翠眼の幻視者
アッシェンバッハ公爵邸は久しぶりの宴に賑わっていた。
煌々とかがやくシャンデリアの下、ダイニングルームに会したのはブレスナハン伯爵をはじめとした貴族、または政財界で活躍する名士と呼ばれる者たちばかり。
表向きは《稀覯本愛好会》といった、いささか変わった趣旨の会合である。
大厄災以前の貴重な本を愛でるのが目的で、入会は男性のみ、さらに厳しい審査があり、現在の会員数はわずか十三名。(その中にはトーマが以前病院でお世話になった、ロベルト・フランク医師も含まれていた)。
会長はブレスナハン伯爵であるが、会はいつも副会長を務めるアッシェンバッハ公爵邸で設けられている。エルフリーデの誘拐未遂事件以来、ひさびさの会合ということで、晩餐の席では互いの近況を報告し合い、手に入れた本のことで盛り上がった。
料理担当のヴァテルが腕によりをかけた料理に舌鼓をうち、メイソンが数日かけて選んだ秘蔵のワインに酔いしれる。
誰が見ても和やかな晩餐であるが、招待客たちはただ美食と酒を楽しみに来たわけではない。本来の目的は夕食後、場を書斎に移した後にあった。
十三名全員が書斎へと入ると、ギュンターは内側から厳重に施錠する。そして懐から例の小さな鍵を取りだした。
そして奥の本棚から一冊を取り出し、表紙に付けられた金属製の鍵穴に差し込んだ。
鍵が回され、表紙が開かれる。真ん中から開いたページにはめ込まれた《魔導回路》にギュンターが手をかざすと、中央の水晶が柔らかな光を放った。
その間、一同は無言のまま、自分たちが入ってきた書斎の扉を見つめている。光が収まり、ギュンターが鍵を懐にしまい終えると、ブレスナハン伯爵が扉へ手を掛け、開いた。
その向こうにあるのは、今しがた通った廊下ではなく、石造りの堅牢な聖堂である。
高い天井を見上げても、窓がひとつも見当たらない。それでも左右の壁に均等に配された灯火のおかげで、充分に明るい空間が広がっている。
突き当たり設けられた小さな祭壇に、火の付いていない燭台が左右に二つずつ。
その祭壇の前に立つのは、黒いフードを目深にかぶった長身の男だ。背後に控えるのはエルフリーデとクラリス、そして莫耶を背におったトーマ。
十三人の男たちは一斉に彼の前に膝をつき、頭をたれた。
「我が命は祖国とともに」
斉唱と同時にフードが外される。美しい金色の髪が輝き、憂いをおびた眼差しが一同を見下ろした。
皇太子、フェリックス・ゲオルギウス・クリストファー・フォン・カルタリア。彼こそがこの集まりの真の主導者であり、《真の愛国者たち》の希望であった。
「みな、よく集まってくれた。久しぶりの集いだ。あまり時間は無いが、有益なものにしたい。席に着いてくれ」
一同が簡素な木椅子に着席すると、フェリックスは祭壇の前にある説教台に立ち、静かに語り出した。
「残念なことだが、前回の集まりより状況はより悪くなっている。いまや誰が見ても明らかだ。父は政務を行える状態ではない。心あるものなら思うだろう。然るべき手順に従い、父には玉座を降りていただき、ゆっくりと静養していただく」
フェリックスはそこで言葉を切り、一同の反応を確かめた。
「しかし彼らは違う。王の不調を良いことに政を自分たちの良いように弄び、権力を肥大させるばかりだ。
本来なら、民のためにある魔術が、彼らを肥え太らせる醜い道具に成り果てた。ここまで彼らを増長させてしまったのは、皇太子である私の不甲斐なさでもある」
口調こそ静かであったが、やるせない怒りが潜んでいた。《協会》への怒り、そして無力な己への怒りが。
「しかし、悪いことばかりでは無かった。事態が大きく動いている。私の後ろに控えているトーマ、彼はベドガーが公爵に残した《莫耶》の後継者だ。
彼が我々に加わったことは非常に大きな意味を持つ。だからこそ、むこうもパシャを我々に仕掛けてくるという、思い切った手段に出たのだと思う」
皆が大きく頷いて、賛同の意を示す。フェリックスは大きく息を吐き、言葉を継いだ。
「慎重さはもちろん必要だ。しかし出来ればこの勢いに乗りたい。今こそ大賢者ベドガーが理想とした、全ての民が魔術の恩恵にあずかる世の中にしたい。それには《協会》の存在意義を根底から揺さぶらなくてはならないだろう」
「しかし……」
後列に座っていた初老の男が口を挟む。
「魔術が使える《協会》と我々とでは、力の差は歴然です。それを根底から揺るがせるとは、なにか余程の切り札があるのでしょうな」
「ウインター伯爵、それについては私からご説明いたしましょう」
前列に座っていたブレスナハン伯爵が挙手した。リチャードの父親だが、髪が赤いことを除けばあまり似ていない。中肉中背で頭髪は薄く、容姿も人並み。
リチャードの長身かつ眉目秀麗さは、社交界の花と称えられた母親譲りであった。
フェリックスと交代する形で説教台に立ったブレスナハン伯爵が、一同の期待を含んだ眼差しを見つめ返す。
「そもそも、我らが皇国の始まりを思い返して欲しいのです。初代皇帝・賢王カルタゴスのことを。
彼は戦争で疲弊した国を立て直そうと、魔術研究を奨励した。しかし、魔術を戦争の道具にすることをかたく禁じたはずです」
「新暦二十六年、カルタゴの勅令ですな」
ウインター伯爵と呼ばれた男が言った。
「《何人たりとも魔術を戦のために用いることをかたく禁ずる、武器の使用もこれにしたがう――と》」
ブレスナハンがうなずいた。
「ですが、その勅令は《協会》の創立後まもなく、皇太子の曾祖父であられたレオポルドによって廃止されております。いわく『勅令はカルタゴスの真意ではなかった』とのことで」
「そう、そこが問題なのだ」
フェリックスが口を開いた。
「《カルタゴの勅令》は大厄災の混乱で、原本が失われている。いや正確には盗まれたというべきか。
本来であれば、政務局の金庫に保管されてあるはずの最重要書類だ。だからこそ連中は、手続きを簡略して勅令を廃止できた」
そのことはトーマもエルフリーデから聞いて知っていた。勅令は皇帝の意思であり、最も尊ばれるべきもの。廃止はそう簡単にできるものではない。
しかし《カルタゴの勅令》ではたまたま原本が紛失したことを理由に、手続きは簡略され、あっさりと廃止が決まってしまった。その理由も、勅令はカルタゴスの本意ではなく、当時一大勢力であった《政魔分離派》への気兼ねでしかなかった――と。
《協会》の言い分は理不尽でしかなかったが、表立って反対するものはいなかった。
もし原本が存在すれば状況は違ったかもしれない。原本には、勅令が皇帝の真意であることを示す署名が刻まれているのだから。
「我々は、勅令が皇帝の真意であることを示す必要があるのです。それには行方不明になっている原本を入手困難しなくては」
ブレスナハンの言葉に、多くのものが困惑の表情を浮かべた。誰もがこう思っていたのである。恐らく、協会の手によって原本は人知れず破棄されているのではないか――と。
「皆の困惑ももっともだ。しかし、我々はここに来て、原本の行方について有力な情報を得たことを知らせたい」
フェリックスの発言にどよめきが起こった。
「皇太子、その情報源は、もしかして……」
立派な髭を蓄えた紳士が口を開いた。フェリックスはうなずき、
「推察の通り、ローゼンクロイツ親子からのものだ」
と答える。一同の視線が期待から懐疑的なそれになり、ほかの一人が奥歯に物の挟まった口調で言った。
「しかし……疑うわけではありませんが、ゲルド族の情報はいささか…… 」
「信じられぬと言うのか」
「彼らの《記憶》とやらが、今ひとつ分かりません。事実の裏付けが取れないので」
「たしかに仰ることはもっともです」
背後から聞こえた女の声に慌てて振り向くと、並んだ椅子の最後尾に男女が二人立っていた。
男の方は壮年で、精悍な髭面に雲つくような長身。額にも頬にもびっしりと、渦巻き模様の刺青が施されている。
女の方はまだ若い。おそらくはまだ十代だろう。しかし、笑みをたたえた視線がどこか老成したものを感じさせ、大人びた雰囲気をかもし出している。
額に施された刺青は太陽の下に月、そのまわりに輝く星たち。
精霊の加護を受けるための、巫女の血を引く少女に施される特別な意匠であった。
「私たちの《記憶》に疑問を持つのは当然のことです。《記憶》が幻視によってもたらされる以上、怪しげな辻占と紙一重なのですから。ですが……」
美しい翠眼が一同を見渡したのち、わずかに挑戦的な色を帯びる。
「私たちに情報を与えたのが、大賢者ベトガーだとしたら、その信頼性は高まるのではないかと」
今年最後の更新です。皆さまおつき合いありがとうごさいました。どうぞ良いお年を。




