甘い体臭をかいで、
「ち、違いますよ!」
トーマはあわてて後ずさり、首を振った。このままだと彼女の強引さに負けてしまいそうだ。流されて浮気なんてしてしまったら、フリーデどころかクラリスにまで半殺しにされてしまう。
「いや、あんまり急で実感が湧かなくて。それに、俺まだ十代……だと思いますし、結婚とかそういうの考えたことなくて」
「ふうん……」
アディの双眸がすっと細められ、トーマをじっとみつめた。さきほどまでの茶目っ気は消え失せ、探るような色を帯びた視線をそそぐ。
なにかまずいことでも言っただろうか――胸元に冷たいものを感じながら、アディを見つめ返した。
「まあ、キミが知らないのも無理ないか。この国の上流階級の子女たちは、みんな十代で結婚相手を決めるんだ。
たしかこないだまでフリーデにだって噂があっただろ。ケンペレンのとこのアンドレアスと」
「たしかに」
「あの学院だって、別にみんな勉強しに行くわけじゃない。主な目的は結婚相手を探すためだ。特に女の子たちは卒業する頃には、ほとんど婚約相手が決まってるのさ」
「へぇー」
「彼らは何より家名の存続を尊ぶ。貴族たちに取って、家名は命と同じくらい大切なのさ。それはアッシェンバッハ公爵だって変わらない。
この国では女は当主になれない。だから、なんとしてでも婿をとって、フリーデが産んだ男の子を次期当主にしなきゃならないんだ。でも」
アディは立てた人差し指を顔の前で振ってみせた。
「フリーデはああいう性格だろ? 親の決めた結婚に大人しく従うようなお嬢さまじゃない。
公爵が頭を抱えていたところに現れたのがキミだ。だから、公爵はなんとしてでもキミとフリーデには無事に生きて戻って、ゆくゆくは結婚して欲しいってわけ」
「でも、俺は……このとおり東方人で奴隷で買われた身で」
「だからだよ。キミにはピンとこないかもしれないけど、この国でアッシェンバッハ公爵家は王家も繋がりの深い、名門中の名門だ。フリーデの婿を狙っている貴族の次男三男坊はくさるほどいる。
そんな彼女が爵位もない、しかも何処の馬の骨ともわからない東方人の男と結婚なんかしてみなよ。おそらく国中の貴族や中産階級からの反感を買うだろう。いくら皇太子の信頼があついとはいえ、ほかからそっぽを向かれたら、彼らの目的を果たすことは難しいからね。でも、その彼が」
アディの手がトーマの肩にかけられた。
「皇太子を命懸けで助け、彼を玉座につかせた英雄なら話は変わってくる。《協会》は魔法を独占し、そればかりか皇帝を蔑ろにして国政にまで口を出してやりたい放題だ。
その《協会》と決別する皇太子を支え、無事に《カルタゴの勅令》を持ち帰れれば、君はフェリックスを皇帝にした英雄になれる。キミがフリーデと結婚するにはこれしか方法はないよね」
つまりこの旅にはこの国の命運どころか、トーマとフリーデの将来までがかかっていることになる。
トーマはなんとも複雑な気分になった。
もちろん結婚話がいやなわけではない。誰と結婚したいかと問われれば、迷いなくエルフリーデと答える。たとえ彼女が公爵令嬢で、自分は一介の買われた奴隷にすぎないとしても。
しかしそれは遠い未来、もしかすると実現するかもしれない淡い希望であり、具体的なことなどなにも考えていなかったのだ。
それがいきなり、目の前に具体的な形をとって現れた。嬉しいというより困惑しているのが正直なところだ。それに。
アディがこの話を知っているということは当然、クラリスだって分かっているだろう。当事者であるトーマだけが蚊帳の外だったのは、いったい何故なのか。
「なんかボク、余計なこと喋っちゃったみたいだねえ。でも公爵がこの話をキミにしていないのには、きっと理由があるんじゃないかな。あの人は、とても思慮深い人だからね」
「うん……俺も、そう思います」
そうだ、きっとそうに違いない――。
頷くトーマの肩をアディは優しく叩いた。
「はは、キミってさ、ほんとうに真っ直ぐだね。気に入ったよ。キミにならボクも、安心して背中を預けられるな。
それとね、ついでだから旅の仲間としてキミにお願いがあるんだ。これは他でもない、キミだけに打ち明ける話だ。聞いてくれるかな?」
「いいですけど……俺に出来ることなら」
「この旅でボクの目的は二つ。一つは無事にグダニスク城にたどり着いて、勅令を手に入れること。そしてキミ達を無事に王都に返すこと。でもそれだけじゃない。これは父さんにも言っていない、ボクだけの事情だ」
アディのまとっていた空気が変わった。ひどく真面目な表情でトーマを見つめ、短い沈黙のあとに口をひらく。
「ボクの姉さんを、一緒に探してくれないか」




