手合わせの夜
手合わせ当日。
エルフリーデとトーマ、クラリスが《王立ローゼンクロイツ学院》の中央ホールに着いたのは、夜の六時半であった。
皇太子フィリックスは既に来ていて、リチャードもいっしょである。
フェリックスはにこやかに三人を出迎えた。
「やあこんばんは、今日は僕がこの手合わせの立ち会いをさせてもらう。リチャードは僕の護衛として一緒に来てもらった。構わないね」
「もちろんよ、それから……」
フリーデが言い終わらぬうちに、莫耶がみなの頭上にあらわれ、ふわりと床に降り立った。
「なんじゃ、妾がこうして出てこられるということは、ここは魔法が使えるのか」
「君が莫耶か。フリーデから聞いていたが、たしかに美しい方だ」
驚くフェリックスとリチャードに、莫耶は貴婦人よろしく優雅な仕草で右手を差し出した。
「さすがは公爵殿がみこんだだけのことはある。そう、妾が莫耶じゃ、以後よしなに」
「伝説の剣と伺っております。こうしてお目通りできるのは光栄の極み」
最初にフェリックスが、続けてリチャードが莫耶の右手をとり、腰をかがめて一礼する。
「しかし、以前トーマと一緒にここに来たときは、建物のなかは魔法が使えないはずであったが」
「夜はセキュリティの関係もあって、魔法消去装置を切っているんだ。明るいと泥棒にも入られないからね」
フェリックスがホールの天井を仰ぐ。
天井には美しいステンドグラスの薔薇窓がはめ込まれていたが、その窓が柔らかな光りを放っていた。おかげでホールは昼のように明るく、《夜の学校》が連想させるおどろおどろしさとは無縁だ。
「でも魔法が使えるからといって、ここでうっかり使わないように。感知されると即座に警報が鳴って、特殊訓練を受けた魔道士たちが駆けつけるから」
「ここは、いつもこんなに明るいんですか」
トーマが訊ねる。
「これは単なる灯りじゃないんだ。許可なく侵入されないための防犯装置でね。君たちはここに入る前、手のひらに印をつけられただろ」
夜間に校内に入るには、校門で許可証をもらう必要がある。
門番が手にするのは、先端に《魔導回路》が埋め込まれた水晶の棒だ。シジルが放つ光を手のひらに当てると、十字に薔薇の重なったシンボルが浮き上がった。
学院の校章で、これが許可証とのこと。
トーマがうなずいて手のひらを見せた。一見すると入れ墨のように見えるが、明日になれば自然に消えるらしい。
「その印がない人間が勝手に入ると、警報がなる仕組みだ。図書館には貴重な文献が保管されているし、太古の魔法道具が発見されずに眠っているという噂もある。
大厄災のあと、それらを狙った連中が、昔は何度も侵入を試みたそうだ。もっとも防御魔法が生きていたせいで、全て失敗に終わったそうけど」
「フェリックス、おしゃべりはそこまでにして、さっさとやることを済まそうぜ」
莫耶をお姫さまだっこしたリチャードが、皇太子をうながす。抱かれた方の莫耶はご満悦の表情だ。
「トーマ、言っていなかったが、妾は赤毛の美丈夫が好みでの」
扇をつかいながら、艶然と笑みを浮かべている。
「ば、莫耶……リチャードさん、すみません」
「俺はべつに構わないぜ、こんな美人をだっこできるなんて、こいつに付き合った甲斐があったってものさ」
リチャードの言葉に皇太子は苦笑した。
「ごめんよ、リチャード。彼は今晩デートの予定があったのを、僕のためにキャンセルしてくれてね。君の言うとおりだ、闘技室に向かおう」
一同はフェリックスの先導で長い廊下を歩き始めた。
飴色の木床は歩くたびにギシギシと音が鳴る。両脇には古びた石壁と、年季の入った木製扉。
突き当たりを右に曲がると、また同じような古びた石壁と木の扉が並んでいた。
「なんぞ、同じところを歩かされているような気がするが」
「心配ないぜ、足元を見てみろよ」
リチャードの言うとおりだった。一行の歩く足元を光の筋が先導し、道を示している。
「初めて見たわ。これも防犯のためね」
フリーデが感心したように言った。彼女自身、この時間に学院を訪れたのは初めてらしい。
「そのとおり。この扉をくぐれば、目的地だ」
皇太子が把手に手を掛け、扉を開けた。その先は闘技場で、広さはテニスコート四つ分くらい。周囲にしつらえられた観覧席から見下ろすような造りになっている。
「いまの時間、僕たち以外には誰もいない。心置きなく戦ってくれ」
「ありがとうございます、皇太子さま。わたくしなどのために」
深々と頭を下げるクラリスに、フェリックスはかぶりを振った。
「礼には及ばないよ。フリーデは僕にとっても大切な存在だ。大切な人を守ってくれる君の頼みなら断れない。
ところでトーマとクラリス。僕はこの手合わせの立会人だ。立会人は手合わせのルールを決めることが出来るのは、知っているかな」
うなずくクラリスに対し、初めて聞いたという表情のトーマ。
「では説明しよう。立会人はこの手合わせがなるべくフェアな条件でなされるよう、ルールを決めることができる。
まず、クラリスとトーマには明らかな経験の差がある。幼いときから剣の腕を磨いたクラリスに対し、トーマはようやく最近鍛錬を始めたばかり、この差は明らかだ」
フェリックスはそう言って右手の人差し指を立て、
「だが一方、トーマには莫耶という希代の名剣がある。彼女は魔法をいともたやすく使うことが出来て、トーマのなかに入れば、身体を自在に操ることも可能だ。これはトーマにとって大きく有利だね」
続けて左手の人差し指を立てたフェリックスに、莫耶が抗議した。
相変わらずリチャードに抱かれた格好で、たたんだ扇子をフェリックスに突きだした。
「言っておくが妾はこの勝負に手を出さんと決めておる。だからこそ、あやつを厳しくしごいてきたのだ」
「それでも彼が万が一、命の危険にさらされたら、助けないという保証はないからね。それで用意したのがこれさ」
フェリックスが指さした先には金属製の箱が置かれている。銀色に光るそれは、トーマの世界でいうところのアルミコンテナによく似ている。
蓋には大きなシジルがはめ込まれ、おそらくこれが鍵なのだろう。
「この箱の素材は魔法防壁で、どんな魔力も通さない。この箱に莫耶とクラリスの双剣を保管させてもらう」
「つまり、莫耶の魔法を封じ、クラリスが使い慣れた武器を使わないことで、お互いの実力差を埋めると言うこと?」
フリーデの問いにフェリックスがうなずく。
「そういうことになるね、もちろん、代わりの武器はこちらで用意させてもらった」
手を蓋にはめ込まれたシジルにかざす。中央の水晶が光ると、カチリと音がして蓋がゆっくりと開いた。
「とりあえず王宮のコレクションから持ち出してきた。細剣に直剣、莫耶に似た東方の剣もある。もちろん、クラリスが使い慣れた双短剣もね」
「よくまあ、思いきったことをしたものね、王宮のコレクションを持ち出すなんて」
呆れた表情のフリーデに、フェリックスはおどけるように肩をすくめて見せた。
「どうせ飾っているだけのものだからね。それにこれは王族の個人所有だから、持ち出したところで誰に文句を言われる筋合いもないさ」
「で、ですが……このような貴重なものを、恐れ多すぎて……」
尻込みするクラリスの肩に、フリーデが手を置いた。
「気にすることないわ。遠慮なく使いなさいな」
「ふうむ、これはなかなかの名品揃いじゃのお、この細剣はずいぶんと軽いが、いったい素材はなんなのじゃ」
勝手に細剣を取り出し、しげしげと眺めたあと、莫耶が訊ねた。
「それは大厄災以前、魔法使いが鍛えたと言われている古い剣だ。剣に魔力はないのだけど、素材はいまだに解明されていない。天才が独自に作った合金だと言われている。その技術がいまに伝えられていないのは、ひどく残念だね」
「仕方あるまい、魔法使いは得てして秘密主義じゃ。たとえ大厄災がなくとも、今に伝えられたかどうか」
トーマが選んだのは東方式の剣だ。造りがどこか莫耶に似て、ほどよく手になじむ。
クラリスは双短剣。太古の昔、ゲルド族の長から贈られたというそれには円や三角、波模様を組み合わせた美しい装飾が施されていた。
聞けば、これらは彼らが崇拝する自然の神々を表し、彼らの加護を得るためのものらしい。
「ゲルド族は定住をせず、旅商で生計をたてているの。危険と隣り合わせだから、男女ともに武術に優れ、勇猛な民族として名高いわ」
フリーデはトーマに説明したあと、莫耶に向き直った。
「じゃあ莫耶、申し訳ないけど」
「ふん、分かっておるわ」
彼女の姿が剣のそれになり、フリーデの手に収まった。
「じゃあトーマ、彼女をしまうわね」
莫耶、続けてクラリスの双剣が収められ、フェリックスによって厳重に封印された。
カチリ。
静寂にひびくかわいた音が、否応なしにトーマの緊張を高めた。深呼吸をして自分に言い聞かせる。
大丈夫だ。莫耶の言った作戦通りにすれば、少なくとも死ぬことはない。
それにしても、どうも腑に落ちなかった。たしかに使い慣れた武器を使えないというのは、クラリスにとってはハンデかもしれない。
しかしそれはトーマにとっても同じで、これはフェアな戦いとは言えないのではないか。
もっとも、実力が開きすぎているのは最初から承知の上。クラリスに少しでもハンデを与えたのは、やはりフェリックスの配慮なのだろう。
そんなことを考えながら、指定された位置についた。次第に心臓の音が高まり、指先が震えてくる。目を閉じ、勁を全身にめぐらせながら心を落ち着けようとした。
落ち着け、落ち着け、落ち着け、俺――。
「トーマ、莫耶から頼まれていたのだけど」
フリーデの問いかけに目を開けると、眼前にあの薬瓶が突き出されていた。見覚えのある毒々しい緑色に、トーマは思い切り後ずさる。
「そ、それって……」
「莫耶が『厳しい稽古ゆえ、トーマは疲れているようじゃ。これでは実力の半分も出せるかどうか。お主の疲労回復剤が是非とも必要じゃ。手合わせの直前に、忘れず飲ませてくれ』って」
「いや、でも……」
前回それを飲んだ時は記憶をなくして、気がついたらベッドに寝ていた。カートやリーゼロッテの話では、気を失って運ばれたらしい。
目覚めた時は身体がとても軽く、それまでの疲労が嘘のように消えていた。
たしかに効果はあったのだろう。しかし、大切な手合わせの前に気絶するようなことは避けたい。
「なによ、その顔。ちゃんと調合しなおして、こないだみたいなことにならないよう、改良に改良を重ねたのよ。四の五の言わずに飲みなさい」
「は、はい……」
覚悟を決めるしかなかった。薬瓶を受け取り、封のシジルに開けと念じて蓋を開ける。
冷たいガラス容器を唇に当て、一気に喉へと流し込んだ。
「……」
フリーデとクラリス、フェリックスが固唾を呑んで見守るなか(このなかで事情を知らないのはリチャードだけであった)、虚空を見つめていたトーマがフリーデへと視線を戻し、爽やかな笑顔を向けた。
「とても美味しいですよ。ありがとうこざいます」




