80時限目
「友木りんさん、その辺で終わりにしないと職員に迷惑となりますよ」
くすくす笑いながら横に立ったのは、流れる様な金色の髪をした男の人だった。
ギリアム様じゃなかった。なぜか彼がいる気がしてた。
でも、あれ、えーっと、この人って誰だっけ? 見覚えはあるんだけど…あ。
「…保健室の、先生」
ついさっきお世話になったばっかりなのに思い出せないとか。
それに、もう2回もお世話になっているのに名前も知らないや。てへ。
「職員は、教員と違って学園の生徒に対しては使用人に準じた行動が求められるんです。ですから、いくら今のあなたが平民であろうとも卒業後に爵位を得ることが確定しているのですし、あまり下手に出られても困惑させてしまうだけですよ」
そう言って、保健室の先生は職員は下級貴族の嫡男以外(つまりは爵位がない=平民扱い)が就いているのだと教えてくれた。なるほどー。
でも、現時点なら私と一緒なんだから…と思ったけど、職場の規定で学生には丁寧な態度を、と決められているのに私だけ変えろというのも逆に横柄かな。気を付けよう。
私は、それでも最後にもう一度だけカウンター内にいる職員のおねえさんに頭を下げて「ありがとうございました」と告げると、おねえさんは少し困ったように笑って「ありがとうございました」と応えてくれた。
保健室の先生にも、「教えて下さってありがとうございました」と礼を告げる。
謝罪合戦ですっかり時間を喰ってしまった。急いでカフェテリアへと向かわねば、と図書室から出ようとする。
そこに、声を掛けられた。
「手。まだ強い痛みがあるようなら、帰る前に湿布を交換しに保健室に寄ってください」
振り返ると、それまでどちらかというと冷たい態度しか取られていなかった保健室の先生が、柔らかく微笑んでいた。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ掛けて、ぎぎぎ、と上体を起こす。取り繕うように愛想笑いをしてからスカートの裾をちょこんと摘まんで淑女の礼を取り直した。
「その際は、よろしくお願いします」
どうよ、この身についてなさ。自分で泣けてくる。けれど、今は練習中の身だ。失敗を恐れる必要なないのだ。多分。
自分で言った言い訳をなんとか納得して顔を上げると、そこにあった何故か自分を微笑んだまま見詰める綺麗な顔に胸が騒めくようなものを覚えて、私は慌てて廊下へと出た。
なにあれ。
確かにここって美形だらけだけれど、あの先生はまたちょっと雰囲気が違うんだよね。中性的だし。美形の守護天使に見守られている感じ? いや、もっとこう…生温かいというか駄目な子を見守ってる優しい保護者というか、乳母的な?
違うな。それに、どんなに美形で美人さんでも先生は男性だ。保護者までは有りだとしても、乳母ってなんだ、乳母って。
「りんさん、遅かったですね」
廊下に出てすぐ、ムーアさんから声を掛けられた。
「あれ、ムーアさん?」
殿下たちと一緒に先に行って貰った筈なのにと首を傾げていると、そっと肩から掛けていた鞄を取られた。むむっ。相変わらずさりげなく有無を言わせぬエスコートっぷりだ。
「遅いようなので様子を見にお迎えに戻りました。なにかありましたか?」
少し眉を顰めるようにして顔を覗き込まれる。ありゃ。時間だけでなく心配までかけちゃったっぽい。
「すみません。ちょっと、本の返却について職員さんと謝罪合戦を」
えへへ、と笑って白状すると、「謝罪合戦ですか。それは見たかったですね」とムーアさんは安心したように笑い返してくれた。
「殿下は『お腹が空きすぎて待っていられない』と先に食べてます」
「それは申し訳ありませんでした」
あぅ。育ち盛りの男子学生に『待て』をさせるなんて拷問でしかないよね。
お昼時のカフェテリアなんていい匂いで充満してるし、お腹空いて当然だよね。すまんかった。
お昼休みに入ってにぎやかになった廊下をムーアさんと一緒に歩く。
まぁね、にぎやかといってもあちらの世界の学校の昼休みみたいな騒々しさはない。でも、本当に学生がいるのだろうかと不安になるような教師の声しか聞こえてこないような授業中とは違い、柔らかでおっとりと令嬢達が会話する声や、令息たちの穏やかな笑い声がたまに聞こえてくるばかりで騒々しさはない。あっちみたいに休み時間に暴れたりしないもんね、お貴族様達。
比較対象が酷すぎるだけかもしれないけれど。こっちではあまり大声で叫んでいるのすら聞いたことはない。
「今日のランチメニューはなんでした?」
「ステーキサンドセットと、舌平目のムニエルでしたよ」
舌平目のムニエルはなんとなく判るけど、ステーキのサンドイッチかぁ。食べにくそうだなぁ。
「舌平目って食べたことないかも。どんな魚なんですか?」
「靴底という異名もあるそうですよ。少し骨が多いですが、柔らかくて美味しい魚ですね」
うへぇ。骨が多いのか。ナイフとフォークで食べるとなると、こっちも苦戦しそうだなぁ。
マナーの怪しい私としては、どちらも遠慮したくなるメニューだ。お箸くれ。
どちらのメニューの方が被害が少なくて済むかと悩んでいると
「どちらのメニューも食べてみたいのでしたら、2つとも頼んでもいいんですよ?」
そう見当違いのアドバイスを受ける。いやーっ。
「そこまで食いしん坊じゃないですっ。…どっちのメニューの方が食べやすいかなーって」
マナーが怪しいので、と小さな声で付け足すと、ムーアさんは優しく「ならステーキサンド一択ですね」と微笑んだ。
手づかみで食べていいのは楽かもしれないけれど、手がソースだらけになったりするのも遠慮したいんだけどな。
でも確かに骨だらけの柔らかなお魚よりは食べ易いのかもしれないと思い直す。
ムーアさんの目を見て、「はい、では今日のランチはステーキサンドにします」と力強く頷いた。
そんな幸せなお馬鹿会話をしている間にカフェテリアへ着いた。
「お待たせいたしました」
「おー、待った。待ちくたびれてお替りしたところだ」
うぉっ。ケルヴィン殿下、食べるの早い!!
「早食いは肥満の元といいますね」
ちょっ。横からエリゼ様のあちらの世界豆知識(こっちでも同じこと言うのかな?)が飛び出す。
「な?! それは本当か、エリゼ」
殿下の慌て方を見ると、こちらではあまり一般的な知識ではないのかな。あはは、焦ってる。
「必要な栄養素を摂取できたと頭が納得して満腹だと感じる前に、必要量以上を食べてしまうそうです。なんというか節操がない感じですわね」
ゆっくりと、目の前に置かれている紅茶を口に運びながらエリゼ様は王太子殿下に向かって毒を吐いていた。ホント、エリゼ様ってケルヴィン殿下にだけは塩対応だよね。
ほら、またケルヴィン殿下が泣きそうな顔になってる。
あーあ、という目で二人のやり取りを聞きながら席に着く。
「りんたん、待っていたわ。今日のランチメニューはね…」
ケルヴィン殿下が真っ白になっている事とか私の冷たい目に気が付いていないのかエリゼ様がうきうきした様子で私に話しかけてくる。うん。ワザとか。
ならば私もそれにならってみようではないか。
「ステーキサンドをお願いします。ムーアさんはもう注文されましたか?」
さくっと横で控えていた侍女さんに自分の注文をお願いしてムーアさんに問い掛けた。
「では私は舌平目をお願いします。今回は、私が魚を食べている所を見ていてくださいね。次は一緒に食べて練習していきましょうね」
「ありがとうございます」
ありがたいのぅ。本当にムーアさんは優しい先生だなぁ。
本で読んだり、言葉で説明されてもよく判んないというか実際にはできないことっていっぱいあるよねー。先にお手本を見せてくれるのは本当に嬉しいなぁ。
「…その役は、私がやりたかったのに。りんたんの、手取り足取り腰取りべっとりしっぽり教えるつもりだったのに」
アー、アー。キコエナイー。
くすんくすんとワザとらしく嘘泣きをするエリゼ様を横に、私は即運ばれてきた自分の分のランチを前にして、唖然としていた。
「…すてーき?」
そこには、この学園のメニューに相応しいとは到底思えない、大きなバゲットを半分にぶった切ったパンに切り込みを入れ、そこに薄切りの牛肉を焼いたものととろけるチーズが溢れんばかりにたっぷりと挟まれただけのものが置かれていた。
「サンドイッチじゃない。…サンドだからか。でも、ステーキでもない」
手に取れば、両手で持ってもずしりとくる重さが手首に掛かってビビる。
「ランプ肉の薄切りと一緒に、ほんのちょこっと玉ねぎのスライスをよく炒めたものに、ゴルビーチーズをたっぷり乗せて挟んでいるのよ。パンはバターが入っているからバタールに近いわね。味付けはシンプルに塩コショウのみ。でも、それがいいの」
美味しいわよ、とエリゼ様が教えてくれたけれど、私の困惑は深まるばかりだ。
「えっと、ステーキって…こう、分厚い肉が焼いてあって、それが挟んであるサンドイッチの事かと思ったんですけど」
というか、あちらで雑誌などに乗っているステーキサンドは分厚いミディアムレアなステーキがどどんと挟まれたサンドイッチのことだった。こんな薄切りで細切れになっている焼肉パンではない。
思わず寄り目になりながらそう告げると、エリゼ様は「あぁ。日本で別物にされてしまったのね」と笑った。なんと!
「アップルバターとかもそうよね。りんごをバターみたいにパンに塗れるようになるまで蕩けるほど煮詰めたジャムスプレッドの筈なのに、いつの間にかバター入り林檎ジャムが出来てたでしょう」
忌々しき事態よね、と頬に片手を当ててため息を吐いている。
「アップルバター自体を知りませんが」
でもそういうのがあるんだねぇ。わはは。『名前から想像で作ってみた!』みたいな感じなんだ。適当だなぁ。
「このサンドもあちらのアメリカでは有名なファストフードね。なんでこんなメニューがこちらにあるのか不思議だけれど、きっとあちらから来た人が作ったんだと思うわ」
なるほど! それはありそうだ。
「そうですよね。みんな日本人じゃないんですもんね」
そうよ、とエリゼ様も笑って言った。




