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第12話

 

 千鶴は自分の顔が強張っていることを自覚していたが、今ばかりはどうしようもない。


 あれよあれよという間にお披露目当日となった。

 目の前にある扉が開けば、ついにその瞬間を迎えるというところまで来ている。


 扉の隙間から覗いた先には、数十人の領主が聖女の登場を待っていた。千鶴が想像していたお披露目とは違い、ここはさながら結婚披露宴会場だった。

 立食パーティーだと思って気軽にと言われていたが、この世界の気軽と自分の知るそれには大きな違いがあるようだと働かない頭で考える。


 隣に立つエルネストをちらりと見上げると、言わずもがないつも通りの冷静な表情だった。

 なんとも言えない情けない表情の千鶴に気づいた彼が、大きな手をそっと差し出す。


「チヅル様、どうかお気軽にお過ごしください」

「……頑張ります」


 喉元まで出かかった「無理」という言葉をどうにか飲み込む。そして、差し出された手に自分のそれを重ねた。

 今から行くのは戦いの庭だと、千鶴は自身を奮い立たせた。


 エルネストの装いは、騎士の正装だという詰襟のかっちりとした制服だった。それは真面目な彼にとてもよく似合っている。

 一方の千鶴は、彼女が好むシンプルなワンピースではなく、わずかではあるが装飾の多いドレスを身にまとっていた。ふんわりとしたスカートは軽やかに見えるが、長さがある分それなりに重い。長い廊下を歩いてここまで来たが、練習の甲斐あって裾さばきは格段に上達していた。


 千鶴が今日になって何度目かのため息をついたとき、重ねた手が軽く握られた。ゆるゆると顔を上げると、彼女を励ますようにエルネストが微笑んでいた。






「よろしいでしょうか?」


 側に控えていた騎士が扉に手をかけて問いかける。

 千鶴が小さく頷くと、大きな扉が開かれた。その瞬間、盛大な拍手で迎えられる。


 扉が開く前から準備していた笑顔が引きつる前に、彼女は重たい一歩を踏み出した。




 千鶴は場の雰囲気に圧倒されながらも、その表情はなんとか笑顔を保っていた。

 ゆっくりと領主たちの前を進み、立ち止まったのは王の前だ。いつもより鋭い視線の彼は、千鶴が知る王とは違う。国の頂点として、この場にいるのだ。


「チヅル()、お手をどうぞ」

「……はい」


 ここからは王にエスコートされる。

 手を離す瞬間、エルネストはわずかに握る手の力を強めた。それを励ましだと解釈した千鶴は、同じように握り返してから手を離す。

 焦がれるようなエルネストの視線には気づくことがないまま。


 壇上に上がると、千鶴は王が導くままに豪華な椅子へ座ることになった。周囲から突き刺さる視線に容赦はなかったが、この中に敵意が混ざっていないことだけが救いだった。

 まるで初公開の珍獣を見に来たのかと思うほどの熱気だったが、その珍獣である自分が檻の中にいないだけましかと余計なことを考えて気を散らした。


 どこの国でも、校長先生のように長話をする人は存在するらしい。しかし、退屈そうにしていたり、眠そうにしていたり、ひそひそ話をする者は誰一人としていなかった。

 この場にいる全員が王の言葉を聞き逃さんとしている中、千鶴は欠伸を堪えることに必死だった。


 千鶴の意識が飛ぶ前に話は終わり、再び王にエスコートされて壇上を降りる。

 テーブルがいくつか準備されており、そこを回って簡単に挨拶をするという。一人ずつではなくてよかったと、千鶴は胸をなでおろした。

 領主たちが必要以上に身を乗り出すこともなく、終始和やかなお披露目が続いた。




「ところでチヅル様。チヅル様はおいくつでいらっしゃるのでしょうか。しっかりしていらっしゃるが、随分とお若く見える」

「初対面の方に年齢をおうかがいするなど、失礼ではないか」

「いえいえ。まったく問題ありませんよ」


 ある領主の言葉を周囲は咎めたが、千鶴はやんわりと受け止める。今まで問われたことがないだけで、故意に隠しているわけではない。

 若く見えるのは日本人の特徴だが、千鶴自身は年相応だと思っている。


「そういえば、おうかがいしておりませんでしたね。よろしければ教えていただけますか?」

「問題ありませんよ。今年で十七歳になりました」

「……え?」


 王の問いかけに彼女が答えた瞬間、誰もが驚愕といった表情で目を見開く。

 その様子に動揺した千鶴が隣にいる王を見上げると、同じように驚いていた。しかし、すぐに落ち着きを取り戻すと、「静粛に」と言って周囲を見渡した。

 ざわついた領主たちは、王の一言で静まり返る。


「大変失礼いたしました。チヅル様は乙女顔なので、まだ成人を迎えていらっしゃらないと思い込んでおりました」

「は、はあ……。ちなみに、この国の成人は何歳ですか?」

「十六になります」


 笑顔を作ろうとして失敗した千鶴は、口角が歪んだまま絶句した。


 出会った者たちは、皆一様に彫りの深い顔立ちで身長が高い。千鶴はというと、日本人特有の凹凸の少ない顔立ちで、身長と体重は平均的だった。


 千鶴を見つめ続けていた領主たちだが、しばらくして冷静さを取り戻したようだ。周囲から謝罪の声が上がり、瞬く間に騒ぎは収まった。


 すべてのテーブルを回り終えたところで、千鶴は小声で王に問う。


「あの、わたしは何歳だと思われていたんでしょうか」

「……十二か十三の歳であると思っておりました」


 さすがにそれは無理がある。


 そう思っても、彼女が口に出すことはなかった。千鶴と王の会話を聞き取った者たちが大きく頷いていたし、王の顔は嘘を言っているとは思えないくらい真剣だったからだ。

 誰も年齢を聞かなかったのは、千鶴がまだ成人前だと思い込んでいたことが要因だという。


 教師であるトマも千鶴の年齢には気づいておらず、利発な子どもだと思っていたと後に語っている。




「……気を取り直して、披露目のダンスを踊ってはどうでしょう」


 王がすっと片手を上げると、優雅な演奏が開始された。


 近くで控えていたエルネストが腰を折ってダンスに誘う。

 練習と違ったのは、エルネストが差し出した手に千鶴がそれを重ねたとき、静かに口づけを落とされたことだ。




「チヅル様は成人していらしたのですね」

「故郷での成人は二十歳でしたので、まだ子どもです」

「しかし、この国ではすでに大人の女性として扱われる年齢です。今までの無礼をお許しください」 

「いや、ですから無礼なことはされていないですって……」

「成人した女性をダンスに誘い、了承いただけたら手の甲に口づけるのがマナーです。成人していない女性には、それをしませんので」

「ああ、だからさっき……」


 広間の中央で、多くの視線を浴びながらステップを踏む。ダンス中に会話をするだけの余裕はあったが、先ほどのエルネストの行動で千鶴の心は大荒れだった。

 手の甲に口づけをされる経験などあるはずもなく、思わず手を引っ込めそうになった。それはエルネストが手を握っていたおかげで阻止されたわけだが。


 エルネストは慣れた仕草で、恥ずかしがる様子もなく手の甲に口づけを落としていた。いくら性に合わないとはいえ、彼は貴族である。このような場面を何度も経験しているのだろう。

 しかし、彼が千鶴を驚かせるような行動を取るのは初めてだ。千鶴の動揺にも気づいているはずなのに、素知らぬ顔で振舞っている。


「エルネストさん、なんだか今日は意地悪じゃないですか?」

「そんなことはありません。淑女に対するマナーですから」


 いつもと変わらない淡々とした口調。しかし、見上げた先にあったのは、慈しむように柔らかく笑うエルネストの顔だった。初めて見る彼の表情に、千鶴の鼓動は少しだけ高まる。

 わずかに頬を染めた千鶴に、エルネストはその笑みを深めた。






 後日、手の甲へ口づけは強制ではないということを、千鶴は侍女から教えられた。


 ただの挨拶の場合、成人しているかどうかは関係なく形式的に口づけを落とすこともあるが、それは男性側の器量次第だった。

 侍女には「お二方の場合は、姫様に触れる名誉を賜りたかったのかもしれませんよ」とおどけられた。


 まさに異文化交流であると、千鶴は苦笑いで侍女の話を聞いていた。






 一度もエルネストの足を踏むことなく、踊り終えることができた。


 盛大な拍手が鳴り響く中、千鶴は周囲に手を振ってこたえた。王の口元には優し気な笑みが浮かんでおり、千鶴はほっとしたように息をつく。


「チヅル様、休憩されてはいかがでしょう」

「そうですね。折角だから、なにか飲み物を……」

「チヅル姫。ダンス、とてもお上手でした。僕とも一曲、お相手願えませんか?」


 エルネストと会話をしながら用意された席へ戻るところで、背後から何者かに声をかけられた。


 千鶴の手を引くエルネストは一瞬立ち止まったが、それを無視して再び歩き出す。真面目な彼が返事もせず無視を決め込むなど今までにないことで、千鶴は慌てて振り返ろうとする。しかし、エルネストは千鶴の腰をやんわりと引き寄せてそれを制した。


「エルネストさん、あの、どなたか」

「チヅル様、振り返らなくて結構です。幻聴です」

「げ、幻聴?」


 エルネストの珍しい冗談に、これは笑うべきかと千鶴の口角が引きつる。

 その瞬間、背後から聞こえた声の主と思われる人物が、千鶴とエルネストの前に回り込んできた。エルネストが千鶴を背にかばうように一歩踏み出したため、千鶴がその姿を見ることはできなかったが。


「エルネスト! 聞こえないふりなんてひどいじゃないか」

「聞こえないふりではない。本当に聞こえなかっただけだ」

「君、いつもは地獄耳じゃないか!」


 気安いとも言える二人のやり取りに危険性はないと判断した千鶴は、エルネストの背後からそっと顔を横にずらした。


 そこにいたのは、まばゆい金髪をなびかせた色男だった。





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