鍛錬と胡麻団子
休憩のあとは念願の打ち合いである。
莫耶は《莫耶剣》、一方トーマと言えば。
「ハタキの柄ってどう考えてもおかしいだろ」
不満を露わに抗議した。
手に握られているのは物置小屋にあったハタキで、柄がちょうど剣のそれと同じ長さと太さ。もちろん、剣よりはるかに軽い。
「お主は分かっておらんの。素人がいきなり剣なぞ手にしてみろ。振り回すのが精いっぱい、持て余すのがオチだわ」
「だからって」
「達人はあらゆるものを武器にする。扱いを心得れば、ハタキとて立派な獲物となろう。まずは握り方と身体の使い方を覚えよ」
まずは握り方。
親指と人差し指で柄を握り、ほかの三本の指は添えるだけ。
あまりにも軽い握り方に、トーマは疑わしげな顔をする。
「こんなんで、本当に戦えるのか」
「強く握れば余計な力が入る。大切なのは脱力、お主の腕と剣はしなやかな鞭のようなもの」
「でも鞭とはちがうだろ」
「あくまでも例えだ。勁の行き届いた剣は、自分の腕と区別が付かないほど一体となる。そこまでとは言わぬが、さわりくらいは習得せねばな」
莫耶はトーマの向かい合わせに立ち、鞘に収めたままの剣を向けた。
「さ、どこからでも良い、好きなだけ打ち込め。なるべく優しく教えてやるからありがたく思うのだぞ」
機嫌がいいのは、休憩中に書斎でワインをたしなんだせいだ。
「お手柔らかに頼むよ」
思いきって踏み込み、渾身の力を込めて握ったハタキを莫耶へと――。
* * *
どこが優しいんだよ、大嘘つき。
そう抗議したかったが力がでない。床に大の字に伸びて、意識は遠くなりかけている。
手も足も出なかった。打ち込みは軽くいなされ、あちこちいいだけ打たれただけだ。
莫耶の打ち込みは軽いのに、恐ろしいほど骨に響く。鈍い痛みが熱を持ち、全身を覆っていた。
「まあ最初にしては動きはなかなかのものじゃった。今日はここまでじゃ。あとはゆっくり休め」
莫耶の扇がトーマの額に触れる。すこしだけ身体が楽になり、ようやく言葉が出てきた。
「痛い。どこか折れたかもしれない」
「そんなはずはない。妾は優しく撫でたくらいの力しか込めておらんぞ」
「その割にはすげー痛いんだけど」
「勁をのせた打ち込みは軽いが骨に響く。身体でよーく実感できたじゃろ」
「確かに実感できた。ひと月後に死んでそうだけど」
「案ずるな、その点も考えてある」
修練場の扉が開く音がして、
「トーマくん、大丈夫?」
リーゼロッテの声がした。
本当なら格好つけて涼しい顔で大丈夫だと言いたいところだ。しかし今のトーマに見栄を張る余裕もなく、寝そべったままの格好で
「あまり大丈夫じゃないです」
とかすれ声で答える。
「そのまま寝ていて。いま治してあげるから」
「だけど、それじゃリーゼさんが」
「いいからいいから」
右胸に手が置かれ、温かな光が体内へと染みわたっていく。光が細胞のひとつひとつを目覚めさせ、痛みと熱が消えると、かわりに活力がわき起こってきた。
「どう? 少し楽になったかしら」
「は、はい……とても……」
トーマは視線でリーゼの胸元を追った。下から眺める豊満な膨らみはまさに眼福だ。あれだけさんざん痛い目に遭ったのだ、これくらいの役得があってもいい。
「どう、こんな感じで。動けそう?」
「嘘みたいに軽くなりました。すごいですね」
「良かった」
顔の前で両手のひらを合わせ、心底嬉しそうな顔になる。その表情が少女のようで可愛らしい。
「もし、また役に立てることがあったら、遠慮なく言ってね。私のことは気にしないでいいわ」
「でも力を使うと、リーゼさんに負担がかかるんですよね」
「これくらいならどうってことないもの。カートは大げさなんだから。心配なのはむしろカートの方。ああ見えて心臓に持病があるから」
――俺もリーゼも三年前の国境戦で操縦士としてダメになっちまった。
カートがそう言っていたのを思いだす。
「それって、魔導兵器のせいですよね」
「ええ。操縦は心臓にひどく負担をかけるの。彼が助かったのは奇跡に近いわ。立てる?」
リーゼの手を借りて起き上がった。
「意外と、力ありますよね」
「軍にいたときは毎日鍛えられていたから。もっとも私は覚えていないんだけど」
修練場からもどりつつ、リーゼロッテは教えてくれた。
三年前の国境戦のこと。操縦していた魔導装甲が暴走し、カートもリーゼも九死に一生を得た。カートは心臓をひどく痛め、そしてリーゼは脳の一部を損傷して記憶を失う。
「だから軍にいたときのことはぜんぜん覚えていない。今のもカートに聞いたこと。もっとも兵士はみな精神操作を受けているから、たいした記憶もないんだけどね。むしろ忘れたいことの方が多かったのかも」
「人を癒やすのには、理由があるんですか」
「そうねえ……」
リーゼは頬にかかる髪をかきあげ、明るいブラウンの瞳を細めた。
「私なりの、贖罪かな」
* * *
使用人たちで遅い夕食をとったあと、トーマは執事のメイソンに執務室に来るよう命じられた。
心当たりならある。おそらく、昼間のパシャとのいざこざが彼の耳に入ったのだろう。
ぜったいに叱られる。なにしろ元奴隷の東方人が名誉貴族を殴ったのだ。上下関係をなにより重んじるメイソンにしてみれば噴飯ものである。
明日も早いし、鍛錬がある。なるべく長いお説教になりませんようにと祈りながら廊下を歩いた。
大きな屋敷だけあって、執事の執務室もなかなか立派なものだ。メイソンだけかとおもいきや家政婦長のフラウ・マイヤーもいて、にこやかにトーマを出迎える。
「こうして呼び出された理由は分かっているのだろうな」
机はいかにも重厚な木製で、磨かれてつややかに光っていた。その上に組んだ両手をのせ、トーマを鋭く見つめる。
「はい……その……パシャとのこと、ですよね」
「パシャさまだ。相手は名誉貴族、呼び捨てはまかりならん」
「はい、分かりました」
「それで……だ……」
メイソンは軽く咳払いをした。
いったいなにを言われるのか――トーマは身をすくめ、室内にぎこちない沈黙が流れる。
いびつな空気に耐えかねたのか、とうとうフラウ・マイヤーが口を開いた。
「メイソンさん、はっきり言わなくちゃ、トーマが困っているでしょう」
「あ……ああ……そうだな」
軽いため息をついて、執事はトーマから視線を逸らす。
「正直なところ、私は君のことを信用していない。だが、これだけは伝えておく。クラリスを守ってくれたこと、礼を言う」
「メイソンさん」
「べつに君に好かれようと思っていない。しかし、彼女の尊厳を守ってくれたことには素直に感謝する。私が言いたいのはこれだけだ」
「はい」
安堵と同時に嬉しさがこみあげた。
もしかすると、この人は自分が考えているよりいい人なのかもしれない。
「ではもう戻りたまえ。これ以上君と話すこともない。さっさと出ていくんだな」
「それでは私も失礼するわ。トーマくん、一緒に行きましょ」
「お、おい。なにも君まで出ていくことはないだろう」
執事が止めるのも聞かず、フラウ・マイヤーはトーマと一緒に部屋を出た。後ろ手で扉を閉めると、
「まったく、あんな言い方しか出来ないんだから」
とトーマに肩をすくめてみせる。
「メイソンさん、言っていたわ。もしその場に自分がいたら、きっと同じ事をしたって」
「あのメイソンさんが」
「クラリスはいい子よ。彼女のことは、メイソンさんも気に掛けているわ。それだけに、とても腹立たしかったでしょうね」
「俺、すこしは役に立てたんですね」
「ええ。でもあまり感情に身を任せないようにね。今回はフェリックスさまが取りなしてくださったけど、いつもそんなに上手く行くとは限らないのだから」
心から心配してくれているのだろう。こちらを見上げるフラウ・マイヤーにトーマは力強くうなずいた。
「はい、肝に銘じます」
「明日も早いのでしょう、もう休みなさいな」
フラウ・マイヤーと別れ、自室に戻る足取りは軽やかだった。
メイソンに礼を言われたのも嬉しいし、フラウ・マイヤーの心遣いもありがたい。
ようやくこの屋敷が自分の居場所だと、実感できたような気がした。
自室へ行くと、さっそくカートにこのことを話す。カートは嬉しそうに
「へえ、メイソンさんがなあ。お前、やったじゃねえか」
と枕を叩いた。
「でも俺のことはまだ信用してないって、言われちゃいましたけどね」
「そのうち変るさ。お前のことを良く思っていない連中も、これで少しは違ってくるかもな」
疲れていたのでベッドに入ると同時に眠りにつく。
そしてトーマは奇妙な夢を見た。
* * *
汚い黒の毛皮だと思ったら、なんと猫である。あくびをしながら伸びをすると、床にちょんと座り、銀色の瞳でこちらを物欲しげに眺めた。
「なんだ、お前、お腹すいてるの?」
見たことのない猫だった。色街で猫は珍しくないが、三毛や白が好まれるせいか黒猫はあまり見かけない。他の姐さんに飼われている訳でもなさそうだ。
「ちょっと待ってて。これ食べるかな」
小卓から冷めた饅頭を取り、小さくちぎって猫の前に置いた。はじめはこわごわ匂いを嗅いでいたが、食べ物と理解したのか勢いよくがっつきはじめる。
「お腹がすいてたんだね。全部あげるから、慌てて食べなくてもいいよ」
皿の上の饅頭を食べやすいように崩した。
客からのもらいものだが、さいきん身体がひどくだるく、食欲も湧かない日々が続いている。猫は皿に覆い被さり、さも美味そうにかぶりついた。
怖がらせぬよう、首筋の毛にそっと触れてみる。柔らかく、温かい。
むかし摩尼寺にいたときは、寺に猫の家族が住み着いていて、嘉殷や珠璃と一緒に可愛がっていたものだ。
そう考えると今の自分が情けなくなり、少年は思わず涙ぐんでしまった。
感情が高ぶるといつも咳が出る。いったん出るとなかなか鎮まらず、少年は床に突っ伏して口元を手巾で抑える。
もし病気なのが楼主に知られれば、ここを身一つで追い出されるに決まっていた。
ようやく咳がしずまり、口元から手巾を離して愕然とした。白い布が真っ赤に染まり、赤い花が咲いたようだ。
全身から血の気がひいて、手が震える。そんな少年の膝に黒猫が身を寄せ、甘えるような声で鳴いた。
「僕のこと……慰めてくれるの? いい子だね」
耳元をかくと嬉しそうに身体をこすりつける。自然と心が穏やかになり、目尻に浮いた涙を拭った。
「僕、ここで黒猫って呼ばれてるんだ。この名前、あんまり好きじゃなかったけど、悪くないかも」
少年はこの猫に名前をつけたいと思った。
《長三》(妓女の最高ランク)を勤めている久遠姐さんは、《白雪》と名付けた真っ白な猫を飼っている。《白雪》は姐さんにとって唯一の家族なのだと言っていた。
「名前……なにがいいかな」
考えていると胸がわくわくした。ここにきて楽しいことなど数えるほどしかなかったが、この猫が自分に日々の喜びをもたらしてくれるような気がしたのだ。
この猫がいれば、嫌でたまらないお勤めも少しは楽に思えるかもしれない。
「そうだ、《胡麻団子》はどうかな。初めてみたとき、丸まった姿が黒い胡麻団子にそっくりだった」
猫は興味なさそうに耳元をかいてあくびをする。そのとき廊下から足音が聞こえた。あの機嫌の悪そうな歩き方は楼主にちがいない。
黒猫はすばやく窓へ駆け寄ると
ひらり。
軽々と窓から隣の屋根へと伝い、あっという間に姿が見えなくなった。
「マーチュウよろしくね。また来てくれると嬉しいな」




