〈魔術狂い〉
水面に浮かぶ泡が儚く弾け飛ぶような、そんな心地良い感触で奏多はゆっくりと瞼を開いた。
背にぼんやりと感じるのは、ここ最近全く縁がなかった酷く懐かしい感触。フワフワとして、身体を優しく沈めこんでくれるかのようなそれはーーー
「まさか、布団……!!!」
視界に映るのは知らない天井で、ぼやけた視界が木目を捉えたことでこの建物が木造である事が伺えた。
だが、それらは布団の驚きに勝るものでは無い。
元の世界からかなり布団に執着心が強かった奏多だが、驚いたことに今彼が寝転んでいる布団はかつて奏多が愛用していたものより段違いに品が良かった。
それを背中で感じとり戦慄すると同時、しかし抱いた警戒心は即座にフワフワの感覚で沈められる。
あえなく敗北した警戒心など露知らず、奏多は暫く布団の感触を楽しんでいてようやく意識が覚醒したのか、自身の置かれている状況に疑問が浮かぶ。
「どこだ、ここ?」
突然の目覚めという事もあり、記憶が僅かに混濁していた。状況がよく理解できず、奏多はとりあえわずぐったりと重い上半身を起こして周囲を観察する。
何故か僅かな痛みとともに起き上がった奏多だったが、彼の視野に映る光景には正直なんの既視感もない。
本当に、一切知らない場所だ。
かなり広めの空間に奏多が寝転がっている柔らかなベッドがぽつんと置いてあり、隣に小さな机が設置されているだけの酷く悲しい部屋。
奏多はどうやら、ここのベッドで寝ていたらしい。
彼が着ている服は、寝る前に着ていたはずの冒険用に整えられた質素な服ではなく、麻で編まれた寝着に着替えさせられていて、隣に置かれた小さな机には、鞘に入った鉄の剣が立てかけられていた。
「そうだ、俺は竜と戦って……」
そこまで見て、ようやく奏多の寝る前の記憶を思い出す。
瞼の裏に焼き付いているのは、圧倒的な力で奏多達を追い詰めた、漆黒の鱗を持った黒き竜。
そんな化け物と対峙し、奏多は謎の声に導かれてそのまま訳の分からない魔術を使ったのだ。そのチート魔術により何故か有り得ないほど身体能力が強化され、奏多は酷く呆気なく竜を倒した。
だが、その後度重なる衝撃とあまりの疲労に意識を失い……
「気付いたら、ここにいるって訳か。」
誰かが助けてくれたのだろうかと楽観的な思考が奏多に浮かぶが、しかし最悪の場合追っ手に捕えられた可能性もあるのだ。
慎重すぎる思想であることは奏多自身理解はしているが、それでもこの世界で油断することの愚かしさを、奏多はまだ思い知らされたばかりなのだから当然とも言えるだろう。
「ま、さっき布団のせいでバリバリ油断してたけどな……」
軽口で今更浮かんできた恐怖を誤魔化し、隣の机に立てかけてあった鉄剣に触れようとするとーーー
(安心しろ、貴様が意識を失っているのを見て、ただ正義感で助けただけの善人だ。)
「うぉっ!?」
それは、本当に前触れもなく訪れた。
奏多の未だぼんやりとしたままの脳内に直接響いてくるかのように、声が聞こえたのだ。
しかも、その声は記憶の中に残るあの闘いで奏多にチート魔術を教えた謎の声に他ならならなかった。
竜との戦いの際は、極限状態だったこともあって奏多はそこまで気にしていなかったが、やはり脳内に直接声が届くというのは酷く変な感覚で。
「なあ、お前は誰なんだ?」
戦いの最中に突如聞こえてきた謎の声。
使い方も知らないはずの竜を一撃で倒すことが可能というチート魔術が使えるようになったり、やけに傲慢な態度といい、謎が多すぎる。
(余の名か……そうだな、ソードスピリッツ、とでも名乗っておこうか)
剣の精。奏多からするとそれなりにかっこいい名前なのだが、どうしてそのような名前なのだろうか。
本当に、文字通り剣の精ということなのだろうか?
まあ、今は現状確認が先だ。剣の精について考えるのはひとまず後にした方がいいだろう。とりあえず、助けてくれた相手を探して礼を言わなくては。
そう結論付け、奏多は体を起こそうとしたのだが。
「……ッ!いってえ……!?」
勢いに任せて立ち上がろうとすると、下半身、特に腰の部分に猛烈な痛みが脳へと伝達された。
視界に火花が散り、突然の痛みによるショックで汗腺から一気に冷や汗が分泌される。
(まだあまり動かない方がいいぞ、貴様の傷は、引き連れていた子ドラゴンでも完全には治せないほどの大怪我だったらしいからな)
と、謎の声が咎めるような事を言う。
どうやら奏多は、それ程の大怪我をしていたらしかった。
「おい待て、俺、目覚める前にそんな傷負った記憶ないぞ……?」
そう、奏多はあの竜に怪我こそ与えられたものの、奏多が意識を失った理由は大方極限状態による疲労であり、ドラゴンにすら治せない程の大怪我を負った記憶は一切ないのだ。
奏多が抱いた当然とも言える疑問に、しかし剣の精は衝撃の事実を明かす。
(それは当然、悪魔の祝福を使った副作用に決まっているだろう。)
「ーーな!?」
悪魔の祝福とは、奏多が竜と対峙した際に使ったチートすぎる身体強化魔術のことだろう。
当然、人間が竜を圧倒できる程の力ならばそれ相応の副作用があることは予測できた事態でもあったのだがーーー
「それにしても、あのドラゴンに治せない傷って相当だよな……?」
やはりというべきか、強力な魔術には代償というものがあるらしい。
余りにもそれが厳しいものであるような気もするが。
(甘ったれたことを申すな。本来であれば悪魔の祝福とは優秀な聖魔術師達が一生をかけ、身を犠牲にしてまで放つ最高等の魔術だ。むしろそれをその程度のデメリットで放てた事を喜べ。)
少し釈然としない気持ちはあるも、そこまで言われてしまえば奏多とて深く責めることはできない。
どちらにしろ、あの魔術に命を救われたのは純然たる事実なのだから。
「あの、一応聞いときたいんだが……」
(ふむ、我に答えられる範囲ならば聞いてやろう。)
「……もし、子ドラゴンが居なかったら俺はどうなってたんだ?」
(ん?それは死んでいただろうな、それがどうしたと言うのだ?)
「あ、はぁ……」
命を救われたのは確かとはいえ、しかし奏多にはこれと上手くやっていける気は欠片もしていないのだが。
まあ実際、竜と人間という何十倍もある戦力差を縮めた魔術だ。よほど高度な魔術であることは変わりないのだろう。
というか、子ドラゴンが居たとしてもあのままあの森で放置されていたら奏多は遅かれ早かれ死んでいたのだ。
同じく命の恩人であるはずの奏多を救ってくれた人物には、痛みをこらえてでもお礼に行くのが義理というものだろう。
まあ、今その人物がここにいるかも分からないのだが。
覚悟を決めて身体を動かし、再びベッドの上から降りようとしてーーー
「痛く、ない?」
ついさっきまで、少し体重をかけるだけで激痛が走った下半身の痛みが、まるで嘘のように消え去っていた。
「おいおい、どうなってるんだよ……?」
(それは、我の保有する〈所有者自動回復〉のスキルだな。恐らくだが、意識が戻ったことにより作動したのだろう。)
再び謎の声から聞かされる衝撃の事実に、奏多は一瞬頭が真っ白になるのを感じていた。
混乱する思考を自覚しながら、奏多は謎の声を問い詰める。
「な、なんなんだその便利スキル、ていうか所有者って俺のことか?俺、あんたのこと見た事もないんだぞ!?」
混乱のあまり早口で謎の声を問い詰める奏多に対し、魂に響く声は未だ欠片の動揺も見せずに淡々と事実を話していく。
(我は今、お前が所持している鉄の剣にそのまま魂ごと張り付いている。故に、剣でありながらスキルを保有し、レベルも上がるという特異な状態になっているのだ。)
剣、と聞かれて真っ先に奏多の脳裏に浮かぶのは、ティロスから護衛用に貰ったあの錆び付いた鉄剣だ。
フィラル大森林を生き抜く上で、あれ程世話になった道具は他にないだろう。
だが、ここまで奏多を支えてくれたあの剣は既に竜により真っ二つに折れ、到底使い物にならないはずで。
「でも、だとしたらなんで折れた剣をこんな所に置くんだ……?」
違和感が、少しずつ形になっていくのを自覚する。
奏多は息を詰めながらも痛みを感じなくなった足で立ち上がると、小机に立てかけてあった剣を手に取った。
「ーー!」
そうして思い切り鞘から引き抜くと、そこには綺麗な状態で保たれたあの鉄の剣。
「なんだ、これ……!?」
(これも我の保有する〈自動修復〉のスキルだ。どれだけ壊れても、木っ端微塵にされない限りは修復可能になるぞ。)
明らかに折れたはずの剣が完全に復元しているという怪異が、剣の精により淡々と説明されていく。
もはや呆然とその話を聞く奏多が、しかし止まっていた思考を復帰させて何とか言葉を絞り出した。
「な、なんなんだよそのチートスキル……!!ていうかお前、一体いつから俺の剣に宿ってたんだ……?」
(大体、貴様が闇竜との戦いを始めたときくらいからだな。Lv1の鉄の剣では魂の器が小さくそれほど長く宿れん。故に、強敵と闘う際に寄生して鉄の剣のLvを上げておきたかったのだ。)
奏多には別次元の話で何を言っているのかは全くもってわからないが、しかし辛うじて鉄剣に問いかける。
「今の、お前のLvはいくつだ?」
Lv1ではそう長く宿れないと剣の精は言った。
裏を返せば、あの竜を倒してからずっと剣に宿れる程のレベルを鉄剣は持っているのだ。
(いちいち説明が面倒くさいな。鉄の剣ーーー我を見て、〈ステータス〉と唱えろ。〉
剣の精が呆れるように言ったのは、確かあの赤ローブの男が奏多のステータスを確認する時にやっていた詠唱だ。
とはいえ、奏多はそれを使うことは出来ないということは自分自身自覚しているのだ。
勇者は使えない、つまり勇者ではなかった奏多ならばステータスを使うことが出来るのではないかと、彼は旅中に何度も試したが全く使うことは出来なかったのだから。
「俺、ステータス使えないんだけど……」
(そんなことは知っている。いいから、早く唱えろ。)
「なんかやけにステータス推ししてくるなお前……正直、出来ないのにこんなことしても虚しくなるだけなんだけど……」
これが終わったら、自分を助けてくれた相手へと直ぐに挨拶しに行かなければ。
そう決意して、奏多は少しうんざりとした表情を見せながらもステータスを詠唱する。
「ステータス」
奏多が、己の鉄の剣を見てそう呟く。
刹那、ほんの僅かながらに体内で魔力が蠢く感覚とともに奏多の脳内に直接情報がぶち込まれ、鉄の剣の詳細な情報が明らかになった。
鉄の剣精霊族 Lv197
装備者
攻撃力+150
素早さ+100
ーーーーーーーーーー
特殊効果
多重詠唱
装備者自動回復
鉄の剣自動修復
装備者スキル共有
闇属性の敵にダメージ20%up
全属性の敵にダメージ10%up
自我交換
念話
種族スキル 〈ステータス〉付与
形状変化
「なんなんだこの鉄の剣、化け物じゃねえかよ……」
まるで赤子の頃から授かっていたもののように、奏多は違和感無くステータスを使用していた。
しあし奏多が最初に感じたのはステータスが使えることに対する驚きではなく、その圧倒的な剣の性能に対する驚愕であった。
攻撃力が+150、素早さが+100。
持っているだけであの竜と互角に戦えるだろうステータス付与に、所有者の自動回復や修復などの優秀なスキル。
奏多がステータスを使えるのは、恐らく剣にあるステータス付与というスキルのお陰だろう。
だが、何より驚くべきなのはこの剣のレベルに他ならない。
「197……!?」
伝説の装備と言われてもおかしくない性能に、彼は唖然とする他なかった。
圧倒的な力を前にすると思考停止するのは奏多の癖ともいえる行動だったが、今回に限ってはそれも仕方が無いと言えるだろう。
何せ、その「圧倒的な力」が敵ではなく明確な味方として位置しているのだ、ここまで綱渡りでやってきた奏多にとって、これ程有難いことはそうそう無い。
特に嬉しいのが、ステータスが見れるようになるということだ。
これがあれば、少なくとも相手の情報がないまま闘いが始まるのを避けられるし、戦闘をする上でかなり優秀なアドバンテージになるだろう。
なにより、ステータスが見れるようになれば持て余していた〈異世界人〉すらも扱えるようになる可能性すらあるのだ。
「こりゃ……一気に戦力が増えたな。」
もう大蜥蜴や子ドラゴンに頼らなくても済むとガッツポーズを決める奏多に、しかし剣の精は呆れたようにこう付け足してくる。
(残念だが、確かに貴様は我の恩恵でステータスは高いとはいえ剣の技術は欠片もない。)
「ーーー」
(当然同ステータス帯の相手には簡単にやられ、防御と体力に補正はかからぬ故スタミナもないのだ。慢心はしない事だな。)
奏多が1人で戦うことが出来るのは、まだまだ先になるという訳だ。
それに関しては割り切るしかないと思考を切り替え、奏多は大蜥蜴達の安否を確認する。
「なあ、大蜥蜴とドラゴンはどうなった?」
(大蜥蜴は有名な〈乗用魔物〉であるため敵意を向けられることはなかったようだ。あの竜を見た時はさすがに警戒していたが、貴様を治癒していたため一応殺されることは無いだろう)
その返事に奏多は安心すると同時に、剣の精のその返し方に何処か違和感を抱いた。
「それは良かった……でも、俺を助けてくれた女って、子ドラゴンを殺せるほど腕が立つのか?」
ほんの僅かな違和感を口に出しただけだったが、しかし剣の精の返答は何故か苦々しいものだ。
(ああ、あの動きは明らかに鍛えられた者の動きであったし、魔術の心得もあるようだった。動きとしては二流止まりだが、魔術補佐の杖を持っていたので恐らく本職は魔術師なのだろうな。)
「ま、マジかよ……」
(残念ながら、補正を受けた貴様でも勝ち目はないだろう。お前を助けた女は、それ程までに隔絶された存在だ。)
まあ奏多としては、こんな秘境をうろついている様な女が平凡な方がよっぽど怖いのだが。
それにしても、今の奏多でも到底叶わない相手がいるという事を力を得た直後に思い知らされたのは収穫だろう。下手に慢心するとろくな事にならないのは経験済みだ。
「とりあえずあんたから聞きたい話は聞けたんだし、挨拶に行くか。」
奏多はベッドから飛び降りると、だだっ広い空間の角に設置された小さく目立たない木の扉を見つける。
それをくぐり抜けていくと、さっきまで奏多がいた部屋よりも更にだだっ広い空間が広がっていた。
広さとしては、奏多が召喚された石造りの部屋くらいだろうか。
目につく物はすべて木で作られており、奥にあるダイニングらしき机の上には、見覚えはないものの何となく美味しそうなご飯が並んでいる。
するとその机のすぐ隣、今まさに飯にありつこうとしていたのだろう女性の目が、驚いたように奏多を見つめる。
そして女性は奏多が起き上がってきた事に気付くと、満面の笑みを浮かべーーー
「おお、目が覚めたんだね!体調はどうかな? 」
女性の平均よりほんの少し低い声で奏多に話しかける彼女の体は、女というよりは少女に近い。
奏多よりも少し身長は低い程度ではあったが、無邪気さを感じさせるような童顔と酷くミスマッチな学者然とした鋭い翡翠の瞳は世界を優麗に映し出している。
服はかつてのあの男たちと同じように紅蓮のローブでありながら、彼らとは格の違いが人目で伺える滑らかなローブだ。
派手な装飾こそないものの美しいそれは、彼女の燃えるように紅い髪によく映えていた。
顔はティロスに勝るとも劣らないほど綺麗に整っていて、耳は何故かやけに長い。
一目みて神秘的な印象を抱かせるその容姿に思いつくものがあり、奏多はその存在に思わず息を呑んだ。
「エル、フ……?」
そう。
彼女の容姿は、テンプレ通りであれば完全にエルフと呼ばれる種族であった。
よく聞く外見的特徴と完全に一致しており、赤髪こそ珍しいもののそれ以外はエルフの特徴と全く同じ。
元々ティロスからフィラル大森林にはエルフが住んでいると聞いていた事も、奏多の理解を高めていただろう。
何より特筆すべきはその少女の異常性だろう。
まるで細枝のように酷く華奢でありながら、しかし全くもって隙がない。全身から強者のオーラを放っているのが奏多にも理解出来て、彼は人間離れした少女の美しさとそれに相反した強者のオーラによる動揺で、彼女の質問に返すことができない。
そう、奏多は軽いコミュ障である。
ティロスと会った時は急展開過ぎるのもあり全く意識していなかったが、基本的に美少女に話しかけられれば挙動不審になる他ないのだ。
冷や汗をかきながらもじもじとする奏多に、だが少女はそれを一切気にした様子もなくおおらかに微笑む。
「おっと、自己紹介を忘れたね、私の名前はカレジ・イルティス。
一部では、〈魔術狂い〉なんて酷い呼び名で通ってる魔術師さ。それじゃあ少年、どうぞよろしく。」
これが、後に奏多と深い関わりを持つことになるカレジ・イルティスとの、最初の邂逅であった。
ブクマしてくだちゃい




