第十一話 悪魔の愛妻 二
アルピヌス邸の居間へつめかけた後宮の衛兵たちは、屋敷の者やその子供たちの世話をしながら待機していた。
奥の扉を見張っていた侍女のひとりが手ぶりを示すと、全員が即座に居ずまいを正して整列する。
合図をした侍女デルペネはマリネラ直属の側近であり、マリネラのいない場では代理として側室たちの護衛指揮を一任されていた。
背は低く、全体に細い少女だったが『悪魔の右腕』に臣従する『指先』のひとりとして恐れられている。
奥から出てきた領主の第三夫人アルポナまでもが、マリネラへ対するような恐縮を見せた。
「お待たせしました。まだ月明かりを頼れるとはいえ、あまり遅くならない内にもどったほうがよさそうですね」
デルペネは生家だった油問屋がつぶれ、安酒場で働いていたが、マリネラに見出されて才気ひとつで島の高官にまでなっている。
顔は勝気そうだが礼儀をわきまえ、くせ毛は大きくうねっているが着飾りは質素で、貴族の所作も外交官としての教養も磨き続けていた。
しかし出自の身分が低いこともあって、どれだけ地位を得ようとも、マリネラに代わって汚れ仕事を担うべき立場と自認している。
領主の側室を護衛して相談も受けながら、後宮の監視役も兼ね、場合によっては威圧や排除にも手を染める……『影の領主』とも恐れられるマリネラが担ってきた血生臭い役割は数多い。
デルペネはそれを肩代わりできる任務を誇りとしていた。
憧れているマリネラのような強い女性に近づけることも、恩人マリネラを人間らしくもどす手助けになれそうなことも、なによりの喜びと考えている。
後宮へ小言をばらまく嫌われ役となる覚悟もできていた。
「アルポナ様。今後はもっと早くから予定を立てていただかなければ、護衛の配備も調整しかねます」
しかし監視対象のアルポナは、いつでも親しげな笑顔を見せる。
「デルペネさんにお目付け役を頼めるようになってからは、本当に助かっています。以前はマリネラ様にご足労を願うことになってしまい、実家もマリネラ様の来訪とあっては大騒ぎになりましたので……祖父などは遺言まで口走るほど」
島は中央に小山があり、頂にそびえる闘技場を囲んで領主の居館と貴族の邸宅地が広がる。
港から続く中央通りは山腹で大きくうねり、何層にも重なった貴族屋敷の塀は領地を見渡せる要塞を構成していた。
軍務長官アルピヌスの屋敷は中央通りから外れて最下部に近く、領主の居館までは遠回りが多い。
小さな孤島でありながら、様々な地域の者が多く出入りするため、大陸の都市と同じように貴人の外出には警戒が必要だった。
デルペネは夜道を急かしながらも、内心ではアルポナが兄へ伝えに行った抗議を応援している。
領主が剣闘奴隷などの寵愛をはじめたことには疑念が強い。
作法や予定外を責めるなら『墓下のヘルガ』に関わるすべては無作法と突発事態だらけだった。
そしてアルポナは、ヘルガや領主への疑問を抱くたび、先ずは自身の落ち度から考えがちでもある。
「その……私の作法などは、まちがえていないのですよね? 寝所での……」
「……はい。アルポナ様からお聞きした限りでは」
酒場娘の多くは売春もしていたが、デルペネは読み書きと算術をできて客あしらいもうまかったため、店主には目をかけられて切り盛りの一部を任され、ほとんどの客を断っても許されていた。
ただ、一部のしつこい貴族などに目をつけられて店の存続にも関わる事態では、店主にすがられて屈辱に耐えるしかない時もあった。
不本意であれ、身についた娼婦としての知識も今は役に立っている。
領主フマイヤの側室たちは侍女の過去も知っていたが『地獄の島』は奴隷売買で発達した経緯もあり、出自がどうあれ能力功績が重視される制度はフマイヤの代でとりわけ顕著になっていた。
第三夫人アルポナは側室の中でも低い身分の出自で、親戚や知己には娼婦となった者もいる。
そのせいか年の近いデルペネが侍女に成りたての当初から、友人のように接していた。
アルポナ自身、側室となった当初からフマイヤとの触れ合いだけでなく、手間のかかる看護も率先し、今ではマリネラが自身に代わって全身の手当ても任せられるほどに信頼されている。
『先代の正室メイセリア様も、誰より率先して看護に努めていたと兄から聞いておりますので』
世継ぎを授かるのであれば、アルポナが最も望ましいと考える者はデルペネ以外にも多い。
しかしデルペネはもう『とにかくヘルガ以外の誰か』とも願っている。
アルポナたちが後宮へもどると、出迎えには侍女だけでなく第二夫人まで出てきた。
「ニシェーラ様? いつからお待ちで……」
「アルポナ、どうでしたか? フマイヤ様は今夜も不在で……理由や居場所はなにも言伝がないそうですから、きっとまた闘技場で……あの剣闘奴隷と……」
第二夫人ニシェーラはフマイヤよりもいくらか年上で、きらびやかな装いが似合う長身だったが、表情は不安に揺れていた。
「詳しくは明日にでも……いえ、これから寄らせていただきます」
すがるような目を向けられ、アルポナは招かれるままについていく。
領主の側室たちは、後宮に小さな屋敷ほどもある住まいをひとりずつ割り当てられていた。
専属の侍女たちが詰める部屋のほか、いくつかの子供部屋と納戸なども含まれる。
屋根のほかに共用となる施設は厨房のほか、後宮の侍女たちを統べる侍女長の部屋くらいだった。
現在の侍女長はマリネラが兼任しており、大半の業務は三人の侍女長補佐が代行しているが、そのひとりであるデルペネはマリネラの代理として最も実権が強い。
「ではアルポナ様。私はこれで」
さがりかけたデルペネに、ニシェーラの腕がのびる。
「デルペネも遠慮なく……いえ、どうかもうしばらくここに」
デルペネを同席させれば小言を聞かされがちだったが、あらぬ疑いをかけられる心配もなくなる。
デルペネ自身の心づもりはどうあれ、マリネラに信頼されている高官でありながら、マリネラよりは格段に接しやすい代役と思われていた。
少なくとも、失言ひとつで即死する緊張はしないで済む。
第二夫人の部屋は以前に比べ、豪奢な衣服や装飾品よりも香油壺や乳液の革袋といった美容品が多く目立っていた。
アルポナは出された茶に口をつけたが、ニシェーラが固まったように見つめていたので、茶菓子には手をのばさないでおく。
「兄のアルピヌスから聞いた限りですが、フマイヤ様があの剣闘奴隷を後宮へ迎える予定は、今のところないようです」
「今のところ? でも、以前からあれほど目にかけ、近ごろはもう、私たちよりも側にいる時間が長いほどで……珍しい動物のごとく愛でているだけかと思っていましたのに、あれではまるで、私たちよりも……今夜も、今も……」
ニシェーラは裾を握りしめ、眉を険しくする。
しかしふとアルポナの顔をうかがい、気まずそうに目をそらす。
「失礼……でもせめて、あの剣闘士は奴隷から解放し、しかるべき家に養女として入れるなどの体面を繕った後でなくては、身分の示しもつきませんし……いえ、失礼。アルポナのことではなく……」
ニシェーラは落ち着きなく茶碗をゆらし続ける。
「……このように貴女にすがっていい私でもありませんが……」
島の有力貴族の娘である第二夫人ニシェーラは、同時に側室となった第三夫人アルポナを当初は威圧し、嘲笑し、ことあるごとに身分の差を強調していた。
そうすれば未定の正室になれるものと思いこみ、フマイヤにもせがみ続けたが、扱いはアルポナと変わらなかった。
それどころか自分が関わろうとしなかったフマイヤの看護をアルポナは率先し、信頼を深めている。
いらだち、新たな側室が入るごとに自身の優位を示そうとしたが……そこにつけこまれた。
第四夫人は気弱で、当初から脅しつけるまでもなくフマイヤとの接触は避け、引きこもって詩作ばかりに明け暮れる。
第五夫人はフマイヤの従姉妹にもあたり、先代の第三夫人の姪で、第三夫人とその子ルオントスが殺されてからは衰退している家系だった。
保身を目当てに側室へ入り、ニシェーラには恭順を示し、なにかと誉めそやして持ち上げ、暗に庇護を求め……しかしそれらすべては演技だった。
思い出すと背がざわつく。
よく気がまわり、腰の低い態度でそれとなくいい気分にさせながら、腹の中をあさりまわって都合よく操るための手がかりを集めていた。
しかし謀反の動きはマリネラが意図して誘発させていたために、中途で頓挫する。
もし交流がもう少し長引いていたら、正室と認められない不満を利用されて、粛清に巻き込まれていた恐れもあった。
ニシェーラがマリネラの恐ろしさを思い知り、肩身を狭めて怯える暮らしの中で、いびっていたはずのアルポナだけは小まめに気づかいを見せてきた。
はじめは意図を読めなかったが、フマイヤにも信頼されているアルポナと交流を深めれば、マリネラも手を出しにくくなることには気がつく。
そしてだんだんと、敵意は持たれていないことも実感できるようになってきた。
「……不安なのです。フマイヤ様はもう長いこと、私の部屋には……」
「ニシェーラ様? 今のところは、さほど変わりないのでは?」
アルポナに言われてみて、ニシェーラは指折り日数を確認してみて、だんだんと赤くなる。
「そ、そのようですね。いえ、しかし、こんな時には、その……もっと…………私は、家名を背負って嫁いで来たのですよ?」
眉をしかめながらも、声はみるみる小さくなる。
「いえ、もちろん、世継ぎを望まれていることもありますが、謀反騒ぎの後でも変わらぬ接しかたをしていただいている恩義もありますし……」
ごにょごにょとしたいいわけをアルポナはほほえましげに見守るが、監視役のデルペネは退屈していた。
かつては若すぎる新領主を見下していた高慢な女が、手の平を返して従順になった挙句、女としての思慕まで抱きはじめているらしい。
不穏や不仲になるよりは望ましい変化だったが、せめてほかの側室が子を授かるまでは遠慮してほしいとさえ思ってしまう。
ましてアルポナに助力を求めるなど、虫がよすぎた。
デルペネは聞く気もなかった愚痴につきあわされてあくびをした拍子に、物陰でうごめく第四夫人に気がつく。
隅の棚にもたれてゴソゴソと石板へ筆を走らせている長い黒髪の貴婦人は領主の側室であり、出自は小国とはいえ第三王女のはずだった。
掃除中の下女じみて、あまりに自然と影へ溶けこんでいるが、凝った意匠の衣服や髪留めはかなりの贅沢品だった。
「ボルイライ様もお招きになっていたのですか?」
デルペネに言われてみて、部屋の主である第二夫人ニシェーラも思い出したように奥を見やる。
視線が集まると第四夫人ボルイライは目を丸くして赤面し、きょろきょろと逃げ場所を探した。
「うああの、先日に相談させていただいた件で、アルポナさんのお部屋をお尋ねしたところ、留守でして、あああ。偶然に居合せたニシェーラさんからお誘いをいただきまして。お話と言いますか、絵画の被写体になっていただいているところでして……」
口調は不審だったが、表情の不自然なひきつりさえ収まれば、ニシェーラにも見劣りしない長身の麗人だった。
年齢はフマイヤとほぼ同じで、アルポナやデルペネよりもいくつか上になる。
しかしカサコソとアルポナの背後へすり寄る姿は、ニシェーラ以上に妹じみていた。
「……そのですね、ええ……はい。おかげさまで、誤解はとけました……と、言いますか、アルポナさんのおっしゃられていたとおり、フマイヤ様はただ、私が落ち着くまでお待ちくださっていただけのようでして……」
「ボルイライ様のお気持ちが伝わっているのでしたら、なによりです」
アルポナはうれしそうにうなずくが、ニシェーラはまじまじとひざをつめ寄る。
「そういえば、あなたとの話も途中でした。フマイヤ様とはいつから、どのように? いえ、ですから責めるつもりなどではなく、ただ参考までに……」
ボルイライは当初、フマイヤとは接触しない暮らしを選んでいた。
そもそも詩作だけに引きこもれる環境を『約束』されたことが、祖国を遠く離れる縁談も飲みくだした決め手だった。
フマイヤは部屋に一歩たりとも踏み入らないまま、側室とは名ばかりの後宮つき詩人を世話して、その詩作を楽しんでいた。
「それはその、詩作の中で恋愛について考えはじめた半年ほど前でしょうか? 私にとって身を任せたくなるような殿方は、結局のところフマイヤ様よりほかには探したくもないように思えまして。そのことを伝えた晩には……その……」
アルポナとニシェーラは赤面する。
もとよりフマイヤが奥手でないことは知っていたが、輿入れした当初の『丁寧ないたわり』に比べ、剣闘士とよく話すようになってからは強引な責めぶりで悪魔的な蠱惑を感じることも増えていた。
男性を苦手としていたはずのボルイライまで、短い間に染められている。
「いえ、決して、フマイヤ様を受け入れることが嫌ではなかったのです。とまどうことも多いですが、興味深いことも多いですし……出産はもっと怖そうですけど、いずれ一度は経験もしてみたいのです……しかし、その……わ、わ、私などがもし、アルポナさんやニシェーラさんをさしおいて、お世継ぎまで得ることになってしまったら、その重責や申し訳なさに正気を保てそうもなく……っ」
先日つい寝床で『孕ませないでください!』と悲鳴をあげてしまい、フマイヤが黙って帰ったことで離縁まで覚悟し、アルポナへ泣きつくことになった。
侍女長補佐のデルペネも、貴族の男女仲については扱いに自信がないため、アルポナの気遣いには助けられている。
「ただの心配しすぎでなによりです。だからこそ言わせていただきますと、重責であれば私も共にお支えしたく存じます。そして逆の立場になれば私もボルイライ様やニシェーラ様を頼らせていただきますから、卑下などはどうぞご無用に願います」
「ああうあ。しかし、しかし私の胆力では……はい。できうる限りしか、できるものでもありませんが……んうう、でもやはり、お腹から赤ん坊を出したり大人に育てたりなどは、ほかのかたの実演を見ながら検討させていただけましたら……もっと姉たちの家庭も観察しておかなかったことが悔やまれます」
ボルイライがとまどいながらも前向きになりかけ、しかし直後に不安にかられてあわてて落ちこむまでの姿に、ニシェーラは妬むような目を向けていた。
「あなたの態度はただ内気な性分と思われているだけでしょうけど、私は傲慢にも、自分ひとりでこの領地をどうにかできるような口ぶりで接していましたから……」
そんな自分に苛立って、髪をかきあげる。
「……今でもつい、私への心配りには裏がないものか、不安になってしまうのです。人を陥れるつもりでいた私の浅ましさが、今では私自身を疑いの深みへ陥れ……」
うつむくニシェーラの肩にボルイライがそっと触れ、はじめて目を合わせて言葉をかけてきた。
「今の言い回しは詩作へいただいてもかまいませんか?」
監視役のデルペネから見てフマイヤの側室たちは、それぞれなにかしら欠けている気がした。
人当たり、身分、気丈さ……ふと、それらを併せ持っていた者の噂を思い出す。
ただし、それらすべてを覆すほどの難点も持っていた。
「詩作などで私の嘆きを歌い上げても、世継ぎを招けるものではないでしょうに……これほど子に恵まれないのは、もしや噂のとおり『あのかた』が毒を……?」
ニシェーラの暗いつぶやきで、アルポナは沈痛にうつむき、ボルイライは青ざめて下くちびるを噛む。
かつての領主暗殺計画では、妊娠を妨げる毒が側室たちへ盛られていたという噂もあった。
毒を盛ったとされる犯人は領主の従姉妹で、後宮の全員と親しくなろうと努めていた第五夫人だった。




