11 新入生合宿1日目 Ⅲ 『勝負』
部屋中に立ち込める熱気。空気中に含まれる、100度に近い水蒸気。
それらから来る息苦しさを味わいながら、徐々に減っていく体力を誤魔化すべく、身体の中に留めておくだけで肺が火傷しそうな空気をゆっくりと体外へ絞り出す。
「ハァ……ッ、ハァ」
全身が炙られている感覚とはまさにこのようなものだろう。人間の身体は8割が水だと聞くが、止めどなく身体中の毛穴から溢れてくるその量を見ればあぁと確かに納得出来る。
顔を濡らし、ぽたぽたと顎から滴る汗を煩わしさを覚えながら手の甲で拭う。何度目かも知れない同じ行為を繰り返してはいるものの、身体自体も汗で濡れているため結局のところ意味はそれ程ないのであった。
「オイ、もうそろそろキツくなってきたんじゃねぇのか?ええ?」
「ハッ、抜かせ。まだ二割ってトコよ」
お互いニヤリと不敵な笑みを浮かべ、顔を合わせる。
そう、これは紛れもなく男の戦いなのだ。見栄を張るのは当たり前。切磋琢磨し、限界を超える事にこそ意味がある。
燎平たちが泊まっているこの宿、『永樂』が売りにしているのがまず景色。部屋の窓からは山の壁面が一望でき、また夜になると星も綺麗によく見える。
また、自然の特性を存分に生かした窓の素材と見える景色が調和を生み、一体感を演出しているのも魅力だろう。
次に食事。近くにある農園から直接仕送られる新鮮な肉と野菜、そして乳製品をメインとした食事は見栄え、栄養価の高さ、味共に抜群らしい。そのため客のフィードバックは総じて満足と花丸を貰えるとの事。
そして最後にサービス。バーベキューセットの貸し出しや提携しているキャンプスペースの割引等様々なサービスが用意されている。山岳地帯のど真ん中にあるため、行きやすいとは言い難いがその分質の高い接待を受けることができるのだ。
それには設備の充実も含まれており、温泉の敷地内にも当然のようにサウナが設置されていたのであった。
「まさかサウナまでついてるとはな……試合のいい憂さ晴らしになるってモンよ」
「割といいとこまで行ったのにな俺たち…惜しかったなぁ」
悔しさに顔を歪めつつも、未だに目がギラついている来飛。その隣に座る燎平もあと一歩だったのにとすんでの所で勝機を逃したことに唇を尖らせる。
燎平たちの学年の組は全部で五つ。ドッジボールの試合の結果、一位の栄冠を手にしたのは四組。燎平達の三組は二位に落ち着き、惜しくもトップの席を譲る事となっていた。
戦力差はほぼ互角。技術面や体力では三組の方に分があったが、恐るべくは四組の根気とチームワークである。
だが、燎平達は気づかない。それが本当の彼らの勝因ではないということを。
ところで、スポーツマンにとって試合中最もパワーを貰える一つの要因というのはどんな行為であろうか?
紛れもなく、女子の応援である。
自分たちを応援してくれている女子の存在があるかないかによって、パフォーマンスのレベルは大きく異なる。
『自分を見てくれる、応援してくれる人がいる』という認識は、ファインプレーに直接繋がりやすい。スポーツと思考は常に結びついているのが示すように、ただ体を動かすだけではいいプレーは生まれにくい。
その点、応援してくれる存在は、見せ場を作らなければという潜在意識が働く事により脳で具体的にどう動けばいいか、どういう動きが有効かを考える手助けとなりうるのだ。それらは運動量にもモチベーションにも関係してくる。
しかしその理論だと、勝つのは比較的美少女が多い三組が道理であるように思える。しかし何故、三組が苦汁を舐めたのか。
ーー『嫉妬』である。
七つの大罪の一つにも数えられる嫉妬の感情。具体的には、何でそっちばっかり美少女いるんだよしかもそれだけじゃ飽き足らず愛海先生までもそっち側にいて応援してくれるとかほんと何なのしかももし俺たちが負けたら悔しいだけじゃなくていいなーって指くわえて讃えられてるヤツらを羨ましがらなきゃならないの?なんだこれ何だこの不条理は絶対許さねぇ意地でもぶっ潰してやるッッッ!!!!!!!、みたいな。
勿論、彼らの通う天峰高校は共学のため、四組や他の組にも半々の割合で女子はいる。彼女らは決して悪くなく、一ミリだって非はない。容姿で言えば普通に可愛い子も何人もいる(ただ残念なことに四組の平均は客観的に見てやや低い)。
だが、違うのだ。特に数人のレベルが違いすぎる。
方や、超がつくほどの美少女。方や、学校内でのアイドル的存在。
そして何より担任の先生。たった二年でその美貌と人柄ゆえに学校中の憧れとトキメキを欲しいままにした彼女の笑顔でくらりと来ない人間はいないと噂される程である。
平均とは恐ろしいもので、特出した存在が一人いるだけでぐんと引き上がるというもの。実際、三組にはこの三人抜きでも総合的に平均は高かった。現実は非情である。
入学当初からその違いに気づき、溜まってきたストレス。その反動は計り知れない。大きすぎる負の感情は彼らを突き動かす糧となり、また大きく成長させたのだ。
戦術だって打倒三組の為に組んだ。他の組と試合している間、誰が主戦力なのか、その崩し方、タイミングなど事前にリサーチを行い、対策まで立てていた。勿論個人でそれだけの仕事量は難しい。だからこそのチームワーク。だからこそのそれを続けるための根気。
正義には悪を。光には闇を。たけのこにはきのこを。何が正義で何が悪かは、視点や状況によっていくらでも塗り変わる。
当事者である四組の男子以外でも、他人の不幸を見る事が最高の娯楽だと歪んだ性格をしている輩にとってはその行いは眩いものとして見えるだろう。
特に、運動部にはよくある話。得点が入ったり試合に勝ったりした時、相手チームの黄色い歓声は非常にイラつくのである。
勝利を勝ち取った彼らの背中には、心からの喜びとは別に、ほんの少しの哀愁があったという。
そんなドス黒い感情を浴びせられていたとは毛ほども知らない燎平たちは、サウナに広がる木の香りを楽しみつつ第二の勝負に興じていた。
また燎平と来飛の他に数名、覇を競う猛者共が室内に籠る熱に耐えていた。
彼らは同じクラスメートこそであれ、実際入学したてで実際お互いまだ知らない事が多い。この新入生合宿は、特別な環境を設けて生徒達の親睦を深め合うのも目的の一つであった。
何より、こういう些細な勝負事こそ互いをはかる良い機会となる。特にこれから学園生活を共に過ごすのであれば、一匹の男であれば尚更引けなかった。
暁はというと、最初の五分程度で僕はこの辺でと退室した(正解)。一応ノリには大抵乗ってくれるが、最後まで必ずしも付き合ってくれるという訳ではないらしい。
そして、それはトラブルを回避する能力や危機管理能力に長ける優れた観察眼を持っている事を意味する。
「ハァ……ハァ……ハァ、ッ」
「ゼェ………ハァ……オエッ、ッハ……………ゼェ……」
一番下に座っている来飛と燎平も、入室してから数分。汗が体内の温度を調節しようと仕事をし過ぎているくらいには身体も温まってきた頃合い。最初は他愛無い話を楽しんでいたが、時が経つにつれ口数も減ってくる。
ただただ時間だけが経過し、ムッワァアアと十代の新鮮な男汁が室内に充満する。サウナといっても特にすることがないため存外に暇なのだが、ふと、横にいる来飛に目がいく燎平。
(やっぱコイツ…良い身体してんだよなぁ)
見事に六つに割れた腹筋。すらりと長い四肢は、ゴツゴツしているというより寧ろしなやかな印象を与えてくる。
鍛え方もバランスがいいのか、変に一箇所だけという訳ではなく全身満遍なく、体力も込みで鍛えている。サッカーをしているためやや脚は太いのだが、背中から首回りまでどちらかといえばビルダーというよりアスリートのような実用性のある筋肉が揃っている。姿勢がいいのもそのためであろう。
「あ?なんだ、お前さっきから俺の身体チラチラ見やがって」
「ん、いや...鍛えてんなぁと」
「まーな。身体鍛えるの好きだし色々いい効果あるっぽいしな......てかあのさぁ...お前はもうちょいそのだらしねぇ身体なんとかして、どうぞ」
「...まぁ陰キャだからね...しょうがないね......」
実に胸が痛い。筋肉質でまさに理想の体型である来飛に対する燎平の身体は、思わず目を逸らしたくなるような惨状であった。
まず目立つのが肉付きの悪さ。というのも、ただ筋肉がないだけじゃなく出てる所は出てるという意味も含めての肉付きの悪さである。
次に姿勢の悪さ。猫背がすっかり定着してしまい、体の重心から顎が前に出ているのが一目でわかる。原因は主にゲーム(主にギャルゲー)のしすぎ。
トドメは足。太くて短い。主に太ももは大根と比べても太く、椅子に座ると肉が潰れて座ってる面が隠れてしまうほど。それは足の短さ故もあるのだが、その惨状を見た女子生徒に『やば、めっちゃ豚足じゃん笑』と通りすがりに言われ一週間ほどヘコんだ記憶はまだ新鮮。
性格と顔の面では暁、根性と肉体の面では来飛の隣に基本的に立ちたくない彼である。が、そうすると一体自分に何が残るのか、というところまで至って燎平はこれ以上考えるのをやめた。
燎平がいつも通り自分のコンプレックスについて悩んでいる間、汗が出る代謝の効果と束の間の沈黙が来飛のエンターテインメント魂を刺激する。
「オイ、ただ座ってるってのも面白くねぇな…何かしようや」
「何かって……何だよ」
「そうさな……例えば、腕相撲とか」
ニヤッ、と彼の口端が釣り上がる。
だが本来、サウナでは何かをしては『いけない』のだ。激しい運動やそれに付随するものは身体の機能に影響が出る恐れがあるためである。
来飛も然り、その事は本能で分かっていたが彼はアホであった。そして他のクラスメートも暑さのせいか思考能力が低下していた。
さらに、貴重な合宿での出来事という謎のノリもある。出来るだけその雰囲気を壊したくなかったのだろう。その結果、
「しょうがねえなぁ……ヤろうや………」
「応、誰が本物かってのを見せつけてやんよ……」
「よっし決まりだな!オラ燎平、ヤるぞ」
「え?……お、俺?いや、俺はまだ………いいかな………」
「オイオイ何だオメェ、ビビってんのかァ?お?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら片方の眉をあげる来飛。それにクラスメート達も続き、チキン野郎なのかァ!?そんなつまんねぇヤツだったのか燎平クゥ〜ン??と煽る煽る。
「そうだよなぁ〜!燎平くんは所詮勝負の場にすら立てないザコキャラだもんなぁ〜!?いやぁごめんごめん!すっかり忘れてたよぉ〜!!」
ハァ、と一呼吸。
「お前らさぁ……」
落ち着け、と心の中で呼びかける。彼は今冷静であり、こんな安い挑発にはn
「ヤァってやろうじゃねぇかこの野郎ァ!!!!!!!」
……乗らないはずがなかった。
「よっしゃあそうこなくっちゃなぁああ!!オラァ構えろ!!」
「いつでも来いコラァ!!!」
ガシッ!と肘をサウナの長椅子に立て、四つん這いになり手を組む来飛と燎平。温泉で解放的なせいか、サウナの熱のせいか、その場のノリのせいかさらにテンションがおかしな事になっている二人だった。
※危ないので良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!
「よし、準備はいいか……レディー、ファイッッ!!」
「「うおおおおおおおおおお!!!!!」」
ギャラリーの歓声と共に、第一試合スタート。いつも以上に顔を真っ赤にしながら踏ん張る二人。
「ハッハァ、その程度か燎平!」
「ぬぐ……んおお……ッ!」
状況は来飛の方が優勢。それもそのはず、彼は日頃から鍛えており、ジムなども通っている筋肉馬鹿でもある故にだ。
体重、体力、腕の長さ、全ての面で燎平には分が悪い。力勝負でガリ陰キャの燎平が来飛に勝てる訳がない。
しかし、思わぬ事で形勢逆転のチャンスを彼は掴む事となる。
「…んっ!?ブッフォwww!!」
突然吹き出したかと思うと、何ということか、劇的に来飛の力が弱まり腕の方向が逆に大きく傾いた。これには司会と解説もびっくり。
「おおっとこれは!どうした事でしょう来飛選手!突然笑い出してしまった!!しかも止まらない!何が起こっているのかぁーッ!?」
「あ、あれ……ッブフッ、ゆ、揺れ……ッ」
震えながら、左手で来飛が指を指す。その先にはーー
「!?」
力を込めているが故に、ぷるぷると小刻みに揺れている燎平のチ◯コがあった。
「なぁっ!?」
「ぎゃーっはっはっはっは!!!」
「クソ、面白すぎんだろそれ!反則だぞ!!……ップッ」
ひーっ!と腹を抱えながら笑い転げるギャラリー達。来飛も来飛で力を入れれば腕が倒れ見え、それを見て笑い、力が抜ければまた腕で隠れるという謎のループにも陥ってそれ自体が面白いので彼自身の中で腹筋との戦いもまた始まっていた。
「なっ、何だよお前ら!人の股間ばっか見て笑いやがって…この……ッ!」
さらに燎平の顔は羞恥心で赤の色が濃くなる。そりゃそうだ、誰だって自分の大事なところを見られ、あまつさえ大勢に笑われてしまっては平静を保ちようがない。
そう燎平が意識すると止まり、また腕相撲で力を入れるとまた震えだす。止まる、震える、止まる、震える。主に玉が。
しかしすぐ左手で塞がれてしまったので見える時間はそう長くはなかったが、巻いた火種はあっという間に広がっていく。
ここは温泉。勿論全員フルチンである。
「オイ来飛も揺れてんぞ!笑ってるからww」
「ブッ、ハハハハマジだ!ち、ちんちん大共鳴……ッブフ、ッ」
もう会場は笑いの渦。こうなってしまってはサウナとか勝負とか以前の問題になりつつあった。
「だー、やめやめ!興が冷めちまった!この勝負は持ち越しだ燎平、ブフッ、てかお前いつまでチ◯コ隠してんだよww」
「うるせぇ!ってかお前らもジロジロ未だに人のチ◯コ見てんじゃねぇよ!ホモかお前ら!」
ぶるぶるん!ぶるんぶるぶるん!おち◯ちんベル!とか至極下らない下のギャグを来飛が腰を振りながら己のブツを揺らして更に会場の熱を上げていく。
挙げ句の果てには下ネタ一発ギャグを一人ずつやっていく流れになり、彼らの馬鹿騒ぎも絶頂を迎え始める頃、サウナの扉が焦燥が伺える声と共に開いた。
「オイ、お前ら!大変だ!!」
入ってきたのはクラスメートの一人。彼の纏う、あまりにも尋常ならざる気配に一同の動きも水をかけられてかの如くピタリと止まる。
「…どうした?」
彼はわなわなと震えながら、深呼吸をして息を整えた後、彼方を指差す。
先程まであれほど賑やかな空気が信じられない程どシリアスな空気に叩き落としたのが、彼から発せられたこの一言だった。
「お、女湯と男湯を分けてる壁に……隙間が………」
四組の残党1「勝った……俺たち、やったんだよな……ついに…!」
四組の残党2「ああ…、見事にボコしてやったぜ…」
四組の残党3「実際勝つと思ってたより嬉しいもんだな、ハハ」
四組の残党1「そりゃそうよ、結構ガチで戦術組んだしな。努力が実ったって事でしょ」
四組の残党3「ハハ、違いない」
四組の残党2「まぁ、でももし三組が勝った時の愛海先生の笑顔は見たかったけどな」
四組の残党1「え、お前ここでそれ言う?」
四組の残党2「とびっきりの笑顔、見たいか見たくないか」
四組の残党1、3「「………見たかったなぁ〜〜〜!」」
四組の残党2「でも俺たちが奪ってしまった…勝っちゃったから!」
四組の残党「「「ハッハッハッハッハ!」」」
何かを察した来飛「なんかすげぇ今イラッとくるような事があったような」




