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9 愛するあの地で

「おはようございます。お食事にお招きくださりありがとうございます」


 城の者が集って食事をする大広間ではなく、侯爵家のダイニングの方に通された。

 まずはご挨拶をと思って、スカートを摘まむ淑女の礼をしようとしたところで、ドレスを着ていないことに気付き、けれど途中で動作を止めるわけにもいかず、私はそのまま腰を落とした。


「うむ。まあ、座りなさい」


 すぐに、温かいスープとパンが運び込まれてくる。食前の祈りを捧げ、しばらく私たちは無言で食事をした。

 なにしろ私は昨夜から何も食べていない。お腹が空きすぎていて、淑女らしさを失わない程度に胃に物を押し込むのが大変だった。家だったら、もがもがもごもごがっついてるところだ。

 私が人心地着いたのを見計らったように、侯爵が声を掛けてきた。


「ベアハルトからは、誰が盗賊狩りに参加する見通しになったかね?」

「はい、私が」

「ちょっと待て。なぜそこで君が行くことになるんだ!?」


 ガタンと音を立ててエルバートが立ち上がり、声を荒げて私の返事を遮った。


「なぜって、私が侯爵に仕えるに足る騎士かどうか、判断していただくためよ」

「だからそれは俺で事足りるだろう!」

「あなたじゃなくて、私が認めてもらわないといけないの。私が当主になるなら、それは当然よね」

「当然じゃない! 未亡人や娘が当主となり、雇った騎士を出す家だってあるんだぞ!」

「あら、初めて聞いたわ」

「君は箱入り娘だから」

「あら、それ、どういうこと。私が物知らずだって言いたいの?」

「ああ、そうだ。君は自分が思っている以上に、世間のことを知らない。保護者も連れず、こんなところに一人でのこのこ乗り込んでくるぐらいには」

「一人じゃないわよ。従者を連れてきたじゃないの。それに、私がベアハルト家の保護者になるの。私に保護者なんて必要ないわ。何が問題だって言うの」

「問題だらけだ!

 一に、いきなり先ぶれもなく城に乗り込んでくるんじゃない。今回はたまたま、門番が侯爵に知らせに行く途中で俺が気付いたからよかったものの、そうでなければ追い返されていたぞ。そうしたら、真っ暗な林に逆戻りだ、獣や盗人がうろうろしている夜の林の中にな!

 二に、城の中を安全地帯だと思うな! 女が少なくて飢えてるからな。いい女だと思ったら無理やりにでも襲っておいて、責任取りますって言えば、美談になるんだからな! たとえ女が嫌がったとしてもだ! 冗談じゃない! こっちがどれだけ指くわえて我慢してたと思ってるんだ!

 そんなことになったら、皆殺しにしてもまだ足りない! 頼むから、自分を大切にしてくれ! 頼むから!」


 早口で怒鳴りたてたせいで息切れをおこして、彼は黙った。怒り顔で肩で息をしている彼をつくづく眺めて、私はやっぱり嬉しくて、ふふっと笑ってしまった。


「笑い事じゃないんだぞ!」

「ええ。あなたがそんなに必死になるくらいだもの、そうなんでしょうね。……ねえ、そんなに怒らないで。ずっと思っててくれたんだってわかって、嬉しくて笑ったんだから」


 いきりたっている彼の手を握ると、反射的にぎゅっと握り返してきて、ぐぐぐぐぐと眉間にしわが増えた。けれど彼は、唐突にがっくりとうなだれ、溜息を吐いた。手を引っ張ると、おとなしく椅子に座る。彼は手を離さないままに、ぼやくように侯爵に話しかけた。


「侯爵、お願いです、何とか言ってやってください……」

「そうだな」


 考え深げにそう答え、侯爵はくつくつと笑いだした。


「うむ。アイリーン。おまえの男の手綱を取る手際、しかと見た。これほどの名手もなかなかおらん。エルバートはおまえの良い馬になろう。存分に乗りこなすがよいぞ」

「はい。ありがとうございます」

「侯爵!」


 抗議の声を上げたエルバートに、侯爵はうるさげに手を振った。


「アイリーン。しかし、乗り手も馬の気持ちを汲み取らねば、馬の方もうまく従わない。気持ちよく馬を走らせてやるのも、乗り手の技量。そうは思わんか?」

「それは、私の参加はお許しいただけないと?」


 わかっていた。昨夜も侯爵は、私の参加を歓迎するとは言わなかった。「ベアハルト家の」と言われて、面には出さなかったが、悔しい思いをしたのだ。


「そうは言わん。だが、女当主はある意味、騎士にとって夢の華よ。

 まなざし一つで騎士を手足のように使い、微笑み一つで報いてしまう、悪女よりも魅惑的で、聖女よりも跪きたくなる、そういう主に、アイリーンならばなれると思うのだが」


 侯爵の言いように、私は笑うしかなかった。本当に、女心のくすぐり方を、よくわかっていらっしゃる。

 私は立ち上がり、改めて侯爵に深く頭を垂れた。


「かしこまりました。侯爵の思し召しに従います。必ずや、悪女よりも魅惑的で、聖女よりも跪きたくなる女当主となってごらんにいれましょう」

「うむ。期待しているぞ」


 カタンと隣でエルバートも立った。


「これから彼女を領地まで送ってきたいと思います。お許し願えますか」

「許そう。おまえももう、ベアハルトの一員だ。今日から三か月、ベアハルト家はグレッグの喪に服すのだ。神もそれを望んでいらっしゃるだろう。

 そして、次に顔を出すときは、二人の結婚の報告を聞かせてもらいたいものだな」


 私達は思わず顔を見合わせた。エルバートが目を細めて笑ってくれて、真昼の太陽より眩しく感じる。私もくすぐったい気持ちに笑い返せば、ずっと離されることのなかった手を、あらためてぎゅっと握られた。

 もうこの手は離さないし、離されることもないだろう。……神の思し召しがそれぞれの上にあるまで。


 これからは、……いいえ、これからも、私達はあの誓いを胸に、共に生きていくのだ。

 あの約束は、完全な形では叶わなくなってしまったけれど。兄さんと彼と私で幼い日に夢見た、輝かしい未来は、きっと紡いでいけるから。


 私たちは侯爵に向き直って、手を繋いだまま、そろって拝命の礼をしたのだった。

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