第86話 森の朝
男の腕の中で、目が覚めた。
彼はよく眠っている。
幸せな気分だった。
起きているときは、ぎくしゃくしてしまうのに。
(三河のお百姓に襲われたときも、そうだったけど)
坊ちゃまに抱かれていると何故、心安らかなんだろう。
心地よい温もりに、身も心も、ほどけていくのは。
雨は、もうすっかり上がったようだった。
洞の外から差し込む朝の光が、彼の頭に当たって、髪一本一本が、透明に輝いている。
(何て綺麗なんだろう)
彼の逞しい腕に生えている産毛まで、金色に光っている。
彫りの深い顔立ちに、閉じた長い睫毛が、色濃く影を落としている。
(あんな意地悪な物言いをしなけりゃ、好きになれるのに)
好きに?
彼は主人で、あたしは使用人。
彼には、いいひとがいる。
あたしには、喜平二さまが、例え二度と会うことは無くても。
二人の行く道は、何処までも平行線をたどり、決して交わることは無い。
(もう二度と無い、こんなことは)
でも、今は。
今だけは。
彼の胸に頬を寄せて、もう一度、目を閉じた。
その時、遠くのほうで何か、大きな音がした。
彼が、がばっと飛び起きた。
紅も既に跳ね起きて、身構えている。
二人、洞を飛び出した。
「海岸のほうだ。」
彼は言うと、急いだ。
例の杖は無くしてしまったらしく、代わりに手ごろな木の枝を切ってきて、使っている。
紅も後に続く。
木立の中から、様子を伺った。
沖を、船が通っていく。
「な、何ですっ、あれっ?」
紅は仰天した。
今まで見たことも無いような船だったからである。
帆柱が三本も立ち、一番前とその次の帆は四角だが、最後の帆は三角形をしている。
「見たこと無いか。あれは南蛮船だ。」
次に助左は、聞いたことの無い言葉を言った。
「何です?」
「Caravel、カラヴェルってんだ。船の種類さ。」
独りごちた。
「うまくすると乗っけてくれるかも。」
紅に言った。
「行ってみよう。ただし、気づかれずにな。何者だかわからねえ。」
船は、沖に泊まった。
浜には人が出て、銅鑼を派手に打ち鳴らしている。さっき聞こえたのは、歓迎の合図だったのだ。
何処から現れたのか、岸辺から小さな舟が何艘も、船を目指して漕ぎ出していく。
最初は、木箱に入った荷物を幾つか、陸揚げしていたが、そのうち、皮や羅紗の長い上着の上に腰のくびれた胴衣や船乗り用の上衣を重ね、腰の膨らんだ毛織や帆布製の半ズボンをはいた、乗組員らしい南蛮人らを乗せた舟が、浜辺に向かってきた。
その舟の『積荷』を見て、目を疑った。
頭を垂れて舟に揺られているのは、様々な人種の人々だった。みすぼらしい格好をして、長旅と嵐に疲れきっている。
明らかに
(乗客とはいえない)
「奴隷商人だ。」
助左が言った。
彼も同じ結論に達していたらしい。
「どうやらここは、人買いの浜らしい。」