表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
触れた相手を壊す俺、義姉と義妹は最初から壊れている  作者: 翡翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/20

第13話 主導権を握る側



 翌朝。


 教室の扉を開けた瞬間、空気の流れが少しだけ変わるのを感じた。


 視線。


 強くはない。

 けど、確実に向いている。


 一ノ瀬凛だ。


 席に座ったまま、こちらを見ている。


 昨日までと違うのは、その目に迷いがないことだった。


 ――来る。


 分かっていた。


 だから、足は止めない。


 そのまま自分の席まで歩いて、椅子を引く。

 座る前に、凛が口を開いた。


「おはよう、朝比奈」


 軽い声。


 でも、その奥にあるものは軽くない。


「……おはよう」


 短く返して座る。


 距離はそのまま。

 線の外。


 ここまでは昨日と同じ。


「ねえ」


 凛が頬杖をつく。


「今日、ちょっと違うね」


「何がだ」


「逃げてない」


 核心だった。


 昨日までは、確かに逃げていた。

 触れない。近づかない。避ける。

 それだけだった。


 けど今日は違う。


 避けるだけじゃ足りないと、もう分かっている。


「……だからどうした」


「別に?」


 凛が小さく笑う。


「ちょっと楽しみになっただけ」


 そう言って、机に肘をついたまま少しだけ前に出る。


 近い。


 でも、まだ触れていない。


 ここでいつもなら、こっちが引いていた。


 けど――


「一ノ瀬」


 先に名前を呼ぶ。


 凛の目が、わずかに揺れる。


「何?」


「条件を決める」


 空気が変わる。


 今度は、向こうが止まる番だった。


「……へえ」


 興味深そうに目を細める。


「聞こうか」


「触れない」


「それは前からでしょ」


「ああ」


 頷く。


「でも、それだけじゃない」


 視線を外さない。


「俺が止めろと言ったら止まる。近づくのはそこまで。試すのは一回まで」


 一つずつ、言葉にする。


 曖昧にしない。


 線を、見える形にする。


「それを越えたら、終わりだ」


 沈黙。


 数秒。


 凛はじっとこっちを見ていた。


 そのまま、ふっと笑う。


「……ほんとに変わったね」


「そうかもな」


「誰の影響?」


「関係ない」


「そっか」


 あっさり引く。

 でも、その顔は少しだけ楽しそうだった。


「じゃあ、確認」


 凛が指を一本立てる。


「今の私は、どこまでなら許されるの?」


「そこまでだ」


 即答する。


 今の距離。

 机一つ分。


 それ以上は入れない。


「……なるほど」


 小さく頷く。


「思ったより厳しい」


「当然だ」


「じゃあ」


 凛がほんの少しだけ顔を近づける。


 机は挟んでいる。

 触れてはいない。

 でも、意識は明らかに踏み込んでくる。


「ここは?」


「線の上だ」


「じゃあ、越えたら?」


「終わりだ」


 言い切る。


 迷わずに。


 すると凛は、しばらく黙ってから、小さく笑った。


「……いいね」


 その言葉に、少しだけ違和感を覚える。


「何がだ」


「ちゃんと線を引くところ」


 凛は頬杖を解く。


「そういうの、嫌いじゃない」


 その言い方が、少しだけ危うい。


 拒絶されているのに、むしろ興味を深めている。


 ――やっぱり、普通じゃない。


「でもさ」


 凛が続ける。


「それって、私だけ?」


 その問いに、一瞬だけ詰まる。


 鋭い。


「……何が言いたい」


「家でも同じことしてるのかなって」


 心臓が、一瞬だけ跳ねた。


 顔には出さない。


 出したら終わる。


「関係ないだろ」


「あるよ」


 即答だった。


「線って、誰に対しても同じじゃないでしょ?」


 完全に見抜いている。


 人によって違う。

 距離も、危険度も。

 それをもう理解している。


「……お前には今の線だ」


「今は、ね」


 凛が繰り返す。


 昨日まで陽菜が使っていたのと同じ言い方。


 ぞくり、とした。


「そうだ」


 認める。


「今は、だ」


 凛の目が、わずかに細くなる。


 少しだけ嬉しそうに。


「そっか」


 小さく呟く。


「じゃあ、変わる余地はあるんだ」


 ――そこに食いつくか。


 けど。


 ここで否定しすぎても駄目だ。

 曖昧にしても駄目。

 必要なのは、主導権。


「それは俺が決める」


 はっきりと言う。


 その瞬間。


 凛の表情が、わずかに止まった。


 初めてだった。


 向こうが完全に受け身になったのは。


「……へえ」


 小さく笑う。

 でも、その笑いはさっきまでと少し違う。


「そう来るんだ」


「嫌なら終わりだ」


「嫌じゃないよ」


 即答。

 迷いがない。


 けど、その頬にほんの少しだけ熱が乗る。


「むしろ、いい」


 その一言で、分かる。


 これだ。


 拒絶だけでは止まらない。

 でも、主導権を奪えば、向こうは反応を変える。


 押す側から、見られる側へ。


「……じゃあ、一回だけ」


 凛が静かに言う。


「今日の確認、してもいい?」


 来た。


 ルール内での要求。


 ここで断れば、ただの拒絶になる。

 受ければ、管理に入る。


「一回だけだ」


「うん」


 凛が立ち上がる。


 机の横を回ってくる。

 ゆっくりと。

 試すように。


 けど、線の手前で止まる。


 昨日までなら、そこからもう一歩踏み込んでいた。


 今日は違う。


 ――守っている。


 少なくとも、今は。


「ここまで」


 凛が小さく言う。


「どう?」


 視線が合う。


 意識がこちらに向く。


 触れてはいない。

 でも、近い。


 呼吸が少しだけ浅くなる。

 思考も、ほんのわずかに鈍る。


 けど、制御できる範囲だ。


「……問題ない」


「そっか」


 凛は小さく笑った。


 そして、それ以上は来ない。


 本当に一回で止めた。


「じゃあ終わり」


 あっさりと引く。


 その潔さに、逆に拍子抜けする。


「……いいのか」


「だって条件でしょ?」


 当然みたいに言う。


「守った方が、次があるかもしれないし」


 その言葉に、少しだけ頭が痛くなる。


 完全には止まっていない。

 ただ、形が変わっただけだ。


 でも。


 昨日までよりは、明らかにマシだった。


 少なくとも、主導権はこちらにある。


「朝比奈」


 凛が席に戻りながら言う。


「今日のそれ、嫌いじゃないよ」


「そうか」


「うん」


 椅子に座り直して、こっちを見る。


「ちゃんと決めてくれる方が、好き」


 その一言が、妙に残った。


 ――好き。


 軽い意味じゃない。


 でも、重くもない。


 その中間の、最も危うい位置。


 ――進んでるな。


 確実に。


 しかも、昨日までとは違う形で。


 そのとき。


「朝比奈くん」


 教室の前から声がした。


 クラス委員の女子が、プリントを持って立っている。


「これ、職員室に持っていってくれない?」


「ああ」


 立ち上がる。


 プリントを受け取る。


 その流れで教室を出ようとした瞬間。


「行ってらっしゃい」


 凛が、柔らかく笑った。


 その笑い方が、妙に自然で。


 ――危険だと思った。


 帰属したがる笑い方だ。


 線の中に入りたい人間の、笑い方。


 ――


 昼休みが終わる頃。


 スマホに短い通知が入っていた。


 【陽菜】


『今日、ちゃんとやってる?』


 短い一文。


 なのに、監視の色が濃い。


 返事を打つ前に、もう一件来る。


『帰ったら確認するね』


 思わず、ため息が漏れた。


 外で主導権を握り始めたと思ったら、

 今度は家で待っている。


 しかも。


 あっちは、凛よりずっと近い場所にいる。


「……休まる場所がないな」


 小さく呟く。


 すると。


「何が?」


 すぐ横から、凛の声がした。


 顔を上げると、こっちを覗き込んでいる。


 線の外。

 ぎりぎりで止まっている。


 ――守っている。


 でも。


 その目は、完全に面白がっていた。


「別に」


「ふーん」


 凛が小さく笑う。


「じゃあ、帰ったら大変なんだ」


 その一言に、何も返せなかった。


 返さないこと自体が、答えになると分かっていても。


 今日一日で分かったことがある。


 主導権は、握れる。


 でも。


 それで終わるわけじゃない。


 外で握った分だけ。


 家ではもっと強く、試される。


 そんな予感が、はっきりと胸の奥に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ