【第12視】デート?
芦生麗とは、ショッピングモールで待ち合わせることにした。
携帯電話番号もメールアドレスも交換しておいたので、万が一どちらかが約束の時刻まで待ち合わせ場所に辿り着けなかったとしても連絡が取り合えるから大丈夫だ。
俺たちが生まれた頃は、まだ世の中に携帯電話が十分普及していなかったという。
それじゃ、待ち合わせ場所に遅れたり、待ち合わせ場所を間違えたりした場合どうしていたんだろう。
今じゃ考えられない。
ついでにいえば、電話だって今じゃ一人一台という感じだが、昔は家に固定一台だけ。
相手の家に電話するのに、家族というハードルをクリアしなければならなった。
彼女の家に電話して、父親が出たりしたら超イヤだったろうな。
電話で話すのだって、電話がリビングにあったりしたら、家族の耳が超気になって、ろくろく落ち着いて話せないよな。
いやはや、大変だったんだな、昔の人は。
俺は約束の三十分前には待ち合わせ場所に着いていた。
モール内のカフェの前だ。
映画の前に、そこでお茶することにしたのだ。
ちゃんと、芦生麗、来てくれるよな?
一人、こんな所で待っていると、もし来てくれなかったらどうしようと不安になる。
これって……、デートなのかな?
それとも……、単なる友達同士としての映画同行?
もし、芦生麗が来なかったら――彼女のほうから言い出して誘ってくれたことだし、それはないとは思うのだが――どうしよう?
どうしたの?って電話するべきだよな?
でも、その反応が「ごめん、忘れてた」だったり「やだよ、あれ冗談。本気にしたの?」だったりしたらいやだよなあ。
そんなんだったら、どうしよう?
それに、電話って、いつすればいいんだ?
定時に来なかったら即電話すべきなのか?
それとも五分過ぎたら?
いやいや、五分過ぎたぐらいでせかす電話をかけるなんて、人間が小さいと思われそうだ。
三十分は待つべきなのでは?
それとも一時間かな?
待ち合わせでは女の子が遅れてくるものだという記事を雑誌かネットで読んだ覚えがある。
少々遅れるのは、織り込んでおかなきゃな。
それに……。
もし、遅れるんなら、電話かメールくれるよ、たぶん。
誠実な人なら――、というか、人として当たり前のことだ、それくらい。
芦生麗なら、もし少し遅れる場合、ちゃんと連絡くれるだろう。
――と思っていたのだが……。
約束の時刻を十五分過ぎた。
芦生麗は来ない。
ど、どうなってるんだ?
今までのことを考えると、てっきり芦生麗は約束の時刻より早く来て待っているんじゃないかと、実は俺は思っていたのだ。
だから俺はそれよりは早く来ようと、三十分前に来た。
それでも芦生麗がもしいたらどうしようだなんて先回りして心配していたのだけれど……。
杞憂だったな。
刻々と時間が過ぎる。
ここに来てそろそろ一時間。
約束の時刻三十分前どころか、三十分後になっても芦生麗は来なかった。
俺はなんだかすごくいやな気持ちになってきてしまった。
なんか、だまされたんじゃないかとか、からかわれたんじゃないかとか、芦生麗を疑う気持ちと、自分自身を惨めに思う気持ちがわき上がってきたのだ。
待ち合わせ時刻から四十五分過ぎた。
本当は一時間待とうかと思ったのだが、俺はそこまで我慢強くなかった。
俺は、芦生麗の携帯に電話した。
「おかけになった番号は、電波の届かない所にあるか、電源が入っていないため、かかりません」
はあ、なんで?
これじゃ、携帯番号交換した意味ないじゃん!
俺はちょっといらいらしてきた。
どうしよう?
いつまで待とうか?
いや、それより、明日から学校で芦生麗に会った時、どういう態度をとればいいんだ?
――というか、芦生麗、今までみたいに俺に話しかけてくるのかな?
明日から完全無視とかされたりしたらどうしよう?
ああ、意味分かんない!
明日学校で会ったらいったいどうすれば――、いや、待て。
会えないという場合もある。
芦生麗が学校休むとか。
明日学校休むとして、理由は?
たとえば病気。
たとえば怪我。
どうして?
たとえば前日――つまり今日――怪我をした。
どこで?
――ここに来る途中。
脳内で自問自答を繰り返している内に、俺は別の可能性に考え至った。
芦生麗は、何らかのトラブルに巻き込まれたのではないか。
交通事故とか。
通り魔とか。
誘拐とか。
そ、そんなことになっていたとしたら、どうしよう!
俺は急に彼女の身の安全が心配になった。
彼女が無事だといいんだが。
俺は天に祈りたい気持ちになった。
彼女の自宅の電話番号が分かれば、自宅に電話して安否を問い質したいところだが、自宅の電話番号はお互い教え合っていなかったのでそれはかなわない。
こんなことなら、自宅の電話番号も交換しておけば良かった。
そろそろ待ち合わせ時刻から一時間。
俺は不安な気持ちのまま、このままここに立ち続けるか、帰るか、選択を――一人で映画を見るという選択肢は俺にはなし――迫られることになった。
どうしよう……。
ふと――。
前方から走ってくる人影が見えた。
あれは……。
あれは――、間違いない!
芦生麗だった。
芦生麗は、はあはあ息を切らし、涙目になって駆けつけてきた。
「麗……!」
「透……、ご、ごめんなさい!」
「ど、どうしたの……、何かあった? 心配したよ。ともかく、無事でよかった」
「ご、ごめんなさい……。来たのは十時だったんだけど、私、カフェを間違えていて……。三階のほうだったんだよね、私、二階のほうと間違えていたの。ほんとにごめんなさい。透、来ないからおかしいなあと思ってたんだけど、ケータイのバッテリー切れちゃってて連絡もとれないし……、映画館が三階だからもしやと思って、こっち来たら透いて……、ごめん、ごめん、ほんとに、ごめん!」
芦生麗は両手を顔の前で合わせ、何度も何度も頭を下げた。
「い、いいよ……、そんな……。なんかあったのかなって心配してたから、無事に来てくれてよかった……」
「ごめんね……、私、待ち合わせ場所間違えた上にケータイまで電池切れで、ほんとにバカ……」
「も、もういいって、ほんと……。それにさ、一時間ぐらいお茶するつもりでいたから、映画はこれからだし……。お茶は映画見てから飲めばいいだろう? 行こう」
「うん」
芦生麗は泣き笑いのような顔になって、僕の腕に抱きついてきた。
「透、怒らないんだね」
「だって、仕方ないだろ。間違えることは誰にだってあるんだし」
「透、やさしーー」
「『やさしーー』か……。そんなこと、言われたことないけどな」
無事に映画鑑賞を終えると、昼時だった。
どこのレストランも混んでいる。
「並ばないと入れないな……」
「いいよ、並んでいようよ」
「そうか」
俺と芦生麗はイタリアンのレストランの列の最後尾に並んだ。
「透、カップルいっぱいいるね」
「そうだな」
「私たちもカップルに見えるかな」
「そうだな」
「付き合い始めてどれくらいに見えるかな」
「そうだな……」
――と、待て待て。
俺たち付き合ってたっけ?
正式に「好きです。付き合ってください」「こちらこそ、よろしく」みたいな、告白→了承の手続きは踏んでない。
だから、付き合ってないぞ、たぶん。
これは、友達として来たんだ、友達として。
けれど、ここで真面目に「俺たち付き合ってないだろ」と返すと、また「ノリが悪い」とか言われそうだ。
前に芦生麗が言ったように、ここは、うまく合わせて返す場面だろう。
「やっぱ、俺たちは高校生だから、入学の頃から付き合っているように見えるんじゃないの……」
「なるほど!」
芦生麗の笑顔が輝く。
さっきの泣き笑いのときから、すっかり復活したようだ。
「うまいこと言うね、透」
「う、うまい……? そうか?」
「ねえ、周りのカップル見ているとさ、いろんな人がいるよね」
「いろんな人?」
「うん……。ほら――」
芦生麗は自分の視線で、俺の視線を促した。
「あれは、きっと付き合い始めだよ。仲良くくっ付いて楽しそうにおしゃべりしているし……。あっちは、もう倦怠期かな。お互いケータイいじってて腕も組んでなければ、話もしてない。こっちは、女の子のほうが男の子のほうを大好きなんだけれど、男の子のほうはさほどでもないみたい。女の子が一生懸命話しかけてるのに、男の子のほうは気のない感じだもの」
「ふーん、そういうものか……」
芦生麗の観察眼は、当たっていた。
俺には、人の頭上に、誰が誰から想われているか、その名前が見える。
芦生麗が最初に言ったラブラブのカップル同士は、双方の頭上に名前が一つずつ。
あれがおそらくお互いの名前だ。
倦怠期のカップルの頭上には、ともに「0」の数字。
カップルなんだから、本来なら相手の名前が頭上にありそうなものだが、お互い、もう相手に想いは無いことがわかる。
そして最後の片思いカップルは、男の頭上にいくつも名前があり、女の子の頭上には「0」だった。
「……る」
あの男はモテるんだな。
「……おる」
女の子のほうがかわいそうだぜ。
「透ってば!」
え?
い、今、俺、名前呼ばれてた?
俺は声のほうに振り返った。
芦生麗がちょっと頬を膨らませている。
前も思ったけど、芦生麗のこの表情、ちょっと可愛い。
「な、なに?」
「もう、あっちのカップルの女の子のほうばっか見て! 透も、あの男の子みたいじゃん。私が呼んでいるのに気のない感じで!」
「な、何言ってるんだよ、そんなわけないじゃん」
「ほんとにーー?」
「ほ、ほ、ほんとだって」
順番が回ってきた。
「二名様ですね? ご案内します、どうぞ」
レストランの店員が俺たちを空いた席に誘導してくれた。
店内も混んでいた。
テーブルとテーブルの間も近くて、話をするのにけっこう気兼ねな感じだ。
案内されたテーブルに着くと――
「透と麗じゃないか」
声をかけられた。
なんと、隣のテーブルに、ちょっと今日のところは会いたくなかった三人が。
標智憂梨、結束星月、そして尖流郎だった。
「あ、あれ? 智憂梨に星月に尖先輩……、ど、どうしたの?」
芦生麗と二人のところ見られたくなかったなあ。
俺は笑顔をつくろうとしたけれど、自分の顔が引きつっているのが分かった。
「どうしたのはこっちの台詞よ。なに、二人はデート?」
結束星月に続き、今度は標智憂梨が口を開いた。
これは、どう答えたものか……、俺は一瞬逡巡したが、そのとき見逃さなかったぞ。
標智憂梨は芦生麗の頭上を、そして結束星月は芦生麗の左手の小指を確かにちらっと見た。
これって……?
「今、透と映画見てきたんだ、これからお昼」
「へえ、そうかい」
尖流郎がまた、あらゆることに余裕綽々という感じで相槌を打つ。
「僕ら三人は、これから映画見るんだ。君たちとは逆だね」
「そ、そうっすね」
テーブルを見ると、三人はもう食事を終えたようだった。
良かった……、早く行ってくれ。
「な、何時の回なんですか?」
「えっと……」
尖流郎はスマホで時刻を確認した。
「あ、そろそろだな。じゃ、智憂梨、星月、行こうか。二人の邪魔しちゃ悪いしな」
「そうだな」
「じゃあね、二人とも」
三人は席を立っていった。
「びっくりしたね、透」
「うん……、ほんとにあの三人、ああいう付き合い方してるんだな……」
店員が注文を取りに来た。
僕が注文したものと同じ物を芦生麗は頼んだ。
「あれ、麗もこれ好きなの?」
「――ていうか、透と同じ物食べたいなと思って」
「そ、そう?」
俺は、さっきの標智憂梨と結束星月の視線の意味を考えていた。
そういえば、二人には芦生麗が今誰を好きなのかということと、芦生麗の運命の相手が誰なのかということが見えるんだった。
今までよく考えていなかったけれど、芦生麗が今好きな人って誰なんだろう?
標智憂梨は芦生麗の頭上に誰の名前を見たのだろうか?
また、結束星月は、芦生麗の小指の赤い糸が誰とつながっているのを見たのだろうか?
さっきの二人の視線の動きから、俺はちょっとそれが気になった。
「智憂梨と星月、ちょっと怒ってたね」
「怒る? なんで?」
「……。鈍いね、透は」
「また、鈍いって……、鈍い鈍い言うなよ」
「ごめん、ごめん、でも、ほんと鈍いから」
「また言った」
「智憂梨と星月がむっとしてたのは、私のせいだよ」
「麗の?」
「私が透といたから」
「どうしてそれでむっとするんだ? だってあいつらは、尖先輩と付き合うって自分たちから言い出したんだぞ」
「それは……、たぶん妬いてほしかったっていうか、気にかけてほしかったからなんじゃないかと思う」
「そうなの?」
分からない。
それって、どういうことなんだ?
「私、分かるんだよね。――っていうか、女の子はみんな、そういうの鋭いっていうか、敏感なんだよ」
「……」
なんだかよく分からないが……。
芦生麗が恋愛に関して鋭いのは分かった。
さっきの三組のカップルの状況だって、ぴたりと言い当てたからな。
俺は頭上に文字が見えるから分かったけれど、そういった能力がないにもかかわらず、芦生麗はそれぞれのカップルの現状を言い当てたのだ。
食事を終えて店を出た。
ここで俺は何と言うべきなのだろう。
今日の目的の映画は見終わったことだし、「じゃあ、これで、さよなら」かな……?
いや、それはないよな。
夕方までまだ時間があるし……。
ここは、このあとどこかへ行こうって言うべきなのだろう、きっと。
でも、どこへ行ってどうすればいいのだ?
買い物とか?
別に欲しい物はないし……。
いや、単に店を見て回ればいいのか?
でも、そんなの退屈じゃないかな……。
お茶?
いやいや、今昼食ったばかりで、またお茶ってことはないよな。
うーん……。
俺は、芦生麗をちらっと見た。
彼女は前を見たまま、じっと立っている。
俺が何かを言いだすのを待っているのか?
「麗……、あのさ」
「透、まだ時間あるかな?」
芦生麗がやや早口気味に言った。
またちょっと語尾が震えていた。
「あ、ああ……、もちろん」
「よかった……、じゃ、――プリクラ撮らない?」
「お、おお」
俺たちはモール内のゲームセンターに入った。
実は俺、プリクラって撮ったことないんだよね。
機械がしゃべるので、それに合わせて操作すればいいんだな。
おお、画面になんか、いろいろ映って俺たち顔の周りに星だの耳だのヒゲだのいろいろなものが付け足される。
ハサミが備え付けてあって、四枚映った写真シールを二枚ずつ俺と芦生麗とで切り分けた。
それから、二人でいくつかゲームをやった。
デートって――これがデートだとしてだが――こうやってやるもんなんだな。
ゲーセンには一時間くらいいたか。
ゲーセンを出て、また俺が逡巡していると、芦生麗が買いたい物があるから付き合ってと、俺の手を引っ張った。
このときはもう声は震えていなかった。
なんだか、俺が芦生麗にリードされている感じだ。
でも、俺、デートなんてしたことないから、分からないんだよな。
芦生麗は……、この感じからして、きっと、あるんだろうな、デートしたこと。
中学のころからたぶんモテモテだったんだろうから。
四時ごろ、お茶にした。
「透、今日はありがとね。付き合ってくれて。それとあと、遅れたこと、ほんとにごめんなさい」
「いや、遅れたことはいいんだって、もう気にしてないから……」
「つ……」
ん?
また芦生麗の声が震えている?
「次は、遅れないで来るようにするから!」
「あ……、う、うん……」
芦生麗がほっとした顔をする。
次か……、次って、何すればいいのかな?
「そういえばさ、透?」
「ん?」
「なんか、お話書いたの?」
「お話?」
え、それって何のこと――と言いかけて言葉を飲み込んだ。
俺、文芸部だったじゃん。
なんか、物語書かなきゃいけないんだよな、やっぱ。
標智憂梨も書いているみたいだし。
「お話か……、いや、まだ、何にも……。どんなの書けばいいかな?」
「女の子はたいてい恋愛ものが好きだけど……。透、男の子だしね。自分が読んでみたいってお話がいいんじゃない?」
それならヒーローものだ――と言いたいところだったが、前それ標智憂梨に言ったらバカにされたしな……。
「麗も……、やっぱり恋愛ものとか読みたい?」
「私……、私は透が書いたものだったら、何でも読みたいな」
芦生麗だったら、俺がヒーローもの書くと言っても笑わないかな?
でも今日のところは言うのやめとこ。
帰り道。
もう直ぐ、芦生麗と分かれるT字路だ。
話題も尽きて、しばらく黙って歩いていた。
「ねえ、透?」
「なに?」
「以前、私が小学生のころの仇名がウランちゃんだったって言ったのを覚えてる?」
「お、おお……」
「私その頃いじめられいて……、かばってくれたって男の子がいたって言ったよね」
「うん」
「あのね、私の初恋の人って、その子なんだ」
「え……」
T字路に着いた。
「小学校とちゅうで転校しちゃって、ずっと会えないでいたんだけど……、もし……、もし、再会できたら、告白したいなって思ってたの! ――じゃあ、またね」
何かを吹っ切るように一気に言うと、芦生麗は自分の家のほうに走っていった。




