13 迷走の果て
「そういえば、暁君さっきから様子がおかしいけど大丈夫?何かあったの?」
全身に打撲の跡がついた暁に『癒紙』を貼り終えた芯一が問う。
『異元展開』をしている芯一ですら若干攻撃が通る美紋の蹴りを、生身で喰らえばどれほどなのだろう、と彼は心底身震いしながらこれからの美紋への態度を一新しようと決意した。
怒りが有頂天に達した美紋からのダメージに顔をしかめつつ、暁はやや神妙な面持ちで返答する。
「………、いえ、おかしいとは思うんですけど、特に明確な理由は自分でも見当たらないというか…ただ単に嫌な予感がする、というのがすごく強いんですよね……」
ここにいたらとにかくまずい、みたいな…と、彼は付け加える。
「…珍しい。暁君にしては何だかあやふやね。あ…あと、ちょっとやりすぎたかも……。手を出したことは謝るけど、でも全面的に貴方たちが悪いんだからね!」
美紋がぶすーっと口を尖らせる。それに対して自重します、と言わんばかりに苦笑いを浮かべる男共。芯一は勿論の事、今回に至っては暁も反省したのか本気で度合いを控えるようだった。
「…まぁ、俺は詳しくないからよく分からないけれど、俺に効くさっきのつっきーの蹴りも、暁君の『嫌な予感』ってのも、『裏側』に来たからこそなのかもねぇ。精神体であるから新しく感じることもあるだろうし、精神体だからこそ新たな能力に気づく人もいるんだ。俺らの一つ上の先輩はそのいい例だったよぉ」
少し思い出すような、遠い目をした芯一の受け売りを聞いた二人は目を丸くする。ここ、『裏側』では精神体、つまり構造からして別の側面の自分とも言える。肉体とは異なる、新たな自分と言っても過言ではない。
肉体的に不可能な事でも精神体の自分ならできる。逆に肉体の自分が出来て精神ではできないという事も多々あるらしい。
『異元展開』と呼ばれる、身体能力向上も然り。精神体であるからこそ、肉体的に縛られない。筋肉の制限もなければ、ある程度痛みだって抑えられる。
アスリート顔負けの運動能力を得ることが出来、薫のように数キロを全速力で走っても汗一つかかない事だって可能。
適正があれば、只一回の跳躍でビル数階分の高さは飛べるという人もいるらしい。どこにどんな『適正』があるかは人それぞれではあるが。
「さぁて、よし。軽く休みも済んだことだし、そろそろ保健室へ行きますかぁ!暁君も急いだ方がいいって言ってるしねぇ。二人はもう大丈夫?」
「はい、おかげさまで」
「……何とか」
暁は蹴られまくったにも関わらず何故かツヤツヤとしている反面、美紋の方は逆に疲労が溜まっているように見える。
(つっきーには悪い事しちゃったかなぁ…まぁ、そう見えるだけ!ってことで!)
まとめ役の自分があれこれ悩んでいてもしょうがないし示しがつかない。
彼らにとって、何もかもが未知数なこの『裏側』。そこを案内しなければならない自分が、不安な素振りを見せてしまっては一層彼らも不安にさせてしまうというもの。
あとは保健室に行くだけでも、最後まで気を引き締めていこうと再度入念に『異元展開』をする芯一だった。
「そういえば、保健室ってどこにあるんだっけ?やっぱり一階?」
「…ええ、確かそのはずです美紋さん。この学校も例にもれず、グラウンドに隣接する形で一階にあるようです。ここからだと…少し遠いですかね」
流石は学年主席…というか、保健室の位置は学力とは関係ないにせよ、兎に角、彼がすごい事を言うと流石、と芯一は思わざるを得ない。
どうしても彼と面識が薄い人間ほど学年主席だから、と秀でた面と重ねてしまいがちだが実質そうではないのだ。暁のすごいところはもっと根本的なところにある。勉学が秀でているのはその結果の一部でしかない。
彼は考えうる事全てに対して気を使っている。もしこの状況になったらどの選択肢が最適で、そこには何が必要か、などだ。常に先の事を考え、対策と試行錯誤の積み重ねが彼の構成元となっている。
もし友達が怪我をしたら当然保健室の位置は把握せねばならないし、もし授業中のクラスに蜂などが入ってきたらその対処法を速やかに行使するし、もし強盗などに襲われたら美紋が戦闘モードに入れるまでの隙を作る。
ただし、それはあくまで彼の考える範疇でという事だ。当然、今回の様な突然人間が消失し、自身が精神体になるなど論外である。
ましてや、蜂(想像の数十倍)が強化ガラスをぶち破って侵入するとか、その蜂に掴まれて三階の教室からフライアウェイするとか暁的にはホントもう勘弁してほしいレベルだった。
正直、美紋は勿論暁も相当に疲労が溜まっていた。新しい状況に陥る際、未知の要素が多すぎて全くこれからどうなるのか読めない中、美紋を背にどう動くか考えなければならなかった。
芯一が来てからは大分楽にはなったが、それどもどう自分が動いたら最善かを常にシミュレーションしていたのだ。まぁ結果は『自分は動かず、余計な邪魔をせず、芯一のいう事を聞く』事であったが。
「保健室の場所……あぁそうか!そうだよねぇ。君たちはそっちだもんねぇ。あー、俺たちの言う保健室はね、実は別なんだ。地下にあるんだよ」
「え…え!?地下!?」
これには暁も美紋も絶句だった。何故地下なのか、そも、この学校は地下が存在していたという事すら知らなかった。登校初日にそれを知るのはまぁ無茶な話ではあるが、地下施設がある学校はあまり多くはない。それも保健室が地下にあるなぞメリットを探す方が難しい二人だった。
「では、この学校には保健室は実質二つあるということですか?」
「そうそう、って言っても、最初は驚くよねぇ。うん。というか、保健室がメインじゃなくて、俺たちの本部的なのがそこにあるんだけどねぇ。保健室はそのおまけというか…」
「……ちょっと、もう頭がついていけてないんだけど………」
「まぁ要は、保健室は地下にあるってことだよ!その近道が生徒会室にあるからぶっちゃけここからダイレクトにいけるって事さ!」
はぁ…と美紋はどこか納得のいかないような怪訝な顔をする。暁は、またいつ『異怪』が襲ってくるか分からない危険な廊下を移動する必要がなくなったため、安堵していた。
「では、ここから直ぐに行けるんですね」
「うん、すごいんだよぉ。俺も最初見たときは腰ぬかすかと思ったからねぇ」
そう言うと彼は、先生用と見られる仕事机の引き出しの中にある鍵を取り出し、生徒会室の物置部屋のような所の扉を開ける。
第一印象は生徒会室と比べるとやや狭く、ごたごたとしているといった風。入口から見て右側の方には床や机の上に積まれている段ボールや書類が目立ち、左側には大きな本棚が壁の白を見えなくさせている。
「地下に行く時は鍵と『異元』読み取りの二段構えになってるから覚えておくといいよぉ……そして!見て驚くといい!」
芯一は自慢げにそう言うと、本棚から本を何冊か抜きとり、そうして出来たスペースに手を突っ込む。
そこには『異元』読み取り装置のようなものが組み込まれており、手をかざした者の『異元』を識別する事により作動する仕様だ。
次いで、登録してある『異元』だと読み取ると、ゴゴゴゴと重い音を立て本棚が移動し、地下へと続く隠し階段が露わになるという、何ともファンタジー精神をくすぐられる仕掛けとなっている。
当然、生徒会の一員である芯一も『異元』を既に登録している身であり、その装置に手をかざせば本棚が動き出す。
――本来であれば。
「…………………………あり?」
一度生で見れば、誰もが目を輝かすであろうその仕掛けは元々存在していなかったかのように沈黙を守っている。
じとーっ、と二人の冷たい視線が芯一の背中に刺さる中、本日二度目の冷や汗をかきつつ何回も手を出し入れする芯一先輩。
「あ、あれれぇ?おっかしいぞぉ~~??何で動かないのかなぁ~?故障とかしたのかなぁ~?いつもなら秒で動いてくれるんだけどなぁ~~」
スカッ!スカッ!と虚しく手が空を切る芯一。言葉だけではなく行動までもがスベっている彼に美紋はおろか暁ですらかける言葉を見つけられないでいた。
「ああッ、そんな目でまた俺を見ないでぇ!違うから!これは何かの間違いだからぁ!」
今日に限ってまさか二度も天に見放されるとは。しかも先輩として威厳を見せなければいけない後輩に対して。
もしかしてもう今日は特にそういう日なのでは?と開き直る事でしかポジティブ思考を保てない芯一であった。
そして、今日は彼が思ってる以上にそういう日であった。
「…ッ!?」
それは突然起こった。
空間そのものがぐにゃりと歪む感覚。光源から届き、反射した光が誤った認識を脳に伝達する。
景色が一つの完成された絵であるとすれば、その上から新しく筆でぐちゃぐちゃにされたような、そんな光景が今の状況を表すより近い表現になるだろう。
「何…これ!?」
何の前触れもなく、突然空間そのものが歪むという現象が起きたと誰が即座に気づけるであろうか。あまりに奇異な現象に三人は言葉を失う。
生徒会の中である程度『異元』や『異素』について詳しい芯一でも皆目見当がつかなかった。
三人がたじろいでいるうちにどんどん歪みは空間を侵食していく。これは『G,1』がその場にいたならば『鳴動』と呼んでいたものだった。
『ルダ』の中にいるという事実は、三人にとって知る術も機会もなかった故に、ただ歪みの赴くままに身を任せてしまう芯一達。
「…ッ、まずいな、『厄虫召喚:ガムレス』!」
歪みが完全に空間を占める前に芯一は新たに『厄虫類』を召喚する。
それは、言うなればひし形の四角錐のような『異怪』だった。高さは二メートル後半、如何にも防御に特化したような硬い黄土色の皮膚を持ち、どこが目とかどこが脚とかは一目で分からなかったが、てっぺんに二つだけ空いているのはおそらく鼻のような役割だろう。
「二人とも、早くこれの中に入って!」
入口なんてものは見当たらなかったが、それもそのはず。芯一はその『異怪』の下に手を入れ、持ち上げてから二人を招いたのだ。そこは持ち上げなきゃいけないんだ!?と若干の驚きを残しつつ美紋と暁も彼の後に続く。
こんな狭い空間に『異怪』を召喚し、尚且つ狭いスペースに三人という人数は相当に窮屈だった。窮屈すぎて芯一は変な恰好になりながらもかなりキツそうに何とかバランスを保っている。
「うお…流石に本来一人用のトコに三人はキツいな!でもこれで大丈夫!やれ、ガムレス!」
そう彼が指示すると、ガムレスは若干振動した後、新たに生やした足を地面に突き立てた。その足は地面と同化し、自らの身体をがっちりと固定する役割を持つ。
「……正直、今から何が起こるか俺自身もわからないけれど、コイツの中に入ってれば大丈夫だから。安心して」
「……はい」
彼の安心して、という言葉を少しばかり今までの言動から失礼ながらまだ疑ってしまう美紋だったが、それでも芯一を頼らざるを得ない事は明白だった。それに、彼女は知っている。襲われそうになる度に、毎回彼は助けてくれた。いざって時はやる人だと。
それにしても、と芯一は思う。今回、この謎の現象は本来絶対に起こりえないモノだ。まず生徒会室事態が特殊な結界で覆われており、自分たち以外は人っ子一人入れない。
そして誰かの襲撃であるなら真っ先に芯一が『異元感知』で察知している。となれば、何らかの『異跡』の影響かはたまた何らかの自然現象的な何かなのか。
少しばかりそういう事に詳しいと自負していた彼だったが、今回の件で自分はまだまだだと完全にそのプライドは打ち砕かれた。
外がどうなっているかわからないまま、ぎゅうぎゅうと押し込められる窮屈さに耐える三人。体感三倍は感じた2分ほどが経過した時、変化は起こった。
「…ん!?これは……!」
召喚型の『異跡』…?と芯一は感づく。それにしてもおかしい。この感じは、まるで自分たちが召喚されているような……
「まさか…ッ、二人とも、俺はちょっと外を見てくるから中で待ってて!絶対出ちゃだめだよぉ!」
そう言い放ち『ガムレス』の地面とのロックを一時解除、外に出る。
「なんだ…これは………」
そこに広がっているのは一種の地獄。醜悪な死の臭いと『異素』が充満していた。そして、転がっているのは芯一が先程倒した『異怪』。
そして、自分が召喚した『厄虫類』。
(さっきから反応がないからまぁそうだろうとは思ってたけど……こうされると俺も沸点低くなっちゃうんだよねぇ……)
ギリ、と歯を食いしばる芯一。例えその関係が主従であったとしても、時を共にした自分の仲間を殺された時、平静を保てという方が無理な話だ。
だが、煮詰まりつつあった感情も一つの事で一気に氷点下へと突き落とされた。
「ッ!?な、に……!?」
奥から感じる凶悪な『異元』。それは広場から離れようとしたあの時、自分が感じたものと同じだった。
これ以上ない程におぞましく、吐き気がするような『異元』。同じ空間にいるだけで身体が危険信号が最大音量で鳴らしている。
そう、彼らは『召喚異跡』により元いた場所へと強制的に戻されたのだ。
(まさか、コイツが俺たちを…いや、コイツからは『召喚異跡』の跡が感じられない!じゃあ一体誰が……)
芯一が思案しているのも束の間、一つの叫び声により意識を現実に戻される。
「美紋さん!?美紋さん!!しっかりしてください!」
声はガムレスの方から。主は暁。焦燥感をひしひしと伝えるその声は冗談ではなく、まぎれもない本物の緊急事態。
「どうしたの!!」
「芯一先輩、美紋さんが突然気を失って…おそらく、この気持ち悪い空気のせいではないかと…!」
芯一や暁も感じているように、美紋の場合は感じすぎてしまったようだった。目の前の脅威に対し背は向けられないため、壁越しで会話する。
もしこの場に薫がいたなら何らかの回復手段を精神干渉によって持ち合わせていたかもしれないが、生憎とここには薫はおらず、また芯一もそのような手段は残念ながらない。
兎に角、まずは目の前の敵を排除。後の事はそれから考える。
何故こういう時に誰とも連絡が取れないのかを恨みつつ、目を奥へ見据える芯一。もう傍らには数匹の『厄虫類』を控えさせていた。
『異元』からして相手は格上。今の状況は割と危機的であった。
今召喚できる『厄虫類』を全て召喚したとして勝てる自信はあまりない。だが、彼らを逃がすくらいの時間稼ぎくらいならできる。いや、やってみせる。
これが自分なりの、巻き込んでしまい、嫌な思いをさんざんさせてしまった彼らへの罪滅ぼしでもあった。
「いいかい、暁君。今から俺が時間を稼ぐから、合図を出したら逃げてくれ。大丈夫、君はその中から出なくていいし、もう数匹つけていくそいつらがガムレスを運ぶから、もし途中で『異怪』に出くわしたとしてもそいつらがやっつけてくれる。生徒会室までの道はわかるね?…賢い君の事だから、もう保健室へ行く手段と方法は分かったはずだ。もう仕掛けは作動していると思うから、本棚が動いて新たに出来た空間に行けば自動的に保健室へ行ける転移魔法陣がある。もし作動してなくても、生徒会室で待っていれば誰かしらすぐに来るはずだ。もういるかもしれないしね」
ガムレスの中にいるため暁の反応はうかがえないが、きっと承諾してくれている事だろう。目の前の脅威が大きな足音を立てて近づいてくる中、芯一は言葉を重ねる。
「…あと、ごめんねぇ。色々、本当に。俺の力足らずで、君たちに怖い思いばっかりさせちゃって……俺にできることはあまりないけど、君たちの事は絶対守ってみせるから」
少しの沈黙。その後に、少しの息遣いが中から聞こえた。肩の力を抜くような、緊張がほぐれたような。そんな息を吐く音。
「先輩が謝る必要はありませんよ。先輩はいつだって僕たちの事を助けてくれたじゃないですか。きっと先輩がいなかったら今頃僕たちはどうなっていたかわかりませんし、今の言葉を聞いて安心できました。……それに、芯一先輩にそういう湿っぽい雰囲気は似合いませんよ」
「…!……まったく、どこまでこの人は…」
一番返して欲しかった言葉のみならず、こちらの緊張まで解いてくれるとは。
自分だって親友が倒れ、未知の恐怖に捕らわれているであろうに。そんな状態の中でこんな言葉を出してくれるとはどういう精神構造をしているのか。
思えば、彼はいつもこちらを気にかけてくれていた。普通は、美紋のように怯え、この理不尽な状況に対する理不尽さや、助けるためとはいえ見たこともない異形な生物に全身に傷を負わせてしまった痛みをこちらにぶつけてくれても良かったのに。
尚更、負けられなくなってきた。気分の高揚と共に『異元』の質も上がる。後ろには信頼してくれる守るべき仲間がいる。たったそれだけで、例え各上の相手でも打ち勝てる気さえ湧いてくる。
何であれ、もう恐怖はなくなった!
「今だ!暁君、逃げて!」
そう叫ぶと同時、三匹ほどの蜂型をした『厄虫類』がガムレスを持ち上げ運んでいく。明らかにそのほうが暁も楽だし、美紋も傷無く運べる。何より早い。
最初からこうすれば良かった、と今更ながら気づいた彼であった。
対するは、オベルガイア。目の前にある形ある恐怖は、確かそう呼ばれていた。ランクはⅧ相当だったはず。彼は、オベルガイアの事は多少聞いたことがあった。
度を超えた回復力。大きい体躯に白い鎧。多数の異なる触手を操り、体の表面には強力な酸が纏われている。
暁と美紋が奴の醜悪な姿を見なくて正解だった。もしガムレスの外に出て、この『異元』を直接感じてしまったならば今よりもっとひどい状態になっていたに違いない。
何でも、ランクが『Ⅷα』となっている所以はそれらの特徴とは別にあるとか何とか。
『α』は、極めて特殊な能力や体質を持った『異怪』につけられるものだ。彼は聞いたことはあるにせよ、そこまで詳しい情報は持っていない。
それにオベルガイア事態存在が希少で、あまり目撃回数も討伐回数も多くはない個体らしい。
だが、それがどうした。結局、重要なのは時間を稼ぐ事。最終目標が勝つ事でない以上、当然ハードルも低くなる。
別の場所に取りあえず奴を誘導させ、そこに付け入る隙があれば自分も戦線を離脱する。ランクⅧとはいえ、『異元』もまだ十分にあるし、滅茶苦茶に難しい話ではない筈だ。
「良し…いくぞお前ら!まずは牽制しつつ、徐々に別の場所へ誘導すr」
彼の言葉が終わる前に、空気が鳴いた。
次いで、凄まじい突風が彼の帽子を飛ばす。それが繰り出された触手の速度から来るものだと彼が気づく頃には、もう事は終わっていた。
「ッ!?……ッ、な……………ッ!?」
芯一が召喚し、侍らせていた『厄虫類』はほぼ全滅。一瞬のうちに、自身の自慢の盾をはがされてしまった。
油断も慢心もしていなかった。相手は強敵だとあらかじめ分かっていたため、自分の呼べる最高を揃えていた。
にも関わらず、目にも見えない速さで迫る複数の触手に『厄虫類』達は対処しきれず、それらに吹っ飛ばされる、或いは貫かれるといった感じで瀕死状態に陥っている。
厄介なのが触手に付着している酸。それと虫の相性はとことん悪い。
『厄虫類』でも基本構造は虫のそれと大差はないため、人間で言うところの空気を取り入れるための口の機能を持つ気門を塞がれてしまっては息ができない。
そうでなくとも、比較的他の生物と比べ虫は溶けやすく、壊れやすい部分を多々持っているため普通に酸は脅威である。
そして、彼は気づく。盾を失った勇者の結末は如何なるものであったか。
『召喚士』は召喚することのみが『異跡』であるためそれ以外で戦闘面で出来ることは少ない。
勿論、『異跡』無しでも相手によって可能なことは変わるがオベルガイアに至っては、守りで気を許したらその時点でやられるのは確実。
なので、瞬時に彼は目標を切り替える。『牽制』から本格的な『撤退』へ。
オベルガイア以外でならまだ勝機はあったかもしれないが、彼と奴とでは基本的に相性が悪かった。
「くそっ、ここまでとは……!ってか、雑魚狩り担当の俺にこんな強ボス級倒せとか無理すぎるんですけど!」
そう軽く涙目になりながらこの不条理に嘆く。そうと決めた彼はいち早く逃走すべく蜂型の『厄虫類』を召喚し、足を持つ。
同時に、攪乱として二、三匹同時に同個体を召喚し、おまけに体内に侵入し相手に寄生するレムスも何体か召喚しておく。
彼らが殿を務めてくれている間に、何とかオベルガイアから距離をとる。確かにあの触手は恐ろしくはあるが、一旦引き、体制を立て直すぶんまでの時間稼ぎなら自分ならそう難しくはない筈だ。
それに今召喚した奴らだって雑魚ではない。相手を打倒するのは当然期待できないが、時間稼ぎならうまくやってくれる。
見たところ、あの触手は直線的な早さなら舌を巻くものがあるが、空中を素早くトンボのように細かく、せわしなく飛び回る蜂型の『異怪』の動きについていくのはそう容易ではない筈だ。
そして動きを止める役にレムス。オベルガイアに寄生をするのはかなり厳しいとは思うが、それでも動きをいくらか止めてくれる働きはしてくれるだろう。
加えて、一度校舎の中に入ってしまえばその複雑な構造にオベルガイアは対処できない。そも、あの巨体では校舎の中に入る事すら難しい。もしここが一面何もない荒野のような平面だったら完全に詰んでいた。
「ハァ、ハァ……何とか、逃げきれたかな…!」
そう考えている内に、気づけば校舎の中まで無事に逃げきれている自分がいた。
確認すると、殿として召喚した『厄虫類』達は儚くその命を散らしていた。蜂の方は触手の酸で身体の機能の大部分を奪われ、レムスは侵入して数刻してから体内の酸で溶かされていた。
普段あまり『厄虫類』が殉職することはないため、今回芯一自身のメンタルも多少なり影響を受けていた。
いくら使い捨ての駒程度のモノと認識しろ、と言われていても自分のせいで命を落とすものがいるというのは中々精神的にキツイ。
「…、あの二人は大丈夫かな……」
彼の『異元感知』は何キロも離れた人やモノまで感知できるほど有能ではない。故に、彼は『異元感知』ではなく召喚した『厄虫類』の存在を確認する。
自分が召喚した『異怪』ならば『異元感知』よりも幾らか融通が利くのだ。
『厄虫類』の死が無駄になっていない事を祈りつつ、彼らにつけておいたガムレスの気配をたどる。
「…ん、だいぶここから離れたようだね。これでもうアイツとは鉢合わせないだろう」
何とか自分の役割の最低限はこなすことが出来た。兎に角、オベルガイアに関しては自分一人ではどうしようもないため、あとは何とか仲間と合流してヤツの対処方法を吟味しなくてはならない。
『厄虫類』から手を放し、壁に身を預けながらどうしたものかと考える芯一。
その矢先、悪夢が再来する。
キィイイ、と隣にいる蜂型の『異怪』が警戒の鐘を鳴らした。
「……ッ!?これは…まさか……ッ!?」
空気がおかしい。『異素』がいつの間にか異常なほどに濃くなっており、ぐにゃりと景色が歪むような目眩がする。
否、これは比喩ではなかった。実際に空間自体が曲がっている。先程も生徒会室で見たのと同じ現象。このままここにいれば、どうなるかは簡単に予想がついた。
「何だって……!くそっ!!」
歪みが空間を侵食しきる前にここ一帯から脱出する。それしか『再会』を防ぐ手段はない。即座に最高速で飛ぶように隣の『厄虫類』に指令を出し、脱出を試みる芯一。
汗が噴き出る。バクバクと心臓の音がやけにうるさい。
「ハァ、ハァ……ッ、ハァッ……!」
瞬きの回数が減る。口は乾き、思考がまともに出来なくなる。
「ハァ…ハァ……ッ、ハァ………ッ!」
何故か廊下に触手のようなものが生えているが関係ない。やけに行き止まりが多いような気もするが今はどうでもいい。
兎に角、遠くへ。より遠くへ。
ふと、思い出す。思い出してしまう。
あの惨状。あの姿。あの『異元』。
もし、もう一度アレに捕まったらまたあの化物と対峙しなくてはならないのか……?
自分の自信とプライドはもう跡形もない。勝てる気も勝算もない。ただ蹂躙されるのみ。
「やめろ……」
進んでも進んでも一向に空間の歪みは消えてくれる気配がない。それどころか、歪みは徐々に深くなり、校舎に生えている謎の触手も何故かこちらを捉えようと蠢いているように見える。
「やめろって……!」
濃くなる『異素』。吐き気がする。目眩がする。前回は後ろに暁と美紋がいたから気張れたものを、一人だとこうもダメになってしまうのか。
肩が震える。背筋を走る悪寒が止まない。この後に来る結末を受け入れたくない。
「やめろおおおおお!!」
無我夢中で『厄虫類』を召喚した。周りにこびりついている歪みを一掃すべく、攻撃を廊下一帯にさせる。当然廊下は攻撃により崩壊するが、歪みだけは染みのように残り広がっていく。
「なん…だ、これ………」
廊下を壊してもそこから見えるのは真の地面ではなかった。
窓を割ってもそこから見えるのは真の空ではなかった。
暗黒。どこまでも広がる闇。歪みの終着点と正体。
ここで初めて、彼は得体の知れない『何か』の中にいるのだと初めて気づく。
闇の向こうに、死が見えた。
こちらを見てそれはにちゃりと笑っている。
触手がこちらへ伸びてくる。気がつけば、周りに召喚した『厄虫類』達は皆どこかへ行ってしまったようだ。
「あ、は」
その掠れた、情けない声は自分から出たのだろうか。触手が自分を掴み、蝕む。
闇の向こうにいるオベルガイアの足元に、何か見知った『厄虫類』と人二人が転がっていたが、今はもうどうでも良かった。
自分の身体を俯瞰しているのかと錯覚を覚える。それは、意識が自分の身体から離れていくのと同義だった。
「………、」
魂の離脱。そんな言葉が一かけらの意識に浮かぶ。
そして、彼は瞼を閉じた。
~ガムレスの中の2分間~
美紋(それにしても、ほんと狭いわねココ…)
暁「ちょっと暑くなってきましたね…」
芯一「そうだね…って、あ、こうすればもっと楽かも」
暁「あ、本当ですね、少しスキマが出来ました」
美紋「ひゃっ!?…ちょ、ちょっと、変に動かれても困るんですけど!」
暁「あー、なんかすンませン」
美紋「軽ッ!?」
暁「不可抗力です。致し方ない事です」
美紋「…なんか暁君って昔からこういう事になると妙に機械的になるっていうか、距離を置く節があるっていうか。たまにそういうトコあるわよね」
暁「……『こういう事』って何です??」ニヤリ
美紋「前言撤回。爆ぜろ」
芯一(ここまでくるとなんかホントは全然緊張感ないんじゃないの?…この二人)




