第十一話 悪魔の愛妻 一
女剣闘士の中でも『赤虎タヌム』と『鴉のブレイロ』は突出しすぎた双璧だったが、対抗しうる逸材『女巨人ヒュグテ』と『風神アンレイ』も参戦したことで『地獄の島』の闘技場はかつてない熱気に満ちていた。
いっぽう、かつて有望だった新鋭『名無しのアンナ』は無残な敗死を遂げ、試合につきあった『墓下のヘルガ』には多少の変化があった。
ひとつは『名無しのアンナ』の装備に登録しなおしたこと。
それはアンナとヘルガの仲を知る者には複雑な当惑をもたらし、ヘルガの素質を知る者には戦術の変化を警戒させた。
しかしほとんどの観客にとっては、より卑猥な格好で媚びはじめただけで、戦意も正気も乏しそうな気まぐれには変わりがない。
「以前は女剣闘士なんていかついブサイクだらけで、十人並みの見た目でも人気が出たものだが、今じゃそれなりの顔でもほいほい入ってくる」
「『可憐なるアメリ』ほどの美人が珍しかったころならともかく、いまじゃ愛想がよくて品もいい『舞姫スール』や『赤薔薇ジェンコ』や『空飛ぶノーマ』で見た目の人気を競っているのに、なんで美女の皮だけかぶった怪物なんか……まあ『泣き虫テルミン』の妖しさにそそられる気持ちはわかるが……ヘルガ? たしかに見た目だけなら……しかし……」
包帯で押さえただけの豊かな胸と、尻にくいこむ紐のような金属下着は『墓下の怪物』にさらなる軽蔑ばかりを集めがちだった。
もうひとつヘルガに起きた変化は、領主フマイヤの寝所へ呼ばれるようになったこと。
これも臣下や領民の間では「いまさら」であり、今まで手をつけていなかったことに驚く者も多い。
『愛しのヘルガ』という呼び名も使う機会が多少は増えた程度だった。
ごく一部の者は娼婦としての『雌犬ヘルガ』の復帰がさらに遠のくことを恐れたが『悪魔公』フマイヤはヘルガの『売春する意志』まで尊重しており、ヘルガ自身には娼客を断る発想そのものがない。
ふたりの狂気に絶対の信頼がある以上、領主の体面を気にする役人たちがどれだけ妨害しようとも、希望は少なからずつながっていた。
それよりはるかに動揺していたのは後宮だった。
いまだに領主の世継ぎを得られないあせりは、側室たちの重荷となっている。
フマイヤの第三夫人アルポナは年齢よりも子供っぽく見られがちな顔だちと明るさだったが、側室になってからは質素ながらも華麗に着飾り、領主の支え役たる責任感も瞳に灯している。
フマイヤがヘルガを寝所へ呼んだ数日後には、実家の居間で座椅子の陰に潜んでいた。
兄のアルピヌスは若くして軍務長官という重役を担っていたが、父はさして昇進できないまま持病で衛兵隊を退役している。
アルピヌスが領主やマリネラに次ぐ要人となった時には、実家の屋敷も移転したが、貴族としての威厳を示すには最低限の立地と大きさしかない。
あわただしい出世への嫉妬をそらす意図もあったが、家の者もほとんどは『贅沢すぎると落ち着かない』という見解で一致していた。
日が暮れて間もなく帰宅したアルピヌスは、居間にいた衛兵や侍女たちを見て苦笑いする。
「アルポナが帰っているのか?」
同居している叔父夫婦の幼い息子が、領主の妻子につく親衛隊に遊んでもらっていた。
両親と祖父母にかしずく侍女たちも、後宮つきの面々だった。
「狭い家で申しわけないな。ともかくも皆さん、よくぞおこしで」
アルピヌスは長身で肉体も鍛えていたが、よくも悪くも緊張感に欠けている。
軍の全権を任されてなお『うだつの上がらない怠け者』のように気さくで、妹とよく似た色白肌と金色に近い明るい髪もあいまって、若い遊び人のようにも見えてしまう。
柔和な笑顔に侍女たちはうれしそうな会釈を返すが、アルポナは密かに兄の背後へまわりこみ、帯をがっしりと確保していた。
「お兄様、お勤めお疲れ様です。ご帰宅なされてすぐで申しわけありませんが……」
有無を言わさず奥の部屋まで笑顔で押しこむ。
ふたりきりになると、アルポナは困ったような真顔を向けた。
「……少々、お話したいことがございます」
「今日はオレの縁談話ではなさそうだね?」
「そちらも気がかりですが……あの剣闘奴隷の女性をなぜ、フマイヤ様へ近づけてしまうのです?」
「マリネラ様が彼女を邪魔だと思っているなら、フマイヤ様に怨まれてもオレが斬り捨てるさ。でもフマイヤ様が興味をお示しで、マリネラ様もそれを支えるおつもりなら、オレは見守るか背中を押すだけだよ……オレ自身はヘルガさんのことを顔のいい変人くらいにしかわからないけど、アルポナは苦手かい?」
アルピヌスは優しい笑顔のまま、目だけは真剣になる。
「フマイヤ様の選んだかたであれば、身分や噂はどうあれ、相応の理由があるものと信じたいです。しかし……理解しがたいことばかりで、フマイヤ様のご様子も気がかりなのです」
「うん。ヘルガさんに関わることでは、フマイヤ様とマリネラ様でも、どこか調子がずれることも多いみたいだね」
あっさりと懸念を認められ、アルポナは首をかしげて兄の頭を疑う。
「ですよね? フマイヤ様が剣闘奴隷とも親しくお話しするようになられて、言葉づかいまで変わってきたことは、男のかたのそういった面が遅れて出てきたものと思っておりましたが……お話をうかがうほどに、近頃の剣闘事業……いえ政務のすべては、あの女性ひとりのために注がれているように思えてしまうのです」
「医局長のおばあさんも『狂気の沙汰』とか怒っているけどね。それでもまあ、あのおふたりの意向であれば、オレはどこまでも従うつもりだよ……いや、臣下としても兄としても、アルポナにはもっとご寵愛をひったくってほしいとは思っているけど」
「このとおり見劣りする体つきでも善処しております!」
アルポナは成熟の足りない自分の胸と腰をばんばんとたたいて頬をふくらませる。
「それに、ようやく側室同士の間柄もよくなってきたところでしたのに」
「いびられていた相手まで応援して、お世継ぎの確保に努めているとは聞いているよ。我が妹ながら、けなげな心がけだが……フマイヤ様とマリネラ様だって、そんなお前の気づかいを知らないわけではないだろう?」
アルポナは下くちびるをかんでうつむく。
「それどころか、私にはまるで正室のような裁量を次々と任せてくださいます。でも私は、フマイヤ様が空けたままにしている正室の間には、いつかマリネラ様がお招きされるものと……」
「うん。それは…………うーん、どうしたものやら……」
アルピヌスが笑顔で目をそらし、アルポナは子供のようにすがってゆさぶる。
「お兄様~!?」
「お前だって知っているだろ? あんなおふたりでもそのあたりは繊細で、オレなんかが口を出せそうなことではないし。探るのも怖いから、もう少し逃げまわらせておくれ」
アルポナも仕方なしにため息をつきながら、部屋から脱出しかけた兄の裾は離さない。
「それと念のために、確認させていただきたいのですが……お兄様は、その、フマイヤ様とは……?」
今度はアルポナがぎこちない笑顔で目をそらす。
兄のアルピヌスは地位でも人気でも、いまだに未婚でいることが不自然だった。
婚約者だった後宮の侍女アメリは謀反人として捕縛されたが、それならなおのこと、立場上は別の婚約を急いだほうが体面も政情も安定する。
「お兄様から恋愛についてお聞きしたことはほとんどありませんので、もしやその……」
「ん? 若いころは上司や後輩に頼まれてつきあったこともあるけど、やっぱり女性のほうが好きだし、フマイヤ様のお相手をしたことはないなあ?」
「そ、そうですか……」
アルポナは兄が男性とも交際していたことは初耳で、驚きを隠しきれない。
ゆるい人柄とはいえ、領主一族の身辺を護衛してきただけあって、話題にしない事柄も多かった。
しかし同性との交際をあっさり認めたことからも、女性の相手ができないわけではなさそうだった。
様々な地域の民族が立ち寄る『地獄の島』は風習に関しては柔軟で、他者への害に関わらない限り、制限は避ける傾向にある。
ただし疫病に苦しめられた過去から、保健衛生……中でも『健康な出産を減らしそうな事柄』については、例外的に忌避の意識もある。
同性、年少者、高齢者、近親者との交際は、そのような風習のある民族とも交流しているため嫌悪感までは薄いものの、身分が高い者ほど公言は避けていた。
「マリネラ様ともなにも……?」
「ないない。オレがマリネラ様にも忠誠を捧げているのは、若いころからいろいろ助けていただいている恩人だから。とっくに首を飛ばされていたはずが、おかげでどうにかつながったままだよ」
「いったいどのような不始末を……それはともかくも、それならなぜ結婚から逃げ回っているのです? 親しい女性も少なくありませんのに……あらぬ噂もいろいろと立ってしまいます」
「いや、女性から逃げているつもりはないよ? むしろ若いころは人妻にまで手を出しちゃって……おっと、今でも首が飛びかねないから詳しくは言えないけど。でも出世しすぎちゃったせいか、縁談までいろいろ大げさになってきたし。こればかりは人まかせに怠けられないから、大変そうなんだよね」
アルポナは兄の話をあらためて聞くほどに、なぜ軍務長官などという要職を与えられてしまったのか疑問だった。




