第84話 めぐり合い
全身が総毛だった。
武器の入った箱から何か選んで持って来なかったことを、激しく後悔した。
手に持った果物や蔓を、音のしないように、そっと置いた。
藤四郎を抜いた。
構えた。
一足跳びに荷に近づき、刃を振ろうとして、寸でで留めた。
自分の首の皮一枚のところに、相手の刃がある。
「坊ちゃま……。」
か細い声で言った。
何故だか、ほんとに何故だか、涙がこみあげてきた。頬を伝って、雫がぽろぽろとこぼれた。
助左の手が、ゆっくりと彼女の首から下ろされた。
手が震えて、紅は藤四郎を取り落とした。
刀が地面に届くか届かないかのうちに、彼女は助左の腕の中に居た。
彼があんまりぎゅうぎゅう抱きしめるので、息が詰まりそうだった。
背を叩いて訴えた。
彼は彼女を胸から離すと、
「どっか痛いか?怪我したか?」
全身を確かめた。
胸が詰まって声が出なかったので、首を振った。
彼は又、彼女を乱暴に抱きしめた。
しわがれた声で言った。
「俺、お前に何かあったらって思うと、どうかなりそうだった……もう二度と会えねえかと……。」
心配してくれていたのだ。
驚いた。
(彼は船頭だから)
それで気にしていたんだろう。
彼は長い間彼女を抱きしめていたが、ようやく離した。
「それにしてもお前、怖えな。殺されるかと思った。」
平常に戻った声で言った。
「そっちこそ。」
むっとした。
「他の連中は?」
「わかりません。私一人です。」
助左も海岸に打ち寄せられた。
一人だった。
砂浜づたいに歩いてきて、ここに行き着いた。
「ここは何処でしょう?」
「わからねえ。随分流されちまったようだ。」
坊ちゃまにもわからないなんて。
堺に帰ることが出来るんだろうか。
紅の不安そうな顔を見て、助左は、心を引き立てるように言った。
「この辺りは船の往来もある筈だ。そのうち、通りかかった船に拾ってもらおう。」
悩んでいても仕方ない。
今、出来ることをするしかない。
「お腹、空きません?」
紅が聞いた。
助左も葉に溜まった露を飲んだきりで、食べ物は見つけていないと言う。
「じゃ、釣りに行きましょう。」
紅は、さっき置いてきた蔓や枝を取りに戻った。後姿を見ながら、助左は、まだ心臓の鼓動が平常に戻っていないのを彼女に悟られていないように、と願った。
(あのまま抱いていたら)
女を押し倒して、最後まで想いを遂げてしまいそうだった。
無くしたと思っていた宝が、掌中に戻ってきた。
密かに、喜びを噛み締めた。
紅は枝の先に蔓を結び、芋虫をくっつけた。
岩場で糸を垂れた。
助左もやってきて、横で糸を垂れる。
紅の方は、面白いように釣れた。
南国らしい色鮮やかな魚の数々。
助左の方は、何もひっかからない。
焦る彼を尻目に、彼女は浜辺で火を起こし、魚を焼き始めた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「食べます?」
枝に突き刺した魚を、彼の鼻先で振ってみせた。
「いらねえ。」
意地になっている。
紅は焚き火の側で遠慮なく魚を食い、彼の側に戻ってきて、しゃがんで見ている。
彼が一匹も捕まえられないのを見て、果物を差し出した。
「……色々見つけて来るな。」
さすがに助左が度肝を抜かれているのを見て、紅は何だか嬉しくて、大口開けて笑った。