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 夏休みも半ば。

 マリちゃんが恋愛対象ではなくなってしまったからには、バイト先のほかの女子と仲良くしたいものである。かと言って山田リサイクルは、そんなに大きな店舗でなく、バイトは僕と田辺を入れて五人。社員はオーナー兼店長のマリちゃんを入れて三人の計八人で店を回している。今から語る西園寺ユカリもそのひとりであった。

「神田川くん。ちょっといいかしら」

 休憩時間バックヤードで昼食のアイスを食べていた僕。不意に声が掛かり、フローラルな香水の香りと共に西園寺ユカリが僕の視界を蝕む。両脇に取り巻きのバイトAとバイトBを引き連れてのお出ましである。さながら逆ハー大奥を闊歩する上様のごとし立ち振る舞い。

「あれ、西園寺たちいたの?」

「あら、あんな年増をマリちゃんって呼ぶくせに、わたくしのことは苗字で呼ぶのね。いいのよ。特別にユカリちゃんって呼ぶことを許してさしあげるわ」

 何系と呼ぶのであろうか。お嬢様風のコテで巻いた髪は、一周回って水商売風にも見えるし、上品を気取ったジェルネイルと、濃いめの化粧が僕のタイプではない。何よりきつい香水が食しているアイスをまずくさせる。たしか西園寺ユカリは女子大生で、この店でバイトしながら、お嬢様大学に通っている。いや、金持ちならバイトなんかすんなと思わなくもないが、それでもこの人、こう見えてきちんと仕事はできる。山田リサイクルのバイトリーダーってところで、僕や田辺よりも高い時給をもらっている。

「西園寺たちも昼飯?」

「ノンノンノン。わたくしたちは駅前のお寿司屋さんでランチを済ませたところよ。勿論わたくしのおごりで」

 自分が奢ったことを主張する辺りの小者感は、なかなかどうして、完全に憎みきれないポイントのひとつである。苦手なタイプだが、嫌いなタイプではない。

「ひとり二千円として、三人で六千。僕が夕方まで働いたぐらいの高額ランチだな。西園寺が一体なんのためにここで働いているのかわかんないや」

「あらやだ。そんなの社会勉強のために決まってるじゃない。文武両道と世間を深く知るのは、西園寺家のモットーよ。あと何度も同じことを言わせないで頂戴。ユーカーリーちゃーん。学習能力がないのかしら。あなた、見た目通りの愚か者ね」

「西園寺はお嬢様のくせに口が悪いなぁ。ところで何か用?」

 軽やかな口調は僕の問いに少しだけ鈍く、重くなる。

「……あの社員に近づくのは辞めなさい。あのゴリラは危険よ。この店の害悪。近づけばあなたが傷つくわ。これは悪口とかじゃないの。そう忠告」

 ただの社員いじめではなさそうな雰囲気である。最初はわたくしの派閥に入りなさいとでも言うのかと思っていたけれども、どうやら違うらしい。いやまあ、八人しかいない職場で派閥もなにもないが。

「理由を聞こうか」

「ねぇ知ってるかしら。あのゴリラ……もとい猫橋アケミがこの店に来る前の話……」

 猫橋アケミ。彼女は十代の多くを施設で過ごしたそうだ。女子少年院や少女苑という呼称がわかりやすいかもしれない。中学で家を飛び出て各地を転々とし、巡り合ったのはこの地方で、ちょいと名の知れた悪党であった。その、ずいぶん年上の彼氏。僕たち庶民が、悪党と聞いて最初に思い浮かべるのは、いつの時代も笑っちゃうくらい時代錯誤な暴走族だとかであるが、まあ似たようなものだと思って間違いではないだろう。窃盗。傷害。麻薬。そして売春からの美人局。猫橋さんとその歳の離れた彼氏は逮捕。施設から出て途方に暮れている猫橋さんを、この店のオーナーであるマリちゃんが拾ってきただとか。

「どう? この話を聞いただけで、あの女が普通じゃないことくらい、愚か者の神田川くんにだって解るわよね。でもね、話はここから。男の方も出所してしばらく経つのだけれど、また事件を起こしたわ。愚か者の神田川くんでもニュースくらいは観たかしら? 先日の駅前のブラジル人留学生殺傷事件。あれの犯人がこの男で、未だ逃走中よ」

「猫橋さんが男を匿うとでも?」

「それは解らないわ。でもね、男の方はどうかしら。どこに逃げるのかしら」

 男がもしも猫橋さんの今の住所を知っているのなら。その可能性はなきにしもあらず。ゼロではない。

「なんで西園寺はそんなこと知ってるのさ」

 僕の問いに無言で西園寺ユカリは、取り巻きのバイトBに右手を差し出し、バイトBは阿吽の呼吸で抱えていた長物を彼女に渡す。一振りの日本刀。中古品の模造刀であろうか。受け取った西園寺ゆかりは鞘からそれを一尺ほど抜きその白く光る刀身を僕に晒す。

「悪・即・斬。西園寺家の次期当主たるわたくしには、この商店街に蔓延る悪を斬り捨てる義務がありますの」

 西園寺ユカリの血走った(まなこ)。どうやらこのバイトリーダーとはお友達になれそうもない。町のおまわりさん。どうか逃走中の犯人と目の前の危ないオンナを逮捕してください。

「いい? もう一度だけ言うわよ。ひとつ、あの社員に関わるのはやめなさい。身を滅ぼすわ。ふたつ、あなたもわたくしの派閥に入るならお寿司ぐらい奢ってさしあげるわ。みっつ、ユカリちゃん。わたくしのことはユカリちゃんと呼んでも良くってよ」

 ひとつから始まり、のべつ幕なしに続く西園寺ユカリの話。延々と続くお喋りに休憩のはずがどっと疲れたのであった。



  

 

 待ちに待った定時。六時間の労働を終えタイムカードを切る。近頃バイトのあとは、日課のストーキングで予定がいっぱいだ。正直泣けてくる。気を使ったマリちゃんが、僕と猫橋さんのシフトを合わせてくれているのである。なぜ僕はあの日あの時カレーライス一杯で手を打ったのであろうか。西園寺ユカリの話を聞く限り、自分自身の安全も危ぶまれるミッションなのに、ずいぶと安く買い叩かれてしまった。そう言えば猫橋さんを付け回しているサングラスの男が怪しい。確証はないが、西園寺ユカリの話を真に受けるならば、十中八九あいつが逃走中の元カレであろう。テレビで観た顔写真よりもおっさんに見えなくもないが。猫橋さんは……あんなおっさんのどこが良いのであろうか。

 あのサングラスの男は、毎回ではないものの、何度かに一度尾行でバッティングしている。こちらが相手に気づくのだ。もちろん向こうも僕に気づく日もあるかもしれない。既に賽は投げられ、僕は知らず知らず渦中にいた。

「おにぃちゃん。こんなところで何してるのぉ?」

 コーヒーショップの看板に隠れて猫橋さんを遠目に見張っていると、突然幼女の声。通りすがりの名も無き美幼女かと思えば、九月生まれのサツキちゃんであった。こんな幼女が夜にひとりで出歩くなんて危ないじゃないか。いったいきみこそ何をしているんだ! 否、むしろ母親のマリちゃんはいったい何をしているんだ! 僕はサツキちゃんを抱っこして、本日の尾行を中断することにする。美幼女に欲望渦巻くこの街は危険過ぎる。ぐへへ。抱っこするフリして幼女に触り放題だぜ、ひゃっほー。なんてけしからん輩がサツキちゃんに近づくかもしれない! ここは紳士たる僕が守らなくては。そうだ。九月生まれのサツキちゃんを自宅にエスコートするのと、母親失格なマリちゃんを叱るついでに、夕食でもご馳走してもらおう。やっぱカレーライス一杯じゃ割に合わない。

 って事で、マンションの五〇三号室。マリちゃんんちである。サツキちゃんはどうやらひとり保育園を抜け出したらしい。シフト制とは言え、ああ見えて店長である。マリちゃんの帰りは遅い日で夜の八時をまわるのだ。マリちゃんに連絡をすれば行方不明のサツキちゃんを捜索中であった。

「ママの帰り遅いの、寂しいのか?」

「うーん。わかんない。サツキにもパパがいたら、ママはもっとお家にいられるのかな」

「さあ。でもマリちゃん見た目若いし、そのうち新しいパパできるかもよ」

 言ってから気づく。幼い子供相手に、僕はなんとデリカシーないことを口走っているのであろうか。

「じゃあさ、おにぃちゃんがパパになってよ。そしたらおにぃちゃんとパパが同時にできるんだよ! お得だね!」

 だめだだめだ。マリちゃんとの十六歳の年の差を乗り越えて、サツキちゃんに父親と兄とついでに妹のメイちゃんまでプレゼントするのは、高校生の僕には荷が重すぎる。僕がサツキちゃんに向け首を横に振ったところで、息急き切ったマリちゃんが玄関のドアを勢いよく開ける。心配して相当探し回ったのであろう。三十二歳のマリちゃんの顔は、涙と鼻水でぐちょぐちょである。

「サツキ! 心配したんだから。したんだからね!」

 やれやれ。ここからは親子の時間である。十六歳差を乗り越えてマリちゃんとランデブーする勇気もない部外者が踏み込んでよい領域ではないなと、僕はふたりを残し部屋を出る。残念ながら夕食にはありつけず、月夜の帰り道、僕のお腹の音だけが夜の闇にこだます。まあいいや。僕にだって母親はいる。きっと今夜の夕食はべしょべしょのケチャップスパゲティであろう。





 

    


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