9 下り坂への分岐点
滲み出ているそれに、思わず顔をしかめた。肌に纏わりつくような、周りと比べて特に濃いねっとりとした空気。その中に身を晒しているだけで込みあがる吐き気を何とか制しつつ、彼女達は発生源へと向かっていく。
きっと、常人がこの濃度の『異素』が含まれている空気の中に居続けたら頭痛や目まいどころの話ではないだろう。近づいていけばいくほど醜悪さが増す空気に耐えきれなくなったのか、思わずといった風に花蓮が口を開く。
「ちょっと、何この『異素』……気持ち悪いにも程があるんだけど」
「同感だ、『異元展開』を保つのにこれほど嫌悪感を覚えたのはこれが初めてだ」
桃色の後ろ髪を三つ編みとして束ね、腰のあたりで揺らしている花蓮の後を追いつつ言葉を返す翔璃。
嫌な臭いを避けるように首元から口周りを特殊な柄のマフラーで覆いながら、明らかに異常な状況を前に武器を取る彼の手にぐっと力が入る。
現在二人がいるのは校庭、即ちあの謎の巨大な線が発生したところである。校庭の中心にそれは存在し、今もなお線の規模は拡大している。そこから漏れ出しているのが不気味なほどに濃度が濃く、また異臭にも似た卑陋さの『異素』だ。
『異元展開』を保ってはいるがそんな空気に当てられて当然気分はよろしくない。生ごみのすぐ近くで箸を取るようなものだ。
「こんな事…今まで起こったこともないし聞いたこともない……正直気味が悪いわ」
発生源近くまで来て改めて線の大きさに息を飲む。校舎の高さと同じ、あるいはそれ以上もあるかのような高さ。
その線の周りの空気も濃すぎる『異素』が原因なのか、水面のようにぐにゃりと歪んでもはや風景が識別できないレベルまで達している。
「……おかしいな」
「…その根拠は?」
「これだけ濃い『異素』で満たされている空間があるわけだが、『異怪』が一匹も見当たらない。何故道中にあれだけの数がいて要であるはずのここに姿がないのはどういう訳か…」
「同感。でも疑問を抱くだけなら誰でもできるわ。私の望む解答を頂戴な、副会長」
やや長い前髪でほぼ見えない左目を閉じ、軽い目くばせを相方に送る会長。春にしては着こみすぎとも言えるような服装をしているせいなのか、単に呆れながらも思考を巡らせているだけなのか、若干額に汗を滲ませつつ日常的に行われる無茶ぶりとも言える彼女の問いに解答する。
「…、これはあくまで憶測の範疇だが、まず『いない』という事からは二つの意味が取れる。一つ目は『守る程の価値がない』から、そしてもう一つは『自分たちが守れる状況ではないから』。前者はまず除外していいと思う。ここが此度の異常の中心地であり発生源であるのは明確だ……と、思いたい」
「…色々言いたいことがあるけど続けて」
「(何とも言えぬ表情)……、そして後者の場合だが、俺たちや薫、芯一が全ての『異怪』を倒したとすると、この線の原因は『異怪』によるものではない。つまりこれは起こりうる先天的な事象で、稀に見る『裏側』の異常気象の様なものなのかもしれない、というのが俺の答えだ」
彼より十数センチほど低い花蓮からのじとっとした視線に耐えつつ、何とか今回も凌いだ事に少し胸を撫で下ろす翔璃。
彼女といると割と頻繁に政治やら心理学やら哲学やらと、ジャンルを問わずこのような意見交換をさせられる。そして望む回答が得られないと更なる無茶ぶりを背負わされるという、正に破天荒という言葉が似合う彼女に手を焼かせられるのにはもう既に彼は慣れてはいるが、もしもの事を考えると流石に胆が冷える翔璃だった。
「……私の意見と七割は一緒ね。意見が合うのは良い事だとは思うけど、こうも被ると何だか面白みに欠けるわね……なんかこう、もっとどかーんってぶっ飛んだ考えとかないわけ?」
「……そのぶっ飛んだ考えを単に冗談として捉える一方でそれに本気で理屈をつけたがるのはどこのお嬢さんだったかな…」
てへ、と舌を出す花蓮。本気と冗談が紙一重になりがちな彼女に振り回されているのは翔璃だけではなく、生徒会のメンバーは勿論先生までもが被害者のため大抵会議後などは皆一様な顔つきになるのは容易に想像できるであろう。
会長として、人間としては皆から大いに期待され、尊敬されている彼女だが少しばかり茶目っ気があるというか、いやかなりそこが目立つというか、性格が多少なり面倒臭い、等とは誰も口にしない。
「えー、でもでも、私と違った考えを持った人達との意見交換こそ充実するわけだしぃ…」
「それは尤もだが、その人たちが花蓮に近寄らない理由は自覚しているか?」
ちぇー、と口を尖らせる彼女に翔璃は何度目かの溜息を漏らしつつ、残りの三割は?と聞く。
「そうね、最初に『異怪』がいない理由だけど、私が思うに一つ足りないわ、翔璃君。『そもそも守る必要がないから』。私が危惧しているのはその点。楽観的に考えれば…というかそうであってほしいのだけれど、貴方の推測である自然現象の一つみたいなもので、通信妨害や『異怪』が自発的に発生するる類のものであれば良し。あ、いやまぁ良くはないけどね。これ以上ランクの高い『異怪』が召喚されたらそこそこ厄介だし。この現象も一時的なモノで、時間が経てば解決…がベストだけど、物事は常に起こりうる状況を模索、把握、考慮、そして対処できる方法を頭の中にオプションとして存在させるべきよ。いざとなった時に焦らないで済んで危険が減る可能性が増えるから」
「分かっている。だが『守る必要がない』、というのは『守る価値のない』の部分集合ではないのか?」
「違うわ。あ、いや時と場合によりけりだけど、今回は含まれてない。要は役割の有無よ。分かる?」
「…働きアリの法則か?」
「んー、微妙にそれも違うかな。もっとよく考えて、それなら母数が減った時点で何かしら変化が起きる。ここが最重要なら、今からでも新しい『異怪』が召喚されるわ……もしも、もしもよ。それぞれの召喚される『異怪』にあらかじめ何らかの役割が与えられていて、それを第一目標として実行していたとしたら?この現象は意図的に起こされたとして、『ここは守る必要がない』って、誰かに指令されていたとしたら…」
「…まさか」
ドクン、と心臓が一気に跳ね上がる。物事は常に想定しうる逆の事をイメージせよ、とは誰の言伝だったか。偶発でないのなら、誰かしらの意が絡んでいる。
昔からのお約束。ダンジョンの最奥には、決まってボスがいる。
つまり、
「…良い頭の回転だ。見ている分には丁度いい興行だったぞ」
ドッ、っと今までの何倍もの濃い『異素』が蓋を開けたように溢れる。同時、ブワッと二人の顔に嫌な汗が噴き出るのには一秒もいらなかった。
刹那の間を挟みはしたが、そこからの二人は迅速だった。即座に後方に跳躍し距離を取り、身構える。武器はおろか、四肢さえも空気に溶け、虚空に消え始める翔璃。花蓮も顎を引き、声の方に目を据える。
数秒後、瞼が開くように線の幅が広がり、コツコツと足音を立てながら、ソレは現れた。
まず目を引くのは頭部。通常の量の三倍はあろう黒髪は、長さとしては耳下程度だが髪先の方向性が定まっていないのか四方に広がるように展開している。体格は翔璃とほぼ相違なく、体躯が大きい訳でもないが痩せ気味でもない、頑丈そうな凛々しい体格と肢体を持っている。
だが、特筆すべきは別の点にあった。そも、耳端が尖っている時点で人間ではないが、極めつけはその目だった。切れんばかりの鋭いそれの右半分は虹彩が存在せず、代わりに漆黒が眼球としてあるべき所に収まっている。
「貴方は……何者…?」
恐る恐る、といった感じに口を開く花蓮。初めて見る『何か』に警戒を最大限に上げつつ、『異怪』の一種であるかと仮説を立てる。
だが校長曰く、『異怪』の定義とは通常、常識とは『異』なる『怪』であるとの事だが、今まで見てきた『異怪』とは明らかに違う。ヒト型をした体躯のモノは皆無だったし、意思疎通が可能なほどの知能を持つ『異怪』は風の噂でも耳にした事がない。
「…先程自ら言っていたではないか、聡き娘。単なる問いのみでは不十分だと」
数秒の沈黙。緊迫した空気の中屈辱を覚えつつも観察を続け、思考を練り上げる。
「……ッ、只の『異怪』って訳でもないのは確かね…この現象も貴方が元凶って事でいいのね?」
そうだとしてそれが何か、と長い襟で隠れた口から言葉を返す不審者。人外とも言える『何か』と言葉のやり取りをする際、拭いたくなるような奇妙な感覚に眉根を寄せつつ早計かもしれないけど、と一つの決断を下す。
「この際貴方がどんな『異怪』なのか、そもそもそうですらないのかなんてのは些末な事。問題は今この状況で私たちが貴方という対象に対し何をしなければならないか、よ。答えは簡単。貴方たちが今私たちにしようとしてることを、そっくりそのまま返すだけなんだから!」
バッ、っと両腕を前に突き出す花蓮。同時、数匹の目玉型の『異怪』が打ち上げ花火のように地面から掘り出され、空に舞っていた。
「ほう、この程度の敵意には気づいたか」
「あんまりナメてもらっちゃ困るっての!翔璃君、後方支援お願い!…私がやるわ」
任せろ、という声がどこからか響いた時にはもう、花蓮は次の行動に出ていた。
「…どれ、試しだ。どの程度のものか、少し遊んでやるとするか……、ん?」
ふと、不審者は足元に違和感を覚える。そこには、彼の足にしっかりと絡みついて離れない、何かしらの『植物』。
「甘いッ!」
花蓮が少し手を動かすと、足元にあるそれは瞬く間に成長し、彼の身体を縛りあげる。ギチギチと嫌な音が体中からする中、顔色が変わるどころか眉一つ動かない人外の男は状況に反し少しの感嘆と疑問を覚える。
「……ふむ、『召喚異跡』ではないな。その痕跡が見当たらない。『生成型』の『異跡』か…?いや、この感じは…」
「抵抗しないならしないで構わないけれど、それならそれで手早くいかせてもらうわよ!『刺突苗樹』!」
彼女が叫ぶと同時、突き出した右手の少し先の空間から緑色の物体が突如として現れ、不審者目がけて一直線に伸びていく。
二秒と経たないうちに二十メートル程の距離を詰める自然の槍に対し、当然太い蔓で頑丈に縛られている彼は身動き一つ取れる筈もなく。
舞う血飛沫。踊る肉片。視界を彩る体液という名の絵具が、地面に飛び散った絵画を描いていく。
結果として、彼は貫かれなかった。
原因は目に見えて分かる。流れた血は全て『異怪』のもの。よく目にした熊型やら蛇型やらネコ型やらの『異怪』が、肉の壁となって植物の矛を受け止めていた。
寸での所で先端は止まっており、もう動かなくなったそれらの体液が彼に飛び散ることはなく、まるで何か障害物があるかのように彼のいる所だけを避けて血の池が広がっていく。
「……ッ、そんな事のために『異怪』を召喚するだなんて…そいつらに軽く同情してしまうくらい残忍な『召喚士』さんね、貴方」
「私にとってはこれが普通なのだがね、どうも人間は感情というものに束縛されすぎているように見える」
スッ、と彼が軽く手を持ち上げると花蓮の周囲に無数の闇色に光る魔法陣が展開する。無論、わらわらと出てくるのは無数の『異怪』。先程貫ぬかれた『異怪』たちと同種のものばかりだが、花蓮の周りにいる四匹のネコ型の『異怪』だけは一回り程身体が大きい。
『……そのやたらデカいのはランク『Ⅳ《フォー》』だ、おそらくその種のボス級だろうな。気を付けろ花蓮』
「…………分かってる」
四方を『異怪』に囲まれる中、動かない花蓮。我先にと言わんばかりに巨大なネコ型の『異怪』が彼女に爪を立てようと距離を詰める瞬刻、俯いたままの彼女は握った拳を僅かに震わせる。
「…ちょっと、頭きた」
ズン、と大きく地面が揺れたのは錯覚でも何でもない。大地震の予兆でもあるかのようなそれを引き起こした原因は、当然ネコ型の『異怪』の足元に。
全長七メートルはくだらない彼らの全身にはそれぞれ地面から生えた、所謂竹槍のようなものが深々と突き刺さっていた。キィイィイイ、と弱弱しい断末魔を体液と共に口から吐き出したのも束の間、棟梁格である『異怪』が数秒といらず絶命する。
「……『噴苗林』…」
味方のボス級が瞬殺されたのにも関わらず、花蓮に向かう足を止めない『異怪』達。立ち向かうというよりかはまるで何かから逃げているような足の運びだ、と身体の実態を消し上空から俯瞰するように見る翔璃。
元より標的である花蓮しか見えてないのか、取りつかれたかのように襲い掛かる彼らだが、だからこそボス級である『異怪』を串刺しにした植物の変化には気づかなかったのかもしれない。
「『促成』」
呟くと同時。一斉に動きが止まった。
目の前に広がるのは誰もが目を背けたくなるような惨状。百八十度花蓮の周りを取り囲むように襲っていた『異怪』達は、正しく空間に縫い付けられていた。それは比喩ではない。
地面から、あるいは元々ネコ型の『異怪』に刺さっていた植物から。花蓮の周りの空間は、新たなる無数の槍で埋め尽くされていた。
視界を覆い隠す程のその様はまさに血に塗れたジャングルジム。所々にある『異怪』だったものは、彼らの生命力をさながら噴水のように身体の至る所から噴き出している。
「……ほう、やはりこいつ等では話にならんか」
「こんな分かり切った事をさせて……さっきから気分悪いったらありゃしないわ」
「…ふむ、『異元』の消費も著しくはないな…それに先程のは………そうか、おおよそ見当がついたぞ、お前の『異跡』」
ッ、と不審者を睨む花蓮。数多ある『異跡』にも互いに有利不利等の相性が存在する。判別するのが難しい『異跡』ほどその点戦局では有利に立てるのだが、どんな種類かを見破られてしまえば対策を練られ、意味を失ってしまう。
「最初は定番の『生成型』だと思ったが…どうもそれだと『異跡』の使い方に違和感が残った。原因は、お前の足元や地面に落ちているソレだ」
花蓮の目の鋭さが増す。実質、彼女の周りには何も落ちてないように見える。だが、それは敵を欺くための仕掛け。何かある、と感知されぬよう特別な紙でコーティングされた数ミリから数センチほどの『種』が、いくつかそこにあった。
「…よっぽど優れた『異元感知』持ちのようね?私の特別製を見破るなんて。それとも、そのご立派な目のおかげなのかしらね?」
「この右目が気になるか?それもそうか…だが、俺がお前の『異跡』を暴くのに用いたのはこれではない。強いて言うならば、前者の方だな」
「あくまで教える気はないって事ね…流石にそう甘くはないか…それじゃあッ!」
花蓮の右手が空を掴む。と同時、不審者を拘束する植物の量が増えた。一本の太いツタから数本のツタが生え、というサイクルを繰り返し筋繊維のような頑丈さを持つようになる。
ただの一本でさえ数十キロの重さは耐えうるそのツタがさらに太さと強度を増し、彼の身体に負担をかけるべくその身を唸らせる。
「…ほう、これが植物を『生成』するのではなく『育成』させる『異跡』か。種子という『異跡』の元がある分、他の『異跡』よりいくらか燃費がいいのはこのせいだな」
「…多少私の『異跡』が分かったところで悠々と解説して下さってるとこ悪いのだけど、まだ私の『災害種子』、一割も見せてないんだからね」
花蓮がその口を封じようと動く前に、カァン!と軽快な音が響いた。直後、何ッ、と動揺の色を滲ませた声が花蓮の耳に届く。
「……何があったの、翔璃君」
『…俺の槍が、通らない』
「何ですって…!?」
翔璃の武器が通じないことは彼の『異跡』の特性上、まずないと言っていい。今までも彼の攻撃が通じなかったことは一度だってなかった。だが、この男には通じない。予想外の事態に、一気に二人の緊張感がピークに達する。
「男の方の『異跡』の識別は『改変型』という種類を知っていればそれほど困難ではない。見たところ、自分の体の組織を空気の一部として変換しているようだな…そして自分の『異元』を流し込んだ武器にもそれと同じことが言える、か。その希少性故に、『改変型』と判別できる輩はそう多くはないが…ふむ、確かに厄介ではあるな。物理攻撃が効かないというのは」
「……ッ!」
再び甲高い金属音が周囲に木霊すのと連動するように、チッと焦燥感を催す舌打ちもその直後に鳴る。必中の一撃が二度も防がれたとあっては、彼の面目も立たない。
そもそも彼の槍が必中である所以はつまるところ、その『改変』にある。
自分の『異元』を流し込んだ武器を身体の一部とみなし、その組織を大気、もといそれを成す水蒸気へと『改変』させる事が彼の『異跡』の特徴だ。
水分子の大きさ(0.38ナノメートル)の物体が『何かを通過できない』ことは極めて少ない。物体を構成するほぼ全ての組織より小さいそれは大抵のものであれば容易に通過、組織の隙間をかいくぐり貫通することができる。
それが意味するのは『防御無視』。つまり盾だろうが鎧だろうが何だろうが、水分子より小さい物質で構造されてるもの以外であれば、水蒸気に『改変』された彼の武器は何でも貫通しうる。
だが、神羅万象、何事にも例外は存在しうる。
「…大抵の輩は成す術もなくその槍に急所を貫かれて一撃必殺だろうな…おまけに大気へと姿を変えるため『異元感知』を持っていないとそもそも発見すらできない、か。よくもまぁこんな暗殺者を見つけたな、奴め……」
『……正しくは、大気ではなく水蒸気だがな…』
謎の男に聞こえない程度の声で呟く翔璃。『改変型』に分類される『霧』の『異跡』で数多の『異怪』をほぼ一撃で屠ってきた翔璃だが、今回のこの不審者はワケが違う。そう認識を改めつつ、次の手を模索する。
(何故俺の槍が奴を貫かなかった…?見たところ、それほどの防具を付けてるようには見えないが…いや、見えないだけかも知れないが…それとも奴の『異跡』によるものか……)
大気に身を投じながら、じっと謎の不審者を観察する。視覚の情報から怪しいと見て取れるのは、あの男が身にまとっている黒い外套。
口はおろか手足までもが完全にそれで隠れており、地面に接して引きずっているほど丈が長い。だが、鳴り響いた音があの外套の素材からのものという線は薄い。加えて手ごたえとしては、あの服に接してはいなかったような気がする…と彼は二度の攻撃を踏まえ考察する。
「…どう?何か分かった?翔璃君」
『……、推測で良ければ』
「良いから!」
『……まず、感触としては『固い』。あの黒いコートのような性質の一部であると最初は考えたが、その線は薄い気がする……いや、特にこれと言った理由はないが…勘だ。可能性として大きいのは、奴自身が持つ特性だろうな』
「勘って貴方ねぇ…、まぁいいわ。そういうのって割と馬鹿にならない時あるし。そこは言及しないでおくけど……そうね。結局そこに帰結するってかぁ…『異怪』かどうかさえもだけど何もかも未知数すぎるもの、アイツ」
もっと探り入れときゃ良かった、と軽い失念に駆られる花蓮。あれやこれやと可能性を探っているだけでは埒が明かない。
元よりその思考錯誤に時間をかけている間に、相手が何を仕掛けてくるか分からない。というのに、花蓮達にとって現状打つ手が少ないのも事実であるこの状況に、さらに拍車をかけるが如く謎の襲撃者は『異跡』を発動させる。
「…もう話し合いは終わったか?悪いが少しばかり時間がないのでな。ここからは巻かせてもらう」
袖で隠れた右手を少し動かす。すると彼の右背後から今までよりひと際大きな魔法陣が展開される。
瞬間、空気が震えた。その体躯の大きさからなのか、合成音声とも取れる不気味な鳴き声からなのか、重量感あるその足が動くたびに起こる鳴動がそうさせてるのか、はたまたそれら全てが理由なのか。
ネコ型のボスが可愛く思えるくらいの『異怪』が、そこにはいた。
「……ちょっと、こんなの聞いてないんだけど…」
『…全くだ、労働基準法が緩いのは『裏側』でも同じという事なのか?これは』
例えるなら上半身は蟷螂。下半身は鰐。二股に割れている尻尾は蠍。その顔には目と見られる器官は存在せず、代わりに大きく裂けた口が左右に伸びている。
体中から生えている触手は薄紫色に光る粘液で覆われており、上半身についている巨大な二本の窯は死神のそれを連想させる。
「個体名『オベルガイア』。ランクは『Ⅷα』。……さて、どのくらい持つだろうか」
花蓮「ねぇ翔璃君」
翔璃「なんだ」
花蓮「貴方、『異跡』を使ってる時ってぶっちゃけ身体どうなってるの?空飛んでる感じ?」
翔璃「あぁ…いや、飛んでるというよりかはただ浮いてるというか…」
花蓮「何よそれ、はっきりしないわね…幽体離脱みたいな感じなの?上からいつも戦局見て分析してるんでしょ?」
翔璃「まぁ…そうだが、何というか、視点だけ上に設置して、腕とかは別の位置にあるというか、俺の『霧』の中であれば自由に動けるというか…」
花蓮「……さっきから貴方、何でそんな言葉を濁してるの?…ハッ!さてはよからぬ事考えてるわね!?透明だから女湯除き放題!?変態!除き魔!いっぺん死んでフジツボにでも生まれ変わったら!?」
翔璃(……これだからあんまり自分の『異跡』の事は話したくないんだよなぁ…)




