39.子どものために出来ること
自室の応接の間にて、目の前のテーブルに置かれた分厚い紙の束に、ラリーサは些か辟易とした表情を浮かべて息をつく。自分から〝やる〟と決めた――定期的にやるべき〝皇后主催のお茶会〟だ。ラリーサが主催する初めての公式な〝茶会〟である。派閥に関わらず、出来るだけ多くの貴族たちへ招待状を〝ばら撒く〟必要があるのはわかっているのだが……。
「さすが……大国トリーフォンですねぇ」
パラパラとおざなりに招待状を送る候補者の名が書かれた紙を捲り、もう一つ息をついたラリーサに、先帝の正妃であるブリュンヒルトとその子であるルフィナ皇女がクスクスと笑声を溢す。
「私も、初めて茶会を開いた時は大変でした。おそらく、皇后派や第4皇子派の方々は、ほとんどいらっしゃらないでしょうけど」
「だからと言って、招待状を送らないわけにはいきませんものね」
〝はぁ〟と小さく肩を落とし、ラリーサは申し訳なさそうにブリュンヒルトへ視線を向ける。
「ブリュンヒルト様のご助力には、感謝しかありません」
「私は、大したことはしておりません。リーサ様の侍女が作成した候補者リストは完璧に近いものでしたし、招待状の代筆くらい、なんてことはありませんわ」
〝今は、時間を持て余しているくらいですし〟と笑みを浮かべたブリュンヒルトが、傍らに座るルフィナへ優しい視線を向けた。
「それに、最近のルフィナはとても楽しそうなのですよ」
嬉しそうに笑みを深めたブリュンヒルトが、ルフィナの髪をそっと撫でる。
「イサーク様たちをお茶会に招待したいと強請られた時は、少し驚きました。陛下やリーサ様が主催したくださったお茶会で、すっかり仲良くなったようで」
〝時折、イサーク様たちもルフィナを遊びに誘いに来て下さるのですよ〟と、ブリュンヒルトが嬉しそうに笑う。
「あと、私、少し驚いたのですけれど。イサーク様に、相談を受けましたの」
〝そうそう、聞いてくださいませ〟というように僅かに身を乗り出したブリュンヒルトに、ラリーサもまた〝まぁ、どんな?〟と身を乗り出す。
「陛下からイサーク様へご提案があった件について、〝母〟として意見を聞かせてほしいと言われました」
「まぁ!」
「ルフィナが自分と同様の提案を受けたら、賛成するのか反対するのか、それはどうしてかと言われて。私、驚いてしまって」
〝まだ5歳なのに、あのようにしっかりとなさっていて〟と感心するブリュンヒルトに、ラリーサが〝もう少し子どもらしくてもいいとは思うのですけれど〟微苦笑を浮かべる。
「でも、皇子であるならば、あのくらいの方が頼もしいとも思います。イサーク様が、どのような道を選ばれるのかはわかりませんけれど。私としては、一つでも多く選択肢を与えてあげたくて……」
〝でも、無駄にイサーク様を悩ませてしまっているでしょうか〟と眉尻を下げたラリーサに、ルフィナが〝そんなことない。大丈夫っ〟というようにぶんぶんと首を横に振り、ブリュンヒルトは〝後ろ向きな気持ちで悩んでいるようではありませんでしたよ〟と告げる。
「今まで、イサーク様とあまりお話する機会がなくて……お一人にしてしまったことを、スピリドン様の正妃として、私も反省しました。イサーク様が、どのような答えを出すかはわかりませんけれど。私も、イサーク様を気に掛けるように致しますね」
ブリュンヒルトの気遣いに、ラリーサは嬉しそうに微笑むと〝有難く存じます〟と頷きを返す。
「母は違えど、ルフィナにとっては〝弟〟ですからね」
母の言葉に、ルフィナが〝その通りだ〟というように一つ首を縦に振る。
「それはそうと、ブリュンヒルト様とルフィナ様は、何か困っているようなことはありませんか?」
侍女が入れてくれた紅茶で喉を潤しながら、ラリーサが二人に尋ねる。それに対し、ブリュンヒルトは〝私は特には〟と首を横に振る。
「陛下には、よくして頂いております」
「そうですか。ルフィナ様は、何か希望はありますか?」
ラリーサの尋ねに、ルフィナはしばし考えるように手元に視線を落とした後、チラリと傍らの母へ視線を向ける。ルフィナから向けられた視線に微苦笑を返して、ブリュンヒルトが〝仕方のない子ねぇ〟と小さく息をつく。
「あら。何かありますの?」
クスリと笑声を溢したラリーサに、ブリュンヒルトが〝実は〟と口を開く。
「一人で座学を受けるのは嫌だと言い出しましたの」
困ったように頬に片手を添え首を傾げたブリュンヒルトに、ラリーサが〝あぁ〟と納得したように笑って頷いた。
「最近、イサーク様たちはたびたび3人で講義を受けていらっしゃいますものね」
「帝国史や地理については、リーサ様もご一緒に受けていらっしゃいますでしょう?それが羨ましいみたいで」
困り顔を浮かべる母に、ルフィナは不満を表すように唇を尖らせる。
「まぁ。淑女がそのような表情を人前で浮かべるものではありませんよ」
そう窘めたブリュンヒルトに、ラリーサが苦笑を浮かべて〝あらまぁ。私も耳が痛いわね〟と背後に佇むマルファとカルロッタを振り仰ぐ。
「リーサ様は、皇后になられた今でもマルファ様から同じようなことを言われておりますよ」
クスリと笑って告げたカルロッタに、マルファが〝困ったことです〟というように眉尻を下げて大きく一つ頷いて見せる。
「気心の知れた者たちの前では、つい気が緩んでしまって」
ペロリと小さく舌を出したラリーサに、ブリュンヒルトとルフィナがぱちくりと瞳を瞬かせる。そして、背後からマルファの小言が降ってきた。
「ラリーサ〝陛下〟。淑女が人前で舌を出すものではございません」
わざと〝陛下〟を強調させたマルファに、ラリーサはススっと居住まいを正すと〝失礼いたしました〟と二人へ頭を下げる。
「……と、まぁ。私も褒められた〝皇后〟ではありませんの。ルフィナ様には、素直な表情を見せていただきたいと思います。前回のお茶会でアル様も言ってらっしゃいましたでしょう?私の前では、〝無礼講〟でいいですよ」
〝気心の知れた者たちの前で、多少、淑女らしくなくとも、公的な場でしっかり取り繕えていればいいのですよ〟と続けたラリーサに、ブリュンヒルトが〝ぷっ〟と小さく噴き出し、コロコロと楽し気な笑声をあげる。母が声をあげて笑う姿など見た事のなかったルフィナが、瞳を真ん丸にして笑うブリュンヒルトを見つめる。
「そうですね。私ももう〝皇帝〟の后ではないですし、ルフィナも〝皇帝〟の第一皇女ではないのですものね。……少し、肩の荷が下りたような気がいたします」
ふっと表情を和らげたブリュンヒルトが、〝決めました〟と言う。
「私に出来ることがあれば、何なりとおっしゃってください。〝先帝の后〟として、私に何が出来るかわかりませんが……」
〝陛下とリーサ様のお手伝いが、少しでも出来たら〟と、ブリュンヒルトが告げる。
「……いいのですか?皇太后様やヴェネジクト様に睨まれてしまうかもしれませんよ?」
「そうですね。でも、私も少し頑張ってみたくなりましたの。ルフィナやイサーク様には、よりよくなった国で堂々と過ごしてもらいたい」
〝先帝の后としてではなく、一人の母として〟と続けたブリュンヒルトに、ラリーサは〝頼もしい限りですわ〟と笑みを深める。ブリュンヒルトとて、〝皇帝の正妃〟として立后した女性なのだ。その心根が強くないわけがない。
「ルフィナ。あなたが多くの選択肢を得られるように、母も頑張りますからね。あなたも、己の未来をしっかりと見据えて考えてちょうだい」
ブリュンヒルトの言葉に、ルフィナがきゅっと表情を引き締め、神妙な面持ちでコクリと首を縦に振る。
「では、知見を広げるためにも、ルフィナ様もイサーク様たちと一緒に講義を受けられますか?」
ラリーサの提案に、ルフィナがぱぁっと瞳を輝かせて〝ぜひっ〟とでもいうように胸の前で両手を握りしめる。
「まぁ、よろしいのですか?」
「よいと思います。それに……イサーク様の後見は、今はまだジャンナ様なのですよ」
困ったように苦笑を浮かべたラリーサに、ブリュンヒルトが〝あぁ……〟と納得したように声を漏らす。
「帝国史と地理については、私の講義に3人が参加する形をとっておりますが、その他の講義については、今もジャンナ様頼りになっているものあって……」
「では、帝国史と地理に関しては、ルフィナも一緒に参加させていただいて、それ以外の課目についてはルフィナの講義に3人が混じる形でいかがでしょうか?」
「まぁ!そうしていただけると、助かります」
「人数が増えるとなると、補助としての教師も必要でしょうか。その辺も、ルフィナ付きの教師たちと相談しておきますね」
「ありがとうございます。帝国史と地理の方は、私がアル様に話をしておきます」
にこりと互いに微笑み合い、ラリーサとブリュンヒルトは頷きを交わした。
◆◆◆
「お茶会の招待状の作成なのですけれど、ブリュンヒルト様とルフィナ様に代筆のお手伝いをしていただけることになりました」
〝皇族や公爵家の皆様には、私が全て書きますけれど〟と、寝台の上に転がったラリーサが同じように傍らに寝転がるアリスタルフに告げる。
「元より、ルフィナ様に代筆のお手伝いをお願いするつもりだったのですけれど、ブリュンヒルト様にもお手伝い頂けるのは有難いです」
〝執務の時間を大して減らさずに済みそうですよ〟と笑ったラリーサに、アリスタルフが〝それはありがたいな〟と笑みを返す。
「そういえば、エリザヴェータとファイーナも、手伝えることがあれば言ってほしいと言っていたな」
「まぁ!それはいつの事ですか?そういうことは、早く教えてくださらないと」
ツンと唇を尖らせて、コロリと俯せになるように身を転がしたラリーサが〝えいっ〟とアリスタルフの鼻を摘まむ。
「すまん。忘れていた」
ラリーサに鼻を摘ままれたまま答えたアリスタルフが、ふははと鼻声で笑う。
「エリザ様とファーナ様は、アル様が私の元でお休みになることについて、何か言ってらっしゃいました?」
アリスタルフの鼻から手を離したラリーサが、その肩口を枕にするようにしてアリスタルフの腕の中にもぞもぞと収まる。
「特に何も……。どちらかというと、ホッとしていたぞ」
「あらあら、まぁ」
微苦笑を浮かべたラリーサが、〝今度、お二人をお茶会にお誘いしてみます〟と告げる。
「〝派閥〟なんてものに興味はありませんけれど、協力者は欲しいですし。お二人の意見も参考にしたいので」
「いいのではないか?」
くわっと一つ大きな欠伸をしながら答えたアリスタルフに、ラリーサが〝あら。大きな欠伸〟と笑う。
「アル様」
「……ん?」
眠気の混じったアリスタルフの声に、〝最後に一つ聞いてくださいな〟とラリーサが告げる。
「お茶会には、ドラノエ子爵夫人も招待いたします」
「あぁ」
「その時に、短期間でいいので、イサーク様がドラノエ子爵家で過ごせるように図らってほしいとお願いしてみようと思うのです。もちろん、イサーク様のお気持ちが一番ですよ」
〝どう思いますか?〟と問うたラリーサを、アリスタルフが見つめ返す。
「イサークがそれを望むのなら、俺はいいと思う。リーサを養母とすることについて、イサークに決断するための材料を与えてやることは大切なことだろう。ネストル兄上が、意見を求められたと言っていた」
「まぁ。ブリュンヒルト様も意見を聞かれたとおっしゃっていました。……変に惑わせてしまったでしょうか」
「かもしれんな。だが……今の状況も、決して良いとは言えない。俺は、リーサにイサークの養母となってほしいと思っている」
〝ネストル兄上も概ね同じ意見だ〟と、アリスタルフがラリーサの額へ唇を寄せる。
「これに関しては、俺の我儘に近い。リーサは、あまり悩むな。悩むならば、養母となった後、イサークをどのように育てていくかを悩んでくれ」
〝俺もともに悩む〟と言って、アリスタルフが優しく微笑む。その笑みにほぅと柔らかな息を漏らして、ラリーサは口元に笑みを浮かべると〝はい。そうすることにいたします〟と頷いた。




