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第八話 地獄の産声 十二 世はすべて人でなし


 ヘルガの背後には壁が迫っていた。

 アメリの凶刃が喰い下がり、褐色の腕や脚を裂きはじめていた。


「うあうっ!?」


 ヘルガの利き手に深く刃がめりこみ、観客は色めきたつ。

 それでもとっさに剣を持ち換える気力を見せ、アメリは感心した。

 訓練場で聞いた『強い相手ほど斬りごたえも良い』など、粗暴な者たちのこけおどしだと思っていたが、興味もわいてくる。


「う……う! くあ……あ!」


 しかしヘルガは技量と闘志に優れているとはいえ、大声で泣きわめく不様は恥じない。

 やはり地下牢育ちの狂人か。


「あなたには、なんの怨みもありませんが……」


 なんの怨みも、ない。


 口からもれたうわべの言葉が、唐突にアメリへ自身の醜悪を気づかせてしまう。

 ゆがんだ笑い顔に、やるせない正気が混じってくる。

 生まれた時から救いのない魂を前に、すりつぶされたはずの誇りが、胸からのどへ押し上げられてくる。


「剣を……捨てなさい。命まではとりたくありません」


 貴賓席では祖父と領主がまた別の驚きを見せている気がした。


「ヘルガ……私の言っていることは、わかりますか?」


 激痛に涙を流すヘルガはうなずく。

 しかしゆっくり、左手で刃を向けてきた。

 アメリは顔をしかめ、切っ先で脅す。


「早く、刃を下ろしなさい!」


 青い瞳は涙をあふれさせていたが、視線は決してはずそうとしない。

 その顔は痛みに震えていながら、怯えは見当たらない。

 そしてなぜか、怒りや憎しみすら感じられない。

 ヘルガは首をふり、自身の助命を断った。



 フマイヤは試合場から目を離せなくなるが、客席にこもる奇妙な動揺も感じていた。

 対戦相手へ深手を負わせた『可憐なるアメリ』に対して、歓声はまばらだった。

 優勢になって降参を勧告する徳義を見せても、賞賛の声は乏しい。

 アメリへ対する幻滅が、深刻に根深い。

 剣技を見る目がさほどない者たちにとっては、先ほど見せた怒涛の攻勢すら、嘆じるべき異才や技巧ではなく、狂女ヘルガの気まぐれな不調か、狂女アメリの自暴自棄に悪運が加担しただけと思われていた。


墓下はかしたのヘルガ』は不様に泣きうめきながら、なおも殺し合いの継続を望んでいる。

 その異様な姿へ、観客の奇怪な関心が高まっている。

 試合としての形勢ではなく『ヘルガ』の挙動に心を囚われていた。

 剣闘を好きなれなかったフマイヤだからこそ、客席の異変を察知できた。


 ほんの少し前まで『黒鬼ブムバ』とアメリの試合で沈みきっていた客席が、隅々まで身を乗り出して『ヘルガ』の奇態へ視線をたたきつけている。

 しかしアメリが『人でなし』と罵倒しつくした大観衆は『降参の拒否』を喜んで『ヘルガの反撃』を急かしながらも……『ヘルガの勝利』には興味を示さない。



 アメリは正気と狂気の境界にある。

 殺し合いの興奮にはじめて酔いしれたが、最後の一線で、節度のない非道を嫌う本来の性分は手放せなかった。


「見世物として人が殺し合うなど、どれだけ愚かしいことか、わからないのですか?」


 被害妄想で当たり散らしていた口調ではなく、声にも芯の強さがもどっている。

 しかしその表情はとまどい、怯えていた。 

 目の前の『ヘルガ』は刃を向けたまま、静かに見つめている。

 言葉は理解できても降参は拒絶し、見世物で殺し合うことには毛ほども疑念を見せない。


「……なぜあなたはそんな、当たり前のように……?」


 アメリに芽生えかけた正気へ、混沌が吹き荒れる。


「いえ……これだけ多くの人たちもみんな…………みさかいのない『人殺し』を嫌う私のほうが、狂っていたのでしょうか?」


 ヘルガはぼそりとつぶやく。


「だいじょうぶ」


 アメリはヘルガの言葉をはじめて聞いた気もするが、安心させるように低く優しい声だった。

 それで漠然と、どうにもわかり合えない気もしてきた。

 アメリが知るほかの剣闘士たちとは異なり、ヘルガは殺し合う恐怖を勇猛へ換えるために非情なわけではない。

 剣闘試合とその訓練ばかりが見える地下牢で育ってしまったせいで、生き暮らしの『当たり前』が根本から異なっている。

 そしてそんな怪物のほうが、あれほど多くの者たちに望まれている。

 それがこの世の正体らしい。

 アメリは自分が生まれたことのほうがまちがっていた気もしてくる。

 ヘルガの刃が薙ぎつけてきた。



 とっさに受け流せたが、ヘルガは利き手でなくても剣さばきが鋭く、かなりの出血をしていながら腕力も気力も残っていた。

 それでもヘルガは利き腕を痛めているぶん不利で、アメリはヘルガに深手を与えた時の調子で攻めたてれば押しきれるはずだったが、肉体が正気に縛られてしまう。

 相手を躊躇なく惨殺する前提が揺らいだことで、殺人道具である剣の軌道も組み立てに破綻が生じる。


『それでも剣は誰かを殺すためではなく、誰かを守るために使うべき……そう信じたい私の気持ちは、なにかまちがっている?』


 アメリはそう思ったが、ヘルガが親指のつけ根を裂かれていた右拳でためらいなく殴りつけてくると、ただ単純な『死にたくない』思いが心を占めてくる。


「かは……っ!?」


「い……!」


 アメリが腹を打たれたうめきと、ヘルガが自分で右拳の深手を広げたうめき。

 ヘルガはふたたび涙をあふれさせながら、動きを鈍らせたアメリの顔へ刃をたたきつけた。

 傷は浅くないが、死ぬほどでもない。

 大きく裂けた傷口から、顔半分へ血が広がる。

 アメリは痛みよりも、流れ出る熱さに身の毛がよだつ。

 すでに腕や脚には古傷も多かったが、今まで顔だけは目立たない傷で済んでいた。


『もう女としても終わった』


 そんな考えとは裏腹に、死の恐怖ばかりが全身を満たす。

 利き手にも殴りつけられ、剣を落とされてしまうと、両手を上げていた。

 降参を勧告していたアメリが一転して降参の意志を示すと『人でなし』の大群は歓声を盛り上げる。

 しかしアメリは自分がとった行動と裏腹に、自分がこのあとにどうなるか、それとなく予感していた。

 そして実際にヘルガは、動きを止めていながら、刃は向けたままだった。



 アメリは不意に、いつか祖母から聞いた『祖父の心の傷』について思い出す。

 海賊撃退の際、敵船で孤立した恐怖から幼い女児を斬ってしまったという……誰もが『失敗談にもならない』ささいな出来事とみなしていた。

 およそ兵役に就く者なら、女子供や老人病人負傷者などを惨殺するしかない状況も当然にありうる。

 しかしゼペルスは娘や孫娘の顔を見られなくなった。

 触れること、近づくことさえ重く恐れていた。

 代わりに愛情を注いだフマイヤは領主の子で、奇病も患っているために『触れなくていい子供』だった。

 衛兵たちが豪勇と敬うゼペルスにとっては、海賊の娘の殺害が、そこまで気に病むような出来事だった。


 アメリは今になってようやく、祖母や母が祖父を憎まないで同情していた気持ちを理解する。

 祖父の『向き合ってくれない顔』は、そのまま祖父の弱くも優しい心根だった。



 ヘルガは刃を向けたまま待っている。

 審判ヒルダは観客を代弁して「降参させてやる気かい?」と確認するが、反応はない。

 アメリは蒼白な顔でゆっくりと剣をひろい、かまえた。

 途端にヘルガは間合を一気につめ、アメリの頭を抱える。


「おじいさま。ありがとうございました」


 そう叫んだ首が裂かれた。



 ヘルガが勝利してみると、観客は急に声を低め、ざわめきだす。


「アメリにはもう戦意がなかった」


「見逃そうとしてくれた命の恩人なのに、あっさり殺しやがった」


「やっぱり地下牢育ちのバケモノか」


 息絶えた相手を抱え続ける姿も不可解だった。

 力なくうなだれるアメリに、かつての可憐な笑顔がもどっていることに気がついた者は少ない。



 玉座の傍らに立つゼペルスは、あまりに落ち着いていた。

 おびえるフマイヤへ会釈を見せると、片膝をつく。


「フマイヤ様。この老骨めの肉体も、そろそろ出仕は厳しくなっております。つきましてはお暇をいただきたく……そしてもしお許しをいただけるなら、最後の恩給がわりに、もうひと仕事だけ任せていただきたく存じます」


 顔や声の老けこみがひどくなっていたゼペルスは、瞳にかつての精悍さがもどっていた。

 フマイヤはゼペルスの望みを予感しながらも、黙ってうなずく。


「どうか孫娘アメリの仇と、試合を組ませてくださいませ」




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