第13話
エルネストは眉間に皺を寄せ、千鶴は顔に疑問を浮かべた。
目の前に立ちはだかった人物の装いは、エルネストと同じ騎士の正装だった。にっこりと笑ったその顔に、千鶴は見覚えがない。
「……あの、あなたは?」
「名乗りもせずに失礼いたしました。わたしは国王直属の騎士、ビセンテ=ベルトラムと申します。どうかお見知り置きを」
恭しく、それでいて綺麗なお辞儀だった。
エルネストが渋々口を開き、今日のダンスは披露のための一曲だけだと眉間の皺を深めた。
その顔を見てもビセンテは平然としている。むしろ「やっぱり聞こえていたんじゃないか」と、物言いたげな目でエルネストを見つめていた。しかし、次の瞬間には満面の笑みを浮かべ、置いてきぼりを食らっている千鶴との間合いを詰めた。
「おい、ビセンテ」
「チヅル姫、今日は星が輝いていますよ。バルコニーへ出て、星空の下で踊りませんか?」
「わたしがご一緒する。お前は戻れ」
「君ばかり姫を独り占めにしてずるいじゃないか。ねえ、チヅル姫?」
「えっと……」
「チヅル様に気安く声をかけるな」
混乱が続いている千鶴をよそに、騎士同士の応酬が何度か続いた。しかし、ビセンテがエルネストに耳打ちすると、そのやり取りは収束する。
エルネストは彼を鋭く睨みつけるが、それに笑顔で返すビセンテは視線をそらさない。
「チヅル様、申し訳ございません。飲み物をお持ちいたしますので、しばらく彼とお待ちください。彼が名乗った通り、国王直属の騎士です。腕だけは信用できます」
「分かりました」
「腕だけってなにさ、エルネスト」
最後の一言を無視して立ち去ったエルネストに、笑顔で手を振るビセンテ。
残された千鶴が隣に立つ男を見上げると、彼はすぐに気づいて笑みを深める。
「お許しが出ましたので、バルコニーへ出ましょう」
腰に添えられた手には力が入っていないはずだ。それなのに、千鶴はまるで操り人形になったかのように、彼が導く通りに自然と体を動かしていた。
「疲れたでしょう? 領主たちはチヅル姫を拝見できて幸せそうだったけれど、見世物にされても楽しくないよね」
ビセンテは、千鶴のことを「チヅル姫」と呼ぶ。姫ではないと言っても、僕だけの呼び名が欲しいと強請られ、そして、押し切られた。
先ほどの貴公子然とした話し方は仕事用で、普段は砕けた話し方をするという。いつも堅苦しい言葉ばかりが飛び交っているので、彼のように気安く話してくれた方が千鶴にとってはありがたい。そのままの気持ちを伝えると、ビセンテは「そっか」と笑顔で返してくれた。
国王直属の騎士をしているビセンテは、今日の披露目で自由に動き回る権限を持っているという。お披露目を遠くから眺めていたが、千鶴に疲労の色が見えたため、休憩に誘ってくれたのだそうだ。
先ほどエルネストに耳打ちした内容は、千鶴の息抜きのためだというものだった。
「エルネストは、困っちゃうくらい真面目でしょう?」
「はい。誠実で、真面目な方ですね」
困っちゃうくらいと言ったビセンテに、千鶴は顔をほころばせた。
エルネストとは昔からの知り合いで、仕事も私生活も真面目の一言で片づけられるくらいお堅いとビセンテは身振り手振り大袈裟に語る。それでも、最後には笑って騎士の鑑のような男だと評価した。しかし、堅物すぎて千鶴が迷惑していないか心配していたそうだ。
「迷惑だなんて、そんな」
「チヅル姫は優しいね。もし、なにかあれば僕を呼んで。いつでも参上するよ」
「ありがとうございます。でも、王様直属の騎士をされているのであれば、忙しいんじゃ」
「大丈夫。僕以外にも騎士はいる。それに、王よりもチヅル姫に近寄ることができる騎士の方が圧倒的に少ない。僕自身はエルネストに信用されていないけど、騎士の腕だけは合格をもらえているようだからね。そうじゃないと、一瞬でもチヅル姫の護衛を任されることはない」
にやりと笑ったビセンテは、バルコニーの手すりに肘を乗せて下から千鶴を覗き込む。その姿は、雑誌の表紙を飾ることができると断言できるくらい様になっていた。
「チヅル姫、せっかくダンスを練習したのだもの。僕とも踊っていただけませんか?」
千鶴の返事も聞かずにビセンテが跪く。
彼の姿は、その髪色も相まって、絵本に出てくる王子様そのものだった。
確かに、たくさん練習したのに一曲だけではもったいない気がする。そう思った千鶴が彼の手を取ると、ゆっくりと口づけを落とされた。すっかり忘れていたその行為に千鶴が頬を染めると、上目遣いでそれを見ていたビセンテがにやりと笑った。
バルコニーの扉からわずかに漏れる室内の音楽に体を揺らす。ビセンテとのダンスはエルネストよりも強引で、それでいて導く腕は優しかった。
「ねえ、チヅル姫」
「なんでしょうか」
「この国は、チヅル姫を欺こうとしているよ」
唐突に千鶴の体を引き寄せたビセンテが、彼女の耳元に口を寄せて囁く。まるで明日の天気の話をするような口調で浴びせられたその言葉の意味を、千鶴は瞬時に理解できなかった。
「え……」
「この国には秘密がある。それを、みんなが君に隠している」
追い打ちをかけるように、今度はゆっくりとビセンテは言った。声色や口調は、今までのそれとなんら変わりない。
俯く顔をどうにかして持ち上げると、そこにあるエルネストの表情は少しも変化していなかった。それが不気味で、千鶴は思わず息をのむ。
ビセンテから離れようとしても、腰に添えられた手がそれを許すことはなかった。思うように足が動かず、自分の心臓の音だけがうるさく耳に響く。唯一自由になった左手を胸に当て、深く息を吸った。
「あの、秘密って……」
「ビセンテ、チヅル様から離れろ」
ようやっと口を開いた千鶴を遮ったのは、彼女が今まで見たことがないくらい怒りを露わにしたエルネストだった。
ガラス張りの扉に背を向けていた千鶴には分からなかったが、ビセンテはエルネストが鬼の形相で近づいてきていることに気づいていた。しかし、彼の怒気に触れても意に介した様子はなく、笑みを崩すこともない。
「時間切れだね、チヅル姫。あなたの騎士が黙っていないようだ」
「ビセンテ。お前、チヅル様になにをしていた」
「ダンスをしていただけだよ。ねえ? チヅル姫」
ぎこちないながらも頷いた千鶴に満足したのか、ビセンテは握ったままだった彼女の右手と、腰に回していた手を離す。
そして、ひらりと舞うように深く礼をした。
「また会いましょう。次は、満月の夜に」
ビセンテの言葉に、エルネストは睨みを利かせる。その視線を受けても、彼の表情が変わることはない。
千鶴は立ち去るビセンテの背に目を向け続けたが、彼が振り返ることはなかった。
「……チヅル様、彼が、なにか失礼を?」
「いいえ。なにも……なにもありませんでした」
千鶴はエルネストと視線を合わせることなく、淡々と答えた。
「……中へ、戻りましょう。お体が冷えてしまいます」
続けて、温かい飲み物を準備していると言う彼は、どこまでも気が利く男だった。
ビセンテの言葉が、千鶴の頭を離れない。どこか上の空な千鶴の様子は、なにもなかったとは言い難い。しかし、それ以上はエルネストが口を開くことはなく、ただ考え込むように千鶴を目で追い続けた。
それから間もなくして、お披露目はつつがなくお開きとなる。
千鶴はエルネストのエスコートで退場する。続いて王、そして領主たちもぞろぞろと部屋を出た。残る給仕や騎士は、それぞれの仕事に戻っていく。
その中には、ビセンテもいた。
バルコニーから室内に戻ってからは、千鶴の視界に入らないよう護衛に徹した。その間、笑顔のまま千鶴を見続けたビセンテ。しかし、一人になった瞬間、表情は消えた。
綺麗になでつけられた前髪をくしゃっとかき上げながら、最後に見た千鶴の顔を思い出す。わずかに罪悪感を覚えながらも、そのあとで見たエルネストの顔は見物だったと、口元は弧を描いた。あの堅物もあのような顔ができたのかと、声を出さずに笑う。
堅苦しい制服の襟元を緩めながら、誰もいない道を進んだ。
今日の月は、満月には程遠い。
遠くから、獣の鳴き声が聞こえた気がした。




