もう一人の開発者
「だから、アースが使えるようになったことを伝えた時は、よかったなって。パパもすごく喜んでいたわ」
「いきなり治ったことに対してはどう説明したんだ?」
「もちろん、開発者のことは言える訳ないから、あんたのことを技術者ってことにして説明したわ」
「まあそうだよな……」
いきなり開発者のことを話せば嘘を言っているようにしか聞こえない。そうなれば、アースを使えるようになったことも虚言だと勘違いされるだろう。
「パパからもお礼を伝えるように言われたわ」
「そんなのまだ早いよ。これからバグの治療を進めていくんだから」
「確かにね。それで、なにか手掛かりになりそう?」
彼女の話を聞いて気になる点はあった。何度も彼女の口から発せられている『外国人風の少女』だ。
和樹は嫌な予感がした。その感覚を確かめるように彼は未香に訊ねた。
「もう少し詳しく思い出せないか? ……例えば、金髪少女の見た目とか」
すると、未香はジト目をこちらに向けた。
「なに? あんた、金髪の子が好きなの?」
「違うよっ! 汚染の原因かもしれないだろ」
和樹の言葉を聞いて、未香は姿勢を戻して頷いた。
「そういうことね。ええっと、見た目は同じ年くらいかな。金色の髪が腰辺りにまで伸びてたような気がするわ」
「それは本当に女の子なのか?」
「っえ? ええ、間違いないわ。胸なんてすごっ……私も大きいけど、それ以上にあったもの」
補足説明をしながら胸を張る未香。和樹はそれほど大きくはない胸を横目に、口元を手で隠して考える。
「あいつじゃないのか?」
「あいつって誰よ?」
和樹の口から漏れた声に、未香は隣で首を傾げている。
その時、
「ボクのことじゃない?」
二人の背後から中性的な声が聞こえた。彼らに声を掛けそうな知り合いは一緒に駅に来ていた大知くらいのものだ。しかし、同じ一人称でもこの声は彼ではない。和樹と未香は同時に振り返り、目を丸くした。
未香の場合は知らない相手だったから。
和樹の場合は……。
「ツカサ……っ!」
長い間合っていなかった相手だからだ。
「やっほ、和くん」
ツカサと呼ばれた人物はこちらに向かって手を振りながら微笑んだ。
目の前でポニーテールに束ねられた長い金髪が風に揺れていた。
その髪の持ち主は少年のような中性的な顔立ちで、一目では性別の区別がつかない人物だ。どこかの学校の制服を来ており、男子制服なのに体の線が細いので体格からも男女どちらなのかわからない。
笑顔を向けられている和樹はすかさず未香を抱え、ベンチを蹴って後ろに跳ぶ。
「いつからそこにいたっ!」
「その子の過去話あたりからかな」
ツカサは未香を指さした。
「盗み聞きなんて趣味がいいとは言えないな、ツカサ」
「ボクは変わらないよ。今も、二年前も……」
「っく、未香、あいつに近づくなよ」
和樹は自分の後ろからツカサを覗き見している未香を背中で庇いながら対峙する。
そんな彼の態度に、
「酷いな。ボクは和くんとその子にも用があるんだけどな」
残念そうな声色で首を左右に振るツカサ。
和樹はチラリと後ろにいる未香を振り返り、視線を前に戻した。
「何をするつもりだっ」
「ボクとしてはね、和くんとそうやって一緒にいるだけでも気に入らないんだよね。君の隣はいつもボクの特等席なんだから」
ツカサは前髪をくしゃっと握った。
二人の会話を聞いていた未香は、和樹の服の裾を引っ張ると、訊ねてきた。
「あの人はいったい誰なの? 私に用があるみたいだけど、見たことないわよ」
和樹は視線を前に向けたまま彼女の質問に答えた。
「あいつは飯田ツカサだ。アースの開発者は俺の他にもいただろ……あいつはその共同開発者だ」
「っな、冗談でしょ!」
未香は驚きの声を上げる。当然と言えば当然だろう。彼女の目の前には、アースの開発者の二人が立っているのだ。
和樹も冗談だと思いたかった。
飯田ツカサは和樹と共にアースを開発し、主に資金面を担当していた。ドイツ人の父と日本人の母を持ち、数多くの国の言語を操るという面でも、ツカサの資金調達は常軌を逸していた。この人物なくしてアースの完成はなかったであろう。
もしもこの状況を政府の電脳課の人間が知れば、土下座をしながら大金を持ってくるだろう。もちろん、電脳課の職員が今の状況を知るすべはないが、美香の目の前にいる二人はそれほどまでの重要人物なのだ。
片方はアースの構築者、もう一方はアースの投資者。どちらも開発者であることは変わりはない。
そして、投資者であるツカサは、胸元のポケットに手を入れた。その手にはペンが握られていた。
「アース端末なのね……」
「ああ」
美香の言葉に和樹は頷きを返した。ツカサ専用の特殊な機能を持ったペン型アース端末。
ツカサはそれを指の上で回しながらこちらに視線を向けた。
「ボクの下に戻ってくる気はない? 和くん」
その問いかけに和樹は、
「ない」
強い口調で即答した。
「やっぱりそうか。まあ、会えただけでも良しとするわ。日を改めてまた誘いにくるよ」
ツカサは肩を上げて呆れた様子を見せた。そんな彼女に、和樹はもう一度言う。
「何度言われようが、アースを自分のためだけに使おうとする、おまえの考えには賛同できないからな」
「はいはい……ん?」
身を翻してこの場を立ち去ろうとしたツカサはなにかに気付くと、こちらを凝視した。
「まだ何かあるのか?」
不穏な動きに、和樹は身構える。
「その子が付けてる指輪ってもしかして……」
彼女の視線は和樹の後ろにいる少女に向けられていた。未香は和樹の脇を掴みながら体をビクリと震わせる。その指には太陽の光を反射してきらめく指輪。ツカサはそれが気になっているようだ。
「俺が渡したものだ」
「ふ~ん、補助メモリか……その子がそれをしてるのは嫉妬しちゃうな」
完全にこちらに向き直ったツカサは腕を胸の前で組んだ。
そして、彼女は未香を視界にとらえると、
「さっきの話だけでは判断できなかったけど、補助メモリを付けているということは確実だね……一年前にボクがここでバグを埋め込んだ子は君か」
口角を吊り上げて笑った。
「バグを埋め込んだって……えっ?」
「そうだよ。バグのデータを取るために君の体を使わせてもらったんだ」
まるでなんでもないと言ったように楽しそうに話すツカサ。
「っく、あんたのせいで私は……」
未香は悔しそうに拳を握る。
「それよりも、ボクはその補助メモリが気になるな」
「これは私が和樹にもらったものよっ!」
「知ってるさ。それボクにくれないかな?」
「絶対に渡さないわ!」
手を差し出すツカサから身を引くと、未香は指輪のついた左手を胸に抱いた。
「ふ~ん。これを見てもそれが言える?」
「っな、なによこれっ!」
背中の後ろからツカサに文句を言っていた未香が息を飲んだ。
「どうした未香っ!」
和樹は彼女の視線を追ってツカサを睨んだ。しかし、そこには勝ち誇ったような表情のツカサしかいない。未香が驚くものなどなかったのだ。
「なにを見せたんだ……」
ツカサに鋭い視線を向けた。
自分になにも驚くものが発見できないとなると、きっとアース上でのやりとりだろう。
いくらアース全般の構築を和樹が担当したとしても、相手はアースの共同開発者だ。なにを彼女に見せているのか、わかったものではない。
和樹がすぐさまポケットから補助端末を取りだそうとした。
その時、
「わかったわ……指輪は渡すわ」
視界の後ろから歩いて出てきた未香がツカサに歩みを進め、ちょうど開発者二人に挟まれるような形で立ち止まる。
そして、彼女はこちらを振り返った。
「和樹、いろいろとありがと。数日だけだったけど、アースを使えて嬉しかったわ。でも、指輪は渡さなくちゃ……」
「なにを言われたんだ?」
未香は和樹の疑問に微笑みを返した。
「渡せば、私ひとりが犠牲になるだけで済むわ」
「待てっ! 未香、それを外したら――」
和樹が制止する前に、未香は自ら指輪型の補助メモリを指から抜いた。
震える指の間で指輪はきらりと光る。それは未香の手から離れてツカサの手に渡った。
「うふふ、和くん特製の指輪だ。聞きわけが良くて助かったわ。そうよね。バグを世界に拡散されたら、未香ちゃんみたいにアースを使えない子が出てくるもんね」
未香の横を通り過ぎてツカサはこちらに小走りで向かってくる。そして、彼女は左手の薬指を前に突き出した。
先ほど、未香が従った理由は『バグの拡散。ウィルスの散布』というものだった。
「和くん、どう? 似合う?」
ツカサは頬を染め、恥ずかしそうに右手で顔を覆う。
「返せ……」
和樹は小さく呟いた。
「え?」
ツカサは聞き返した。
「それを返せ……」
「もう何言ってるの? ボクの方が似合うのに。それにボク以外が和くんに指輪をもらうなんてムカつくじゃない?」
「いいから、返すんだ!」
最後に大きな声を張り上げて、和樹はツカサに詰め寄った。
相手は驚いたように目を開けて、彼を見上げた。
「っな、なにをそんなに本気になってるの? ただのバグじゃん。クライアントメモリがパンクを起こしてアースが使えなくなるだけでしょ!」
「それだけじゃないんだよ。バグは人工精神だろうがっ! その性質が変化を続けることをお前は忘れたのかっ! ……っ、未香っ!」
開発者同士で言い合いをしていると、少し離れた場所にいた未香の体が糸の切れた人形のように力なくよろけた。
最初は呆気にとえれた二人だが、すぐに動き出す。
「っな、なんなの?」
ツカサはある一定の重量のものが地面に倒れる音に反応して振り返った。
和樹はそんな彼女を避けながら、未香の体を抱き起こす。
「おい、未香っ、しっかりしろっ!」
問いかけには全く反応を示さない。体を揺すっても。大声を出しても。
和樹はそっと未香の体を持ち上げると、先ほどまで座っていたベンチ上に彼女を横たわらせた。
そして、慌ててツカサに手を出した。
「ツカサ、指輪を返してくれ。彼女を助けないとっ!」
「っな、なにがどうなってるのっ……変化がどうしたのよ……」
「今は説明してる暇はない!」
動揺した様子で指輪を外したツカサから指輪を受け取ると、和樹はそれを未香の指にはめた。
「っく、遅かったか……」
未香の状態はクライアントメモリの圧迫だけではない。これは指輪を外したことによる精神の情報化だ。一度その精神の通り道である指輪が外されたためアースネットワーク上に彼女の意識が投げ出されてしまったのだ。これを治すには……。
「とりあえず俺の家に運ばないと」
家にある検査機器を使えば未香を助けられる可能性はある。
ポケットに手を突っ込んで補助端末を取りだすと、〈赤城大知〉という名前の上で画面を小刻みに叩いた。
補助端末からはしばらく発信音が鳴る。
すると、
『もしもし?』
三コール目で繋がった。
「大知っ、すぐに駅の裏にヘリを持ってきてくれ。未香のバグが悪化した」
『なにっ!』
「急がないと彼女の意識が戻らないかもしれない」
『……っ、すぐに向かう!』
たった数秒の会話であったが、駅の向こう側からはヘリコプターのプロペラ音が響いてきた。
「今日はあいつのバカさに感謝だな……」
普段ならばヘリコプターなどで移動することに呆れていた。しかし、今日はそれに救われた気分だ。これで数分で未香を和樹の家まで運べる。
大知を待っている間。
「この子になにが起きたの?」
心配そうに未香を見下ろしているツカサに状況を説明した。
「いいか、おまえがくだらない理由で奪ったこの指輪は彼女の生命線だったんだ。これがなければアースネットワーク上にある未香の情報体と精神の均衡が保てなかったんだ」
「でも、指輪は補助メモリでしょ?」
「聞こえはいいが、これの目的は補助だ。均衡を失った精神は一気に情報化する……」
自転車においても、補助輪を失った自転車はバランスを崩し左右どちらかに倒れ込んでしまうが、本来ならば慣性の法則が成り立ち補助輪などなくても倒れることはない。
倒れないように補助が必要なのは、その法則を使えていないからだ。
それはアースネットワークでも同じだ。
情報体と精神との間にはどちらにも偏らない、法則のような『均衡の天秤』となるプログラムがある。これがあることによって、精神と情報体の均衡が保たれ、アース端末を使うことができているのだ。
しかし、その『天秤』が働くはずのクライアントメモリはバグで使えず、均衡のバランスが不安定な未香は、補助メモリという規格外の機能で無理やり均衡を支えていたのだ。
そして、その補助メモリが外されたことにより精神と情報体の境界は曖昧になった。
堰き止め、支えていたものが消えた精神は、傾きの方向に一気にそちら側に流れ込んでしまうのだ。これが美香の精神が情報化してしまった理由だ。
「だったら、今の未香ちゃんは精神が情報体になってるって言うの?」
「ああ、しかも、バグのせいで行き場を失って情報化された精神は、おそらくネットワークに溺れているはずだ。早く助けないと意識が戻らないかもしれないぞ。それに、アースの自動削除も始まる……」
今日は火曜日。自動削除機能が稼働する曜日だ。
和樹はいつでもヘリコプターに乗れるように未香を背負う。
「っぼ、ボク、そんなつもりじゃ……」
ツカサは事の重大さを受け止め、泣きそうな顔になっていた。
「泣くのは後にしろ。彼女を助けてからしっかりと怒ってやる」
「うん……」
空を見上げると、青い空が広がっていた。和樹はそこに向かって呟く。
「絶対助けてやる」
空気の中にはアースネットワークが通常通り張り巡らされている。つまり、未香が待っているのだ。
この果てしないネットの海の中で彼女は行き場を失い、彷徨っているかもしれない。
そう考えると、一秒でも時間が惜しい。
すると、
「和樹っ、待たせたな!」
ヘリコプターは真上で滞空し、徐々に高度を下げてロータリーの中心に降りてきた。
「ツカサ、おまえにも手伝ってもらうぞ」
「わかってるよ……」
和樹は未香が落ちないようにしっかりと支えて機内に乗り込む。和樹と一緒に搭乗したツカサを見て大知は首を傾げる。
「ん? その金髪娘は?」
「もう一人だ」
もう一人と説明しただけで大知は色々と察した。
「なにっ!」
久しぶりに出会ったアース開発者二名、混乱する次期社長一名、意識不明の未香、合計四人を乗せたヘリコプターは和樹の家に向かって直線距離を飛び始めた。