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第14話

今回以降、月経(生理)に関する描写があります。

軽めですが、苦手な方はご注意ください。

 

 お披露目から数日後。

 この日に予定していたトマとの勉強会は、急遽休みになった。


 朝から感じていた気怠さが月経によるものだと分かると、周囲は驚くほど素早く環境を整えた。

 文明が発達しているとは言い難いこの世界では、部屋から出ずに休むというのが一般的だという。さほど痛みがあるわけではないが、千鶴は大人しくそれに従った。


 部屋の中でできることは限られている。普段通り読書をしようと本を開くのだが、ビセンテの言葉ばかりが頭をちらつき、内容がまったく頭に入ってこない。


 彼は、また会おうと言った。しかし、お披露目以降、ビセンテとは一度も顔を合わせていない。


(満月の夜、か)


 月と聞いて思い出すのは、何度も読み返した聖女伝説の一節だった。そこには「月が欠ける夜 聖女はすべてを許すだろう」と記されている。


 エルネストが会おうと言ったのは、満月の夜。

 偶然だと言われればそれまでだが、千鶴はなぜだかそうとは思えなかった。


「一体、なにを隠しているというの……」


 お披露目が終わったあと、ビセンテに言われたことを誰かに聞くこともできた。それこそ、なにがあったか問いかけてくれたエルネストだってよかったはずだ。しかし、千鶴はそれをしなかった。


 結局、千鶴は自分にとって都合のよくない事実を知ることが怖いのだ。裏切られることに慣れたふりをして、その実、自分が傷つくことを最も恐れている。




 王やエルネストとの約束は、まだ遂行されているのだろうか。一瞬そう考えて、すぐにそれを打ち消した。王を疑うわけではないが、あの生真面目なエルネストが、約束を反故にするとは思えない。

 彼らが約束を守っていて、かつビセンテの言うことが正しいのであれば、千鶴が聞かされていない事実があるということだ。


 事実を言われていないだけ。でも、千鶴はそれを知ってしまった。


 ビセンテは「秘密がある」と言った。

 なぜ、ビセンテはわざわざそれを口にしたのか。秘密のままにできない理由があるのか。




「……わたしは、秘密を暴くべきなのかしら」




 日が沈もうとしていた。


 夜は、すぐそこまで来ている。










 今夜は満月だ。雲一つない夜空には、まん丸の月が輝いている。


 今日のエルネストはどこか様子がおかしく、部屋から出ないようにと何度も千鶴に言い聞かせていた。


 満月の夜は香を焚く。魔除けだと言われているそれは、花の蜜のような甘い香りで、いつもであれば気持ちよく眠りの世界に誘ってくれる。しかし、今夜はビセンテの話を聞いてから初めて迎える満月の日。

 何度寝返りを打っても、眠気がやってくることはなかった。


 千鶴はおもむろに寝台を抜け出し、薄手のストールを肩にかける。

 心を落ち着かせるために外の空気を吸おうと、カーテンに手をかけた。小気味よい音が部屋に響く。


 その時――。




「こんばんは」




 こういった場面で声を出さなかったことを褒められるべきか。もしくは、なぜ悲鳴を上げないのかと叱られるべきか。

 エルネストや侍女たちが後者を選ぶだろうことは、誰に聞かなくても分かる。


 普段は気持ちがいいと感じるガラスの扉を、今日ほど恨めしく思ったことはない。跳ね上がった鼓動が数回の呼吸で落ち着くことはなかった。

 千鶴は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。それを三回繰り返した。


 その間、声の主から視線をそらすことはない。バルコニーの手すりに腰かけたその男は、にこにこと笑いながら手を振っていた。


 千鶴は静かに扉を開く。


 一気に吹き出た汗が、心地よい風によって冷やされていく。少しだけ強く吹いた風が、千鶴の首元を撫でるように流れた。


 聞こえてきたのは、今が夜であることと、ここがバルコニーであることを忘れさせるような快活な声だった。


「ごめんね、驚かせて。僕だって気づいたから口を押えたの? チヅル姫に悲鳴を上げられたらどうしようかと思っていたよ。素晴らしい判断だ。でもね、僕が本当の不届き者だったら声を出すべきだ。分かるね?」


 恐らく、この状況で千鶴を褒める者はビセンテしかいないだろう。


 悪いと思っているとは微塵も感じさせない声色。そして、掴みどころのない笑顔で謝罪を述べた彼は、音もなく立ち上がった。緩慢な動作で千鶴に近づくと、いまだ一言も発することのない彼女の顔を覗き込んだ。そして、互いの息遣いが聞こえそうな距離で囁く。

 闇に溶けそうなほど小さな声だったが、それは間違いなく千鶴の耳に届いた。


「どうして僕がここにいるのかって顔をしている」

「……当たり前じゃないですか」


 千鶴の思案顔を見て笑みを深めたビセンテは、楽しそうに続ける。


「あと、どうやって来たのかって顔も」

「それは……」

「僕たちは、身軽だからね」

「……()()()?」


 なぜ、彼以外も含めて言ったのか、それが誰のことを指しているのか、このとき千鶴には理解できなかった。分かったのは、周囲を見渡してもビセンテ以外には誰も見当たらないということだけ。


 訝しげに周囲を探る千鶴にはなにも言わず、ビセンテは唐突に話題を変える。


「君の忠実な()()が、僕のことをとても警戒していてね。ことごとく姫との逢瀬を邪魔するんだ」


 困ったものだと言いながら、ちっともそのようには見えなかった。




 番犬とは――予想はしていたが――エルネストのことで、千鶴に会おうとしても彼に門前払いされていた。そのため、正攻法での面会は早々にあきらめて別の方法を探したが、日中はエルネストが睨みを利かせていてほぼ不可能。

 そのため、少々過激な方法を取ることにした。


 今日、部屋の明かりが消える時間を見計らってバルコニーへ近づいた。室内の気配から、千鶴が起きていると確信。ビセンテが扉を叩く予定だったが、その前に千鶴がカーテンを開けたので、これ幸いと声をかけたのだという。

 ちなみに、外にいた護衛は交代だと言って部屋に戻らせたそうだ。


 得意げに手の内を話すビセンテに、千鶴は呆れを通り越して感心していた。


(騎士というより、忍者に向いているんじゃないかな……)






 遠くから獣の鳴き声が聞こえた。


 それを合図にするかのように、ビセンテは千鶴の前で初めて笑みを消す。どこか挑発的なその視線からは、それ以上の感情を読み取ることができなかった。


 騎士が普段どういった仕事をしているのか、千鶴にはよく分からない。比べるほど騎士を知らないが、エルネストとビセンテでは違いがありすぎた。しかし、似ているところもある。


 無表情を貫こうとするエルネスト。

 笑顔以外を見せないビセンテ。


 一見違うように見えるが、彼らが感情を悟られないようにしているのは同じだ。それでも、エルネストが表情を崩す瞬間を千鶴は何度か見てきた。

 一方のビセンテは常に笑顔で、逆に感情が読めない。会って話すのはまだ二回目だが、表情が一瞬でも崩れたことがないことに今さらながら気づいた。笑顔以外見たことがないという、どこか不気味なその事実。


 今、ビセンテは初めて千鶴の前で笑顔の仮面を脱いだのだ。


 暗さに目が慣れてきたころ、千鶴は改めてビセンテを観察する。今日は全身が黒の装いだった。千鶴は正装を身にまとう彼しか知らないが、エルネストが普段着る服とも異なっている。装飾品は一切なく、肌に馴染むその生地は、動きやすさに特化にしたようなそれだった。


 まるで、夜に紛れて存在を消すかのように。




「この前の続きを話そう、チヅル姫」

「続き、ですか」


 返事をする前に、ビセンテは千鶴の前まで来ていた。バルコニーの端から扉の前までのたった数歩ではあるが、ビセンテの足音は不思議なほど千鶴の耳に届かなかった。

 千鶴の背中に回されたビセンテの手は、彼女を室内へと導く。


 バルコニーの扉を閉める音が部屋に響いた。


 部屋の中に充満していた香りは、ほとんど外に流れてしまった。お香の煙だけが空気を読まずにゆらゆらと揺れている。換気のために開けている小さな窓から風が入り、煙を散らした。


「チヅル姫、いい香りがするね」

「魔除けのお香だと聞いています」


 ビセンテは返された言葉に首を振り、するりと千鶴の首元に鼻を近づけた。


「いいや、チヅル姫から香っているね」

「……わたし?」

「そう。とても、いい香りだ」


 ビセンテはそう言うと、そのまま深く息を吸い込んだ。吐き出した息が千鶴の耳をくすぐる。風呂に入ったから、石鹸の香りでもしているというのだろうか。そのように聞くと、彼はいつもの笑顔で「どうだろうね」と、肯定とも否定とも取れない返答をした。


 ではなんだと言いたげな千鶴の髪をくるくると指に巻きつけながら、ビセンテは逆の手でお香を指差す。


「チヅル姫は、このお香が好き?」

「……好きですよ」

「そう。でも、今夜は違うお香にしてみない?」

「違うお香でもいいんですか?」

「うん。今夜だけは()()


 言うが早いか、ビセンテは今まで焚いていたお香を特殊な入れ物に入れて煙を遮断させた。慣れた手つきで新しいお香を取り出す。


 最初は二つのお香が交じり合った不思議な香りだったが、しばらくすると、新しいお香の香りだけが鼻孔をくすぐった。それは柑橘系で、そこにわずかにスパイシーさが加わったような、異国情緒漂う香りだった。


「どう? 気に入ってもらえるだろうか。特別製の香りなんだ」

「はい。わたしは、こっちの方が好きです」

「それはよかった」


 千鶴の返答に、ビセンテは満足したように笑顔で頷いた。先ほどとは違い、内緒話をするような小さな声ではない。世間話をするような気軽さで、声色も普段と変わりなかった。

 その様子に、千鶴は少しだけ肩の力を抜いた。


 しかし、続けて放たれた言葉に、千鶴の全身が凍りつく。


「今まで焚いていたお香は、チヅル姫のいい香りを打ち消す効果があると同時に、僕らの理性に働きかける。そして、新しいお香は逆に僕たちの本能を引きずり出して、興奮を煽るお香だ」

「……それは、一体どういう」

「チヅル姫、この満月の夜に教えてあげる。さて、この前の話の続きをしよう」


 ――――彼と一緒にね。


 ビセンテがそう呟いたと同時に、部屋にノックの音が響いた。





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