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站椿功(たんとうこう)

「で……これがその厳しい鍛錬ってやつなのか」


 修練場の真ん中に立ち、トーマは莫耶に不満を漏らした。

 肩幅に足を開いて立ち、膝を少し折り曲げる。

 背筋はまっすぐ。両手は身体の前で、弧を描きながら指先を近づける。まるで見えない大きな玉を抱えているように。


「なんじゃ、不満なのか」


「いや、鍛錬って言うからさ、剣で打ち合うのかなって」


 莫耶は呆れた表情になり、鞘に収めた《莫耶剣》でトーマの背筋をなぞった。


「おぬし、話は最後まで聞け。この姿勢で己のなかにある勁を意識し、鍛えるのだ。これぞ《站椿功(たんとうこう)》、武術を学ぶ上で大切な基礎の基礎じゃ」


「はあ……」


「よいか、お主、こんな姿勢でじっとしているだけなんてつまらないと思うな。呼吸を意識し、勁をまわす。止まっているようにみえるが、実のところ、勁はお主のなかで激しく動いているのだ。

 つまり、静のなかに動をつくる。逆もまた然りだ。これが上手く出来るようになれば套路(とうろ)を教えてやる。

 套路は動いておるが、しかし同時に静を内包している。武術において静と動は表裏一体であることを忘れるな。《站椿功》はそれを頭ではなく身体で実感するのだ」

 

 正直なところ話の半分も理解できないが、


「う、うん」


 素直にうなずいた。


「さきほど教えたとおりにやればよいのじゃ。意識を集中し、呼吸と勁の動きを同調させる。

 その結果、心は湖のように静かになり、宇宙の声が聞こえるようになる。立つ瞑想とも呼ばれている所以だの」


「わかった。やってみるよ」


 トーマは大きく息を吸い、息を吐いた。

 呼吸をするたび、身体のなかを流れる勁を下へと落とし、体重を足裏へとかける。


 ゆっくりと呼吸し、自分が大きな樹になった姿を想像した。足から根が生え、根はどんどん深い地中へと。


 大地と自分のつながりを感じたら、地脈から力がわき上がる。大地から吸い上げた強い勁が身体を巡り、呼吸と同時に……。


「つ、疲れる……」


 両腕を下ろし、床にへたり込んだ。ただじっと同じ姿勢を取っているだけなのに、汗が噴き出してくる。泳いだプールから上がったみたいに身体が重く、指先がかすかに震えた。


「身体に余計な力が入りすぎているな。勁をまわすことに頭を使わず、もっとゆだねるのだ。


 お主は大地、どれほど勁が激しく暴れようが大地は全てをのみ込む。ゆだねることで自然に流れが生まれ、その流れにのればよいだけ」


「良いだけ……って簡単に言うけどさあ」


 莫耶は漢服の袖をひるがえし、扇を取り出して開く。


「なにごとも実践あるのみ、さ、もう一度やるぞ」



 * * *



 一時間後。

 ようやく休んで良いとの許しを得て、トーマは床へと倒れ込んだ。


 限界のきていた膝も指先も感覚がなくなっていたが、身内に熱の塊が渦巻いていて、それを上手く処理できないもどかしさ。


 高い天井を眺めながら、なぜこんな簡単なことが出来ないのかと悔しさが募っていく。

 地脈から吸い上げた勁を呼吸と同時にまわす。しかしどうしても上手くイメージできない。


 身体のなかに力が湧いてくるのは実感するのだが、いざ勁をまわそうとすると、とたんに手応えがなくなってしまう。


「うーむ、これでつまづくとは前途多難だの。頭でいろいろ考えすぎなのだ」


 顔をのぞき込む莫耶に、倒れた姿勢のまま、口だけ動かして反論する。


「仕方ないだろ、こっちは魔法とは無縁の世界から来たんだし」


「瞑想もないのか」


「そういうのは、ちょっとスピリチュアルな人がやるってイメージだな」


 莫耶が何か言いかけたとき、


「ちょっといいかしら」


 フリーデが修練場の扉を開け、顔をのぞかせた。


「おお、ちょうど良い、この男を励ましてやれ。基礎の基礎でつまづいておるのだ」


「おい、余計なこと言うなって!」


 さすがにかっこ悪く、トーマが慌てて上体を起こす。しかし目眩をおこして再び床に伸びてしまった。


 そのトーマに大股で近寄り、身体をまたいで覆い被さる格好になる。感情の読めない表情で、じっとトーマを見下ろした。


「あの……なんでしょう……か?」


「忘れないように見ておこうと思って」


「え?」


「お前が死んでも、お情けで忘れないようにしてあげる。だからこうして顔を見ておくわ」


 なんとも情けない言われようである。男のプライドもへったくれもない。


「エルフリーデ、トーマを起こしてやってくれんか」


 莫耶が言って、フリーデがトーマの両手首を掴んだ。

 その瞬間、信じられないほど身体が軽くなったのを覚え、トーマは勢いよく起き上がる。

 まるで背中に羽が生えたみたいだ。指先と膝のしびれも嘘のように消えて、そのかわりに全身に勁が巡っているのを感じた。


「どうしたのよ、急に」


「は、どうやらちょっとした助けが必要のようじゃの。エルフリーデ、どうせ暇じゃろ。お主も手伝え」


 莫耶は広げた扇で顔をあおぎ、床にあぐらをくむ姿勢で腰を下ろした。


「どうせ……という言い方が気に入らないけど、時間はあるわ」


「トーマ、フリーデと向かい合わせになって座れ」


 莫耶が二人に指示し、床に向かい合わせで座らせる。言われるがまま、フリーデは左手のひらを天井に向けてトーマに差し出した。


「次はトーマが右手を下に向けて、フリーデの手のひらの上にかざす。離れすぎじゃ、もっと寄せろ」


 心臓の音をフリーデに聞かれるんじゃないかと冷や汗が出る。


 自分がかざした手のひらのすぐ下に彼女の手があって、もうすこし近かったら触れあいそうだ。

 フリーデがじっと顔を見ているのを意識しながら、自分の手から視線を外せなかった。


「まずはフリーデじゃ。呼吸と同時に力が手のひらへと流れ、それが(こご)って光りの珠となる。


 なるべく具体的に想像できればなお良い。できるか?」


「出来るわよ、そんなの簡単じゃない」


「その簡単なことが、トーマには難しいのだ。手伝ってやってくれ」


「分かったわ。仕方ないけど、ダメ下僕に付き合ってあげる」


 まぶたを伏せ、フリーデが大きく呼吸する。

 彼女が大きく息を吸い、吐いて、それにつられて胸元が上下した。目を奪われかけたトーマの頭を莫耶の扇子がピシリと打つ。


(真面目にやらんか。お主も目を閉じ、フリーデの呼吸に息を合わせよ)


 叱咤され、右手に意識を集中した。目を閉じ、フリーデの呼吸に耳をすませる。

 やがて右手のひらがほのかな熱を感じ、その感覚を逃さぬよう指先の隅々にまで細心の注意を払った。


 いつしかトーマとフリーデの呼吸が同調し、互いの手のひらが確かな熱を帯びたなにかに触れる。


 トーマが思わず目を開けると、フリーデと目が合った。おそらく彼女もおなじ感覚を覚えたのだろう。二人の手のひらがつくる空間に目を凝らしている。


 一見すればなにもない。しかし柔らかな熱を帯びたそれは、まちがいなくそこに存在していた。


「温かい」


「よし二人の勁を合わせることには成功したな。次はトーマ、それを右手から身体へ通し、左手から出してフリーデに渡せ」


「ええー? 難しいよ」


「なに弱気なことを言っているのよ。私が付き合ってあげているのだから、もっと自信を持ちなさい」


 フリーデは右手でトーマの左手をとり、しっかり握りしめた。


「ほら、やってみて。お前なら出来るわ」


 握られた左手が熱い。うるさく鳴る心臓をなんとか鎮め、目を閉じて右手の熱に再び意識を向ける。


 息を吸っては吐く。呼吸と同時に、熱を手のひらから身体の中心へとゆっくり移動させた。


 みぞおちから丹田、そして四肢の隅々まで。


 己のなかに生まれた流れをトーマはそっとたぐり寄せ、呼吸と共に意識をゆだねる。体内を巡った熱はいつしか光の珠となり、トーマの左手からフリーデへと渡された。



 * * *



 フリーデからトーマ、そしてまたフリーデへ。


(信じられん、こうも上手く行くとは)


 莫耶には二人を循環する勁の流れが見えている。トーマもフリーデも意識を勁へ集中させて微動だにせず、完全に無我の境地へ入っていた。


(しかし、あまり長くこの状態でいるのは危険。そろそろ呼び戻した方が良いじゃろうな)


 閉じた扇をトーマの背に当て、目覚めの勁を当てようとした瞬間。


「!?」


 どこかで女がすすり泣いていた。

 身体の奥から振り絞るような泣き方で、それはひどく莫耶を心許なくさせる。


 周囲を検めたが異状はなく、莫耶は目を閉じ、嗚咽に耳をすませた。


 トーマ、ごめんなさい。私の……せいで……。


 声の印象ではまだ二十代というところか。

 そして自分はこの声に聞き覚えがある。しかしそれが誰だったか思い出せない。


 ごめん、ごめんね……。○○は……わたしが……。


 声は莫耶の耳元で聞こえた。誰かがトーマに必死になって謝っている。

 これはトーマも知らない、トーマのなかの記憶なのか。


 だとしたら何故、この声の主に既視感を覚える? トーマとは会って間もないはずなのに。

 この声が謝っているトーマとはいったい誰なのだ?


(惑わされるな、考えるのは後じゃ)


 莫耶は己を一喝し、トーマの背にすかさず勁を発した。


「うわ!」


 トーマが驚いた声を上げる。時を同じくしてフリーデも目を開け、大きなため息をついた。


「今のは……誰だったの……?」


 フリーデはトーマの顔をのぞき込んだ。探るような視線を受け止め、トーマは困惑した表情で顔を横に振る。


「ごめん、分からない」


「まあ、勁をまわすのは上手くいった。正直なところ、ここまで出来るとは思わなんだ。ずいぶんな成果じゃ。フリーデ、礼を言うぞ。ご苦労じゃったな。もう戻ってよい、お主も疲れたであろう」


 フリーデは何か言いかけたが、黙って立ち上がり、修練場を出ていった。


「ありがとう、莫耶」


「礼にはおよばん。お主はあの声に心当たりがあるのだな」


「うん、でも誰だったか思い出せないんだ。ほら俺、こっちに来てから、前の世界のことがいろいろ思い出せなくなってるって言ったろ。たぶん、今のもそうだ」


「お主の母親か姉ということか」


「どっちでもない……絶対って確信が持てないけど」


 その声に自分も聞き覚えがある――そう告げることも出来たが、莫耶はそうしなかった。


 考えても仕方ないことに時間は割けない。とりあえず、いまはこのへなちょことを死なない程度に鍛え上げなければならないのだから。


「まあよい、三十分ほど休憩する。妾も少し休むとするか。ちっとばかり酒が欲しいのう」


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