5話
「マッチ売りの少女!」
それはマッチ売りの少女だった。マッチ売りの少女は俺とマッチ売りの社長の間に立つと非難するような目でマッチ売りの社長を見た。
「お父様、何をしてるんですか」
「何をしているかだと? お前が惚れたという男を見に来ただけだが?」
「な、な、な――」
マッチ売りの社長がさらりと言うと、マッチ売りの少女の顔がみるみる赤くなっていく。
「どうせ奥手なお前では異世界の男をものにする事など絶対に出来ないだろうからな。手を貸してやろうと思ったのだ。何しろ住む世界が違うのでは満足に恋愛もできまい」
「よ、余計なお世話ですっ」
「何を言うんだ、パパはお前の事を思って――」
「だからって相手の弱みに付け込んで異世界転生させようとするなんて何考えてるんですか。彼にも人間界での人生があるんですよ」
「吹けば飛んでいくような人生だ。問題ない」
いや、まあそうかもしれないけどさ。見知らぬおっさんにそこまで言われる筋合いはないよな。
マッチ売りの少女とマッチ売りの社長の言い合いは俺が口を挟む隙間もないくらいにヒートアップしていた。
「何を怒っているんだ? とりあえずキープしておけばいいではないか」
「キープってそんな彼の事を物みたいに言わないでください!」
「大体一年も帰って来ずに、帰ってきたらいきなり好きな男とはどういう事だ。パパは寂しいぞ」
「一年帰って来れなかったのは、そういう風に社長が命令したからじゃないですか」
「今はプライベートな時間だ、社長はやめなさい。あれはマッチ売りの社長として厳しくする他なかったのだ。会社と家は別だ。わかるだろう?」
「それはまあ、わかりますけど。でも、だからってこんな勝手に」
「おお、そうだマッチ売りの少女よ。今、ちょうどこの男にお前に対して恋愛感情があるかどうかを訊いていた所なのだ」
「な、な、な――。何してるんですかマジでっ」
「いい機会だ。せっかくだからお前からも直接訊いてみるがいい」
「うぅ……」
とりあえず言い合いには終止符が打たれたようだった。マッチ売りの少女はチラリと俺の事を伺うと、
「あの、すみませんでした。父が迷惑をかけたみたいで」
申し訳なさそうに頭を下げた。
「まあ、気にすんな」
実の所あんまり迷惑だと思ってないしな。
「むしろありがたいくらいだ」
「ありがたい……ですか?」
「あんたにもう一度会いたかったんだが、こうして会う機会を作ってくれたからな」
「そ、そうですか」
マッチ売りの少女が目を泳がせながら頷く。
あのおっさんが現れなかったら、この先一生会う事も接点を持つ事すら出来なかっただろう。そういう意味ではむしろ感謝の感情すらある。
「あの、それで父が変な事を言ったんじゃないかと思うんですが……」
「ああ、マッチ売りの少女に恋愛感情があるかどうか訊かれたけど。こちらの一方的な好意で君を殺す事は出来ないからって」
「そ、そんな事まで……。わたしが好きだって事まで言っちゃったんですかっ」
マッチ売りの少女が非難するようにマッチ売りの社長を見ると、マッチ売りの社長が悪びれた様子もなく言った。
「それは娘よ。そこんとこ言わなきゃ訊けないだろう。何か問題があるのか? お前はその男の事が好きなのだろう。夜な夜なマッチを擦っては炎の中にその男の姿を映して見蕩れていたではないか」
「でも、告白くらい自分でしたかったです……」
「おお、そうだったか。それは、すまない事をした」
マッチ売りの少女が力なく言うのに、マッチ売りの社長が微かに眉を下げた。
「だが、先ほども言ったように異世界の男をものにするのは容易い事ではない。お前に任せていては時間切れになる可能性があった。こういう事は早くはっきりさせた方がいい。その男がお前の事を覚えていられる時間はそう長くないのだからな」
「? どういう事だ?」
マッチ売りの社長が妙な事を言うのに俺が怪訝な目を向けるとマッチ売りの社長はふっと息を吐いた。
「簡単な事だ。お前には霊的素養が全くない。我々とは欠片も接点がないのだ。そのままでは娘の事を覚えている事すら困難だろう」
そこまで言うと、マッチ売りの社長が俺に鋭い目を向けた。
「娘と付き合う気があるならば、死んでもらうしかないと言ったのはそういう事だ。一度生まれ変わってもらうしか方法はないのだからな」
「なるほどな」
とは言ってはみたものの。かなり突拍子もない話だ。
しかし、それは真実なのだろう。今更そこを疑うのも馬鹿らしい。
マッチ売りの社長の言葉によれば、どうやら俺は時間が経てば彼女の事を忘れてしまうらしい。確かにそれは困るな。
しかし、異世界転生か……。
「案ずるな。我が家に伝わる神器〈霊銃スペクトラルカノン〉なら、痛みを感じる間もなく一瞬で逝けるぞ」
マッチ売りの社長が愉快そうに指をパチンと鳴らすと、マッチ売りの社長の影の中から一際巨躯の男が姿を現した。
所謂狼男ってやつだ。
張り裂けそうなほどピチピチのスーツに牙向きだしの狼の頭部が乗っている。そしてその狼男の手にはその体格に見合った巨大な銃が握られていた。
「おおぅ、なんだこいつ」
「この男はマッチ売りのジェノサイダー。私の腹心だよ。何、怖がる必要はない、私が引き金を引けと言わない限り彼は大量虐殺〈ジェノサイド〉しない」
「は、はぁ」
俺が生返事を返していると、
「グルルル、貴様がお嬢が惚れたとかいう男か。あんな可愛らしいお嬢をたぶらかすとは許せん。コロス、グルルル」
いや、なんかめっちゃ殺気向けられてるんですが。どう考えても今すぐに暴発しそうなんですが。
明らかな生命の危機に俺が腰を引いていると、
「もう、お父様はちょっと黙っててください」
マッチ売りの少女が頬を膨らませながらマッチ売りの社長に言うと、今度はマッチ売りのジェノサイダーと紹介された狼男に向き直ると、
「マッチ売りのジェノサイダーさんも、怖がらせるような事を言っちゃ駄目ですよ」
「はっ、すみませんでしたお嬢」
マッチ売りの少女が言うのに、マッチ売りのジェノサイダーが直立姿勢になり深くお辞儀をする。
うーん、やっぱりこれマフィアだよな。マフィア映画でこういうの見た事あるぞ。
俺が頭を掻いていると、マッチ売りの少女が最後に俺に向き直った。
「気にしないでください。父は強引な人なんです。転生にももっと穏便な手段が……ってそういう事じゃなくて――」
マッチ売りの少女は少し躊躇った後、意を決したように口を開いた。
「もう父から聞いてると思いますけど、わたしあなたの事が好きになってしまったみたいなんです。あのそれで……どうですか?」
どうですか、っていうのはつまり俺の方に恋愛感情はありますかって事だよな。
その答えはもちろんイエスだ。
「実はあの後、俺もお前の事を――消えてしまったマッチ売りの少女の事が頭から離れなかったんだ。どうやら鈍くさいマッチ売りの少女に恋をしてしまったみたいだ」
「鈍くさいは余計ですけど」
マッチ売りの少女はむぅと頬を膨らませてから上目遣いで、
「あの、本当にいいんですか。こちらの世界の全てを捨てる事になりますよ」
「元々大して持ってなかったしな。マッチを買ったせいで今月の生活費すらない始末だ」
「え、そうなんですか!?」
マッチ売りの少女はぎょっとしたような顔をすると、
「そこまでしてマッチを買ってくれたんですね」
と頬を赤らめて呟いた。
俺はそんな彼女を見つめ返すと、
「だからというわけじゃないが、全部覚悟の上だ。好きだ俺と付き合ってくれ」
「っ、はい」
俺が言うのに、マッチ売りの少女が頷く。
そんな俺たちのやり取りを見守っていたマッチ売りの社長が割り込んできた。
「ふむ、決まりだな。ならば我が社に来い」
「それも、もう決まりなのかよ」
「当然だ。お前は娘婿になる男だからな。その腐りきった性根を叩きなおしてマッチ売りの帝王学を叩き込んでやろう」
腐った性根とか言うな。というか、マッチ売りの帝王学ってなんだよ。
「その申し出はありがたいけどな。一つ話を訊いてくれ」
俺が申し出ると、マッチ売りの社長が「なんだ?」と顔をしかめた。
「普通に入社試験を受けさせてくれ」
「? 別にいいが、難しいぞ。異世界人のお前に突破できるかどうか。今なら私の口利きで入れてやれるが、本当にいいのか?」
「ああ、このままじゃコネ入社目当てで付き合う事にしたみたいになるからな」
俺が言うと、マッチ売りの社長が目を見張る。
「細かい事を気にする男だな。こういうのは媚びてなんぼだぞ? だから就職活動に失敗するんじゃないのか?」
「余計なお世話だ」
俺が言うと、マッチ売りの社長はマッチ売りの少女に水を向けた。
「キープ目的で我が社に誘ったが、マッチ売りの少女よ、どうやらこの男思った以上に面白そうだ」
「お父様、だからキープって言わないでください。彼は誠実なんですから」
「いや、誠実な馬鹿だな。だが、お前に対する愛情は確かなようだ。いいだろう。勉強する場所は用意してやる。見事試験を突破して我が社に来るがいい」
そう言うと、マッチ売りの社長は俺の肩に手を置いた。
「所でなのだが。お前にもマッチ売りの称号をやろう」
「称号?」
「私達は基本的に真名を隠す。故に称号が必要だ。そこで私がお前につけてやろう」
「お、おう」
称号か、そんなもんがあるんだな。そう言えばみんな名前で呼び合ってないもんな。
俺がどんなのを貰えるのかとドキドキしていると、
「それでは、お前は今日からマッチ売りの田中を名乗れ」
思った以上に本名だった。
っていうか真名は隠すんじゃないのか。いや、別にいいっちゃいいんだが。
俺が脱力していると、マッチ売りの少女が嬉しそうな笑顔で俺を見た。
「よろしくお願いしますね。マッチ売りの田中さん」
「ああ」
俺は脱力していた体を起こすと、
「こちらこそ、よろしくな」
そう言ってマッチ売りの少女に笑顔を返した。
◇◆◇
そうして俺はマッチ売りの田中となった。
マッチ売りの少女の押し売りから始まった一連の出来事は俺の人生を大きく変えた。
この先俺は彼女と共に世界の危機を救いマッチ売りの田中の名前は伝説となるのだが、それはまだまだ先の話である。