4話 前世との違い
「リリア、こっちにこい!」
ルークに呼ばれ、私は慌ててメイド服のまま走り出した。城の中は騒然としていて、兵士たちが武器を手に駆け回っている。廊下を曲がるたびに怒号が聞こえ、外からは何かがぶつかるような音まで響いていた。
「いったい何が起きてるの!?」
「獣族の襲撃だ。詳しいことは後で説明する。リリア、お前は着替えてこい。動きやすい服を選べ」
「わ、わかった!」
私は急いで自分の部屋へ駆け込んだ。メイド服を脱ぎ捨て、ルークが用意してくれていた服に着替える。髪をまとめ、拳を握った。
獣族。
その言葉を聞いても、私にはまだ実感が湧かなかった。異世界に転生して、魔物を倒して、友達ができて。そんな毎日を過ごしていた私にとって、戦争なんて物語の中の出来事だったからだ。
でも、外から聞こえる悲鳴が、それを現実だと突きつけてくる。
「……よし」
私は深呼吸をして、部屋を飛び出した。
城門の外へ出ると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
森の方から押し寄せてくる獣族の軍勢。狼のような耳や尻尾を持つ者、鋭い爪を生やした者、体格の大きな者。姿は様々だったが、全員が武器を手にしてこちらへ向かってきている。
その先頭では、エルフの兵士たちが陣形を組んでいた。
「各自、配置につけ! 詠唱を始めろ!」
アルベルトの声が響く。
エルフたちは一斉に杖や手を掲げ、魔術の詠唱を始めた。周囲に魔力が集まり、空気が震える。青白い光がいくつも浮かび上がり、やがて巨大な魔術陣が空中に描かれていった。
その光景に、私は思わず息を呑んだ。
すごい。
魔術についてはまだ詳しくない私でもわかる。これは、私が今まで見てきたものとは理屈も規模も違う。
けれど、そんなエルフたちの前に立っている前衛は、たった一人だけだった。
「ルークさんだけ……?」
「エルフは魔術を得意とする種族ですから。前衛を何人も置くより、魔術師を後方に配置した方が戦いやすいんです」
隣にいたレオンが答えた。
「獣族は反対に、魔術が苦手なんです。だから、身体能力を活かした近接戦闘が得意で……」
「なるほど。相性が悪いんだね」
私は前方を見つめた。
獣族がいくら強靭な肉体を持っていても、あれだけの魔術を正面から受ければただでは済まないだろう。
それに、この場所。
エルフの国は高い山の上に築かれている。険しい斜面を登ってくる敵を見下ろせるうえ、魔術を放つための見晴らしもいい。まるで、魔術を使うために用意されたような立地だった。
「この国を造ったのは、父上なんです」
レオンが誇らしげに言った。
「もともと、この場所に国があったわけではありません。父上が地形を調べて、魔術師にとって最も有利な場所だと判断したんです。防衛のしやすさも考えて、城や街の配置まで決めたと聞いています」
私はアルベルトを見た。
彼は戦場を見渡しながら、次々と指示を飛ばしていた。
「第二隊は左翼を維持しろ!第一隊は詠唱を続けろ。敵が斜面を登り切る前に叩く!」
指示に迷いはない。兵士たちも彼の言葉を聞いて、淀みなく動いている。
アルベルトの姿が見えない位置に陣取っている兵士までもが、迷うことなく動いている。
普段は嫌味なところもあるけれど、こういう場面を見ると、この人が国を治めている理由がわかる気がした。
「リリア」
獣族の第一陣を退けたルークが、不意にこちらを振り返った。
「レオンを頼む」
その言葉に、私は一瞬だけ目を見開いた。
「俺は前に出る。お前がどれだけ動けるのかは知っているが、無茶はするなよ」
そう言って、ルークは剣を構えた。
「レオンには小さな魔術しか使えない。戦場では自分の身を守ることも難しいだろう。だから、頼んだぞ」
「……はい!」
私は強く頷いた。
レオンは悔しそうに唇を噛んでいた。
「僕だって、何かできれば……」
その声は小さく、今にも風に消えてしまいそうだった。
「レオン」
「……はい」
「一緒にできることを探そ」
私はそう言って、彼の手を握った。
「僕たちに、何ができるんでしょうか」
「それは、やってみないとわからないよ!」
自分でも、無責任なことを言っていると思う。
だけど、何もせずに立っているなんて嫌だった。
私たちは、前線から少し離れた場所へ向かった。
そこでは兵士たちが負傷者を運び、魔術師たちが詠唱に必要な道具や魔力を補助するための結晶を準備していた。負傷者の手当てに必要な薬草や布も足りていないらしい。
「こっちに薬草を! それから、魔力結晶をもう少し持ってきてくれ!」
「は、はい!」
レオンが慌てて返事をする。
私は周囲を見渡し、必要なものを確認した。
薬草。包帯。魔力結晶。水。
それから、負傷者を運ぶための担架。
「レオン、あっちの荷物をお願い! 私はこっちを運ぶから!」
「わ、わかりました!」
私は荷物を抱え、走り出した。
その瞬間、頭の中に浮かんだのは、城でのメイド生活だった。
廊下の雑巾掛け。私の得意な雑巾掛け。あれと同じだ。床を滑るように進む感覚。慌てず、しかし素早く足を動かす。方向を変えるときは無駄な動きを減らし、次に向かう場所を先に見る。
「次、こっち!」
私は負傷者のそばに薬草を届け、そのまま別の場所へ走った。
「水が足りないんです!」
「わかった、すぐ持ってくる!」
荷物を置き、空いた手で水桶を抱える。走って、渡して、また走る。レオンも必死に魔力結晶を運んでいた。彼が小さな風魔術などを活用して水を運ぶのを手伝ってくれたおかげで、私たちは少しずつ仕事をこなしていった。
これなら、私にもできる。
誰かを殴り倒すだけが戦いじゃない。前線で戦う人たちが力を発揮できるように支えることだって、立派な戦いなんだ。
そう思った、そのときだった。
「うわあああっ!」
悲鳴が響いた。
振り返ると、獣族の一人が魔術の直撃を受けて倒れていた。
身体が地面に叩きつけられ、手にしていた武器が転がる。彼は何かを言おうと口を動かしていたけれど、声は聞こえなかった。
そして、動かなくなった。
「……っ」
私は足を止めた。
人が死んだ。
いや、正確には人族ではないのかもしれない。けれど、目の前で倒れた相手は、私と同じように手足があり、血が流れ、苦しそうに息をしていた。
その命が、あっけなく消えてしまった。
「リリアさん!」
レオンの声に、私は我に返った。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫」
そう答えたものの、手が震えていた。
これが、戦争。
今まで私は、魔物を倒すことをどこか楽しんでいた。拳を振るって、相手を倒して、自分の強さを確かめる。前世では病気のせいで思うように動けなかったから、健康な身体で戦えることが嬉しかった。
でも、今は違う。
目の前で倒れた獣族にも、家族がいるのかもしれない。帰りを待っている人がいるのかもしれない。
それなのに、私は何も知らないまま、その命が消えるところを見てしまった。
インファイトは楽しい?
拳を振るうことは楽しい?
……わからない。
怖い。
戦場は、私が思っていたよりずっと残酷だった。
それでも。
「リリアさん、こちらをお願いします!」
「うん、任せて!」
私は再び走り出した。
生きたい。
私は生きたい。
前世では、病気のせいで何度も命の危機に晒された。やりたいことがあっても、身体が動かなかった。明日が来ることすら、当たり前じゃなかった。
だからこそ、今度は生きたい。
健康な身体で、思い切り走って、笑って、拳を振るって。
友達と一緒に、大切な人たちと一緒に、この世界で生きていたい。
それが、今の私の願いだった。
やがて、戦況は大きくエルフ側へ傾いていった。
「よし、押し返しているぞ!」
「このまま一気に畳みかけろ!」
エルフたちの魔術が次々と獣族を襲う。斜面を登ろうとする者たちは魔術に阻まれ、前衛を突破することもできずに倒れていった。
ルークはその中心で剣を振るい、獣族の攻撃を受け止めては、確実に敵を仕留めていく。
その姿は、まさに前衛の要だった。
「すごい……」
思わず呟く。
これなら、勝てる。
誰もがそう思っていた。
「勝ったぞ!」
「獣族など恐れるに足らん!」
兵士たちの間に歓声が広がる。張り詰めていた空気が緩み、安堵の表情を浮かべる者もいた。
けれど。
「……おかしい」
アルベルトが小さく呟いた。
その表情は、少しも緩んでいなかった。
「父上?」
レオンが不安そうに声をかける。
アルベルトは答えず、戦場を見つめていた。
その隣で、ルークも剣を構えたまま動かなかった。
「……ああ。おかしいな」
ルークの声は低かった。
「獣族だって、こんな戦い方をすれば負けることくらいわかっているはずだ。魔術が苦手で、前衛に頼るしかない。そんな奴らが、わざわざエルフに有利な場所へ正面から攻め込んでくるなんて……」
「では、これは陽動か?」
アルベルトが問いかける。
「その可能性はある。だが、何が目的だ?」
その瞬間だった。
「ははっ!なんだよ、こりゃあ」
戦場に、場違いな男の声が響いた。
歓声が止まった。
誰もが声のした方を振り返る。
そこに、一人の男が立っていた。
獣族ではない。
長い耳も、獣のような尻尾もない。
男の正体は、どこにでもいそうな、人族の男だった。
年齢は中年ほど。無造作に伸びた髪に、だらしなく着崩した服。手には一本の剣を持っている。
男の手にはエルフが二人。周りには、エルフが十数人と倒れている。彼は、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「もう一部隊潰しちまったのかよ。なんだよ。こんなもんか?」
アルベルトが目を見開いた。
「貴様……!」
ルークもまた、驚愕に目を見開いていた。
その表情には、驚きだけではない。明確な怒りが浮かんでいた。
「なぜお前が、人族がここにいる!」
アルベルトの声にも、抑えきれない怒りが滲んでいた。かつて人族に妻を殺された記憶が、胸の奥で燃え上がる。
「どうやってここまで入り込んだ……!」
ルークもまた、男を睨みつけた。人族への憎しみが、その目に宿っていた。
男は二人の反応を見て、ニヤリと笑った。
「なんだよ。人族がいるのがそんなにおかしいか?」
「ふざけるな!ここがどこだかわかっているのか!」
「わかってるさ。だから来たんだよ」
男は剣を肩に担いだ。
「邪魔なもんを片付けに来たんだよ」
「全員、魔術を放て!」
アルベルトの号令が飛ぶ。
詠唱を終えていたエルフたちが、一斉に魔術を放った。炎が走り、氷の槍が飛び、雷が地面を焼く。無数の魔術が男へと殺到した。
爆音が響き、土煙が舞い上がる。
これだけの魔術を受ければ、無事では済まないはずだ。
しかし。
「……おいおい」
土煙の向こうから、男の声が聞こえた。
「いきなり何すんだよ。挨拶くらいさせろって」
男は、何事もなかったかのように立っていた。
服に目立った傷はない。身体にも、火傷ひとつ見当たらなかった。
「なっ……!?」
エルフたちが息を呑む。
男は剣を軽く振り、肩を回した。
「よえぇなぁ。魔術が得意だって聞いてたから、もうちょっと期待してたんだが」
その言葉に、兵士たちの顔から血の気が引いていく。
次の瞬間、男の姿が消えた。
「――っ!?」
ルークが剣を構えた、その直後。
鈍い音が響いた。
「がっ……!」
ルークの身体が宙を舞った。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。男がルークの懐に入り込み、剣の柄か拳で腹部を打ち抜いたのだ。
ルークは地面を転がり、何度も跳ねてからようやく止まった。
「ルーク!」
私は叫んだ。
さっきまで獣族を圧倒していたルークが、たった一撃で吹き飛ばされた。
男はそんなルークを見下ろし、つまらなそうに呟いた。
「お前が一番強いのか? だとしたら、期待外れもいいところだな」
「貴様ぁ!人族がぁっ!!!」
アルベルトが叫ぶ。
エルフたちは手をかざし、再び男に狙いを定めた。
しかし、男が剣を一振りした瞬間、エルフたちの身体がまとめて宙を舞った。
「な……」
「うそ、だろ……?」
誰かの声が震えた。
さっきまで優勢だった戦場が、一瞬にして地獄へと変わった。
男が一歩進む。
それだけで、兵士たちが後ずさる。
強い。
そんな言葉では足りなかった。
この男は、明らかに格が違う。
「さて、と」
男は倒れたルークの前まで歩いていった。
ルークは腹を押さえ、苦しそうに顔を歪めながらも、剣を手放していなかった。
「まだやる気か?大した根性だな」
「……黙れ」
「ははっ!威勢だけはいいじゃねえか」
男はしゃがみ込み、ルークの顔を覗き込んだ。
「この国の連中は、地位も低くて弱いクソカスのくせに随分と偉そうだな。だが、結局はこんなもんか」
「……っ!」
ルークが男を睨みつける。
男は立ち上がり、剣を握り直した。
「お前らがどれだけ魔術を使えようが関係ねえ。俺の前じゃ、何の意味もねえんだよ」
「やめろ……やめろっ!」
アルベルトが駆け出そうとする。しかし、周囲には負傷した兵士たちが倒れていた。彼らを見捨てて進むことも、男に追いつくこともできない。
男はルークへ視線を戻した。
「じゃあな」
剣が持ち上がる。
「ルークッ!」
アルベルトの叫びが響いた。
その目には、絶望が浮かんでいた。
また、失うのか。
大切な人を。
この国を支えてきた仲間を、家族を。
目の前で、何もできずに奪われるのか。
アルベルトは歯を食いしばった。
だが、身体が動かない。
男の剣が、ルークへ向かって振り下ろされる。
「レオン」
私は彼の名前を呼んだ。
「……リリアさん?」
「離れるね。ごめん」
彼が何かを言う前に、私は地面を蹴った。
一歩。
たった一歩。
それだけで、景色が流れた。
雑巾掛けで磨いた足運び。荷物を運び続けて身につけた重心移動。そして、何よりも、前世から身体に染みついているボクシングの感覚。
私は男の剣が届く寸前、ルークの身体を抱えて横へ飛び退いた。
ガキィンッ!
剣が地面を叩き、土が弾ける。
「……あ?」
男が、初めて驚いたような声を出した。
私はルークを抱えたまま距離を取ると、彼を地面へ寝かせた。
「ルーク、大丈夫?」
「リ、リア……お前、何を……」
「ちょっとだけ、無茶をしようと思って」
そう言って、私は立ち上がった。
目の前には、中年の男。
剣を持った、正真正銘の強者。
足が震えそうになる。
怖い。
すごく怖い。
さっきまでの獣族とは違う。目の前の男は、私を殺すことに何のためらいもないだろう。
一歩間違えれば、死ぬ。
前世でも、何度も死を意識した。病気で苦しみ、身体が動かなくなり、最後には何もできずに命を落とした。
でも、今は違う。
私は、自分の足で立っている。
拳を握れる。
走ることも、戦うこともできる。
そして今、私の後ろには、守りたい人たちがいる。
「……へえ」
男が私を見て、口元を歪めた。
「なんだ、お前。ちっこいガキが、俺に何の用だ?」
私は答えなかった。
ただ、拳を握り直した。
インファイト。
相手の懐に飛び込み、近距離で戦うスタイル。
本当なら、私はこの戦いを楽しみたかった。強い相手と拳を交えて、自分の力を試してみたかった。
だけど、今は違う。
怖いし、逃げ出したい。
それでも、ここで退くわけにはいかない。
私のためじゃない。
誰かのために。
私は、拳を構えた。
「……私の大切な人に、手を出さないで」
男の笑みが深くなる。
「ははっ!いいねえ。その目だよ、その目!」
男が剣を構え直す。
「せいぜい楽しませてくれよ、嬢ちゃん」
私は息を吸い、低く腰を落とした。
そして、地面を蹴る。
――私の拳が、男へ向かって走り出した。




