第48話 代替わり
磯路の遺言で、店の者だけで、こぢんまりと葬儀を執り行った。
野辺の送りを済ませて、ほっとひと息つく紅に、番頭が、お暇を頂きたい、と言う。
「手前も年でございます。もう少し楽に暮らしを送りたいのです。」
確かに最近は、身体がつらいといって、事あるごとに零していた。
さんざん引き留めたが、意思は固かった。
残念だったが、紅も承諾した。
これからどうするか、尋ねてみると、田舎に引っ込む、という。摂津の農村だ、というのでふと、思いついた。
「吾兵衛さん、綿の栽培をしてみる気は無い?」
旗振り役だった久秀が出て行って、綿の栽培は、蔵の裏で細々続けているだけになっている。でも少しずつ畑を広げていっているので、だいぶ種が採れるようになった。
久秀が言っていたように、農村で大規模に育てれば、良い産業になるやもしれない。
吾兵衛は綿の種を持って、在所へ帰っていった。
この店は、磯路が、紅と会うまでは、たたもうと思っていたため、若い者を長い間、雇っていなかった。そのため雇い人が皆、磯路と同じくらい年をとっていて、主が亡くなったのを機会に、引退したいと申し出る者が後を絶たなかった。
亀女も引退すると申し出て、代わりに姪の汀を寄越した。汀は、堺近郊の村に嫁いだが、亭主が早死にして出戻ってきたという中年女だった。きびきびした働き者で、たいへん重宝した。
手代の侘介まで田舎に引っ込むというので、何とか慰留して、番頭になってもらった。
磯路が亡くなると途端に、潮が引くように客が来なくなった。小娘の紅では信用できない、と言われたのも同じだった。
磯路あっての菜屋だった、と思わずにはいられなかった。
こぢんまりとした店ならともかく、なまじ老舗で図体がでかいだけあって、身動きが取れない。
そこへ、先だって磯路を訪ねてきた客のうちの一人が、線香を上げたいとやってきた。
「どなたかしら。」
番頭の侘介に尋ねると、
「今市町に在る魚屋の田中与四郎さま、南宗寺の大林宗套和尚から頂いた法号を、千宗易とおっしゃいます。先代の旦那さまの姉君の坊ちゃま、つまり、奥さまにとっては甥に当たられる方です。」
奥へ通され、仏壇にお参りを済ますと、応対する紅に、頭ごなしに言った。
「どうして引き受けた。そなたでは、とても務まらんだろう。この家の財産が目当てか。」
「滅相もございません。亡き主のたっての頼みと思うからこそ、お引き受けしたのです。」
抗議した。
「行方不明のお孫さんに、どうしてもお店を渡したいとお思いでした。命の恩人の最後の願いを、断ることなぞ出来ません。」
「あの男は、もっと駄目だ。」
吐き捨てた。
「今頃は、ろくなことになっていないだろう。」
「ご存知なんですか?」
不安になって尋ねた。
「私は何も伺っていないのです。どういう方なんでしょう?」
「堪え性の無い男だ。世の中の決まりごとに身を合わせるのが不得手だ。型や基本を身につけてこそ自由な世界に行けるというのに、その手前で投げ出しおった。仕様も無い奴だ。」
「何か教えていらしたのですね?」
黙って紅を眺めた。
「そちこそ、どうする気だ。今ならまだ、間に合うぞ。借金があるんじゃないのか。増えに増えて、身動きが取れなくなってから、泣きつかれても迷惑だ。」
「ご心配無く。」
紅は答えた。
「何かあっても、ご親戚にはご迷惑はかけません。」
啖呵を切ったものの、商売がどんどん沈んでいくのを見るのは、つらかった。
久秀は、当たればでかいぞ、と言っていたが、綿が出来るのは、まだまだ先のことだった。それまで何としても、食い繋がなくてはならない。
磯路がしっかりしていたので、幸い借金こそ無かったが、このままでは、紅自身が借金をこさえてしまいそうだ。磯路の孫が現れるまで、何とか店を持たせたかった。
千宗易の話では、どうしようもない男らしいが、そんな男だからこそ、心を残しつつ死んでいった磯路が哀れだった。彼女が彼を探しにきたから、自分の命が助かったのだ。
これも何かの縁だ。
(こういう苦しいときだからこそ)
一発逆転などという博打のようなことを考えずに、地道に商売をしていこう。
ようやく方向が定まった、と思った矢先だった。
元亀三年十一月。
菜屋を、良くも悪くも、今をときめくあの男が訪れた。