行刺剣
そもそも。
行刺剣は暗殺を生業とする者たちの業物であった。
遣い手は対象に音もなく近寄りる。そして籠手に納められた小型の剣が、容赦なく相手の喉元を掻き切った。周囲が気がついたとき、既に対象はこと切れている。あとには恐怖と喧騒だけが残された。
篭手から剣が飛び出す仕組みは明らかにされておらず、裏街道で店を構える技師たちのみに伝えられているという。
彼らによって、からくり仕掛けは時代を経て洗練された。以前は遣い手にも難度の高い技術が求められたが、今では強く握るだけで良い。しかしだからといって、ズブの素人に扱えるような代物でもないが。
握るだけで刃物は出ても、拳と一体になった短剣は扱いが難しい。あくまでも一撃必殺に特化した武器ゆえ、格闘は他の手段に頼らざるをえない。
だが目立つ長剣などを佩けば、相手は警戒するだろう。波風立たせずに商売をするには、あくまでも無害な商人を装わなくてはならない。
だから行刺剣を扱うゲルド族は、徒手による格闘に優れている。特に足技を駆使し、視界の外から繰り出される鋭い蹴りは大熊をも倒す──。
そんなことをエルフリーデから聞かされていなければ。
トーマだって目の前のアディを、ただの商人の娘と思ったに違いない。
明らかに自分より年上で、いつも人懐こい笑みを浮かべ、まなざしはどこか少女のあどけなさを残している。
額に刻まれた刺青は、初めて目にした時は少し怖くもあった。現代日本に生まれたトーマは刺青には馴染みがない。しかし見慣れれば、彼女の日焼けした肌によく似合っている。見ようによっては、どこか扇情的ですらあった。
亜麻色というのだろうか、明るい栗色の髪はうなじのあたりで短く切られ、耳には小さな金色のフープピアスが揺らめいている。
そしてなにより印象的なのは、好奇心をたたえた、子供のように輝く緑色の瞳だ。
馬場での訓練から戻った鍛錬場。
こうして差し向かいで見る彼女は、地下聖堂での印象と全く違っている。あの時にみせた巫女としての威厳は微塵もなく、今のアディは元気で気のいいボクっ娘お姉さんだ。
靴の紐を結び直し、つま先で床をはじいて
「うん、これで準備よし。ボクはいつでも大丈夫だ」
にっこり笑って親指を立てて見せた。
「忙しいのに付き合わせて悪いね。でもさ、お互いの実力をきちんと分かっておくのはいいことだよ。キミもそう思うだろ」
「たしかに。あの、でも……」
「なんだい」
怪訝な表情のトーマにアディは訊ねた。
「その格好で戦うんですか? 動きにくくないです?」
「ああ、これ?」
トーマが言ったのは、アディがまとっている砂避けのマントだ。麻と羊毛をたくみに織り上げたそれは、砂漠では涼しく、雪原では暖かい。
売ればかなりの高価なものだが、ゲルド族はよそ者に対して決して売ろうとしなかった。それ故に、彼らを見つけるときの目印になっている。
「心配無用だよ、これはボクには身体の一部といっていいからね。遠慮はいらないから、思う存分戦ってくれ」
そうは言われても――。
行刺剣を隠し持っているとはいえ、素手で戦う相手はどうもやりにくい。
クラリスはまだ短剣を遣っていたからいい。こっちは木剣なのだから、誰が見ても有利なのはトーマの方だろう。
それに。アディはどことなくトーマの姉に雰囲気が似ているのだ。
小さなころはそれなりに喧嘩もしたが、トーマが中高一貫のおぼっちゃま学校に行くことを応援もしてくれた。そんな姉の面影を感じさせる相手に、木剣を振り回すのはどこか気が引けてしまう。
「分かりました。では尋常にいざ――」
「勝負っ!」
言い終わらぬうちに、左こめかみへと飛んできた蹴りを、トーマは流しきれなかった。油断していたのもあるが、尋常ではない速さだったのだ。
勁道をわずかにそらすのがやっとで、吹き飛ばされ、床にたたきつけられて転がる。
しかも蹴りが当たった瞬間、静電気に似た痛みが皮膚をはしった。どうやら、ただの蹴りではないらしい。
――つ、つええ。
痛みで飛びそうな意識をなんとかつなぎとめ、深呼吸をしてからどうにか立ち上がる。
「ありゃ、けっこう手加減したつもりだったんだけどな。大丈夫?」
トーマは無言でうなずいた。
「そうこなくちゃね。キミと戦うのをずーっと楽しみにしてたんだから、もっと歯ごたえが欲しいよ。
んーでも、そうだな。今度は君から来てよ。好きなタイミングでいいからさ」
アディが両拳をにぎり構えた。左手首にはめられた籠手には、例の短剣がしこんである。普段はながい袖で隠してあるが、いまはむき出しにその姿をさらしていた。
いったいどう攻めればいい?
距離的に有利なのは木剣をつかっている自分の方だが、油断すればあの蹴りがとんでくる。かといって距離を詰めれば武器の性質上不利になってしまう。
おまけにさきほどの静電気。あれは明らかに偶然などではなかった。
考えすぎて時間を稼いでいると思われるのはいやだ。しかし考えずに突っ込めば、今度は確実に殺されるかもしれない。
蹴りを受けてわかった。あどけない笑顔とはうらはらに、彼女は必要とあれば躊躇無く人を殺めることができる。そういう性質の人間なのだ。
* * *
「あいつ、やる気あるのか」
攻めあぐねているトーマを見かねて、クラリスが呆れたように言った。
あの程度の蹴りをもらったぐらいで心が折れた訳でもあるまい。しかしいまのトーマには戦意というものが感じられなかった。
「難しいわね。アディはいままで戦ってきた相手とは違うもの。やりにくいんじゃないかしら」
腕を組んだまま、エルフリーデが言った。
「アディにクラリスと同じくらいの殺意があれば、トーマもやりやすいのかもしれないけど」
「たしかにフリーデの言う通りじゃ。これまでのあやつは、己に向けられた敵意や殺意に反応して戦ってきた。あるいは誰かを守るため。はっきり言えば、自分から喧嘩をしかけるのは全くの不得手な奴よ」
そういう莫耶といえば、鍛錬場に持ち込ませた長椅子に座り、酒杯を傾けている。主人に助け舟を出す気はさらさらないらしい。
莫耶のいうとおり、これまでのトーマは自分から戦いをしかけたことはない。
クラリスにパシャ、あるいはエルフリーデを誘拐しかけた犯人。いずれも己や誰かを守るための、防衛に寄った戦闘であった。
「それがトーマの優しさでもあるけれど、でも」
エルフリーデは小さなため息をついた。
「その優しさを捨てて欲しい時もあるのよ。生きて帰ってくるためにね」
クラリスはエルフリーデの横顔を眺め、あいかわらず木剣を握ったままのトーマへと視線をうつした。
エルフリーデのことだけはなんとしてでも守るつもりだった。
もしトーマの甘さが彼女を危険にさらすようなら――。
* * *
木剣を握り直し、大きく息を吐いた。
隙をつこうにもその隙がどこにも見られない。
それどころか殺意や戦意すらアディからは感じられず、構えはとっているものの、まるで画家のためにポーズを取っているモデルのようにも見えた。
これが彼女の戦闘スタイルなのだ。決して殺意や敵意をあらわにせず、油断した相手を確実にしとめる。
爪と牙を隠しながら商いをし、いざ危険がせまれば容赦なく相手をたたきのめす。命をとることだって、平気でやるだろう。
それは分かっているのだが、どうにもやりにくい。しかしこちらが動かなくては状況は膠着したままだ。
莫耶も言っていたではないか。隙がない相手ならそれを作るしかないと。
――それなら。
トーマの足が床を蹴り、正面からの突きを繰り出した。
切っ先はまっすぐアディの眉間を狙い、剣筋に迷いはない。相手に避ける猶予さえ与えぬほどの鋭さで、並のものなら目で追うことも叶わないだろう。
エルフリーデたちが息を飲んだ瞬間。
パシッ!
額まで髪一枚もない距離で、アディの両手のひらが木剣のさきを挟んだ。さほど力を入れている様子もない。にもかかわらず、捉えられた木剣は進むことも引くことも出来なかった。
木剣をはさみこんだ両手のひらが左へと払われる。トーマが手を離したのは本能的なものだ。剣を捨てて素早く距離をとらなければ、顔面に膝蹴りを打ち込まれていたところだった。
「へえ、今のはちゃんとかわしたんだ。うん、いいね。突きもすごく良かった。だんだん調子が出てきたみたいだ」
転がった木剣を拾って、トーマに投げてよこした。
「じゃあ、もう一回。またキミから攻めてよ。よく考えていいからさ」
トーマは木剣を構えなおし、アディと対峙する。
木剣をとらえたときのアディに隙は見られなかった。この程度の攻めなど、虫が顔の周りをとぶくらいのものなのだろう。同じ手は通用しない、ならば次はどうやって。
――いや、それならいっそのこと。
大きく息を吸って吐く。剣の柄を握ったこぶしから力を抜き、丹田に意識を集中した。
いちかばちかの賭けだが、やってみるしかない。
最初の困惑は消え、ようやく戦意がみなぎってきた。失敗すれば大怪我だろうが、エルフリーデが自慢の妙薬で治してくれるだろう。
踏み込みと同時に左から打ち込む。予想通りアディは絶妙な間合いでかわし、トーマの背後を取ろうと動いた。
すかさず剣を逆手ににぎりなおす。
背後への突き。
かわしたアディの動きに合わせ、振り向きざま、螺旋を描いた勁力を肘に乗せ、脇腹を狙った。
空振り。
しかし、間違いなく手応えを感じた。アディの表情がさっきよりも生気に満ちている。おもちゃのネズミを与えられた猫のように、目に喜びが溢れていた。
次に動いたのは彼女の方だ。
右からの回し蹴り、これはなんとかかわせた。しかし皮膚に電気がはしる痛みは感じる。これがもし木剣ではなく真剣なら、もっとダメージは大きいだろう。
アディの体がほんのわずかに沈む。
震脚から続けざまの左右正拳突きを陽動だと悟ったときには遅かった。
かわしざまに生まれた隙をついて、アディの両手が床をはねた。
床からの勁脈を体軸にのせ、逆立ちの体勢から両足をトーマの首へと絡ませる。そして自重をのせた勢いのままに、激しく床へと叩きつけた。
派手な音と振動。そして周囲が強い雷気を帯びて、それはエルフリーデたちの肌をもひりつかせる。
「ほうこれは大したものじゃ。さてと……」
感心した莫耶が酒杯を傾ける。満足気に細められた視線の先では、トーマに馬乗りになったアディが、喉元に行刺剣を突き立てていた。
しかし。
その表情に笑みは無い。トーマの右手に握られていた小剣が、アディの頸動脈に押し当てられていたからだ。
瞬きをひとつするあいだに、アディは考えをめぐらせる。
武器は木剣しかなかったはずだ。どこかに隠し持っていたのか。
いや、違う。まさか……。
ある可能性がアディの脳裏にひらめいた。




