第22話 いつか2人でダンスでも
「それそっち貼って〜!」
「ガムテープ誰持ってる?もうないの?」
「この画鋲、固くて全っ然取れねーんだけど」
「みんな〜!先生がアイス買ってきてくれたよ〜!」
海の呼び掛けと両手のビニール袋を見て、作業中のクラスメイトたちから俄かに歓声が上がった。
そんな声に気がついていないのか、ユリカは窓辺の床で、差し込む午後の陽光に半身を照らされながらただ淡々と看板に色を塗っていた。
「ユリカ、アイス食べる?」
「あ……うん」
ふんわり浮かんだ意識のまま、恵が差し出してきた2本の棒アイスのうちの右側のチョコミントを取った。
前歯にアイスの先を咥え、しゃがみ込んで床に広がった段ボールの看板を眺める。
「ユリカってさぁ、やっぱ……絵ちょっと苦手?」
「うっさいわね〜、味があるでしょ、味が!」
バニラアイスを齧りながら、恵はユリカの肩を小突いた。
「あー、白が無くなっちゃった。ねぇ、誰か持ってない?」
「え〜、どうだろ……ねぇ、島津くーん!」
黒板付近で、壁に貼る飾りをバスケ部数人で切っていた彼に恵が声を張る。
「白の絵の具あるー?」
「あー……ごめん、切らしてる」
付近の絵の具たちを粗方探って、手で謝る。
「俺も使いたいから、一緒に他のクラスからもらいに行こ」
ユリカは絵筆から手を離し、早々にチョコミントアイスを口に押し込んで立ち上がった。
─────────
「白?あるある!五十鈴ー?五十鈴ー!」
D組を訪ねて、顔を覗かせた修斗は五十鈴を呼んだ。手作りのピンク色のカーテンの下で段ボールの板に色を塗っていた五十鈴が顔を上げる。
「白の絵の具分けてー!」
立ち上がりかけた五十鈴は、既に色々装飾を施された戸口に立つユリカの姿を見て、うっ、と咽喉が詰まったような顔をする。
傍の誠太の顔を見るなり、彼はとりわけ冷めた眼をした。
目が合ってしまっても、ユリカは昨日のことを思い出し、どういう顔をしたらいいのか分からなかった。
勝手に気まずい気持ちに苛まれて、とりあえず手持ち無沙汰な左手を小さく振ってみる。
……見事にスルーされてしまった。
五十鈴は仕方なく、手元に散乱した絵の具のチューブの中から、1番新しいのを手に取る。
それを、修斗に向かって投げた。
「ありがとう、助かった」
修斗の手から絵の具を受け取った誠太が軽く礼を述べた。
「随分作業進んでるね、このクラス。うちも早くやらないと」
ユリカが入り口上部に立てかけられた、手製のメイド喫茶の看板をまじまじと眺めていると、修斗が満足げに笑う。
「でっしょー。中も結構すごいんだよ!後はこれで五十鈴のメイド服が届けば完璧……イッテ!」
「テメー……マジで俺、お前らのこと許してないからな?」
いつの間にか後ろにやってきた五十鈴が、調子に乗った修斗の頭をパーで叩いた。
その暴挙に反して感情の起伏は至って普段通りといった面持ちで、五十鈴はドアに腕をつく。
「そっちはどんな感じなの、なんだっけ、えっと、あの……ヒツジ喫……」
「執事です」
「あー、それそれ」
乾いた声で軽く笑った。
ユリカは顔に出てしまうくらい、拍子抜けしてしまう。
「何よ……」
「え?」
「あ、いや……何でもないっす。……あ、ンンッ、何でもないわ」
彼女の想定外の口調に誠太が不思議そうに瞬き、その様子を傍らで観察していた五十鈴が遂に堪えきれず鼻の奥で笑った。
「ア、アンタねぇ、早く戻って手伝いなさいよ!ただでさえいっつもクラスに貢献してないサボり魔不良不真面目男のクセにっ!」
熱を帯びた顔面を誤魔化すように、早口で捲し立てる。
ドアについた手に、顔ごともたれ掛かるようにして眼を回す。
「だってもうすることないんだもん。見て分かるだろ?」
顎をしゃくってクラス内の様子を指し示す。
ピンク色を基調としたパステルカラーで可愛らしく飾り付けられた店内……いや教室内は、確かにもう明日が本番でも充分なくらいの完成度を誇っている。
後は机の上の資材のゴミを取り払って綺麗にし、テーブルクロスを掛ければ、終了。
「な?」
片眉を上げて余裕たっぷりに笑んだ。
「ぐ……じゃ、じゃあ!まだ作業が終わってない他のクラスを手伝いなさいよ!」
「え〜……それはちょっとダルい」
「いいから!」
「あーハイハイ、わーったよ、どこ?」
「どう考えてもっ」
だらしのない五十鈴の手首を掴む。
「うちのクラスでしょ!」
作業をする生徒たちや友達のクラスを行き交う女子達と、放置されている紙の切れ端達とで埋め尽くされた廊下を、金髪男の腕を引いて突き進んでいった。
──────────
「えっ、古賀くん!?何でここに?」
「なんか、ユリカに無理やり連行された」
「あ……そ、そうなんだ……」
去年彼とクラスが同じだった口数の少ないその女子たちが、もう用はないと言わんばかりにそそくさと退散していく。
「ハイ、じゃーそこ座って。筆はコレね」
やることを明確に指し示したにも関わらず、何を思ったか、既に手のひらに大量に付着して乾いた水彩絵具を、爪の先でペリペリ剥がし始めた。
「古賀五十鈴さーん?」
「ごめんなさいごめんなさい、やりますよ」
A組のクラスメイト達、特に今まで彼と関わりのなかった人たちは、明らかな異物に触れられないような距離感を示しているが、五十鈴本人は気がついているのかいないのか……
すると。
「あれー、古賀じゃん!何してんの何してんの?」
「うおっ」
上だけ臙脂色のジャージを着た恵に頭上から声をかけられ、筆を手に持った五十鈴がびっくりしたような声を上げた。
「え、なに、ヘルプしてくれてんの?」
「バイトみたいに言うなよ」
「なーんだー、じゃあいらなかったかな?こっちの助っ人さん達は」
ポニーテールを揺らす恵の後ろから、いつもの3人が揃いも揃ってすっかり散らかった教室へ入ってくる。
「よっすー!てかやばくね?マジで終わってないじゃん、このクラス」
「なによ、冷やかしに来たの?」
「違う違う!ちゃんと労働する気満々だから、ホラ!」
まあ確かに、作業着を着て、やる気があるようには見えるが。
「あ、なんか手伝えることありますかー?」
若干引き攣った表情の女子の輪の中に、修斗はなんの躊躇いもなしに入り込んでいく。
色んな意味ですっかり学年の有名人である彼らに気圧され、彼女たちは言葉もなしに互いに顔を見合わせている。
その時前の入り口付近で切った画用紙を貼り付けていたスポーツ刈りの男子達が、修斗に手を振った。
「おーい、修ちゃーん、こっちヘルプー!」
「おっ!はいはいー、今行きますよー!」
どうしてこの男は帰宅部のチャランポランのクセにこんなに交友関係が広いのだろう?
ユリカには、甚だ疑問である。
いずれにせよ、彼女たちにとっては助け舟だった。
「あ、それカッター危ないよ。俺やろうか?」
「あ、ありがとう……」
先ほど修斗に声を掛けられていた女子達の間に、いつのまにやら岳がしゃがみ込んで、カッターを器用に使って段ボール箱を素早く綺麗に解体していく。
……申し訳ないが、ユリカは岳と修斗が本当に同い年なのか疑ってしまう時がある。
「ほら、アンタも見習うのよ。ここにこーやって色塗って!」
花瓶と花の形をした段ボールの切れ端に、どこにどう色を乗せていいか分からず、五十鈴の絵筆は宙を彷徨う。
「ここ?」
「違う、もうちょっとこっち」
「この辺?」
「違う違う……あーっ、垂れる垂れる!」
「だからどこだよ!」
「あーっ、もう!」
言いたいことが伝わらなくて頭に来たユリカは、筆を縦に持った五十鈴の手の甲を、上から包むように掴む。
「ここ!」
五十鈴の手が、一瞬強張る。
水分を余分に含みすぎた筆先から、大粒の檸檬色が一粒切れ端の上に垂れた。
「あー、垂れちゃったじゃん、もー!アンタの理解力が欠如してるせいで!」
「はぁ?ふざけんなよ、そっちこそ説明下手すぎだろ!コッチとかアッチとか伝わるわけねーだろ!」
適当にその周辺を塗り潰して、絵筆を逆の手に持ち帰る。
「てか、勝手に触ってくんなし!あー、手が穢れた、生真面目でカタブツの優等生がうつった〜」
「なっ、失礼なヤツだな!弟がいるからついついやっちゃうんだよ!」
仰々しく手の甲を制服のズボンに擦り付ける五十鈴は、殴りかかってきたユリカの拳をすんでのところで躱す。
「いつもお嬢様に殴られてやってばっかだと思うなよ」
「ぐっ……」
勝ち誇った笑みに、言葉が出ない。
─────そうだ、私は何をやってるんだろう。
いくら日頃のクセとはいえ、同級生の、しかも男子の手に突然触れるなんて……!
仕方がなかったとはいえ、穴があったら入ってしまいたい!
さっきの五十鈴の手の甲は、妙に温かかった。ユリカの掌よりも。
「……暑い?とか?」
独り言をキャッチした五十鈴は、ほんの少しだけ眉頭を寄せる。
「はぁ?何だよその語尾の上がり方。……あー、まぁ、ちょっとだけ」
言われて気がついたといった様子で、既に少しだけ折られていたワイシャツの裾を、肘まで一気に捲り上げる。
「あっ、えっと、あのー、そう!私、あなたに聞きたいことがあるの!」
目を逸らしながら、矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「聞きたいこと?なに」
咄嗟に口から出たその言葉の続きを考えていなくて、魚のように口を動かしてしまう。
「あ……あなたはなかなか興味深い人物よ」
「へぇ、そりゃどーも」
ニヒルな微笑にも、もう慣れたものだ。
「ほんとよ?嘘じゃないわ」
だんだん勝手が分かってきたのか、五十鈴は手際良く次々と段ボールの切れ端を彩っていく。
「なんで金髪にしてんのかなーとか、中学の時はどんな感じだったのかなーとか。
あ、そうそう、あなたが何のバイトやってるのかも知らないわね。……あー、あと、家での姿はだいぶ気になる。なんというか、素の姿っていうのかな」
指を折りながら、止まらなくなりかけたところでにんまりと笑顔を見せつける。
暫くユリカを見て固まっていた彼は、やがてふと笑ってまた目線を落とす。
「めっちゃ具体的じゃん」
「あら、何よ。悪い?」
「ん、別に」
「そのくらいなかなか面白い男であることを自覚してほしいものね」
力の抜けるような笑いを口から漏らして、筆先を小さく動かし続ける。
「俺は家でもこんな感じだよ。別に、キャラ作ったりとかはしてないし」
ユリカにとって、その言葉は鋭い切れ味を放っていることを、もはや彼は分かっててやっているとすら思える。
「じゃー、俺もユリカに聞いていい?」
「え……ええ、どーぞ。何でもどんと来いって感じよ」
言ったそばから少し後悔した。
なにせ目の前の男は、ここぞとばかりに胸のうちの悪巧みを顔から覗かせている。
なんというか、少しでもボロを出したら逃がさない、とでも言うような。
「財閥の娘ってさー、毎日どんな生活してんの?メシとか……あ。まさか、毒味役とかいたりして」
「あっ、あー……そうね、ウン。いるわよ」
「えっ、マジでそんな昔の王様みたいなこと今でもやってんの?」
「あっ、ウソウソ、ウソ!やーね、冗談よ、冗談……アハ……」
冷や汗が背中に伝う。
ふーん、と含み笑いをして、顎に親指を当てたままなおも言葉を付け足す。
「やっぱパーティとかすんの?そーゆー人たちって」
「そりゃ……ねぇ?する、よね……?」
語尾が上がる。
「いや、俺に聞かれても知らないし」
鼻息で笑いながら、随分とご機嫌な様子で筆洗に筆を突っ込んで濯ぐ。
「何人くらい来んの?そのパーティとやらには」
「えっ、えー……最近ないから、わかん、ないけどぉ……まあざっと1000人、とかは……」
「多過ぎだろ」
「あー、ウソ!勘違い!うんまぁ、多分50……人、くらい」
「財閥グループの人脈ザコすぎじゃね?」
「んなことっ……私に言われても困るわよ!」
「ごめんごめん」
少々いじり過ぎたと言わんばかりに、五十鈴は一頻り1人で楽しそうに軽く笑って色塗りを続けた。
ふと気がつくと、胡座をかいた彼の周りの床に並べられたティーセットや花瓶、その他金持ちの屋敷にありそうな調度品をイメージした形に切り取られた段ボールたちには、丁寧に色が塗られていた。
「うっっっま」
あまりの完成度の高さに、思わず素直に驚嘆の声が飛び出す。
「あなたって絵上手なのね」
「当たり前だろ。芸術は俺の得意分野」
「なんて言うか、ガサツそうな見た目に反して意外だな、と……」
「余計な一言すぎ」
笑いの息を漏らしながら筆を置いて、凝り固まった肩を伸ばした。
ふと、教室内を見渡す。
後にこの喫茶店のテーブルになるであろう机の上には、ハサミやらペンやら、何に使ったかわからない画用紙の切れ端と千切れてほぼゴミと化したスズランテープたちが散乱している。
今はこんな有様だけど、みんなのやる気を見ているとあと2日もしたらきっとさぞかし本格的な内装に変貌していることが容易に想像できた。
昨日、通販で買った執事服が届いたと言って海がそれを渡してきた。
家に帰って広げてみると、激安通販サイトの割にはなかなかしっかりした作りになっていて、今のユリカは正直、かなり気分が上がっている。
アンティークのモノとか、ヨーロッパ調のモノとか、彼女の大好物なのだ、そういうものは。
「私、昔から好きなのよね、こういうの」
「え?」
何の前触れもない告白に、五十鈴が覗き込んできた。
「あ、いや……ホラ、なんかステキじゃない?貴族!ってカンジで」
「貴族ねぇ……じゃあ、ユリカだって貴族みたいなモンじゃね?
パーティしてダンス踊って、美味いモン食って、でっけー家に住んで……」
あ、でも、と暫し空を見つめた瞳をユリカに向けて、悪戯を思いついたように笑う。
「踊れんの?ちゃんと。ダンスとか」
「失礼な!……あ、あんま、上手じゃない……ケド」
そもそも上手い下手以前に、踊ったことなど一度もない。そろそろ見え透いてきたこの偽装に、この男はいつまで付き合ってくれるのだろう。
だけど、彼から返ってきた返答は不思議なもので。
「じゃー、いつか教えてやるよ」
「えっ、踊れるのっ!?ダンス!?アンタが!?」
「任せろって。言っただろ、さっき。芸術は俺の得意分野だって」
「ダンスって芸術なのかしら……?」
暑さと湿気で、珍しく萎びた前髪の根元をかき立てる。散らかった絵の具のセットを片付けながら、ユリカは説明をすべく立ち上がった。
「あれだよ、あの、ヒップホップとかじゃなくてこういう、ちゃんとしたヤツよ?」
「はい。そっすよ」
腕と足で身振り手振りで、貴族が舞踏会で踊っていそうなあのダンスを再現して見せる。
それは彼の思い描いていたものと、見事に合致したようだ。
「すご……
じゃあ、今度教えてくれる?」
「いいよ」
「えっ、ほんとに!?」
「うん」
半分冗談のつもりだったし、彼もそうだと思っていた。
だけど、茶化さずに口許をほんの少し上げて柔和な瞳をした彼の顔は、なんだか妙に嬉しそうで。
「じゃあ、いつかね。約束!」
そんな五十鈴の様子が何だか無性に可愛く思えて、しゃがんで小指を差し出す。
「なんだソレ」
「いいじゃない、なんでも。ホラ!」
胡座をほぼ完全に崩して、まるで自分の家にいるかのようにラフな体勢になった彼は気の抜けたように表情を緩め、やがて眉尻をほんの少しだけ下げて、ユリカの小指に自分の小指を絡ませた。
「いつか、な」
溜め息の中に混じった声で、優しく笑った。
彼の瞳のユリカは、何だか馬鹿みたいに緩みきった顔をしている。
そんな自分に思わず顔を顰めると、「ヘンな顔」と五十鈴は軽くユリカの額を指で弾いた。
──────こんなその場のノリの口約束がやがてまさかあんな形で叶うなんて、この時の2人はきっと想像すらしていなかったに違いなかっただろう。




