22 新入生合宿1日目 XIV 『発露』
漂う貼り詰まった緊張感に、思わず固唾を飲む音が複数聞こえる。
燎平、美紋、暁の『異跡』が判明し、次いでいよいよ来飛に順番が回ってきたのだが、アミュールやサーチスの面構えが今までとは明らかに異なっていた。
彼の『異跡』は他とは違い、彼女達にとってもどんな『異跡』か前もって判別出来なかったモノ。
それを気に留めながら、アミュールは来飛の名を呼んだ。
「じゃあ来飛君、準備ができたら結界に入って」
「うっし、よぉ〜やく俺の番か!!」
待ってましたと言わんばかりに腕を回しながら首を鳴らす来飛。
緊張よりも高揚の方が勝っている為であろう。結界に入ることも初めての筈の彼が、それに新鮮さを感じる間もなく足早に中央まで歩みを進めていた。
「えっと、まず最初に…」
「わかってんよ!利き腕出して『異元』流すんだろ?」
思えば、来飛が燎平達の中で一番『異跡』という未知の力に惹かれていたかもしれない。
要領の悪い彼であっても、積極的に知ろうとしたり質問を繰り返していたのはそこに基点があったからであった。
しかし、気分の高揚は過度に緊張を刺激したり判断力の低下を誘発する恐れがある。大丈夫だとは思ってはいるが、事故を減らせるようアミュールは彼に念押しをした。
「来飛君、どんな『異跡』か判明するのが楽しみなのはわかるけど…一応気は抜かないようにね」
「っへへ、了解了解っと。そんじゃ、始めるぜ」
来飛が『異元』を操るにつれ、アミュールも若干の不安を覚えながら気を張る。
そして変化が訪れたのは、五分経つか経たないかくらいであった。
「これは...!?」
アミュールとサーチスは瞬時に結界内で起こった異変を察知する。
「アミュ!」
「わかってるッ!」
紙を追加することで、さらに結界の強度を上げるアミュール。
(『G,1』がいればもっと頑丈な結界が張れたんだけど…今はこれで間に合わせるしかない...!)
「何これ……」
茫然と目を見開いている美紋が、口から溢すように呟いた。
彼女同様、結界から少し離れている場所にいる燎平達でさえ、段々来飛の『異元』が結界内に満ちてくるのがわかる。
だが、本来それはあり得ない事であった。
『異素』の固形であるキューブは水風船のようなもの。『異元』が水だとして、それが器満タンになった瞬間に『異跡』が発動するという仕組みである。
本来その器が満たされた場合のみ『異跡』が発動し、それに必要な『異元』の行き先は全てキューブに向く筈なのだが、彼の場合は例外だった。
つまり、『異跡』が発動する前に彼の『異元』が結界内で埋め尽くされる事自体が常軌を逸しているのだ。
その異常性を薫も感じているのか、彼からくる『異元』の圧に目を細める。
「ねぇさっちん、どうなってんのコレ!」
「……」
サーチスも『異眼』を既に開放し、真剣に彼の様子を伺う。その『異眼』は、『異元』の流れを辿り未来をも予測しうる力を持つ。
そして溢れ出る来飛の『異元』から来る予兆を、サーチスのその双眸は正確に捉えていた。
「アミュ、来るぞ!3、2…」
瞬間、結界内で彼の『異元』が爆発した。
否、そう思えたかの程に膨れ上がった『異元』は黒い雷へとその姿を変え、結界内を暴れ回ったのであった。
「な……ッ!?」
「うわぁあっ!?」
彼の掌から現れたそれは、燎平達を軽く退け剃らせるほどの衝撃を結界の外まで伝える。
黒雷が辺りに散っているのはほんの数秒の事であったが、それでもその異質さを伝えるのには十分な時間であった。
「ぐぅ、う」
来飛の口から苦しさが混じった息が漏れると同時に、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
「来飛!?」
様子を見にいこうとする彼らより先に、アミュールとサーチスが既に彼のいる結界内に入っていた。
「アミュ…やっぱりこの少年は」
「ええ、『覚醒者』ね。間違いなく」
結界が解かれると同時に、燎平達がアミュールに駆け寄る。
「先生!来飛は…!」
「大丈夫、『異元』が一気に抜けて意識を失ってるだけだから。貧血みたいなもので、また『異元』が戻ればすぐに起きるよ」
アミュールが今にも彼のもとに詰め寄りそうな勢いの燎平を手で制し、なだめた。
「サーチス、おねがい」
「言われなくても」
頼まれたのと同時、サーチスを覆っている『SCC』のカーテンが枝分かして細くなり、その伸びた一本が倒れた来飛の首筋に這う。
「…サーチスさんは今何を…...?」
「何、私はただ自分の『異元』をこのやんちゃ少年に少々流し込んでやっただけさ」
「サーちゃんの『異跡』は『特殊型』の『流』。自分の『異元』を他人に『流す』能力で、その人の回復力を高められるの」
『異元』は『異跡』の元となる他に、傷を癒す働きもある。例え傷を受けても、多量の『異元』をそこに流し込めば傷は塞がってくれるという仕組みだ。
「私の『異元』の型も少し特殊でね。普通は他人の『異元』を流し込まれれば何かしらの拒絶反応が出るんだが、私の場合はそれがないらしい」
「...先程来飛君の症状を貧血のようだと仰っていましたが、そうすると今の行為は輸血みたいなものですかね?」
「ああ、大体その解釈で合っているよ主席の少年。私の『異跡』は言うなれば、回復効果のある型のない血液を人に流せる力だ」
A型やB型という型に囚われず、あらゆる人に輸血できる輸血パック。それがサーチスの『異跡』の主な効力であった。
「う...」
「来飛!」
そのサーチスの『異跡』が早速効いたのか、うっすらと目を開ける来飛。
「良かった...」
「ん......俺は...?」
彼は頭を押さえながら起き上がる。しかしすぐに状況を察したのか、今倒れたのが嘘のような勢いでアミュールとサーチスに尋ねた。
「ああ、そうだ!俺の『異跡』ってどんなんだ!?俺、実はよく覚えてなくてよ...」
彼女達は顔を見合わせ、来飛の質問にアミュールが答える。
「...結論から言うと、来飛君の『異跡』は、『生成型』の『雷』ね」
「雷...」
来飛が自分の右手を見る。実感がまだ無いようだったが、確かに『異跡』を使ったという感覚は手に残っていた。
「...だが、普通のソレとは明らかに違う」
「ええ。彼の場合、初めから『覚醒者』という、特殊な効果が『異跡』に予め付属している状態にあるの」
「『覚醒者』...?」
『覚醒者』とは『異跡』を使いこなした特訓の成果に、その『異跡』に付与される追加属性のようなものである。
そしてそれは『異跡』の中でも特に異質。限られた者しか使う事が出来ず、熟練の『修復者』でも滅多に発現しない言わば天性の代物。
だが極々稀に、『覚醒者』を『異跡』を使いたての頃から宿している者がいる。
今回の場合、それが黒澤来飛であった。
「『覚醒者』の特徴は大きく分けて二つ。一つ目は、特殊な能力を持つこと。威力も上がるし、強力なものが多いのね」
「そしてもう一つは、『異元』の燃費がバカほど悪いという事だ。特に『新芽』の君たちにはタチが悪い話でね。やんちゃ少年も例に漏れず、使いっ初めに大量の『異元』を持っていかれたと言うわけさ」
「なるほど…だから俺はぶっ倒れたワケか……」
『覚醒者』の場合は普通の『異跡』と何もかもが違う。
性能面の話で今の燎平達の『異跡』が普通の自転車レベルならば、来飛のそれはスポーツカーレベルである。同じ尺度で比べるという事自体が馬鹿馬鹿しくなる程、両者には性能に差があるのだ。
「『異跡』の性質はよく髪型に現れる、というのが私たちの通例でな。『異元』の型が読めない時点でもしやと思ったが...」
「だが、アミュール...今のは」
「ええ、最初の少ない『異元』で今の威力は洒落にならないわね」
『覚醒者』の特徴の一つとして、本来の『異跡』とは異なる色を有している事がある。
来飛の場合、黄色や白色であるはずの雷が漆黒に染まっていた。確かにその影響が彼の髪色にも現れており、『新芽』である燎平達にとっては『異元感知』で感知するよりもまずその見た目で気付けるだろう。
「いい、来飛君。貴方の『異跡』は私たちでも稀に見る特殊なもの。不確定要素の多さと扱いの難しさが目立って、私たちでも対処が遅れる事があるかもしれない」
「故に少年。『異跡』を使うのはなるべく避けた方がいい。私の目でも今の所何が起こるか見きれんからな」
「ま、マジかよ……」
過度に期待していたぶん、普通に使えないと言われた衝撃は来飛にとって大きかった。
「それ程までに厄介と言うワケだ。君の『異跡』、『黒雷』はな」
サーチスが普段より幾分か落ちている彼の肩に手を置く。その間にアミュールは役目を終えた紙を回収して結界を解いた。
「よし、じゃあ皆の『異跡』も分かったところで、次は『異元展開』をまず練習してもらいます」
「あ?俺はともかく、燎平達は『異跡』の練習しないのかよ」
折角手に入れた自分の『異跡』が安易に使えなくなった事を気にしているのか、若干ふてぶてしくなっている来飛が尋ねる。
「その『異跡』を見る前に、今は雀の涙ほどの君たちの『異元』の量を増やしてもらうのが先になるな。そうでなければ先程のように数秒しか持たないからな」
サーチスの『異眼』も来飛の『異跡』の測定に向けたものだったらしく、彼女は気づいた時には『異元展開』を解いて『SCC』から元のジャージに戻っていた。
「まずは地道な訓練ってコトだね、にひ。頑張ってね〜ん」
「…あ、言ってなかったけど一応貴女も付き合ってあげてね?薫」
「え゛」
〇〇〇
『異跡』が判明した後、残りの特訓の時間はアミュールの指示通り『異元展開』の練習をする燎平達。
『異元展開』を繰り返す事によってまずは『裏側』に存在する事自体に慣れ、消費する『異元』を減らしその総量も同時に増やしていく事を旨とした訓練であった。
「やっと少し落ち着いたな…」
「んだねー、お疲れ様ー」
アミュールが彼らの監督しているその傍らで、サーチスと薫は少し離れたところで報告会をしていた。
「んで、そっちはどうだったんだ?アミュールについて行ったんだろう?」
「んー、なんもなかった。アミュっちも特に怪しいところは無いって。あ、ただ『異怪』と遭遇した場所と、『異素』が濃い部分は後で見て貰う、とは言ってたよ」
「おっ、了解了解。」
燎平達の訓練を始める前に、薫はアミュールと一緒に昼間『異怪』達と遭遇した場所に再び赴き調査をしていた。
本来『異眼』を持つサーチスが最適解なのではあるが、深夜に生徒達だけで外に出る様子を他の人に見られたりでもしたら厄介な事になるのは必至。アミュールしか場所が分からず、彼女の『異元感知』でも調査には支障なしと判断した故に、彼女は生徒引率の役は幸に一任したのであった。
そしてアミュールの『異元感知』から学ぶ事もあるだろうと、薫も彼女の調査について行った。常に学ぶ機会を与えてこその教員であるとは、アミュールの弁である。
「いやーアミュっちも中々人使いが荒いよねー。こんな夜中に訓練とか調査とかさせるだなんてさー」
「ん、まぁ気持ちは分かる。私も正直眠い」
ふぁ、と軽く欠伸をするサーチス。ただでさえ教員という仕事で忙しい彼女たちであったが、それに加え『修復者』の仕事も同時にこなしているため決して楽ではない。
「まぁしかしだな、これも苦渋の決断なのだよ薫。私もアミュも生徒たちに純粋に楽しんで貰うか『修復者』の自覚を持たせるかを天秤にかけて、かなり悩んだのさ」
結果、例え夜中でも訓練をさせるという今に至る。一秒でも早く自衛の力を持ち、いつでも『異怪』の襲撃に備える準備をさせるというこれも生徒たちの安全を考えての事であった。
「特に彼らには酷い思いをさせてしまったからな…こうして『修復者』として頑張ると決めてくれただけでも本当に有難い事だよ。百点満点だ」
「そう、だね…。その分、薫たちもしっかりしないとね……」
目を細めながら四人を視界に移す薫。ぽつりぽつりと呟くその様子は、どこかすぐ壊れてしまいそうな脆さが浮き出ているように見えた。
「…薫?」
「ん?あー、はいはい何何?」
「ぼーっとしてなかったか?今」
「え?あーそうだったかもね、ごめんごめん。にひひ」
あ、そうそうと薫はスイッチを切り替えるように声のトーンを上げる。
「アミュっちは『異元感知』でだけど、薫も『異跡』で一応山丸ごと感知やってみたの!そしたら頭めっちゃ痛くなるわなるわでさー!」
「はは、流石に山一つはそうなるだろうさ」
薫の異跡は『生成型』の『波』。彼女の『異跡』で出来ることは多岐に渡る。その内の一つが、蝙蝠よろしく超音波で索敵をする事だ。
但しその効果範囲は物理限定。『異元』の流れを掴んだり、その解析をしたりなどは『異元感知』と違い薫の『異跡』では不可能である。
それに小さいものや目立たないものまで反応を捉えてしまうと、狭い範囲ならまだしもそれこそ山全体となれば流石に無理がある。故に今回は彼女の索敵が捉えるのは大きいものや動くものがメインであった。
「にしたってもー情報量が多いのなんのって!山全体とか無理でしょ!機械じゃ無いんだから薫頭パンクするとこだったよ!」
「お疲れ様だな、薫。だがこれも慣れだよ慣れ。アミュは半径五十キロ以内なら『異元感知』の精度が落ちる事は無いからな」
「間近で見るとマジヤバかったー!一生かかってもあの域までいくのは無理だわ薫」
やれやれと薫は達観したように首を振る。そんな事はないぞとサーチスは口を開きかけたが、その可能性が限りなくゼロに近いと言えるほどアミュールの『異元感知』は格が違う。
その為、少し悩んだ末結局何も言えずに話題を変える他なかった彼女であった。
「…で、薫は『異跡』で何か異常は感じなかったか?」
「ううん、なんもなかったよ。強いていうなら木が揺れてるのが分かるくらい。っていうか薫の探知だって敵の動きを捉えるのとかに使うから、本当は索敵向けじゃないんだけどなぁ」
おそらくアミュールが薫の『異跡』の汎用性を広げようと指示したのであろう。愚痴は言うものの、なんだかんだ従っているのは薫もまたアミュールの事を尊敬しているからである。
(……そういや何本か妙に揺れてたけど、そんな風強く吹いてたっけなぁ)
薫が少し感じた違和感について考えていたが、入り口の扉の開く音でその思考が掻き消えた。
「すいません、遅くなりました」
「あれ、祓間っちじゃん。お疲れ様ー!」
燎平達のクラスの副担任、祓間も燎平達と同じあの事件で発掘された『新芽』の一人である。
彼は何か仕事はないかとアミュールに尋ねたところ、外に人払いの効果がある紙を彼女に張りに行くよう頼まれたのであった。
「祓間さん、ありがとうございました。すいませんこんな事頼んでしまって」
サーチスに合図をし、交代して貰ったアミュールが彼に駆け寄る。
「いえ、今の自分に出来ることはこれくらいしかないもので…申し訳ない」
目の前にいるアミュールの派手な『SCC』にも全く動じる様子もなく、祓間も軽く会釈を返した。
彼の『SCC』はまだ用意されていない為、たまたま余っていたスーツで一先ずは間に合わせたようである。
そんな祓間にアミュールは疑わしさを含んだ視線を向ける。
(彼も色々と不思議な事だらけなのよね……)
あの襲撃事件の被害者である祓間にも、校長と幸を含め燎平達と同様な説明をしていた。
一通り説明が終わった後、彼らと同じく『修復者』になるか否かを選択を問うた所、逆に彼から意外な質問をされたのだ。
『客観的に見て、どちらがより良いと判断される事なのですか』、と。
『修復者』になるか、『施設出身者』になるかに良いも悪いもない。本来その個人が持つ価値観で決まるものである。
だが、ただ自身の身の安全を確保する事を旨とした『施設出身者』よりも、『異怪』を討伐するというよりプラスな事をしているのは『修復者』だと言える。
その事を彼に伝えると、二つ返事で『では『修復者』になります』と返事が返って来た時には一同驚いたものだ。
そして彼は、おそらく史上初の『成人の新芽』でもあった。
『新芽』になれるのは通常成人に満たない子供達である筈なのだが、祓間という例外が一つ生まれた事によりその定義に亀裂が走ったのである。
(『異元』を持っているなら本来十代の頃にはもう『裏側』の事や『異跡』の事も既に知っている筈…そのそぶりが全くなく、既存のどの組織にも所属していない……)
不明という点では、もう一つ。彼の『異跡』もまだ分からないままであった。
燎平達、『新芽』は『異元』こそ少ないものの、『異元展開』出来る最低限の量はある。
対して祓間は『異元展開』出来る程の『異元』の量はまだ無い。燎平達が覚醒し、起き上がって『異元』やら『異跡』を使える状態であれば祓間はまだ布団の中で寝ているような状態である。
故に『異跡』を見れる状態では本来無いのであるが、アミュールレベルの『異元感知』ならそれを無視できる筈であった。
しかし見えない。アミュール程の『異元感知』を持ってしても分かる事は少なく、彼の『異元』ももやがかかっているように不透明であった。
(『異元』の量だけは普通の『新芽』よりあるようだけど…この違和感は何……?)
来飛と同じように何があるか不確定要素だらけである祓間に、彼もまたよく目を付けておくべき一人だとアミュールは留意した。
〇〇〇
(くそ、思ってたよりキツいな、コレ……)
『異跡』が分かり、各々『異元』を増やすべく『異元展開』をひたすら繰り返す訓練をしている燎平達。
一回や二回では何も感じないが、流石にそれ以上となってくるとなれない事をしているためか疲労感も増してくる。
先程入ってきた祓間も、少し離れた場所でアミュールと何かしら似たような訓練をしているらしい。少々特殊な事情らしく、アミュールがマンツーマンで指導しているようであった。
(にしてもいいなぁ…あんな美人と一対一で付きっきり指導……変わって欲しい…)
アミュールの方を隙を見てはチラ見をする燎平。先程のサーチスといい、どうも『SCC』を纏った先生方は色々と配慮が足りてないような気がしてならない。
そんな事をぼんやりと考えていると、唐突に浴びせられた甲高い叱咤が燎平を現実に引き戻した。
「ホラホラ!集中集中!『異怪』は待ってくれないんだぞー!!」
「…分かってますよー」
小さい手で背中をバシバシ叩いてくる先輩に、気怠げに返事をする。
「畜生…なんで俺がこんな事…」
ぶつくさ小声で愚痴りながらも『異元展開』を続ける燎平。
開始時間が二三時過ぎという時間だった故に、もう時刻は日を跨ぐか否かのところまで来ているであろう。眠気と疲れも当然ピークに達している。
「そもそも『施設出身者』希望の俺が『修復者』希望の来飛や暁と一緒に稽古を受けている事自体が前から少しおかしいって思ってたんだよな……俺と美紋は暁達に合わせる必要ねぇんじゃねぇの?もっとゆっくりでいいじゃんかよ……」
感じていたストレスが、自分の思いを言葉に乗せやすくしてしまったのであろう。知らず知らずの間に、口からボソッとそれらが出ていたらしい。
聞こえるか聞こえないか程度の音量でぼやくのは、彼の悪い癖であった。
「……」
先程通りかかった薫が足を止め、無言で燎平に迫ってくる。その表情は、いつになく固かった。
「アンタ…燎平だっけ?そういうの薫、嫌いなんだよね。サボりたい欲丸出しっていうかさ。しかも、その言い方もサイアクなんだけど。言うならもっとハッキリ言ってよ」
「…」
面倒臭くなっちまった、と彼は後頭部を掻く。
燎平は何も講義とかそういう意思を持って呟いたのではなく、自分の中にある蟠りを少しでも減らすためにボヤいたのである。
ましてやこうも薫が突っかかってくるとは計算外。確かに聞こえるかもしれない程度の音量で言ったが、何も指摘して欲しい訳ではなかった。
「…いや、別に、そういう訳じゃないんスけど……」
「じゃあ何?どういう訳??」
「いや…あの、まぁ…本当、大した事じゃないんで……」
「それ。それほんっとムカつくわ。何か言いたいならハッキリ言う!良いも悪いも聞いてからじゃないと始まんないっしょ?」
だからそもそも言いたくないんだけどなぁ、という彼の問題を長引かせたくない心境が彼女はわかっていないようである。
ふーんで済む話でしょ、と思っている燎平とは対極的に、薫も白黒ハッキリ付けてきっぱりと終わらせたい性格であった。
「あのね、さっき『施設出身者』だからどうこうとか聞こえたけど、施設出身者』だからってそんな意識の低さじゃぶっちゃけ話にならない。戦わない代わりにお荷物にならない為の『施設出身者』なのに、そんなんじゃただの足手まといになるだけだよ」
そんないきなり言われてもと眉を潜める燎平であったが、彼が何か言える余地もなく彼女の口は動き続ける。
「『裏側』に嫌でもこの先入っちゃうんだから、ちゃんと真面目にやってくれないと死ぬよ?薫達もやる気が無いヤツのケツまでは拭けないし、そんな時間も余裕もないの。分かる?」
「……はい」
ここは何かを言うより黙って頷いていた方が得策だと考える燎平。
彼だって分かってはいる。だが流石に自分たちのペースと言うものもある。
初っ端からあんな化け物に襲われ、何が起きたかも分からない恐怖を感じながらも前に進む選択をした。そんな自分たちは褒められこそすれ、こうして説教される筋合いはないと燎平は心底口にしたかったが、そうすればより話がこじれるのは目に見えている。
癪ではあるが黙って頷いて相手の熱が冷めるのを待とう、とよく教師にする戦法を実践しようとした矢先であった。
「…ちょっとその言い方はないんじゃないですか」
別の声が薫の勢いを止める。振り向くと、口端を結んだ美紋が立っていた。
「はぁ?何、今アンタには関係ない話してんだけど」
「関係あります。私と同じ立場にある燎平をそんな風に言われたら、私も一言口を挟みたくもなりますから」
その口調は物静かであったが、重みを感じさせる圧が確かにあった。
「いやだから、これは薫とコイツの問題なの。アンタも『施設出身者』志望か知らないけど、それは今関係ない。薫はコイツの心構えがなってないって言ってんだから」
「心の整理にだって時間がかかる事だってあります。それに、彼の意見を聞いていませんでしたよね?」
「は?そもそもごにゃごにゃ言ってて意見もクソも無かったし。何ほざいてんの。それに薫、グチグチボソボソ言うの大っ嫌いだから!!」
「最後まで聞く姿勢がない、と言う意味です。今だって私が言う前に割り込み気味に話してますよね。自分の事を話したがるのも良いですけど、それはちゃんと人の話を最後まで聞いてからと言う前提があってこそです」
「だぁから今そういう薫の話はどうでも良いの!まずコイツの根性の話でしょ!薫の何が嫌いか知らないけどさぁ、そういうアンタの気取ってる言い方も前から気に食わなかったんだよねぇ!今だってコイツの事を庇おうとしてる癖に薫の悪口の方に向いてきてんじゃん!人のことダシにして結局アンタが薫に文句言いたいだけなんじゃないの!?」
「な…ッ!別に私はそう言うつもりで言ったんじゃないですから!私はただ、ちゃんと燎平が言うまで待ってあげてって言いたかっただけです!!」
「待ったし聞いたじゃん!!薫の何がいけないワケ!?ああもうイライラするなぁ!!」
「薫。美紋ちゃんも、ちょっと落ち着いて」
アミュールの声で我に帰ったのか、ハッと息を飲む二人。すいません、と目を伏せる美紋に対し、薫は黙ったままであった。
「どうしたの、何があったの二人共…」
顔を覗き込むようにして尋ねるアミュールに、美紋が説明しようとすると薫は小さく溜息をついた後、くるりと踵を返した。
「とにかく、アンタ。燎平。そんな甘ったるい考えじゃ、薫認めないから」
「薫!どこ行くの?まだ話終わってないけど」
「……ごめんアミュっち。今は一人にして」
そう言い残して、薫はホールを後にした。
一瞬の静寂の後、サーチスがアミュールの側に寄る。
「どうしたんだい、彼女。いつになく真剣に見えたが」
「そうね…いつもはあんな調子じゃないんだけど……」
アミュールもあのいつも明るくお調子者であるような薫があれほどの剣幕で誰かと言い争っているのは初めて見た。
いつもの彼女なら何かを言われたとしてもあれほど神経質にならず、それこそ笑って流す事だって出来た筈である。
だが、先程の薫は違った。あれは明らかに『内面』よりの薫である。
(あれは…あの時に戻ったみたいな……)
アミュールは、彼女と初めてあった時の事を思い出していた。
来飛「…うわ、なんかヤバくね?あそこ」
暁「ですね…雰囲気ちょいヤバな感じです」
来飛「ってか、かおるんもあんな顔するんだな…意外だわ…」
暁「いつも笑っているような明るい方ですからね…美紋さんが何か言ってしまったのでしょうか…」
来飛「いや、燎平かもだぜ。俺最初から見てたけど、ありゃ燎平がなんかやらかした感じだったぞ」
暁「成る程…今ではさくちゃんも凄んでる彼女達に完全にビビってチビりそうな勢いですけどね」
来飛「あんな近くに俺も居たくねぇよ…ご愁傷様だわ…」




