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処分の空気が学園へ馴染み始めると、不思議なことに、新入生たちの視線は少しずつ別のところへ向かい始めた。
それは忘れたからではない。
むしろ逆だ。
学園がああして静かに処理するのだと分かったからこそ、胸の内でだけ持ち続ければいいものと、自分で先へ進まねばならないものとが分かれてきたのだ。
仮寮の暮らしは続く。
朝は鐘より先に目を覚ます者が増えた。
食堂へ向かう列も、最初の頃のぎこちなさを失ってきている。
上級生の顔を見れば肩を張る。だが張り方に少しだけ慣れが出る。
七人部屋の空気にも、それぞれの生活の癖が染み始めていた。
クレイスの大部屋では、夜更けの衣擦れの音だけで誰がどの寝台から降りたか、もう何となく分かる。
ジェスルの部屋では、机の上の紙束の積み方にその者の気質が出る。
最初はただの白だった日々に、ようやく個々の手触りが宿ってきた。
それが、本寮決定の前触れのようでもあった。
口に出して言う者は少ない。
だが皆、知っている。
この仮寮の白はずっと続くものではない。
やがて、もっとはっきりとした色へ振り分けられる。
アルケスは、その気配を朝の食堂で感じていた。
ブローチを得られなかった悔しさは、まだ胸のどこかに残っている。
けれど、それをただ抱えて歩く日々は長くないと分かる。
この学園では、立ち止まって整理しきる前に、次の選別が来る。
それを疎ましいとは思わない。
むしろ、その速さが自分には合っているのかもしれないと、少しだけ思い始めていた。
前へ立つ者は、悔しさに膝を抱えている時間まで見られている。
ズヴォルタに言われた“焦るな”と“それだけを見るな”の意味が、少しずつ分かってくる。
その朝、ズヴォルタは食卓の端で、黒パンをちぎりながら一言だけ言った。
「いつまでも引きずった顔をするな」
それだけだった。
けれど、それは命令というより、クレイスの生徒へ向けた当然の確認のように聞こえた。
アルケスは何も返さなかった。
返さなかったが、その言葉は食後もずっと胸に残った。
ポルックスの方は、もっと早く気持ちを切り替えているように見えた。
実際には切り替えているのではない。
まだダミアノの警戒を手放していないし、学園がどこまで処理を進めるかも見ている。
それでも、表面だけは以前と変わらぬ静けさを取り戻していた。
講堂で受け取った二つのブローチは、今やもう飾りではなく、周囲の目を変える印になりつつある。
教員だけではない。
同級生も、上級生も、その小さな光を見て、次にどこまで期待してよい相手かを無意識に測る。
それを、ポルックスは鬱陶しいとも誇らしいとも思わなかった。
ただ、面倒だとは思った。
「最近、話しかけられる回数増えた?」
ケラノスが、昼前の連絡通路でそう言った。
「少し」
「やっぱり」
「きみは」
「減った」
即答だった。
「でも、前みたいな減り方じゃない」
ケラノスは窓の外を見たまま続ける。
「前は、“関わると面倒”って顔で減ってた」
「今は?」
「“あいつはもう大丈夫そう”って顔」
その違いは大きい。
ポルックスも、それには頷けた。
学園の処分は、ただ罰するだけではない。
空気の流れまで変える。
だからケラノスの周囲から、あの嫌な笑い方が消えた。
そしてそのかわり、普通の距離が戻り始めている。
シャムは、そういう変化を見ながら、自分の立ち位置も少しずつ変わっているのを感じていた。
誰かを助けに飛び込む。
傷つく。
それだけでは終わらなかった。
今は、あの時の痛みが、自分の言葉の置き方へ変わっていたことを実感し始めている。
教皇側として相手を切りすぎなかった感覚も、課題が終わった今だからこそ自分のものとして分かる。
講堂で名を呼ばれなかったことへの悔しさは、まだある。
だがその悔しさは、少しだけ細くなった。
代わりに残ったのは、次にどう言葉を置くかという意識だ。
それは学園らしい変わり方なのかもしれないと、シャムは思った。
カストルは、誰よりその“次の気配”に苛立っていた。
まだ整理しきれていない。
課題で届かなかったことも、講堂の結果も、ダミアノたちへの静かな処分も、自分の中ではどれも終わった形になっていない。
それなのに、周囲はもう次へ向き始めている。
食堂での席の空気。
上級生の目。
仮寮兄のちょっとした言い方。
全部が、“本寮”という言葉をまだ口に出さないまま、その前提で動いている。
「嫌な顔してる」
セリノスが、朝の廊下で言った。
カストルは睨むようにそちらを見る。
「お前、最近そればっかりだな」
「分かりやすいから」
平然と言われ、また腹が立つ。
腹は立つが、否定もしにくい。
「本寮のこと考えてる?」
「考えてない」
「考えてる顔だよ」
「うるさい」
それで終わる。
終わるくせに、セリノスの“うるさく言わない”感じが、今は少しだけありがたかった。
カストルはクレイスの仮寮で見たものを、まだ名前にできないまま抱えている。
真正面から立つ者。
前線へ行く者。
そこで求められるもの。
自分がそれにどこまで耐えられるか。
問いは消えない。
そしてそれこそが、本寮決定へ向かう前の一番厄介な重さだった。
夜、寮棟の中庭へ落ちる月の光はまだ薄かった。
仮寮生活は続く。
鐘も鳴る。
食事も出る。
上級生は叱り、時に認め、また次の日が来る。
けれど、同じ白い制服を着ていても、その白はもう初日の白ではなかった。
勝った卓の白。
届かなかった卓の白。
処分の空気を知ったあとの白。
次の選別を待つ白。
それぞれに少しずつ意味が染みている。
そしてその夜の終わりに、学園棟の上階で、上級生たちがいくつかの名簿を持ち運ぶ姿が見られた。
誰もそれを大きく騒がない。
騒がないが、見た者はみな胸のどこかで理解する。
次が近い。
本寮を決めるための、もっとはっきりした選別が。




