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婚約破棄は結構ですが、毒を盛った覚えはありません ~薬草好き令嬢、濡れ衣を晴らしていたら王都の薬師より有名になっていました~   作者: 鏑木


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「リサに毒を盛ったのは、君だろう!」


 卒業を祝う夜会。


 大勢の貴族たちが見守る中、婚約者であるクリスは、私――エリザベートを指差してそう言った。


 婚約破棄については、まあいい。


 正直なところ、そこまで惜しくはない。


 けれど。


「毒、ですか」


「ああ!」


「私が?」


「そうだ!」


 私は少し考えた。


 そして、クリスの隣にいる少女へ視線を向ける。


 リサ。


 最近、クリスがずいぶん親しくしている平民出身の少女だ。


 彼女は青ざめた顔で、胸元を押さえていた。


「わ、私……本当に怖くて……」


 震える声。


 潤んだ瞳。


 なるほど。


 傍から見れば、いかにも毒を盛られた被害者らしい。


 けれど――。


「リサさん。一つ確認してもよろしいですか?」


「……な、何でしょう」


「あなたは、何を口にしたのです?」


「お茶です」


「どのようなお茶でした?」


「普通の紅茶です。ただ……」


 リサは怯えたように私を見た。


「甘い香りがしました」


 私は瞬きをした。


「甘い香り?」


「はい」


「砂糖や蜂蜜ではなく?」


「違います。もっと……お花みたいな、甘い香りです」


 周囲がざわめいた。


「毒草では?」


「恐ろしい……」


「エリザベート嬢は薬草に詳しいと聞くぞ」


 ああ。


 そういうことか。


 ようやく話が見えてきた。


 私は幼いころから薬草を学んでいる。


 理由は単純だ。


 母が病弱だったから。


 熱を下げる草。


 咳を鎮める葉。


 痛みを和らげる根。


 眠りを助ける花。


 逆に、量を間違えれば毒になるもの。


 触れるだけでも危険なもの。


 そうした植物を、私は十年以上学んできた。


 だからこそ分かる。


「リサさん。その甘い香りがするお茶を飲んで、どのくらいで具合が悪くなりました?」


「すぐです」


「すぐ?」


「はい。一口飲んだ直後に胸が苦しくなって、目眩がして……手足もしびれて……」


「吐き気は?」


「ありました」


「嘔吐は?」


「……え?」


「吐きましたか?」


「い、いえ。でも吐きそうになりました」


「発汗は?」


「たくさん汗をかきました」


「意識を失いましたか?」


「いいえ」


「呼吸困難は?」


「息が苦しくなりました」


「瞳孔は?」


「どうこう?」


「目の瞳の大きさです」


「そ、そんなの分かりません!」


 リサの声が少し大きくなった。


「エリザベート!」


 クリスが割って入る。


「被害者を尋問するような真似はやめろ!」


「尋問ではありません」


「なら何だ!」


「診断です」


 私は即答した。


 クリスが黙る。


「毒を盛られたとおっしゃるのでしょう? ならば、何の毒なのかを確認する必要があります」


「そんなもの、お前が一番知っているだろう!」


「もちろん、ある程度は」


 だから困っているのだ。


 私はリサを見る。


「今のお話に一致する毒草を、私は知りません」


「……え?」


「少なくとも『甘い花の香りがして、一口飲んだ直後に胸苦しさ、目眩、手足のしびれ、吐き気、大量の発汗が同時に起き、それでもこうして普通に立って会話できる毒草』には心当たりがありません」


 会場が静かになった。


 リサの顔から、ほんの少しだけ血の気が引いた。


「そ、それは……」


「それに」


 私は続ける。


「もしあなたがおっしゃる症状を起こすほどの量を、本当に飲んだのなら――」


 一歩、リサに近づく。


「あなた、今ごろこんなところに立っていられませんよ?」


「……!」


 リサが後ずさった。


 クリスが彼女を庇うように前へ出る。


「脅すつもりか!」


「事実を申し上げているだけです」


「リサは実際に苦しんだんだ!」


「それは否定していません」


「なら――」


「ですが、『苦しくなった』ことと『毒を盛られた』ことは別です」


 私はテーブルの上に並んだ茶器へ目を向けた。


「そのカップは残っていますか?」


 給仕係たちが顔を見合わせる。


 やがて一人の若い給仕が、おずおずと手を挙げた。


「お、おそらく……まだ片付けておりません」


「持ってきていただけます?」


「はい!」


「待て!」


 クリスが叫んだ。


「そんなものを調べてどうする!」


 私は首を傾げた。


「毒を盛られたのでしょう?」


「ああ!」


「でしたら、調べればよろしいではありませんか」


「…………」


「何か問題でも?」


「いや……」


 クリスは口ごもった。


 問題があるはずはない。


 本当に毒を盛られたのなら。


 むしろ証拠になる。


 しばらくして、給仕が銀盆を持って戻ってきた。


「こちらかと思われます」


 白磁のカップ。


 底には、わずかに紅茶が残っている。


 私は顔を近づける。


「エリザベート嬢!」


 誰かが声を上げた。


「危険です!」


「大丈夫です。飲みませんから」


 香りだけを確認する。


 紅茶。


 ベルガモットに似た柑橘系。


 そして――。


「あら?」


 私はもう一度嗅いだ。


 甘い。


 確かに、わずかに甘い香りがする。


 けれど。


「毒草ではありませんね」


「そんな!」


 リサが思わず叫んだ。


 私は彼女を見る。


「なぜ『そんな』なのです?」


「……!」


「ああ、いえ。お気になさらず」


 私はカップをテーブルに戻した。


「この香りには覚えがあります」


「何なんだ?」


 クリスが聞く。


「ある花から採れる香油です」


「香油?」


「ええ。香水や菓子の香り付けにも使われます。少量なら人体に害はありません」


「なら、なぜリサは苦しんだ!」


「そこです」


 私はリサを見る。


「私も不思議なのです」


「…………」


「リサさん。本当に、このお茶を飲んで症状が出たのですよね?」


「そ、そうです!」


「間違いありません?」


「ありません!」


「では、もう一つだけ」


 私は微笑んだ。


「このお茶は、誰から受け取ったのです?」


「……あなたです」


「私が直接?」


「え?」


「私はあなたに、このカップを直接手渡しましたか?」


「そ、それは……」


 リサの目が泳いだ。


「どうなのです?」


「あなたの侍女が……」


「私の侍女?」


「そうです!」


 リサは勢いよく答えた。


「あなたの侍女が持ってきました!」


 なるほど。


 私は自分の侍女を探した。


 すぐに見つかった。


 壁際に立っていた少女――マリアが、驚いた顔をしている。


「マリア」


「はい、お嬢様」


「あなた、リサさんに紅茶を渡した?」


「いいえ」


 即答だった。


 リサの顔が固まった。


「嘘よ!」


 突然、彼女の口調が変わる。


「あなたが持ってきたじゃない!」


「いいえ。私は本日、お嬢様のお側を離れておりません」


「そんな……」


「それは私も証言できます」


 今度は別の声がした。


 振り返る。


 そこに立っていたのは、この学園の薬学講師だった。


「マリア嬢は先ほどまで、エリザベート嬢と私の話を聞いていました」


 リサの顔が、完全に青ざめた。


「ですが……」


 講師はカップを見る。


「興味深いですね」


「先生もそう思われます?」


「ええ」


 講師は鼻を近づけ、香りを確認する。


 そして眉をひそめた。


「これは確かに毒ではありません」


 ざわめきが広がった。


「ではリサ嬢は嘘を?」


「狂言だったのか?」


「いや、でも実際に倒れたのだろう?」


 リサは震えている。


 クリスも、ようやく状況がおかしいことに気づいたらしい。


「リサ……?」


「ち、違うの……」


 そのときだった。


 薬学講師がカップの底を見つめた。


「エリザベート嬢」


「はい?」


「少し訂正しましょう」


 先生の声が低くなる。


「香りそのものは毒ではありません」


「……はい」


「ですが、この沈殿物は何でしょう?」


 私はカップを受け取った。


 底を見る。


 ほんのわずか。


 黒っぽい粉が沈んでいる。


 紅茶の茶葉ではない。


 砂糖でもない。


 香油でもない。


 指先に取ることはしない。


 ただ、目を凝らす。


 そして私は気づいた。


「これは……」


 知っている。


 薬草を十年以上扱ってきたからこそ、分かる。


 だが。


 おかしい。


 これが入っていたのなら、リサの証言はやはり成立しない。


 なぜなら――。


「先生」


「何です?」


「これ、本当に飲んだのなら……」


 私はリサを見た。


「彼女が無事なのは、おかしいです」


 リサの肩が大きく震えた。


 会場が静まり返る。


 私はもう一度、カップの底を見た。


 間違いない。


 そこに沈んでいたのは――。


 本物の毒草だった。


 しかも。


 ほんの少し口にした程度では済まない。


 明確に、人を害するための量。


「リサさん」


 私は静かに尋ねた。


「あなた――」


 彼女の瞳を見つめる。


「本当は、このお茶を飲んでいませんね?」

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