『The girl needs a mask to cover up the truth』Ⅰ
「ハァ、ハァ、ハァ…ッ」
暗闇の中をがむしゃらに走る。
なんでこんな事になってるんだろ。
なんで、薫だけこんな目に遭うんだろ。
………。
…さっきはちょっと言いすぎちゃったかな。
私、いっつもそうだった。
思い込んで、すぐカッとなって。
いっつも後悔して。
もうわかんない。
わかんないよ。
「パパ…ママ…...」
ああ、いけない。
良くない波だ。
もう大丈夫。大丈夫、なんだけど。
まだ、あの時の影が私を完全に離してくれない。
まだ、あの寂しさが心の底にこびりついてる。
…また、思い出してしまう。
「...風斗……」
〇〇〇
パパとママが事故で死んだ。
あんまり裕福な方じゃなかったけど、その分の幸せがあるような、そんな何処にでもある家庭だったと思う。
穏やかで優しいパパと、いつも声が大きくて元気なママ。
ちょっとムカつく所もあるけど、薫が欲しいって言うと、嫌味つきで食べ物を分けてくれる弟の風斗。
そんな何気ない空間がすごく心地良かった。
特に薫が好きな歌を歌うと、うまいね、ってパパとママはよく薫の頭を撫でてくれた。
おっきな手で優しくそっと撫でてくれるパパ。
薫とそこまで変わらない手の大きさだったけど、そのぶんこねくり回すみたいにいっぱい撫でてくれるママ。
どっちが長く撫でるかで、よく薫の取り合いとかしてたなぁ。にひひ。
それでパパとママに褒めて欲しくて、いろんな事頑張ったけ。
風斗も気取ってたけど、撫でて欲しそうにこっち見てたし。
みんな笑ってて、全部がとってもあったかくて、愛しくて。
そんな、普通の家族。
だった。
何の日だったかよく覚えてないけど、突然、電話が鳴ったのだけは覚えてる。
夜葉さんのご家族の方ですか、って。知らない女の人の声がして。
そうです!って元気よく答えたの。薫、活発で良い子だったから。
そしたら、落ち着いて聞いて下さい、ってちょっと間があった後に聞こえて、
『夜葉徹さんと夜葉香苗さんが、交通事故で亡くなりました。夜葉風斗さんは瀕死の重症です』
って。
…?
ってなって、
頭が真っ白になって。え、え、ってなって。
息をするのが苦しくなって。景色がぐにゃん、って歪んで。
もう声が聞こえなくなって。
どうすればいいのかわからなくなって。
嘘であってほしかった。夢であってほしかった。
でも、これが現実だった。
病院の部屋に走って、嘘だよね、大丈夫だよね、って。
この人たちみんな悪い人で、薫を騙してるんだよね、って。
全部ドッキリで、パパとママがごめんね、って言いながらまた笑顔で頭撫でてくれるよね、って。
そう、思ってたのに。
『…うそ』
多分、それが最初に出た言葉だったと思う。
みんなの笑った顔を見るはずなのに、見えたのは白い布で。
みんなの弾んだ声を聞くはずなのに、聞こえたのはよくわからない電子音で。
みんなの温かい手を握るはずなのに、触れた手は冷たくて。
『………あ、』
…そこから先は、よく覚えてないんだけど。
とにかくぐちゃぐちゃになって、ひたすら泣いて叫んでたのだけは覚えてる。
薫の声大きいから、多分病院中に聞こえちゃったんじゃないかな。
どれだけ大きな声で呼んでも、気が遠くなるほど何回も呼んでも、パパとママは二度と返ってこなかった。
あんなに優しかったみんなが、薫を一人にしていくわけないって、ずっと思ってたから。
だから、何回も名前を呼んだんだけど、やっぱりいつまでも返ってこなくて。
喉が枯れても、涙は枯れないんだなって、この時初めて知った。
…それから、一晩が経って。
大人たちが何か言ってたけど、まだ中学生だった薫には難しくてわかんなかった。
ただ、事故の原因はおじいちゃんが車で衝突してきたからって聞いた。そのおじいちゃんも死んじゃったらしいから、もういいんだけどさ。
あとわかったことは、風斗はまだ生きてるって事と、薫が親戚のおばさんに引き取られるって事。
風斗は頭を強く打ったみたいで、しばらく昏睡状態なんだって。
何年このままかわかんないって、お医者さんが言ってた。
薫が病院で一人待ってたら、その夜ぐらいに薫のおばさんが来てくれた。
ママのお姉さんにあたる、祥子おばさん。
おばさんは色々事情を説明されてて、黙って聞いてた。
そのあと、友達の家に泊まりながら色んな準備やら何やらが始まった。
お家の事とか、お葬式の事とか。
おばさんの家は一人用だから、泊める場所が無いんだって。
泊めるって話は心配になって来てくれた友達の方から言い出してくれた事で、付き合いの浅かったおばさんより付き合いの長い友達といた方がお医者さんもいいだろうって。
その方が、確かに薫にとっては有り難かったかな。
それで一通りのことが済んだ後、準備ができたおばさんの所に結局泊まることになったんだけどね。
そりゃいつまでもいるってわけにもいかなかったから。
元から身内が少なかった薫に、それ以外の選択肢はなかったからね。
でも、薫が本当に大変になったのは、そこからだった。
〇〇〇
薫はその頃中学生だったんだけど、それももうすぐ終わるって時期で、事故が起こったのは丁度夏休みの時だったんだよね。
色々なごたごたで学校休まなくて良かったのはちょっとプラスだったかな。
でも勿論問題はあった。
一言で言っちゃうと、お金の問題。
祥子おばさんは未婚で一人暮らしで、どうにか薫を迎え入れてくれたんだけど、元々おばさんもそんな裕福じゃなかったみたいで。
お仕事もパートで、今まで一人で暮らすのにもやっとって感じだったらしい。
当然、そんな状況に薫が入って来たんだから、おばさんにとってはいい迷惑だよね。
それに薫の学費と生活費、風斗の医療費とか色んな事を合わせるともうすごい額になる。
だから、薫がおばさんから借金をするのも当然だった。
確か、最低でも500万だったかな。
薫はお金の事よくわかんないから、高校を出たら稼ぎに出るって話でまとまった。
薫もよく将来の事はまだ考えてなかったから、別にいいなりになるのは抵抗はなかった。
何より、風斗の命がかかってる。おばさんが色々手続きやら何か難しい事を代わりにやってくれただけでも有り難かった。
そんなこんなで夏休みが終わって、学校も始まって普通の生活が戻って来た。
いや、今考えれば全然普通じゃ無かったんだけどね。
友達にはもう知られているみたいで、気を使ってくれるのは嬉しいけど、薫には逆にそれが苦しかった。
友達が多ければ多いほど良い事がある、って思って前の薫はたくさん作ってたけど、それがまさかこんな感じで返ってくるなんて思わなかったな。
いつも通りにできる事が一番だったんだけど、どうしても、やっぱり、難しくて。
ふと話題に家族の話とかが出た時の気まずさは、薫が一番嫌だった。
謝らないで。目をそらさないで。話すのをやめないで。
そんな目で、薫を見ないで。
…お願いだから、薫に、現実を突きつけないで。欲しかったのに。
薫、嘘とか苦手で、思った事割とすぐ言っちゃうから。
同情しないで、とか。薫の気持ちがわかるわけ無い、とか。
後先考えずに酷いこと言っちゃった時もあったな。
そんな事言われたら、誰だって声かけられなくなるもんね。
そんな気まずさを何回も繰り返していくうちに、薫の元から友達は離れていった。
それが楽だったんだろうな。だって、薫めんどくさいから。
薫も気を使わなくて楽だった。
…嘘。本当は辛くてしょうがなかったけど、どうしようもなかったから。
でも、気遣ってくれるお人好しな友達もいた。いてくれた。
だけど、薫がその子たちを突き放した。
こんなめんどくさい薫に気をかけてくれる時間が勿体ない。
薫に気を使いながらかまってくれるより、もっと他の事に時間を使った方が有意義だろうから。
その子たちの為に、なるだろうから。
辛い思いをするのは、もう薫だけでいいから。
…あと、何より大きかったのが、帰る家が違うって事。
嫌な事があっても安心できる自分の部屋がないって事。
いつも薫の話を微笑みながら聞いてくれるパパとママがいないって事。
そして風斗が、今でも動けないで苦しんでるって事。
そう考えると、薫だけがこんな生活してていいのかな、とか、思うようになってきたんだ。
おばさんの家に帰ってもおばさんは仕事でいない。
帰っても、一人ぼっち。
また泣きそうになったけど、泣いても泣いても帰ってこないものは帰ってこないって、わかったから。
そう思いながら、靴をビニール袋に入れて部屋に持ち帰ってた。
いいお客さんじゃない薫が貰ったその部屋は、小さな物置部屋。
一畳ちょっとの床いっぱいに敷き詰められた布団。周りは全部何かの物で溢れてた。
埃臭かったし、夏だから暑くて湿ってたけど、部屋を貰えるだけいいって思って我慢するしかなかった。
家での薫の仕事は掃除と洗濯。
おばさんのお家はマンションの一室だから、そこまで広く無いのと綺麗になっていれば良いから、掃除はたまにで良いのはよかった。
洗濯も、朝ちょっと早く起きてすれば良いだけ。
おばさんと薫の分を分けて洗濯しなきゃいけないのはちょっと面倒臭かったけど、住まわせてもらってるんだから文句は言えなかった。
シャワーも使わせて貰ってる。ご飯も買って来てくれる。ちゃんと部屋を用意してくれてる。罪悪感がないよう、ちゃんと仕事も与えてくれてる。学校に行けるよう、学費も払ってくれる。
薫は幸せ者だね、って、自分によく言い聞かせてた。
それと、薫も高校受験しなきゃだから、勉強はダンボールの上でしてた。
夜中は節電で電気消されちゃうから、帰ってすぐ勉強しないと時間なかったのはちょっと大変だったな。
私立は行かせないって言われたから、公立に行かないと。
早く高校を出て、稼ぎに出る。
それが今の薫の出来る精一杯のことだった。
〇〇〇
少し時間が経った。二学期が始まって三週間くらいかな。
夜、一人で泣いていたのも丁度少なくなった頃。
おばさんが買って来てくれる夜ご飯のコンビニ弁当を、いつものように貰いに行ってた。
おばさんはその時間、お弁当を食べながらテレビを見てる。
薫も一緒に見てると機嫌を悪くしちゃうから、いつもならこっそり、物音を立てないようにお弁当を貰って部屋で食べるんだけど。
ここの生活にもちょっと慣れ始めて、きっと魔が刺したんだろうな。
薫、ちょっと聞いてみたんだ。
本当に、出来心で。親にさらっと言うような感じで。
『あの…肩でも、揉みましょうか』
って。
よく、肩を回してたし、お仕事も大変そうだなって思って。
ママの肩を揉むと、嬉しそうにお礼を言ってくれたから、薫も何か役に立とうって思って。
…一回目は聞こえてないようだったから、もう一回ちょっと声を大きくして言ってみた。
そしたら、すごい目で薫を見てきた。
信じられないようなものを見るような目で。
見るのも嫌なのに、驚きの方が勝っているから思わず見ちゃった、みたいな目で。
久しぶりに聞いたおばさんの声は、震えていた。
『アンタ…それ、嫌がらせのつもり?』
…さすがに、こたえた。
気付いたら薫は、おばさんの家を飛び出してた。
もう色々限界だった。
もう無理だった。
もう疲れた。
もう嫌だった。
折角家から持ってきたなけなしの服も、写真も、全部置いてきた。
思い出も、過去も、全部あの物置に置いて玄関のドアを開けた。
泣いた。
叫んだ。
走った。
全部。
全部。
今までの十五年の人生の全部が壊れた。
今、薫を支えてくれる人は誰もいない。
ようやく、それを自覚した。
〇〇〇
がむしゃらに走って、疲れて、ふらふらと歩いて着いた先が、近所の公園。
もうすっかり辺りも暗くなって、人通りも少なくなる時間帯だった。
取り敢えず休もうと、公園のベンチに座る。
サンダルでひたすら走ったから足が痛い。きっと足首が擦れて赤くなってる。
顔に当たる夜の風が冷たく感じる。九月ももう終わりの方だからかな。
長袖長ズボンの服を着てたけど、薄い生地だったから、少し肌寒かった。
その寒さから逃げるように、膝を抱えて丸くなる。
いつも落ち着かせてくれる暗闇を目を瞑って作るんだけど、今日だけは、そこがすごく恐ろしい場所に思えた。
お前は一人なんだ、と。
その暗闇が、聞こえる悲しい風の音が、そう私に言い聞かせているようで。
冷え切った顔を、涙で濡らすことでしか温められなかった。
…そんな時間が、いつまで続いたんだったかな。
不意に降ってくる声で、ようやく膝に埋めていた顔を上げる事ができた。
『…君、大丈夫?こんな時間に、一人で何やってるんだい?』




