10 立ちはだかる災厄
先程まで薫の鎮魂歌が流れていた場所がひと時の静寂を保っていた。それは、目の前の異常から来るもの。
突如、地面に浮き出た紅い紋章が最高潮に輝きだしたとき、それは出現した。
体長は優に十メートルは軽く超え、がっしりとした太い足が銅の両端に五対程並んでいる。
また、棘がまばらにあるもの、途中で数本に分かれているもの、ナイフのように鋭く尖っているものなど、数をあげればきりがない程の触手が体中から伸びている。
白い鎧を着こんだような皮膚は、何もかもを通さないような頑丈さを物語っており、何よりも二対の巨大な鎌がそれを『危険だ』と印象づける最大の要素だろう。
顔の半分以上を占めるその奇怪な口が開くと、大量の粘液と舌がそこから零れた。それが地面に到達した瞬間、じゅわっ!と音と煙をあげ、みるみるうちに地面の形が変わっていく。
それと同等のものが全身の触手に塗られている時点で、彼女の決断は固まった。
「アンタたち、全速力で走って!この校舎の二階にある生徒会室にいけば何とかなるから!」
薫が叫ぶ。普段は陽気な雰囲気を醸す彼女のこんな声は聴いたことがなかった。燎平達は薫と出会って間もないが、それでも目の前の『異怪』がいかに異常な存在なのか彼女の声色から窺える。
だが、あまりの鮮烈さ、恐ろしさに足が固まってしまう。視線は見たこともないような怪物に固定され、無意識のうちに鬼胎の渦へと身を沈めていく。
「何やってんの!早く行って!…早くッ!!」
「う…うわぁっ!!」
彼女の激昂に助けられ、ようやく足が活力を戻す。自力では到底抜け出せないような、底なしの恐怖から引っ張りあげられたのは彼女の『異跡』の力によるところが大きい。
燎平達のSAN値がある程度保っていられるのは、薫の『波』による精神干渉のおかげだとは気づかないまま、二人は広間を背に駆け出していく。
「……行ったか。ここにいられても邪魔だし、何よりコイツから守りながら戦える自信、ないからね」
すぅ、はぁ、と軽く息を整える薫。自分の『異元』残量と視覚や『異元感知』から読み取れる相手の力量。それらを天秤にかけ、状況を確認しつつ今後の戦略を組み立てていく。
「…流石に、今までの『異怪』とは違うみたい。こんなの、見たことないし」
鎌に尻尾、毒か酸か、極めて危険な体液とそれらを纏った数ある触手。波を反響させて分かる胴体の硬さ。口しかないその顔にはにんわりと笑みが浮かんでいる。余裕ぶっているのか、挑発しているのか、はたまた何かを楽しんでいるのか。
それに対しこちらは消耗した魔力と体力で挑まねばならず、且つ触手に触れたら即アウト。
『異元感知』にてその者が持つ力量が分かるというが、立っているだけで目眩がするような『異元』を発生させる『異怪』。それが周囲の『異素』にまで影響を与えるのだからとんでもない。
明らかに今まで戦ったどんな『異怪』よりも力量は格上で、ランクは少なくともⅥは超えている。
「Ⅶ…いや、Ⅷか……?」
Ⅷ以上ともなれば、アミュール達が本気で対処するレベルだ。完全勝利することは極めて難しいだろう。
いかに相手の隙を作り、撤退の糸口を見いだせるかが鍵となる。彼女達に比べ、『異跡』の扱いがまだまだな自分にできるのだろうか、という疑問が脳裏をよぎるがすぐさま頭を振り、自分に喝を入れる。
「とにかく、やるだけやるしかないっしょ、先手必勝!『震犯波』!」
ひと際『異元』を込めた音速の波を三つ頭部に放つ。当然成す術もなく、目の前の『異怪』の頭部はそれだけではじけ飛ぶ。
本来であれば。
「な…ッ、う、嘘でしょ…?」
波が頭部に届いた直後、プルプルと頭を痙攣させる等の多少の変化はあったものの、まるで効いてない。
禍々しい気配が変化するわけでもなく、小刻みに揺れる触手が活動を停止するわけでもなく、不気味なその笑みが消えるわけでもない。間違いなく、今の薫にできる最高の技の一つだと言うのにも関わらず、だ。
「頭ン中ぐちゃぐちゃにされて耐えられんの!?それも超高温になってる筈なんだけど…それともコイツ、細胞の構造からしてもう違うの…?」
それともう一つ、薫はある事に気づく。
(…さっきから、ずっと高濃度の放射線を浴びせてるのに何でケロッとしてるのコイツ…!?)
確かに、今まで薫の放射線は戦ってきたあらゆる『異怪』に通じ、その命を無慈悲なまでに一方的に刈り取ってきた。
だがそれも、此度の『異怪』の異常さには届かなかった。圧倒的なまでの高密度な皮膚は体内に侵入する波を阻害し、侵入してきた波もその驚異的な回復力で破壊された部位を瞬時に何事もなく再生させる。それを息を吐くようにやってのける事に、薫は悟った。
この『異怪』に全く相手にされていない、と。
しかし、目の前の『異怪』、オベルガイアの意識が今の攻撃で変わった。飛んでいるハエを叩くように、道端の石を不意に蹴とばすように触手を彼女へと伸ばす。
オベルガイアにとって、ほんの子供が蝶へ手を伸ばす仕草に似た行為であっても、薫にとっては必滅の一撃だった。
(早…ッ!!!)
寸での所でギターを鳴らし波を飛ばす。結果、見事に触手は弾け飛び、爆散する。
だが、それがいけなかった。
「…っっっぐ、うああぁああっ!!」
舞う大量の飛沫。当然それは薫にも襲い掛かり、毒の飛沫が容赦なくその肌を溶かす。咄嗟の出来事に二次被害までには一歩手が及ばなかった。
「いったぁ…痛い痛い!地味にめっちゃ痛い!なんなのコレ!めっちゃヒリヒリする!ってか若干服溶けてないコレ!?」
その場でぴょんぴょん跳ねながらひとまず大きな瓦礫に身を隠す薫。自分の身体に受けたダメージを実感し、ひやりとした悪寒が背中を撫でる。
もし、今の液体を大量に浴びたら。もし、今の液体が目に入ってしまったら。それに液体抜きにしても、あの速度で身体を撫でられたらどうなってしまうのか。
(……ッ、こりゃちと本気でマズい奴じゃね…?)
○○○
「う……ッ」
ふと、視界の隅に入ったものに焦点を合わせてしまった。直後に口を押え、こみ上げる不快なものに対し身体を折ることで何とか耐える。
辛そうにしている美紋の背中をさすりつつ、先に行きましょうと彼女を先導する暁。先程まで傷ついていた身体を引きずるようにして、保健室へ足を運ぶ二人を傍で介護しながら、芯一は顔を伏せ呟く。
「あっちゃあ…すっかり忘れてた…そっちは見ちゃったかぁ……」
彼女は芯一が三十秒で片づけた『異怪』の屍たちを見ないようにしていたのだった。が、保健室へ向かう手前、教室の方で襲われた異形な熊が転がっている事に彼は失念していた。
死体は死体。それはまごう事なき『死』を纏ったものであり、『生』きている者にとっては最も忌避すべき事柄。その死体が人間でなくとも、動物だろうが虫だろうが、少なからず拒絶反応を示すのは当然。
口から泡を吹き、眼球も本来あるべき場所から片方抜け落ちている。胴体の中心には蜂の針によって作られた穴があり、そこから染み出ている体液が悪臭の原因であろう。
「ほんと、ごめんねぇ…何も力になってあげられなくて……」
反省の色を濃く宿したその声に、美紋は返す言葉が見つけられなかった。それに、この理不尽な状態や状況を彼の責任だと決めつけ、全てを擦り付けるのは何か違う。
胸の奥から沸き立つ感情に任せてそのような愚行をすることだけは、彼女の中で容認されなかった。
「今すべき事は、反省よりもまずどう対処すべきかかと思います、芯一先輩。反省や後悔ならば後からでもできましょう…と、まず、保健室に行けば良いのですよね?」
暁が美紋の心中を察してかフォローする。置かれている状況としては彼女と同じなのに、こうも冷静に対応するのか、と芯一は内心舌を巻きつつ、肯定する。
「そう。まず今の状態を簡単に説明すると、こちらの世界…『裏側』へ移動する時に、俺たちの身体は実際、精神と肉体に分離しているんだ。世界が変わった時、何か変な感じしなかったかな?体の中に違和感がある。何か少しふわふわした感じが残る。なんとも言えなけれど、肌に触れる空気自体が違う。その違和感は、『裏側』に精神体でいるという証拠なんだ」
「…、それは何となく分かりますけど…いや、はっきりとした実感はないんですけど……、でも、私たち血とか出てましたよ?精神体なのに血が出るとかあるんです?」
顔色を悪くしながらも美紋が問う。戦闘が終わった際、彼の使い魔である『厄虫類』から受けた傷は、芯一からの手当てのおかげで完治していた。
「…まぁそこはイメージの問題かなぁ。傷ついた際に血が出ないとおかしいから脳が修正してる?みたいな?……俺もよく分からないんだけどねぇ。俺がさっき渡した『癒紙』で傷がすぐ治ったのも精神体であるからなんだけど、あくまで今のは応急処置だから、なるべく早めに本格的なケアをした方がいい。まぁ、ぶっちゃけ今説明してるのも全部受け売りなんだけどねぇ」
あははと後頭部を掻きながら苦笑いを浮かべる芯一。いかん、この人結構抜けてるトコあるかも、と美紋が彼に対し印象をやや下方修正したところで、それは起こった。
「…ッ!?」
背後から、気配が一つ。今まで感じたこともないような濃密で醜悪な『異元』。そして、この感じ。
すぐさま芯一は召喚型の『異跡』だと気づいた。これから何かとんでもないものが召喚されようとしている、と悟った彼は行動を一新する。
「君たち、ちょっと走るよ、なるべく気配を殺してついてきて」
えっ、と状況を把握するよりも早く背中を押され走り始める。勿論芯一だけなら『異元展開』によって身体強化されているため、短時間で長い距離を走って移動できるが今回はそうはいかない。
いざとなったら二人を抱えて走る手もあるが、それだと彼らの負担が大きい。ここにいたらとにかくヤバい、と彼のセンサーが最大音量で警告している。
(一応さっきまで召喚してた『厄虫類』達はそのまま置いていって様子を見させるけど…いや、これも生徒会室に行けば何とかなる。とにかくアミュールさんや校長と合流しないと…)
彼の背後が真っ赤に染まり始めていく中、急ぎ足でその場を離れる三人。理由も分からず連れられる美紋と暁は、言われるがまま歩調を早める。先刻とは雰囲気が異なる彼に何故かと理由を聞く暇もなく、彼らは校舎の中へと入っていく。
数分後、広場には静寂だけが残っていた。
○○○
思考を加速させる。感覚を尖らせる。神経を張り詰めらせる。
「…ッ、っはぁ、はぁ、はぁ……っ」
相手を観察する。『異元感知』からの情報と視覚情報を踏まえた上で、次の相手の動きを予測する。さらにその予測を見越し、どう対処すればいいのか自分の出せる手の中から模索する。
将棋なんて、そんな試合のようなものであればどんなに良かったか。こちとら身の危険が迫っている緊張感の中で、身体と頭を同時に働かせなければならないのだ。それも相手が反則級。
花蓮の植物で身体を拘束しようとしても、触れた瞬間に植物から煙が上がりたちまち枯れてしまい、翔璃の武器である鎌で首を刈り取ろうとしてもその不可視の鎌の方が内部に到達した瞬間、刃の部分が溶け落ちたかのように消失していたらしい。
流石はランクⅧ、何もかもが違いすぎると自分たちがどれだけ通用しないか、その格の違いがどれほどのものかを思い知らされた。
撤退という選択肢もあるが、何にせよ相手は何もかもが桁違いな『異怪』だけではない事を視野に入れれば、それを選ぶのはかなり難しくなっていた。
目の前のオベルガイアよりもさらに歪で謎めいた襲撃者。彼が召喚士なのは確かではあるが、こちらが背を見せた瞬間に何をしてくるか分かったものではない。両者共に完全に隙を作るのは極めて困難であり、兎に角増援が来るまでの間文字通り必死で時間稼ぎをするしかなさそうな状況だった。
なんだこの不条理は、と鼻で笑う花蓮。
「ったく、私たちのこの状況も修復されて欲しいわね!」
『…俺たちは修復する側だからな……ッ、花蓮!』
彼女に迫る触手を不可視の槍で払う翔璃。その隙を狙い、つかさず花蓮の植物が弾いた触手を絡めとる。じゅわっ!っと音を立てながらも溶けず、強酸を帯びた触手をがっしりと掴んで離さないその耐久力は流石と言える。
まずは動きを止め、武器を破壊、あるいは使用不能にし攻撃手段をなくす。すさまじいスピードで迫る触手を花蓮の植物で封じ、それから本体を大技で一気に仕留めるというのが彼らが数瞬で編み出した対策だった。
が、思いのほか上手くいかない。触手の性質、形が一本一本微妙に異なるらしく、それらと花蓮の植物の相性がうまく合わないとすぐに溶かされるか、はたまた拘束が溶けてしまう。
故にまずはその性質を知らねばならず、解析に要する『異元感知』に裂く『異元』の量も割と馬鹿にならない。いくら燃費がいいとはいえども、これでは本末転倒である。
また、最初に拘束した触手もずっとおとなしくしているいい子ちゃんでは当然ない。時間をかけてしまえばしまうほどその拘束から解放され、また繰り返しになってしまう。予想以上に切羽詰まった状況に、思わず花蓮が声を荒げる。
「あと残り何本!?」
『あと七本だ!解析はこちらでもやる!それにそろそろ最初の方が持たないぞ花蓮!』
「分かってる!補強してるうちに三本解析終えといてね!」
『…ッ、了解した!』
そんな無茶ぶりはいつもの事。不満をぶちまけてる時間と余裕があったらその分働いて成果を出す方が効果的。
負のサイクルより正のサイクルを、をモットーにしている(らしい)が、今回は本当に無駄なことを考えている余裕がない。『異元感知』を最大限に活用し、触手の解析を進める。
形、剣型。硬度、並。俊敏性、やや早い。体液の酸性、やや弱。
『異元感知』で測れるものは多岐に渡る。
どれだけ『異元感知』を習熟してるか、また対象にもよるが、例をあげるとその対象の『異元』の性質や強さだけではなく、物の構造や能力、材質なども測ることが出来る。
発動することで視覚や聴覚より多くの情報を入手でき、習熟度をあげることにより、さらに精密に解析することが可能だ。
「翔璃君!終わった!?」
『…すまない、まだ二本だ!手前のは俊敏特化、その隣のは酸性が強い!』
「わかった!ありがと!残りも分かったらすぐ教えて!」
『……ああ!』
彼が解析してくれた二本に即座に『異跡』を仕掛ける。
俊敏特化の触手には、滑り止めの役割を果たす棘が無数にあり、広範囲にわたり捕縛できる網のような植物を、酸性が強い触手には溶かされにくい比較的丈夫な繊維を持つ対酸性型の植物を。
両方とも迫る植物から逃れようと身をうねらせるが花蓮の持つ高度の『異元感知』とそれに基づいた予測能力の前にはその行動は無意味と化した。
『異怪』も『異元感知』持ちは少ない、または習熟度が低いため花蓮の地面、空中からと三百六十度から迫る刺客には対処しきれなかったのだろう。
触手の半分以上を封じ込まれたオベルガイアも流石に勘に触ったのか、少し笑みを作る口角が下がる。と、同時。
『…花蓮ッ!!』
「ッ!?」
残りの触手全てが一斉に蠢き、瞬く間に花蓮の懐へと飛び込む。これまでの倍以上の速さで動くそれに反応が一瞬遅れたのか、それが命取りになった……なるはずだった。
『ッ…ぐ、あぁああっ……!』
花蓮の周囲からじゅわぁっ、と煙があがる。花蓮の身体からほんの数センチの所でそれらは動きを止めていた。
「ッ!…っな、何やってるの翔璃君!それに直に触れたら…」
翔璃の『異跡』は『自らの身体を霧へと変換する能力』。
自分の『異元』を流し込んだモノにもそれと同じことができるが、彼の武器である槍と鎌だけではさばききれない量だった。故に、彼が用いたのは『彼自身の身体』。
翔璃自身の身体であれば、元に戻す事か霧にすることしかできない彼の武器とは違い、形に束縛されずより自由に霧の要領で動かせる。
例えば、片手分の体積の霧を触手の表面に付着させ、動きを止めるなどである。熊の『異怪』の動きを止めたときも同じ事をしていた。
分子レベルの細かさで抑えられては身動きのしようがないというもの。拘束力は極めて高いが、その分リスクは当然ある。
『な…に、こんなもの、何でもない……』
「バカっ!ほんっとバカ!これ終わったら覚えてなさいよバカァ!」
三回も言わないで欲しいな、全く…と彼は自嘲的な笑みを浮かべたところで、切り替える。
『それに、今ので五本全ての解析が終了した。……何、只でやられている訳ではないから安心していい』
「……ッ、そういう問題じゃないでしょ…アンタって奴は…」
花蓮が今にも切れそうなな鋭い視線を向けてくるのに対し、翔璃は褒められるならいざ知らず、何故彼女を怒らせてしまったのか理解できなかった。
そんな事を考える余裕は一瞬で消え失せ、すぐさま彼女に解析を終えた残りの五本の特徴を伝える。
「兎に角、私が今できる最大の恩返しはその成果を最高の結果へ敏速に繋げる事ッ!」
すぐさま、彼女の足元から五つの異なる形態の植物が伸び、触手へと絡みついていく。これで何とか全ての触手を拘束することができた。第一目標が達成された瞬間、第二目標も達成すべく瞬時に行動に移る。
「これでもうオベルガイアは動けない!なら次の行動に出る前にこっちが先に手を打てばいい!翔璃君!」
『ああ!』
二人が目線を交わすと同時、花蓮の身体中から『災害種子』が無数に放たれる。一方翔璃は『異元』を濃縮した霧を最大限にまで濃くし、相手の『異元感知』を鈍らせていく。
「…ほう、これは……」
今まで干渉してこなかった謎の不審者が、感嘆の声を漏らす。
この霧の名は『錯乱霧』。特定の場所でごく稀に発生するか、特定の『異怪』にしか作り出すことの出来ない霧。
その効果は大きく、自分の『異元』を霧を通して相手に干渉させることで対象の『異元』を乱れさせるというものだ。『異元』を乱れさせるというのは、『異元』の生成を阻害するという事。
つまり、人であれば一定時間『異跡』を使用できなくさせ、『異怪』であれば『異元』は存在の源であるため、それを乱れさせられれば激しい混乱状態、最悪死ぬこともある非常に危険な霧である。
「まだ効果はそこまで強くはないようだが、まさかこの霧を人工で作り出せる者がいようとはな…驚いた」
『まだこれで終わりではないぞ、本命はここからだ』
「お待たせ!時間稼ぎありがと!おかげで準備できましたよ、っと!!」
ズン、っと地面が揺れる衝撃。見ると、植物の巨大な四本の剣が二対ずつ、交差するようにオベルガイアを切り裂いていた。
そしてその周りにはオベルガイアを囲むように地面から生える植物たち。先端は針のように鋭く尖っており、その付け根には大きな袋が三つぶら下がっている。十数あるその針が、勢いよくオベルガイアの身体に突き刺さった。
「『刺毒混根』。対象に合わせて三つの異なる種類の毒袋から最も効く毒をブレンドして、生成する『災害種子』……そして」
突然の異物を体内に混入され始めた直後、足元に巨大な気配を感じたのか、初めて規格外の『異怪』の顔から余裕の笑みが消える。
「…終わりよ、『暴食刻花』」
刹那、ガクン、とオベルガイアがいる地面が陥没したかと思うと、真下から出現した巨大な檻がオベルガイアを包むように閉じられた。
と言っても、それを一口に檻と呼んでしまうのは些か語弊が浮かぶか。鉄の格子は存在せず、その代わりに鋭利な歯の様なものが噛み合わさっており、中は少し透ける程度には透明だが、その身に刻ませた赤と黄色の斑点がそれの危険性を際立てている。
そう、オベルガイアは地面から出た花の様な、食虫植物のハエトリグサの様な『暴食刻花』にまさしく『捕食』されたのだ。
比較的『異怪』の中でも体長は大きい方のオベルガイアだが、それをすっぽりと包み込める程度の大きさを花蓮の『異跡』である植物は持っていた。
あらゆるものをいとも容易く貫通しそうな歯と歯の隙間から、ごぽっと極めて濃度の高い消化液が溢れ出る。それはその花の中が消化液で満杯になったという合図。
さらに『暴食刻花』の中では消化を助けるために、獲物を細かく刻む刃が数百ほど並んでおり、それらが完全に吸収するまで回転しながら刻み続けるのだからミキサーの何倍も効果が出る。ランクⅤ相当の『異怪』を数秒でドロドロにしたのもこの花だ。
少々育成に時間と『異元』を消費するのが玉に瑕だが、そこを含めても『暴食刻花』は花蓮の中でトップクラスの『災害種子』だろう。
加えて『刺毒混根』による毒の攻撃。翔璃の『錯乱霧』で動きを抑え、『暴食刻花』でトドメをさす。これが二人の連携で最も安定し、かつ確実に仕留められる技だった。
パチ、パチ、パチ、と。
手が鳴る音が、辺りに響いた。
「……よくここまで持った。正直ここまでのものとは予想してなかったな。見ろ、お前たちはオベルガイアを『怒らせる』課程にまで至ったのだ」
ズバアッ!っと何かが敗れる音がしたと思ったのは不審者が話し終わったあたりからだろうか。次いで、耳を裂くような絶叫が繭の中から轟く。
『グギャアァアアオオオオッッ!!』
ビリビリと大気を震わす咆哮に思わす身構える花蓮。ドロドロになっているはずであるオベルガイアはより赤みが増した触手を振るって『暴食刻花』の皮を破り、そこから零れ出る大量の消化液と共に姿を見せる。
花蓮達が動きを止めたはずの触手は勿論、わざと捕まってやっていたと言わんばかりにあっさりと解放されており、さらに背中から新しく、より禍々しい触手が数本より赤みを帯びて蠢いている。
捕食される前は全体的に白に近い色をしていたその身体も今は怒りがそのまま体の色になったように赤紫色に染まっている。上半身についている鎌もさらに凶暴さを増しており、身体中には鋭い棘が新たに顔を見せている。
「今私たちができる限り最高の『異跡』だったんだけど……こんなにも手ごたえがないと少しヘコむわね…もう少しダメージ与えられると思ったんだけど」
『…いや、十分だろう。目には目を、という奴か。最終的に功を奏したのは毒や酸の類だったとはな。奴自身の持つそれとの違いに何らかの反応を起こしたのだろう。結果、それがダメージへと変わったと見えるな』
「…そうね、でももうさっきので私の『異元』ほぼ持ってかれちゃったんだけど…まだアミュールさんたちの『異元』、感知できなイッ…!?」
空を切り裂く音すらしなかった。『異元感知』を発動させ、最大限に警戒をしている中でも感知することさえできなかった。腹部の違和感に気づく頃には視界が変わり、身体が軽くなるような錯覚を覚える。
「…っご、ふッ……!?」
込み上げる鉄の味に耐えきれず、それを吐き出す花蓮。触手の一本に貫かれたと翔璃が気づく時には、彼女は空中でぶらぶらと弄ばれ、百メートル以上離れた校舎に投げつけられていた。
『…花蓮!?』
「…相方を心配する前に、自分の心配をしたらどうだ?そろそろ頃合いだろう」
『何、……ッ!?』
全身に纏わりつく悪寒。まずい、と即座にオベルガイアから距離を取ろうとするが、時既に遅し。際限のない痛みが彼の身体を襲う。
「ぐアぁああああッ!!」
カラン、と物体化した槍と鎌が地面に落ちる。次いで、全身から煙をあげた翔璃が崩れ落ちるように地面に伏した。
「…怒り狂ったオベルガイアの粘液は、気化性が付与される。通常時は長時間同じ空間にいない限りは害が少ない程度だが、この状態のそれは一気に危険度が増す。大気に同化した事が裏目に出てしまったな、暗殺者の少年よ」
動かない二人を見て、不審者はオベルガイアに一つの命令を下す。
「さて、準備は整った……始めるぞ」
美紋「ヴッ……」
暁「…、美紋さん、どうしてもダメそうなら無理しなくていいですよ。ほら、ここに丁度ゲロ袋落ちてますから」
美紋「いや…大丈夫だから、ほんと」
暁「…僕、目そらしてますから」
美紋「いや、だから良くなって来てるっt」
暁「もし美紋さんがぶちまけても決してゲロインとか思ったりしませんから、だからほら、遠慮しないで、さぁどうぞ!消化器官のの赴くままに!」
美紋「…、アンタさぁ………」




